第3話:聖女様の語彙力が、僕の心臓を物理的に叩く
「……神代君。昨日あれほど言ったのに、今日のこれは何?」
放課後の第2図書準備室。最近、僕たちの「添削指導」は、より密室度の高いここへ移動していた。
白雪さんは、僕が差し出したルーズリーフの端を、まるで汚物でもつまむように人差し指と親指で挟んでいる。
「何って……君が『もっと情熱的に』って言ったから、精一杯の愛の告白シーンを……」
「これが? 笑わせないで。これじゃあ愛の告白じゃなくて、ただの『願望の垂れ流し』よ。……特にここ」
彼女の白く細い指が、僕の書いた一文をなぞる。
『君の瞳を見つめるだけで、僕は世界のすべてを手に入れたような気持ちになる』
「……神代君。君、世界を舐めているの? それとも私の瞳は、そんなに安っぽい価値しかないと思っているのかしら」
「いや、そんなつもりじゃ……っ」
「いい? 瞳っていうのは、光の屈折や彩度の問題じゃないの。そこに映る『自分の情けない顔』まで含めて描写しなさい。……ほら、もっと近くに来て」
彼女がいきなり僕のネクタイをぐいと引っ張った。
顔が、数センチの距離まで強制的に近づけられる。
エメラルドグリーンの瞳が、至近距離で僕を射抜いた。
「見なさい。私の瞳に、何が映っている?」
「な、何って……僕の、すごく焦ってる顔」
「そうよ。その情けなくて、必死で、今にも泣き出しそうな顔……それこそが、あなたが私に向けた『感情』の正体でしょう? それを言葉にできないのは、あなたが自分自身の心から逃げている証拠よ」
白雪さんの吐息が、僕の唇にかかる。
彼女は冷たい声で、けれどどこか熱を帯びた響きで、僕の耳元に囁いた。
「……私の瞳に映る自分を見て、どう思ったか。あと300文字以内で記述しなさい。書けるまで、今日は帰さないわ」
「……っ。白雪さんこそ、さっきから僕のネクタイ、離してくれないんだけど」
その瞬間、彼女の指先がピクリと跳ねた。
彼女は慌てて僕を突き放すと、バサバサと資料(という名のラノベ)を整理し始めた。
「……勘違いしないで。これは、あなたの語彙力があまりに貧弱だから、実物を見せてあげただけよ。教育的配慮よ」
「教育的配慮にしては、距離が近すぎないかな……」
「うるさい。……不採用。全部書き直しよ、神代君」
彼女はそっぽを向いたが、その長い黒髪の隙間から見える耳が、明らかに真っ赤だった。
僕はデスクに突っ伏しながら、ノートに『世界一厳しい編集者(兼・好きな人)』への新たな一文を綴り始めた。




