7、夜を走る
こんな低級住宅にルロクが来るなんて!
外装も、部屋の中もかなり汚くて見せれたものではない。
動揺していると、ウーベルトが苦笑しながらルロクに椅子を進め、今度こそ家に帰っていった。
自分の向かいの席に座った彼と二人きりになって、イルオラは恐る恐る自分も腰掛けた。
「なぜここに?」
ひとまず無難な質問をしてみる。
彼は部屋を興味深そうに見渡している。あまり見ないで欲しい、という女心は理解してもらえず、もうやけになってもう一度質問をしてみた。
「ルロク、なにかご用なの?」
「……僕は何かしたかな?」
言い方が冷たかったのか、ルロクは顔をしかめて尋ねてきた。
彼を怒らせたいわけじゃない。だけど、先ほどまで考えていた人がやってきて、しかもこんな汚いボロボロの部屋を見られて、気分が良いはずない。
「…………」
イルオラが俯いて黙っていると、ルロクが大きなため息をついた。
呆れたのだろうか。
こんな庶民の所にわざわざ来てくれたというのに、彼の気分まで貶めている自分に嫌気がさす。
「僕は質問の答えを聞きにきたんだけど、僕から言った方がいいみたいだね」
「質問?」
「公演が終わった後に聞いただろ」
酒のせいで鈍くなっている記憶を探り出す。公演が終わったあとに聞かれた、質問。
『僕の事が好きだろう?』
確かそう言われた。質問というにはかなり自信がある言い方だが。
「思い出した?」
「ええ。でもあなたから言うってなにを?」
「鈍いね」
彼は笑って、テーブルに乗せていたイルオラの手を握る。
鈍いイルオラでもようやく察した。
「……でも、わたしは庶民だわ。あなただってもっと魅力的な人がいるじゃない。……舞台裏まで来た人とか」
「舞台裏? アリーチェの事?」
聞かれて頷くと、彼は何が何おかしかったのか、いきなり笑い出した。
驚いて目を見開いていると、彼は目にたまる自分の涙を指で拭いながら口を開いた。
「なんだ、機嫌が悪かったのはやきもち焼いてたからか」
「わ、笑い事じゃないのよ!」
「ごめん。でも彼女はね、恋人じゃないよ。というか、いとこなんだけど」
それだけ言ってまた彼は笑い出した。
真相を聞かされたイルオラはぽかんと口を開けて固まってしまう。
「……いとこ? 恋人じゃないの?」
「君にキスしておいて恋人なんて作らないよ。そこまで性格悪いと思ってたの?」
そう彼が言った途端、何やら雲行きが怪しくなってきた。
「いや、あの、違うわ。そうじゃなくて、その……」
彼はお得意の笑顔を顔に張り付けてはいるが、目が笑っていない。ルロクは立ち上がり、イルオラも手を引かれて腰を上げた。
「君にはお仕置きが必要かな。一緒に屋敷までおいで」
「え、あの」
「異論は聞かない」
強引に言葉を遮られ、イルオラは観念して大人しくコートを羽織る。ドアを開けると冷たい風が入ってきて、寒さに肩をふるわせた。
建物の前に運転手付きの車が待っていて、ルロクに手を引かれながら乗り込んだ。
「出してくれ」
彼が指示を出し、ゆっくりと動き出す。
まだ車はあまり普及していない。初めて乗る車に興奮を抑えきれずに窓の外を覗いていると、くすりと彼が笑った。
「好きだよ、イルオラ」
「本当に?」
「本当に。君の綺麗な声が聞きたくて、前の公演は何日も通ったよ」
そう言えば何度かこないとわからないはずの事をルロクは庭園で台本を読んでいた時に言っていた。イルオラのミスのタイミングだ。本当に通ってくれていたのだろう。
ずっと想っていてくれた彼の言葉に、胸が暖かくなる。
その感情が零れて表情が柔らかくなり、ルロクはそれを見て額に口づけた。
明日からの公演も頑張ろうと自分に誓った。
2012.01.24 天嶺 優香
これにて完結です。
書いている時は楽しかったのに、なんだろう。読み返したら「あーーーーっ!」って叫びたくなった。いや、叫んだ。まじで。
長さ的に短編ものとして作成したため、いろんな所を端折ってます。じっくり書くのではなく、さっと書いてさっと終わらせる。そんな形式が好きだったころのものですので、物足りなさは……ごめんなさい。




