第7話 迷いの森の聖なるもみの木
さっきまでとは違って、やさしく握られた手のひらに熱を感じた。
しばらく無言のまま香川に連れられて歩き、プランタンの中に入る。寒かった外から暖房の効いた室内に入って、耳がキィーンとして身震いする。
私は半歩前を歩く香川を見て震える胸を、落ち着かせようとした。
それから、さっき聞きそびれたことを、今ならちゃんと答えてくれるんじゃないかという気がして、私は勇気を振り絞って話しかけた。
「ねえ、どうして来たの?」
そう聞いたのだけど、香川は前を向いたまま答えない。
「ねえ!」
私がもう一度言うと、香川ががばっと勢いよく振り返った。
「お前、バカ? なんで自分の誕生日祝わないでクリスマスなんて祝ってんだよ? どうして他のヤツに誕生日だって言わないんだよ?」
「なっ、ばかって何よ!?」
すごい剣幕で香川が言ってきたから、私も負けじと返した。
……って、待って? 違う、私が聞きたいのはそこじゃなかった。
「どうして、私の誕生日知ってるの!?」
そう、問題はそこよ! 順子さんや悠ちゃんたちにも内緒にしてたことなのに、どうして香川が知ってるの?
「あっ? そんなの中学の時に言ってただろ……」
そう言って香川は視線をそらし、頭をかいた。
そうだったかな? 確かに、中学の友達は私の誕生日を知ってるだろうけど、友達でもない香川が知ってて、しかもいまだに覚えてるなんておかしくない?
そう考えたら、ドキンっドキンっと鼓動が激しく打ちはじめた。私はそれを誤魔化すようにぎゅっと眉根を寄せて香川を見上げると、ふいにこっちを向いた香川が私の顔を見て言う。
「おまえ、その顔やめろよな。不細工がもっと不細工になるだろ、だから彼氏もできないんだろ?」
「はっ? 何それ? 今関係ないし」
確かに、眉間にしわを寄せるのは私の癖だけど、そんなこと香川にどうこう言われたくないし!
「ってか、そーゆうあんたこそ、奈良さんはどうしたのよ? 彼女、ほうっといていい訳!?」
「はっ? なに他の女の話持ち出してるんだよっ」
「他の女って、彼女でしょ?」
香川の言ってることが意味不明で、私はまたまた眉間にしわを寄せる。
「おまえにカンケーねえし……」
そう言って、めんどくさそうに大きなため息をついた香川。
「あー、そうですか! 私だって、別に興味ないし! じゃ、あ、ね!」
意味のない言い合いになって、私はぷいっと向きを変えて順子さんたちのいるカラオケ屋に戻ろうとしたんだけど……
ぱしっ。
香川にまた腕を掴まれて、引き止められる。
「なに?」
私はうんざりして聞いた。これ以上香川と話しても、聞きたいことは聞けないし、なんか変に胸はどきどきするし、できれば早くこの場から立ち去りたい。
それなのに、香川は私の腕を握った手にぎゅっと力を入れる。
「イタッ」
私は痛みに、顔をしかめる。
「もう、なんなの!」
そう言って、腕を振り払おうとしたのだけど出来なくて、香川の顔を睨みつける。
ばちんっ。
香川と目があって、その瞳があまりにも真剣な光を宿していてそらせなかった。
「……って、やるよ……」
「えっ?」
よく聞こえなくて、私は聞き返す。
「だから! 俺が、花音の誕生日祝ってやるよ!」
その言葉にドキンとする。
いままでずっとおまえって呼ばれてきて名字の千葉とも呼ばれたことがなかったのに、いきなり名前で呼ばれて、顔がどんどん赤くなるのがわかった。
そうしてその時、気づいてしまったの。
いつだって、私の胸がドキドキして痛むのは――香川が関係してるって。
香川と会った時、香川の話題になった時、香川のことを考えた時……ああ、私、香川を好きなんだ。中学からずっと好きだったんだって実感したの。だけど、そう簡単に素直にはなれなくて。
「なっ、何言ってるの? 意味分かんないし。ってか、あんたに祝ってほしいなんて言ってないじゃん!」
「はっ? ほんとにかわいくないな、おまえ」
そう言った瞬間、香川がぐいっと私の腕を強く引く。その反動で私は倒れそうになって、香川の胸の中に抱きしめられていた。
「花音……」
ドキンっ。
名前を呼ばれて、体が震える。
「俺は……が……きだ、……つ……」
香川が耳元で何かを囁いたのだけど、よく聞こえなくて――
「花音! いた!!」
その時、悠ちゃんが私たちのところにやってきた。
「悠ちゃん!」
私は香川から離れて、がばっと悠ちゃんに抱きついた。もう意味不明なことばかりで頭の中が破裂寸前。泣きそうだった。
「よかった、プランタンの中にいて。鞄とコート忘れてたからどうしようかと思ったよ」
悠ちゃんはやさしく笑って私に言った後、香川を見る。
「困るんだよね、勝手に花音連れ出されちゃー。で、要件は済んだの?」
いつも中立の立場で怒ってるところも見たことのない悠ちゃんの口調が怖くて見上げると、鋭い眼差しを香川に向けていた。
「それは……」
香川は口ごもり、悠ちゃんの視線から逃れるように顔をそむける。そんな香川を見て、悠ちゃんがクスッと笑った。私は何がおかしいのかわからなくて首をかしげる。
悠ちゃんは、香川に近づいて耳元で何かを囁いて、またクスッと笑った。
「花音、行こう。みんな待ってるから」
「う、うん」
私は頷いて悠ちゃんについていこうとして、立ち止まった悠ちゃんにぶつかりそうになる。
「あっ、そうそう。これから花音の誕生日祝いするから、香川君も来たいなら来てもいいけど? 誕生日のこと教えてくれた礼に来てもいいよ」
香川に魅惑的な視線を向けて言った。
「えっ? お祝い?」
私はびっくりして、悠ちゃんに聞く。
「そうだよ! なんで誕生日だって言ってくれなかったのさ。友達なのに水臭いなあ」
悠ちゃんは私を見て言った。
「ご、ごめん。言いづらくて……」
※
自分の誕生日が、クリスマスイブだなんて言いづらかった。
子供の時は特に気にしてなかったんだけど、毎年、クリスマスと誕生日を一緒にお祝いされて、なんか損してる気分だった。プレゼントの包装だって、サンタやツリーの描かれたクリスマス仕様で、誕生日って実感も薄かった。
中学になってからは、イブが誕生日だって言うと「その日はデートなんだ」って申し訳なさそうに友達に言われて、私の方がなんだかいけないことをしてる気がしてきた。
クリスマスなんてなくなればいいのに。そうしたら、私の誕生日は誕生日として祝ってもらえるのに、そんなことを考えた時もあった。
そして中学二年、その年は祝日だったクリスマスイブ。もちろん友達はデートだと言っていた。私は一人ショッピングにきていた。そのショッピングモールには、クリスマスシーズンには大きなクリスマスツリーが飾られ、その装飾は毎年違ってて、それを見るのが密かな楽しみだった。
一通りショッピングを満喫し、帰る前にクリスマスツリーをもう一度見ようと、ツリーのある噴水広場に足を向けた。すると、ツリーの前に香川と女の子がいるのに気がついて、私はあわててその場にしゃがんで隠れる。
しばらくして二人が仲良く手をつないで帰って行く後ろ姿を見て……自分の恋心に気づくと同時に失恋してしまった。
嫌いだった誕生日に失恋して、大嫌いになった誕生日とクリスマス。
だから、高校に入ってからは誕生日を聞かれてもあいまいに誤魔化してきた。
※
「花音ちゃん、お誕生日おめでとう!!」
「メリークリスマス! カンパーイ!」
そう言って、手に持ったペットボトルを上げる。ポンっポンっとペットボトル同士が当たる音が響く。
プランタンの外の噴水広場で、みんながそう言って私の誕生日を祝ってくれた。その中には香川もいる。
噴水広場の中央にある大きなクリスマスツリーは色とりどりのオーナメントが飾られ、その中でも木の最上部に飾られたオレンジ色の星がとても神秘的な輝きを放っていた。
小さい頃に、読んだ絵本を思い出す。迷いの森にある聖なるもみの木にオレンジ色の星を飾ると願い事が叶うという内容だった。
「花音、おめでとうー。ごめんね、誕生日だなんて知らないで」
順子さんがそう言って、小さな袋をはいっとくれた。
「ううん、私こそ黙っててごめんね。これは?」
「さっき花音を探してる時に、かわいいなって思って買ったの。たいしたものじゃないけど、誕生日プレゼント!」
サンタやトナカイの絵とメリークリスマスと描かれた紙袋。それを見て私は苦笑する。開けると、中身は耳あてだった。
「わっ、かわいい。ありがと順子さん」
私はぎゅっと順子さんに抱きつく。
「これは私から」
そう言って悠ちゃんが、雪の結晶の形のキャンドル立てをくれた。
「ありがとう、悠ちゃん」
すっごくすっごく嬉しくて、私は涙が出てきた。こんなに幸せな誕生日は初めてかもしれない。
あんなに大嫌いだったクリスマスが好きになるなんて……それもこれも、香川のおかげなんだよね。香川が私の誕生日だって、みんなの前で言ってくれたから。そう思って、ちらっと香川の方を見る。香川は山口君となにやら話して笑っていた。
胸がぎゅっと締めつけられて痛くて、でも暖かくて幸せな気持ちだった。
※
順子さんが他の友達と話しに行き悠ちゃんと二人きりになると、耳元で囁いた。
「なんでも相談にのるからね!」
「えっ?」
私はなんのことかわからなくて、悠ちゃんを見上げる。
「香川君のことが好きなんでしょ?」
そう言われた瞬間、ぼぼっと顔が赤くなるのが自分でも分かって両手で顔を隠した。
わわっ、悠ちゃんには私の気持ち、ばれてる。そんなに周りの人から見て、私の気持ちってバレバレかしら。
「気持ち、伝えてみたら? 案外、上手く行くかもよ」
そう言う悠ちゃんに、私は冗談でしょって笑って。
「だって、奈良さんっていうかわいい彼女がいるんだよー、ないない、ありえない」
「そうかな? じゃあ、香川君はなんでここにいるの?」
そう言われて、首をかしげる。
「そーいえば。さっきまで奈良さんと一緒だったはずなのに」
私は記憶をたどる。
「他の女って言ってたな……、いや、でもおまえには関係ない、とも言われたし……」
一人でぶつぶつ言ってる私に、悠ちゃんがくすっと笑って。
「じゃあ、本人に聞いてみれば? おい、香川君、彼女はどうしたんだ?」
前半は私に言って、後半は香川に向かって叫んだ。
香川は突然呼ばれてこっちを振り向き、はっ? て顔して、私たちのいる場所まで歩いてきた。
「なに?」
そう言って、ちょっといらついた瞳で私を見る。
えっと、話しかけたのは私じゃないんだけど……そう思って、隣にいる悠ちゃんを見上げたのだけど、悠ちゃんは相変わらずくすくすと笑ってて、私の視線には気づいてくれない。
「花音、なに?」
香川にそう言われて、私はいよいよどうしていいか分からず悠ちゃんをつついた。
「えっ? ああ」
私の視線に悠ちゃんがやっと気づいてくれたのだけど。
「香川君、彼女はどうしたの? って花音が聞いてるよ」
「えっ、私? 悠ちゃん!?」
結局私に話しが振られて、どうしたらいいのか焦る。香川を見ると、さっきよりも怖い顔をして私を睨んできた。
うぅ、怖い……
「えっと、奈良さんはどうしたの? 先に帰ったの?」
仕方なく、恐る恐る自分で聞く。その言葉に、ギロッと睨まれ。
「奈良とはわかれた、ってさっき言っただろ」
「そっか……」
別行動して帰ったのか奈良さん? 私はそういう風に解釈して一人頷いた。
「でっ?」
「えっ?」
香川が真剣な瞳で聞いてきたけど、なんのことかわからなくてぽかんとする。隣を見ると、いつの間にか悠ちゃんはいなくなっている。
「さっき俺が言ったことの……返事だよ」
「えっと、何のこと?」
香川に言われて、私は首をかしげる。
その瞬間、香川のこめかみがぴくっとして、目がギラッと光ったように感じた。怖い!
「っ!」
香川が何か言いかけた時、広場にパッと明かりがついてイルミネーションがキラキラと光りだす。
いつの間にか空が暗くなり、イルミネーションのあたたかな光がクリスマスツリーを照らしていた。
「わぁ……きれい……」
思わず、そうこぼしていた。こんなに綺麗なクリスマスツリーをこの三年間、ちゃんと見ようとしなかったなんて、ちょっともったいなかったなぁ。
その景色があまりに幻想的で、このクリスマスツリーが迷いの森のもみの木みたいに思えた。
私が口をあけてぼーっとイルミネーションにみとれてると、手に熱を感じる。
見ると、香川がクリスマスツリーに視線を向けたまま、私の手を握ってた。
ドキンっ。
鼓動が早くなって、胸がほかほかする。
「好き……」
私もクリスマスツリーに視線を向けたまま、気づいたらつぶやいていた。
香川がこっちを振り返ったのが気配で分かる。私は、思い切って香川の方を向くと、さっきまで苛立ってた香川の瞳が今度は困惑を浮かべていた。
くすっ。
私はそんな香川を笑ってから、掴まれた手をぱっと離して悠ちゃん達のところへ走り出した。
クリスマスを大嫌いにさせた、香川。
クリスマスを大好きにさせた、香川。
大嫌いだった香川を好きになった私。
大嫌いって、実は、嫌いよりも好きって気持ちに近いのかも。
香川が誰を好きでもいいかな。彼女がいてもいいかな。私が香川を好きって気持ちに変わりはないんだし。
いつか正面から、好きって言えたらいいな――
迷いの森の聖なるもみの木にそう祈った。
これにて、完結です!
ここまで読んでくださってありがとうございます。
1ポイントでもいいので評価頂けると今後の励みになります。
番外編というか、香川視点のお話「ハシリボシ」をUPしました。
そちらもよかったら読んでみて下さい。
誤字などありましたら、お知らせください<m(__)m>
若干、文章の訂正をしました。内容はほとんど変わってないと思います。
(2011.2.25)