第三話
JRを乗り継いで帰社したのは、十八時を回っていた。途中何度かデスクに折り返し電話を試みたものの、留守電にもならなかった。取材中は必ず留守電モードなので、おそらく帰社しているはずだと踏んだ。案の定、書庫で調べものをしているデスクを発見した。
「デスク、ただいま戻りました」
初めての取材、厳密には一人で取材だ。これまでは先輩やデスクに帯同する形で、仮免許みたいな場数は踏んでいる。だがあくまでも仮。一人で乗れてこそ運転ができると言えるものだ。取材も同様。今日が私のデビューの日だった。
「お、無事のご帰還だ。早苗さんおつかれ」
デスクは私のことを「ネコ」とは呼ばない。早苗さんと呼ぶ。それなら真田とか真田さんでいいのでは、と提言したが、父のことを思い出すからイヤだと丁重に断られた。父はデスクに何をしたのだろうか。
昨年の忘年会で、私のことを役立たずのコネ入社とは思っていないと、面と向かって言われたのだ。宴もたけなわだった。デスクは、そのまま奥さんの実家に直行するということで、車で来ていたのだ。シラフでそうまで評価されると、気恥ずかしい。せめて、酔っ払っていてぐらいだと、あれは勢いで出た言葉だと割り切れもする。
デスクは自分の苗字を冠にして、桂木デスクとは呼ばせない。万年デスクとも言われているが、役職や役割は変わりやすいもの。他の誰かに変わったときに「桂木デスク」と声かけしようものなら、新任デスクに気が悪い、という周辺に忖度し切った配慮なのだ。だから私は、デスクとしか呼ばなくなり、ふと気を抜くと、桂木さんの苗字を忘れてしまう。
「で、取材は滞りなく?」
「まぁ、そうですね」
私はお茶を淀みないくらいに濁した。嘘を隠すには濁っていないと。
「そういえば、電話いただいていました。折り返しもしたんですが」
不満そうに聞こえたのか、デスクは
「ごめんごめん、取材の途中かと思ったけど急遽ね。あの、取材記事さぁ、紙の方には掲載しないことになった」
「それって、御蔵ですか?」
「いや、Web版では掲載するんだけど」
デスクの歯切れがいつになく悪い。口八丁手八丁、警察組織の中でも話術が立つゆえに、取り調べで落とすのは、県内トップクラスだったという。刑事になって五年ほどで、退職したというが、その捜査手法に上層部から警告を受けたからだと、父母の話を盗み聞きして知った。デスクは県内の警察組織とのパイプも太く、父とは裏で何らかのつながりはあるはずだ。父はデスクの弱みを握っているのか、そのカードを私の就活に使ったのではないか、というのが専ら私の読みなのだ。
「せっかく取材したのにな」
恨みがましく、呟くとデスクは
「警察が追加で調べたいことあるらしくてね」
小さなヒントだけ出す、優秀なクイズ番組司会者のごとく、デスクは手にした資料をざっと眺めると、書棚に戻した。二十畳ほどの書庫スペースは、地域の歴史・地理をはじめとした地元資料エリアと、過去に発刊した新聞媒体の物理的保存場所となっている。一部メディアに焼かれて、DVDとして保存もされている。
店長によると事件のあらましはこうだ。A市在住自営業の倉橋亮二(五十二歳)がコンビニエンスストア・オークストアに午前六時半に入店。菓子パン、ペットボトル水、おにぎり、のど飴、をリュックに次々としまい込む。
店内には他の客はおらず、レジにバイト君だけのワンオペ体制であった。八時になると店長が出社予定であった。この時間は人手の確保が難しかったそうだ。バイト君は同法大学二回生の男性だった。彼はバックヤードで、タブレットを使いながらドリンク在庫を確認していた。据え置きの店内カメラモニターに男性客が映る。入店のチャイムが聞こえなかった。
バイトの学生は息を呑んだ。万引き犯だ。店長から共有されていた、朝方の廃棄前の商品を堂々と万引きする男性客。タブレットを無造作に置き、モニター越しに万引きの映像を今一度確認した。同時に、店内をうろつく倉橋の様子をうかがっていた。レジには誰もおらず、倉橋やりたい放題の状況だったそうだ。
だが、倉橋はそれ以上の万引きは繰り返さなかった。念のために、バイト君は数分前のビデオを巻き戻し、万引きしていると思わしい映像をその目で確認した。ちょうど一番撮れているカメラに対して、倉橋は背中を向けていたのだ。万引きしているかどうかわからなかったが、リュックの中身を確認できればそれでいいとも言える。
バイト君は、店長にSMSを送るものの待つわけにもいかず、自ら万引き犯と対峙することにした。ところが、逃げればいいだけの倉橋はレジ前でスタンバイしていた。好機と判断したバイト君は「リュックの中見せてください」とカウンター越しに大声で倉橋に促した。この場を支配しているのは俺だと言わんばかりのバイト君の支配力は、まったく意味をなさなかった。
倉橋は拳銃を取り出し、バイト君のニキビだらけの額に向けた。リボルバータイプで、警察官が長年愛用してきたニューナンブM60に似たものだったという。バイト君がモデルガンマニアだったのが、幸いした。
というのも、明らかにモデルガンと推察できたそうだ。「銃口を突き付けられたとき、銃口に改造防止の遮蔽板が入っているのがニセモノだ」と事情聴取時に得意げに語っていたとある。
「ニセモノじゃないですか。モデルガンですよねコレ!」
実際に倉橋にバイト君が語り掛けているビデオ録画もある。音声は取れていないが、口の動きはわかる。バイト君も事情聴取時にそう語っている。倉橋は決まりが悪そうに、リュックのチャックを開いて、モデルガンをしまったとこちらも録画とバイト君の証言から明らかだ。
その時、入店のチャイム音が滑稽に店内に響く。倉橋もバイト君も視線が一瞬入店客に向かう。この客が、吉積孝四郎先生だった。
デスクは入手した警察発表資料を斜め読みすることなく、丁寧に私に読み上げてくれている。
倉橋は開いたリュックの奥をゴソゴソと何かを探し始めた。バイト君はリュックの中の万引き戦利品を出すのだとばかり思ったそうだ。その瞬間、時間にして三秒あるかないか。吉積先生は背後から取り押さえようと飛び掛かったと資料にはあった。もちろん相手は倉橋だ。リュックに手を入れたままの倉橋は、手を引っこ抜くのではなくて、リュックを投げ捨てて、右手をリュックから露出させた。その手にはモデルガンでもなく、盗んだパンでもなく、おにぎりでもなかった。刃渡り十センチほどのサバイバルナイフであった。振り向きざまに、吉積先生の右肩を斬りつけ、対峙する形となり、そのまま左わき腹を突き上げるように刺された。失血死だった。
目の前が血の海になる状況に慌てた倉橋は足を滑らせ、つんのめったと同時に募金箱に手をかけた。
「あとは、事件発生時と変わらずの情報だよ」
腰を抜かした状態の倉橋は、かけつけた警察官に確保され、逮捕された。
「どうして、これが御蔵入りなんですか?」
「いや、Web版では掲載するよ」
「それを、御蔵って言うんですよ」
Webの広大な倉庫に投げ込むだけの記事。しかも有料記事ときたら、読む人は限定的だ。
「で、早苗さんは取材終わってるんだよね」
私はここで、ハイ、と言ってしまえば追加取材の件が切り出せないと考えた。それに、吉積先生のことを関わりのあった生徒三人とも悲しみ悼んでいない。裏の顔があるとも言っていた。殺されていい人間などいないが、それでもあの子たちにそこまで言わせるとは、吉積孝四郎の顔を暴きたくなっているのは事実だ。それは醜悪な好奇心かもしれない。子ども時分、父からこの手の事件から遠ざけられてきた反動かもしれない。
「デスク、実は追加取材をさせていただきたく思います。謝礼も必要です」
「あら、何か気づいたことでもあったわけ?」
デスクは飄々とした言い回しの中に、自分の感情を隠している。
書庫の天井蛍光灯に、蛾がバチバチと飛び込んでいる。奥の部屋のデーターサーバーの駆動音が低音で床を揺らすように響き上げ、沈黙の時間をカウントしているようでもあった。
「実は、取材対象の学生三名が、亡くなった吉積先生の裏の顔を暴露したいと言っています」
厳密には暴露したいのではなく、私が聴きたいだけなのだが。言いたいのは加奈子だけかもしれない。
「裏の顔ね。死人に口なしだよ。ジャーナリストとしてそれは正義たる取材になるのかね」
ここで言う正義とは何かわからない。デスクが考える正義ならなおのこと。
「正義が何かをわかりたいから、取材をしたいのです」
禅問答のような私の熱に、デスクは射抜くような視線を向けた。そして、五秒ほどの間を空けて
「五万円までにしてね。それ以上はダメ。あと、記事にできそうになくても俺には報告すること。それが条件」
デスクは快諾してくれたが、依然として警察がなぜこの記事の掲載を止めているのか、この時点にはまだわからなかった。あとで、録画を実際に目で見て初めて、警察の懸念が理解できた。そして、それ以上にこの事件の核心についても触れることができたのだ。吉積先生の裏の顔を立証するための貴重な証拠になり得たのだ。




