第一話
編集局全員が出払っているのは日常茶飯事で、電話番の私が出払うというのは非常事態だった。私はローカル新聞社に父のコネで入社した。コネだとバレる前に自分から、コネ入社だと申告すると面白がられ、「ネコ」と呼ばれるようになった。コネを逆さにした言葉で、逆さにしてもネコ程度。つまりは、役に立たない、という意味らしい。
ニックネームと言えばかわいらしいが、仇名と言えばどこそかイジられる臭いもする。猫の手も借りたい、そんな出番が今日訪れた。
地元高校の教師が、コンビニで暴漢を取り押さえたというニュース。不幸にもその教師は、犯人に脇腹を突き上げるように刺されて、即死したとのこと。勇気ある行動、先月子どもが生まれたばかり、教職五年目二十七歳の将来を期待される若者であったということだ。
伝聞調なのは、デスクからの情報だからだ。そもそも私たちの仕事は目で確かめると言っても、誰かに言質を取ってそれを記事にする。どうしたって、伝聞なのだ。目の前で見たわけでもない。犯人に動機すら聞ける立場でもない。警察発表を待つのみ。それは伝聞以外の何物でもない。場合によっては、加害者(犯人)に接見もできなくもないが、一つの事件にそれほど時間を割くことはできない。どこそこの通信社がまとめあげてくれた記事を整えて、原稿に落とし込む。
取材とは言うが、自分の「目」や「耳」で事件そのものを見聞きするわけではない。事件の周辺にうろうろする誰かや記録を辿って、つなぎ合わせて、それらしい記事にするのだ。何も恥じるものでもない、これは脈々と受け継がれてきた、報道そのものの形なのだ。地方ローカル誌のネコが言うことでもないが。
新聞の原稿の特徴は結論先行(逆三角形)と言われている。結論・経緯・補足という構成だ。経緯が読み取れずに、結論から書くとあって、そこには伝聞調であるにもかかわらず断定的な結論が先走る。
経緯を読み取れば、たとえば刺された本人は善人なのか悪人なのか、主観を入れ込む隙があるはずだ。そういう点では、新聞記事の在り方は、伝聞調なのに断定的で、経緯を読んでも読まなくてもいいとしていることに私は憤りを感じる。だから万年「ネコ」なんて呼ばれているのだ。ちなみに新聞記者が小説家に転身するとなると、相当苦労が必要らしい。
結論ありきの物語に誰が興味を抱くと言うのか。物語は物語を成立させている経緯と実はこぼれおちそうな小さな粒である補足に味があるのだから。
父が地元の警察署・刑事部の部長で、記者クラブでのパイプ確保のために私はコネ入社できた。父のおかげだ。だから、デスクは私を多少ひいきする。先行してネコの私に取材情報をトスしてきてくれたのだ。丸投げデスクと呼ばれている割に私には優しい。父の影響は大きいとみた。
クーラーが効きすぎたオフィスは、閑散としていて膝掛を二枚重ねても寒い。天井付けタイプのクーラーは、“羽”が壊れていて、一方向目掛けて風を吹き付ける。北風と太陽の教訓は役に立たず、風がびゅうびゅうと吹き付ける先輩は、寒すぎて(冬は暑すぎて)座っていられず、なにかと取材に出かける。そういう装置なのだろう。
廊下に偉そうに鎮座する自動販売機がゴーッと、働いているアピールのモーター音を響かせる。誰かが飲みこぼしたコーヒーがいつまでもフロアタイルにネットリとこびりつき、踏みつけるとバリバリと糊のように張り付く。退社時に後ろ髪を引かれるならぬ、後ろ足を持っていかれる感じになる。
デスクからメールが届いていた。若くして亡くなった高校教員であり、バレーボール部顧問の吉積孝四郎先生の周辺を取材せよとのデスクの指示だった。人となりを取材して、それをまとめて渡せということらしい。デスクがそれをもとに原稿を書くというのだ。
私の担当するパートは、さっきの逆三角形型の新聞記事で言うと、最期の補足部分にあたる。あってもなくてもいいところなのだ。小説にすれば一番味のするところなのに。事件のあった午後一番、私は吉積先生が勤めていた高校に取材に向かうことになった。アポは全てデスクが取ってくれている。
学校がいつから夏休みかすっかり忘れていて、生徒がいるものだと思い込んでいた。校門は閉ざされており、来客用の小さな門扉は格子状で、手を滑り込ませて棒鍵を外して入校した。御用の方はインターフォンとあったが、プレスの札をぶら下げていたから大丈夫だろうと踏んだ。
実際、私が高校生の頃は、校内に大人が入り込むことはよくあった。中学校のように入館証(保護者証)も不要で、公立高校のセキュリティの甘さを父に訴えると、高校なんて侵入してもメリットはないさ、と言う。警察官とは思えない言動。
高校二年生の頃、体育祭の練習で全校生徒が校庭に集まった。そこに窃盗犯が侵入したのだ。財布ばかりを狙う年寄りだった。
剣道部顧問にして、インターハイ二位の実力者高木先生が木刀で賊を仕留めた。振り下ろされた木刀は窃盗犯の頭頂部にパシーンとクリティカルヒットした。そのまま後ろに倒れた相手にすかさず、「突き」を入れたのだ。胸の中心部、心臓目掛けてだ。体育をサボり保健室からその一部始終を観ていた私は、あれはやりすぎ、と呟いたのを覚えている。保健室の先生は手当に行かなくちゃと言っていたが、まず警察と救急車だろうと隣でサボっていた上級生が嗜めたのが印象的だった。
過剰防衛ということで高木先生は警察からこっぴどくお叱りをうけたものの、父が間に入り、窃盗犯からの被害申告は握りつぶしたという。またしても、警察官にあるまじき行動。
その高木先生は、亡くなった吉積先生が勤める高校の校長先生だということがわかった。ここに来るまでの間に、調べておいたのだ。高木剣乃介、唯一無二の名前だし、学校のホームページの顔写真で判別できた。
なにかあれば、高木校長に昔父がお世話になったとでも言えばいいのだ。使えるものは何でも使う。それが脅しに近くてもいい。
夏休みに入った学校エントランスは下駄箱から咽るような若さが漂う。単に臭いと言うのとも違う。ハンカチで鼻と口を覆って、取材用にと用意された三年二組の教室に向かう。三年生は一階、二年生は二階、一年生は三階、と意外と覚えにくいルールだが、高学年になると階段を使わなくていいというシステムだと考えると合点がいく。
L字の廊下を二つほど曲がり、教室に着くと三人の学生がいた。亡くなった吉積先生の人となりを学生から聴くのだが、学校もドタバタしているらしく、最初に恰幅はいいものの神経質そうな学年主任とやらが挨拶と名刺交換だけして、そそくさと教室をあとにした。かかとが浮いたスリッパが廊下をペチペチと叩く。効果音のようで笑える。体格のいい人は、おおらかという偏見が私の中でザワザワしているままだった。
三人の学生は、吉積先生の受け持ちの生徒、顧問をしていたバレー部所属の生徒、生徒会の書記担当の生徒だ。吉積先生は生徒指導部で、生徒会の運営担当でもあった。やれやれ教員人気がないのは、教職を取るのが大変というよりも、このブラック労働量のせいだろうか。といっても、わが新聞社もさして変わらない。むしろブラックホールのごとく、真っ黒・底が見えないだろう。
一人ずつ取材をするほどのセンシティブなものではないので、座談会形式とした。三人の学生は手際よく教卓近くの机を四卓向かい合わせにしてくれた。弁当を食べるような和気あいあいとした雰囲気は当然なかった。
といっても三人ともが吉積先生の死を悼んでいるという雰囲気でもない。三人ともどこか緊張しているのだろうか、唇をムッと一文字にして、耐え忍ぶような。男子生徒は頬が震えていた。
吉積先生の受け持ちの生徒は、「羽佐間俊也」と言った。頬の震えは止まったようだ。すらっとした背の高い青年。ツーブロックで、眉も整えて清潔感がある。詰襟の上も開けずに閉じている。最上級生なのにしっかりしている。「カメラマンは来ないんですか?」という突然の問いに、来ないよ、とカジュアルに言うと態度が変わった。
足を大きく広げ、詰襟を開き第一ボタンを外した。なんとも態度が悪い。このあと塾なんで手短にお願いしますよ、とふてぶてしい態度で私を威圧するように言った。しますよ、の「よ」が妙に小憎らしい。
バレー部所属の生徒は、「結城楓」と言った。何かを訴えたそうな小動物の顔立ち。うるうるとした涙目で、黒目が大きい。明らかに小柄で、リベロかセッターか? と思っていたら、「バレー部・キャプテンでセンタープレイヤー」だとわかった。スポーツ女子ならではの定番クリボー・ショートカットだ。特徴のないお笑い芸人が、個性をひねり出そうとして手を出す髪型だ。クイックが得意らしい。スカートが短く、高校三年生女子としての嗜み程度の化粧が初々しい。自分が高校生の頃は、結城さんぐらいにスカートを短くしていたら、校内に入れなかったものだ。生徒指導部の校門チェックで折り曲げたスカートをほどかされる。それはそれで、今じゃれっきとしたセクハラだ。
三人目の生徒会書記の生徒は、「篠田加奈子」と言った。一年生の頃から生徒会に所属しており、ずっと書記を担当してきたらしい。前髪ぱっつんという底力にある“かわいさ”を理解していないとできない髪型。つまり自信家なのだろう。黒縁メガネの奥に潜む目は、澄んでいる。幅の太い二重に、細い顎。すっと通った鼻筋は、横から見るとなお美しい。楓ちゃんもカワイイが、加奈子ちゃんは美人といった感じ。態度は悪いが俊也くんも清潔感のある男の子だ。この学校の顔面偏差値が高いのか? と大人が口にしてはいけない言葉をぐっと飲みこんだ。
私はテーブルの上にレコーダーを置き、三人の許可を得てから録音ボタンを押した。小さな液晶画面が正確に時間を刻む。
「京西タイムズの真田早苗と申します。今日はお時間いただきありがとうございます。今日のニュースにも報道されていましたが、吉積先生が、暴漢を取り押さえた際に刺されてそのまま亡くなられました。みなさん、吉積先生はどんな先生でしたか?」
「暴漢? 強盗犯の間違いでは?」と加奈子ちゃんが訂正してきた。さすが書記担当。私もその後の記者クラブからの情報によると、コンビニ強盗犯だったとわかった。暴漢というのは“乱暴な行いをする人・突然人を襲う人”なのだから、より厳密にいえば広義すぎる。
裁判ではただの傷害と強盗致傷では罪状は大きく異なる。さらに強盗致死ともなると、無期懲役・死刑となるほど罪は重い。
どうも店内で取り押さえた際に、もみ合いになり、吉積先生が刺されたというのだから強盗致死になるのだろうか。店員ではないが。殺意があれば強盗殺人となる。強盗致死も強盗殺人も、法定刑上は有期刑ではなくかつ執行猶予はつかない。それほど重い罪なのだ。
犯人は吉積先生を刺したのち、気が動転し店内で腰を抜かしてへたり込んだらしい。そのまま、数人の警察官に取り押さえられた。金もなく住むところを追い出されそうになった五十代無職男だった。(追い出されそうなだけで、追い出されてはいないのだろう)手元資料によると、元フリーランスのライターで、AIの普及により書く仕事を失ったということだ。去年の今頃、妻子には愛想をつかされ家を出ていかれたそうだ。手元の貯金も食いつぶし、一方本当に喰うモノがなくなり、強盗目的でコンビニを襲ったということだ。
バイトでは任意でレジを開けられず、レジ前の募金箱を奪い取った。取り押さえられたとき、リュックの中にパンやおにぎり、水が数点詰め込まれており、万引きしたと判明した。警察に取り押さえられたのが、コンビニ店がだったことで万引きも罪として成立し、窃盗が加わる。が、強盗で一括りにするようだ。これは、さっき父からオフレコだけどね、とラインがあったのだ。私がうっかり記事にしたら、大変なことになるというのに。父の危機管理能力がまるで欠如している。またしても、警察官失格だと思う。
と、事件の全体像をオフレコの範囲で三人にも伝えた。SNSで投稿しないという誓約書は学校側が用意してくれていたからだ。学校の危機管理としては正しい。これは、学校を護るということだけでない。不用意な投稿によって、“人権主義を気取った醜悪な大人から生徒たちを護る”学校としての意思表明なのだ。
「じゃぁ、吉積先生は無駄死にですね」楓ちゃんがショートヘアーながらも作った触覚をいじりながら訊いてきた。
「無駄死にって……」
この会話が録音されていることを知っているのか? と私は小声で震えるようにつぶやいた。
「無駄死には失礼だよ、楓ちゃん。だってさ、アイツは、いや、録音されてるの忘れてた。吉積先生は、無謀だっただけだよ」
加奈子が口を勢いよく開いた。どこか太々。女子二人とも吉積先生を嫌っているのか?
「なぁ、あのクソ野郎は死んで当然だと思わない?サナサナちゃんもさぁ」
真田早苗と自己紹介したにもかかわらず、名刺までガキどもに渡したのにもかかわらず、サナサナさんだぁ? 父はどうしても私が男なら「真也」女なら「早苗」と決めていたそうだ。真田真也の名はお蔵入りすることなく、弟が引き継いだ。シンシンと呼ばれる弟に、私はサナサナと呼ばれる。年子なので同じ学校にいる限りイジラレ続けた。私がネコと編集局で呼ばれてヘラヘラしていられるのは、サナサナと呼ばれずに済むならそれくらい、という気持ちだからだ。なのに、このガキは……
私は俊也くんを睨みつけた。
「みんな、ぶっちゃけ、吉積先生のこと嫌ってない?」
私は熱を帯びた核心に手を伸ばした。マウントポジションが外されないように、タメ口+カジュアルに。それ以上に、話しの方向性は不用意だとはわかっている。準備不足とも理解している。なにせ、今日家を出た時には、こんなクソガキどもに取材をするだなんて微塵もおもっていなかったからだ。
今日は六時ピタリで上がって、ジムでボクササイズレッスンを受ける予定だったのだ。適当に美談記事をでっちあげて、デスクに渡しておこう。音源提出までは要求されない。そんなものデスクだっていちいち聴いていられない。
「好きな人っているんですかね?」俊也くんがため息を二度吐きながらあきれ顔で窓の外を見た。
「私は嫌いじゃないよ、もちろん好きではないけど」と部員としての容赦もない楓ちゃんの二の矢に、私は口をすぼめて、すぅうと音がするようにして息を吸い込んだ。さっきまで息を止めていたのに、気づかなかった。意識的に呼吸をしないと、死んでしまうのではないか。そう思わざるを得ないぐらいに、亡くなった先生への哀悼の意、そんな難しい言葉じゃなくても、悲しみはもちろんのこと、尊敬の念すら感じ取れなかった。
いや待てよ、私だって学校の先生で尊敬していた人なんていない。一人挙げるなら、高木先生ぐらいだろう。犯罪者への容赦ない仕打ちは見事だったと思う。だが、犯罪者であることの確たる証拠もない状態で、胸に“突き”まで入れてしまうのはいささか問題だとは思うが。
「サナサナ、こういう時ってこう言えばいいいんでしょ。――吉積先生は生徒想いのいい先生でした。学校を離れても勇敢だったのが私たちの誇りです。天国から見守っていてください――みたいな」加奈子が場を仕切る。
もう早く家に帰りたい。ジムのボクササイズに間に合ったとしても、もう家直行でビールを飲んで寝たい。先にメイクを落としてからビールを飲みたい。私はレコーダーに手をかけ、録音を止めた。俊也くんがおっ、と驚きの顔をした。同時に、私は録音したデータを三人の前で消去した。さっき買ってきたばかりのレコーダーだ。中身が空っぽだと小さなモニター画面を敢えて見せた。
私は何も聞いていない、証拠もない。と証明する必要があったからだ。もしかすると、この子たちは、何かを言いたいのかもしれない。私に何かを、吉積先生が隠蔽してきた何か、罪深き何か、それを伝えたいのだろうか。賭けだ。
その誠意の証として、録音を止め、消し去ったのだ。スマホも見せ、録音していないことを証明した。そのままバッグに片づけた。同盟を結びに、敵国へ一人で向かわされた使者の気分だ。下手を打てば、その場で斬られるみたいな。
高木校長の計らいか、教室はクーラーで寒いぐらいに冷えていた。四人しかいないからなおさらなのだろ。教室の扉をしっかりと締め、ついでにクーラーの温度設定を二十七度まで上げた。だれも異論はなかった。
頬に血色が戻って来たころ、長い髪をぐっと束ね直して、楓ちゃんが口を開いた。それは、吉積先生の裏の顔に通じる入口だった。




