表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
九州の地下に眠る海  作者: めこねこ
第三章 八代の不知火

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/11

数えじまい

【数えじまい】


とお …………



源蔵さんが、亡くなって。

矢部ん家にゃ、わたし、ひとりに、なってしもうた。


葬式は、身内だけ集まってやったとです。

もちろん、汐里さんも帰ってきなすったけど、初七日まで終えたら、福岡に帰らされよった。家んもんは、婆ちゃんが管理しちょってって言い残されよって。


奉公人の、おどんひとり。家ん人は、誰もおらん。広か屋敷に、婆さんがひとり。火数帳だけが、残った。何百年分もの、火ん数の、書きつけられた、あん帳面だけが。


おどんはね、汐里さんさ、手紙ば書いたとです。


福岡の汐里さんに。お父さんが、小さい頃に言うとったこと。その、矢部ん家の、ほんとうの役目のことば、書いたとです。


源蔵さんは、最期まで汐里さんに、ほんとうのことば、言わんやった。信じてもらえん、ち、思うとらしたけん。ばってん、おどんは、もう、隠しておけんやった。だって、源蔵さんが亡くなったら――もう、数える者のおらんごつなる。汐里さんしか、おらんとです。矢部ん血は、汐里さんしか。


おどんは、手紙に、ぜんぶ書きよりました。不知火んこと。火数帳んこと。八朔ん晩のこと。矢部ん血のもんが見ることが、押さえることやと。数える者が、おらんごつなったら、火は岸に上がってくると。だけん、どうか、帰ってきてほしい、と。婆さんの勝手なお願いやと、分かっとる。あんたの人生ば、縛ることやと分かっとる。ばってん、どうか、と。


……汐里さんはね。


帰ってきたとです。


*  *  *


今年ん夏。


八朔んすこし前に、汐里さんは、福岡から帰ってきなすった。


もう、四十を、過ぎとらした。すっかり大人の、女ん人になって。ばってん、面影は、おどんの知っとる、あの汐里さんやった。


汐里さんはね、こう言うた。


「婆ちゃん。お父さんの、手紙ん話――わたしは、ずっと、迷信や、ち、思うとった。いまでも、半分は信じられん」

「ばってん」

「お父さんが、ひとりで何十年も、それば守ってきたとなら。婆ちゃんが、ずっとそばで支えてきたとなら。わたしは、それば、無下にゃできん。信じる、信じんは別として――継ぐ。お父さんの役目ば、継ぐ。それが娘の、務めやろうけん」


……わたしはね、泣いたとです。また。


うれしかった。汐里さんが、帰ってきてくれた。役目ば継ぐ、ち、言うてくれた。これで、矢部ん家は、続く。火数帳は、続く。火は、また、沖に押さえておける。


汐里さんと、おどんは、八朔ん晩の支度ば始めたとです。


白か着物ば、出して。火数帳と、硯と、筆ば用意して。応えん灯の、油ば差して。汐里さんに、数え方ば教えて。浜の、いつもん場所も教えて。


何十年ぶりに、矢部ん家に、灯の、ともった気が、したとです。


これで、よか。これで、続く。


おどんは、そう、思うとった。


*  *  *


八朔ん晩が、来た。


今年の、九月ん十一日。旧暦の、八月一日。


夕方からね、風の、出とった。よか塩梅の、海風が。空が藍色から墨色に、変わりよった。いつもん、八朔の、晩のごつ。


おどんと、汐里さんは、浜さ下りた。


ござば、敷いて。汐里さんが、座って。沖を、向いて。おどんは、そんうしろに控えた。何十年も、源蔵さんのうしろで、してきたごつ。墨ば、すって。震える手で。


汐里さんは、緊張しとらした。初めての、役目やけん。「婆ちゃん、わたしに、できるやろか」ち、小さ声で。おどんは、言うた。「できる。あんたは、矢部ん娘やけん。血が、覚えとる」ち。


そして、待った。


火が、立つとを。


*  *  *


……待った。


長いこつ、待ったとよ。


沖は、暗うなっとった。


いつもなら、とうに、ひとつ目ん火が、立つころ。ばってん、そん晩は、いつまで待ってん、火ん、立たんやった。


汐里さんが、不安そうに言うた。「婆ちゃん、まだ、立たんと?」。おどんは、答えた。「もうちっと、待ちなはれ。今夜は、遅かとかもしれん」ち。


ばってん。


待っても、待っても。

火は、立たんやった。


沖は、ただ、暗かった。墨ば、流したごつ、暗かった。ひとつも、立たん。ひとつも。


おどんはね、何十年、この浜で、火ば、見てきた。八朔ん晩に、火ん、立たんかったことは――いっぺんも、なか。多か少なかは、あっても。ばってん、ひとつも、立たんかった晩は、何百年の、火数帳んなかにも、いっぺんも、なかったとです。


源蔵さんが、生きとらしたら。


きっと、青うならした。そして、こう、言わしたはずやと、思うとです。「とうとう――立たんごつ、なった」ち。


*  *  *


おどんは、そん晩、ようやく分かったとです。


なして、火が、立たんとか。


火がね、立たんとは――よかこと、じゃ、なかとです。


火が、沖に立っとる間は、よかったとです。火が、沖におる、ちゅうことやけん。沖に見えとる、ちゅうことやけん。


火が立たん、ちゅうことは。


火がもう、沖におらん、ちゅうことたい。


どこに、行ったとな。


……岸に、上がってきたとですよ。


源蔵さんが、亡くなって。数える者が、おらんごつなって。半年、誰も、見よらんかった。数えんやった。その半年の、隙に。火は、とうとう沖から、岸に上がってきてしもうた。


もう、沖に、立つ必要が、なか。もう、こっちに、来てしもうとるけん。


汐里さんが、帰ってきたとは。


間に、合わんやった。


半年、遅かった。源蔵さんが亡くなった、あん冬から、今年ん八朔まで。その半年の空白に。火は、上がってきてしもうた。汐里さんが、覚悟ば、決めて帰ってきたとに。そのときにゃ――もう、数えるべき火は、沖に、なかったとです。


汐里さんは、火数帳ば開いて、筆ば持って、待っとらした。生まれて初めて、自分の手で、火の数ば書きつけようと。


ばってん、書く数が、なか。


汐里さんは、しばらく待って。それから、おどんのほうば見て。それから、火数帳に、ひとつだけ、数字ば書いた。


零。


矢部ん家の、何百年の火数帳の、いちばん、最後ん行に。


零、と。


いっちょん、立たんかった、ちゅう、しるしを。


*  *  *


夜が、明けて。


おどんと、汐里さんは、まだ、浜におった。ひと晩中。火ん立たん海ば、見て。


夜明けの、潮ん引いた、干潟に、跡があったとです。


点々と。


なにかが、海から上がって、岸んほうへ、歩いていった、跡が。


足跡、ち、言うてよかか、分からん。人の、足ん形じゃ、なか。ばってん、点々と海からこっちへ、向かって。等間隔に。何かが、歩く歩幅でついちょった。


そして、その跡んひとつひとつに――


薄う、青白か、光の、残っとった。


朝の光んなかで、消えかけの燐の光が。ぼうっと。沖ん火と、おんなじ青白さで。


不知火が、岸さ上がった跡やった。


火はもう、沖にはおらん。こっちに、来よった。何百年も、こん浦の人間が、来るな、来るな、ち、祈ってきた、そん場所に。とうとう。


*  *  *


……あとで、聞いた話やけどね。


その晩――山んほうも、おかしかった、ち。


人吉んほう。あん盆地の。そん晩、人吉ぜんたいが、霧で真っ白になった、ち。秋でも、なかとに。九月ん宵に。盆地が、霧ん底に沈んで。朝まで晴れんやった、ち。


おかしか晩やった、ち、人吉ん人が、言いよらすった。


……海ん火が、岸に、上がった、その同じ晩に。山ん盆地が、霧に、沈んだ。


偶然、かもしれん。


ばってん、おどんは、源蔵さんの言葉ば、思い出すとです。山ん戸が軋むと、海ん戸も。海ん戸が開くと、山ん戸も。山と、海は、底んほうで繋がっとる、ち。


ひとつの、戸が、開けば。


みっつ、よっつと、続けて、開く、ち。


……五つ、ある、ち、聞いたことの、ある。戸がね。九州に、五つ。阿蘇に、人吉に、八代に。あと、天草に、荒尾に。五つの戸ば、五つの家が、守ってきた、ち。


八代ん戸は、源蔵さんで、終わった。人吉ん戸も、もう、終わっとる、とやろ。


あと、みっつ。


いや。


もう、ひとつも残っとらんかも、しれん。


*  *  *


汐里さんはね。


いまも、屋敷に、おらすとです。


毎晩、浜におりて。沖を見て。火数帳ば、抱えて。立たん火ば、待っとらす。


もう、立たんとに。もう、火は、こっちに来てしもうとるとに。それでも、汐里さんは待っとらす。自分の役目は、火ば、数えることやけん、ち。数える火の、なくなっても、待つんが、最後に残った、自分の務めやけん、ち。


いっちょん役目ば嫌うて逃げた人が。いっちょん最後まで、役目にしがみついとらす。


……人は、皮肉な、もんですなぁ。


意味の、あるうちは逃げて。意味んのうなってから、しがみつく。汐里さんだけじゃ、なか。人ちゅうもんは、たいてい、そぎゃんもんかも、しれん。




……ああ。


夜が、明けよらす。


窓ん外。見てみ。東んほうが、白んできた。長か夜やった。よう、付き合うてくれなはった。婆さんの、長か話に。


最後に、ひとつだけ。


数え唄んこと。


覚えとらすな。ひとつ、ふたつ、ち、九つまで唄うて。とおは唄わん、ち。浜ん子は、九つで止める、ち。


なして、とおを、唄うたらいかんか。今夜、ぜんぶ、聞いたあんたには、もう分かるやろ。


とおは――戸、たい。


とお、で、戸が、開く。


十、数えたら。十番目を、数えてしもうたら。戸が、開く。だけん、九つで止める。とおは、唄わん。何百年も、こん浦の子は、そうやって、戸ば開けんごつしてきた。九つで、止めて。


ばってんね、あんた。


今夜の、おどんの話は。


ひとつから、はじまって。一ノ火、二ノ火、三ノ火……ち、九ノ火まで、来て。そして、いま、数えじまい、たい。


数えて、みなはったな。今夜、あんたは。ひとつ、ふたつ、ち。おどんの話を。ひとつずつ、九つまで、聞いて。


そして、いま――とお番目を、聞いとらす。


*  *  *


……ああ。そぎゃん、こわか顔ば、しなはんな。


脅かすつもりは、なかとです。ほんとうに。


ただね。


おどんは、もう年たい。九十も、とうに過ぎて。いつ、お迎えが来ても、おかしうなか。源蔵さんも逝かした。矢部ん家も、もう、しまいたい。


だけん、誰かに、覚えといてほしかったとです。


こん話を。八代の、不知火の、ほんとうの話を。火数帳んこと。戸守りんこと。源蔵さんが、最期まで果たそうとした、役目んこと。


覚えとくとが――数えるとが――押さえることやけん。


見る者のおる間は。覚えとる者んおる間は。まだ、なんとかなるかもしれん。あんたが、この話を覚えとってくれたら。あんたん目が、覚えとってくれたら。


……だけん、あんたに、話した。


聞いてくれて、ありがとう。


いや。


聞いて、じゃ、なかったね。


これを、読みよらす、あんた。

そう。いま、これを読みよらす、あんたですよ。


あんたも――もう、九つまで、数えなはった。

そして、いま、とお番目を、読みよらす。


……あんたの分も、勘定に、入っとりますけんね。


*  *  *


ああ、夜が、明けた。


お帰りは、気ぃつけて。


……海のほうにゃ、寄らんで、お帰りなはい。


いまは、汀に、近づかんほうが、よか。


もう、向こうと、こっちの境が――どこにあるか、分からんごつ、なっとるけん。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ