5 カモミール荘
5 カモミール荘
「あの…… 個人的な事を訊いてしまって申し訳ないのですが…… どちらに、どなたと行かれるのか、差し支えなかったら教えてくれますか 」
マスターが申し訳なさそうな顔で私に訊いてくる。高杉さんも、中岡さんも同じ様に心配そうな顔をしていた。そりゃあ今まで仕事もせず引きこもっていた私が、急に旅行に行くなんて言ったら驚いて心配するのは勿論だろう。それでも私が外の世界に出る気になったのは喜ばしい事だと思っているようで、心配と嬉しさで複雑な表情をみんなしている。
「実は私、仕事をしていた時から始めたオンラインゲームを今もしているんですよ それで、お知り合いになった方たちと、オフ会する事になったんです その知り合いになった方のお一人が別荘を持っていて、N県のT村の山の裾野の森の中らしいんです 素敵な所みたいで、その別荘の名前も”カモミール荘”というそうで、カモミールの花言葉は”友情”だから、集まるのに丁度いいねって、みんな盛り上がっているんですよ もちろん私もゲーム内で仲が良い人たちだから楽しみなんですよ 」
「それは良かったですね 是非楽しんで来て下さいね 」
マスターを始め、高杉さんも中岡さんも嬉しそうな笑顔で私を見つめている。本当に、この人たちは私の事を自分の子供や友人のように心配してくれる。この人たちの為にも私は早く社会に復帰出来るように頑張らなければと思うのだ。
「でも、お天気が悪いようで少し心配なんですよ ちょうど夕方あたりから崩れるみたいですから…… 」
私は、せっかくの初夏の高原が雨では詰まらないですと肩をすくめてみせるが、マスターは雨の中の高原も風情があって良いものですよと言い、高杉さんもピンクフロイドの「エコーズ」のような澄んだ雰囲気に浸れるじゃないですかと言ってきた。私も、あの「エコーズ」の浮遊するような感覚を頭に描いて、なるほどそれも良いかもと思っていた。だけど、中岡さんは少し顔を曇らせている。私の彼と同様、音楽のプログレッシブロック以外にミステリー小説も好きな中岡さんの考えている事は私にもピンときた。彼が、そのジャンルのミステリーが好きで、好んで読んでいたので、私でも幾つかのタイトルはすぐに言えるのだ。「十角館の殺人」「星降り山荘の殺人」「ドッペルゲンガー宮」「殺しの双曲線」等々、すぐにパッと頭に浮かぶ。
「大丈夫ですよ、中岡さん 嵐の山荘になんて、なりませんよ 」
私が、笑って言うと中岡さんは思っていた事を当てられたとドキッとした顔をしたが、そうだよねと笑顔を返してきた。中岡さんは、これ以上は私を不安にさせると思って口を開かなかったけれど、マスターは嵐の山荘ってなんだい?と訊いてきた。
「嵐の山荘というのは、ミステリー小説の一つのジャンルなんですよ 雪の山荘とも言われる、嵐や雪などで孤立したエリア内で起こる事件を扱ったミステリーです 有名なのはアガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」ですね 有栖川有栖の「月光ゲーム」も変則な嵐の山荘ものだと思いますよ 」
私は、彼が偉そうに言っていた蘊蓄を、同じ様に偉そうに話していたが、マスターと高杉さんも心配になったようで顔を曇らせていた。
「あっいや、だからミステリー小説の話ですからね 今度の旅行とは関係ありませんよ だって、みんな初めて会う人たちですし、ゲームで仲がいい方たちなんですから 」
「マスター、この曲変えようや 少し明るいやついこう 普段ほとんどかけないけどイエスの「トーマト」かけようか 雨城さんが好きなアルバムだし 」
今BGMで店内に流れているのはマスターの好きなキングクリムゾンの「スターレス」だ。確かに暗い曲ではあるけれど私も好きなんだけどな。でも確かにポップ調の「トーマト」の方が明るいのは間違いないよ。イエスファンからは、あまり高評価ではないようだけど私は好きだったりするんだ。前に何気なく言った私の言葉を、高杉さんは覚えていてくれたんだ。
「イエスもジェネシスもユーライアヒープも、のちにポップ調になっていったけど、それもまた良いですよね 」
中岡さんも話題を変えようと必死のようだった。そこまで、気を使ってくれなくても私はそんなに弱くありませんよと言いたかったけれど、彼らの気遣いに感謝しておく事にした。
* * *
「それじゃ、行ってきますね 」
私は、お店のみんなに笑顔を向けると会計を済ませ、トランクを持って外に出た。そして、自転車に乗って駅に向かった。駐輪場に自転車を止め、改札に行き、目的地までの路線を確認する。東京で乗り換えて新宿へ行き、そこからは1本だ。私はスマートフォンを改札にかざし、ホームに降りて行った。こんな遠出をするのは実に久しぶりだった。ホームに立ち、ワクワクしている自分に気付き驚いていた。彼を亡くして、もう人と関わるのが嫌になり引きこもっていた私が、こんな気持ちになるなんて……。私は初夏のホームで電車が来るのを心待ちにしていた。
・・・早くみんなに会いたいなぁ ・・・
私は、頭の中でみんなの顔を想像していたが、きっとみんなも同じだろうと思う。だって、ゲームの中では一緒に戦っているけど、実際に会うのは初めてだ。
・・・みんなは、私をどんな人だと思っているのかなぁ ・・・
それを想像すると、また楽しくなってくる。そんな私の前に、東京行きの電車が滑り込んで来た。
* * *
「うーん、やっと着いた 」
私は、トランクを降ろし大きく伸びをしていた。そして、駅前のレンタサイクルのお店へ向かう。ネットで事前に予約しておいたお店だ。ここから、カモミール荘までは自転車で行くのだ。もちろん山道を軽快に走れる程の体力はないので、電動アシスト付きを予約しておいた。26インチタイヤ、7段変速のスポーツタイプだ。私は自転車に股がり颯爽とペダルを漕ぎ出した。薄いブラウスにスリムなジーンズで初夏の風の中、快調に飛ばして行く。天気予報通り、空には雲が広がってきているが、カモミール荘に着くまでは雨は降らないだろう。私は、山の裾野を登りながら、みんなは車で来るのかなと考えていた。今回のオフ会は現地集合の現地解散だ。今夜1泊して明日解散予定で、夕食は別荘地の入り口にある管理棟にあるパーティールームで出来ると聞いた。そして、朝食は別荘まで運んで貰えるらしい。もちろん、別荘にもキッチンはあるので調理する事も可能であるので私は別荘地に行く途中で発見したスーパーに寄る事にした。夜、みんなで飲むアルコールとおつまみになる物を買おうとしたのだ。といっても自転車なので、大量には購入出来ない。私はトランクからリュックサックを取り出してスーパーに入って行った。




