村の異常事態
雲がゆっくりと流れていた。陽光、ふりそそぐ。石畳の街並みを歩いて僕は前を目指す。
「ライト! ほら、こっち来てよ!」
少女がこちらに向かって大きく手を振る。赤い髪にカチューシャをつけた少女。待ちきれないように体を弾ませる。
「あれ? ステラ?」
なんでこんな所にいるのだろうか。彼女は村に残ったはずだ。町で冒険者をやっている僕が会える訳ないのに。
近くまで寄ると、彼女は10歳前後のように見えた。紅潮させた頬、あり余る体力のうかがえるボロボロの衣服。いつも通りの姿に少し笑う。
「今日の修行、木を倒すなんて凄かったね! もう冒険者になれるんじゃないの!」
岩に腰かけ隣り合い、同じ高さの目線で話す。僕らはこの森で毎日のように未来の事を語り合っている。僕やジョシュアは冒険者に。ステラはその力で村を守る。だけど彼女は必要のない訓練に何故かずっと付き合い続けていた。
「ライトさんってステラさんと仲が良いんですね!」
町で助けた女の子が反対側の席から感心したように言う。そうだ、僕は14歳の頃に村を出るまでステラとずっと一緒だった。森のパトロール、探検ごっこ、訓練。あの頃は全ての行動が何でも森に帰結していたし、その隣には必ずステラがいた。
彼女の横顔を見ながら、僕はちゃんと強くなれているのかなと思う。ジョシュアほどの力は僕には無いし、アナスタシアみたいに魔法が得意でもない。ステラはウェイターが持ってきたケーキを食べながら女の子と楽しそうに会話していた。
「もう行こうか」
僕はステラの手を引いて、走り出した。周囲の大人がみんなしてこちらを見ている。「あまり遠くにいかないようにするんですのよ」と後ろから誰かが言ったが、無視して進み続けた。
森を歩く。どこまでも続く木漏れ日の森を二人きりでずっと。草を踏む音が妙に懐かしい気持ちを起こさせる。
「ねえ、私もライトみたいに村を出ようかな」
「え?」
僕に連れられながらの彼女が急にそう言った。想像もしないような言葉だった。ステラは村を守るために必要なはずだ。
「私、旅に出たいんだ」
「じゃあ僕と一緒に来ればいいだろ」
ステラは立ち止まり、少し驚いたようにこちらを見る。何か間違っていただろうか。だって僕はちょうどパーティから追い出された所だし構わないだろう。
「あははは!」
弾かれたように笑ったかと思うと、ステラは突然僕に抱き着いてきた。予想だにしない反応。心臓が跳ね上がる。
「あはははは! 一緒だねライト! 頑張ろうね! あははは!」
「ちょ、ちょっと……!」
驚くほど簡単に顔が熱くなる。村を出てから2年、17歳の彼女はもうボロボロの服なんか来ていない。お互いの身体の匂いがわかるほどの無防備な距離感。首筋が少し汗ばんでいるのは今日も森の中を回っていたからだろうか。
「わ、わかったから! わかったからもう!」
僕は抱き着く彼女を強引に振り払い、思わずそっぽを向いた。今僕の顔は絶対に赤い。見られたら何て思われるだろうか。二年間バリオンの町で冒険者としてやってきたのに、まるで子供のようだ。
「あーあ、やっちゃったねライト」
彼女は鼻がつくくらいのすぐ目の前にいた。振り払って反対を向いたはずが苦笑するようにこちらを見ている。
「ステラ?」
背後を振り返る。やっぱりステラはそこにいた。仰向けに寝ている。首が折れて、まるで人形のように動かない。なんなんだろう、一体どうしたのだろう。
「僕が殺した」
目の前の唐突で奇妙な光景に何故か僕の口はその答えを即座に導き出した。まるで知っているように、既に起こった事のように。
僕が殺した
押しのけた手が首の骨を折った
即死だった
何を言ってるんだ。違う。そんな訳が無い。まだ修行中の冒険者未満の僕にそんな力なんてない。ステータスの数値をペンで何度もガリガリと塗りつぶしながら、僕は自分の心に必死にそう言い聞かせ続けた
「おい、なんだそれは」
背後から声が聞こえる。振り向けば、村人が僕を囲んでいる。僕の事を見ている。
「ステラが死んでる!」
「何で?」
「村を守ってくれていたステラが何故!」
「ライト、何故だ!」
「何があった!」
僕を問い詰める悲痛の叫び。知らない。僕はそんな事知らない。何も知らない。
「かわいそうなステラ」
静まり返る村人達。彼らの双眸に悲しみの光が宿る。
「痛かっただろう」
「苦しかっただろう」
「あの子は私たちのために戦ってくれた」
「いつも笑顔だった」
「なのにもういない」
「もう会えない」
汗が噴き出て止まらない。誰にでも優しかったステラ。今はもういないステラ。
「誰が……こんな事を」
ぽつりと呟かれた一言。
黒く塗りつぶされたこの場所に僕一人でたたずむ。息ができない。無数の目が闇の中に浮かび上がり、その視線の全てがまっすぐに僕へと収束して━━
「うわああああああああああああああああ!!」
跳び上がり、力の限り絶叫する。恐ろしい現実を全力で拒絶するようなパニックの大声。周りの人間が驚いた顔でいっせいにこちらを見た。
「あ……」
ガタガタと床に揺られながら沈黙する10人ほどのすし詰めの人間達。気まずい時間が流れる。外から御者が馬をなだめる声が聞こえた。
「おいあんたどうした? 大丈夫か?」
「あ、す、すいません……なんでもないです……」
声をかけてきた商人風の男に曖昧に笑って返事をすると彼は「そうか」と言って興味を失ったように下を向く。それに合わせて他の視線もばらけていって、次第に周囲の様子は平常にもどる。僕は一つ息を吐いた。
僕は今、馬車に乗っている。
故郷のノウィンを目指すための乗り合い馬車だ。バリオンの町で乗り込んでから今日でちょうど二日目。乗客達は無意味に持ち物の整理をしたり、馬と御者越しの景色を眺めたりして、うんざりした顔を浮かべている。
僕も余計なことばかり考えてしまう馬車旅には辟易していた。一瞬で飛んでいけるちっぽけな山脈を大回りするためにわざわざ馬車に乗る……寝心地の悪さに悪夢を見るのはそんなしょうもない長旅をしているからだ。
「一瞬で飛んでいくとばれるからな……」
ふっと自嘲気味に笑う。
その日バリオンにいた僕が同日ノウィンにもいたとなればどう考えてもおかしい。僕がいつまでバリオンにいたかなんてそうそう話題にならないだろうが、それでも僕は慎重を期して馬車に乗った。
僕は怖かった。自分が人の域を超えた存在であることが明るみになるのが、あの日ステラを殺せた可能性があると気付かれるのが怖かった。僕は僕の能力の一切を誰にも見せるつもりが無かったのだ。
「人を殺しておきながら最低のクソ野郎だ」
誰にも聞かせない独り言を口の中に呟く。僕は今日ノウィンにたどりつき、魔物におびえる村をただ救う。あの日に起こった出来事の一切を誰にも明かさずに。
「あの日、村人は何を思ったのかな……」
僕はカバンから紙を取り出す。あの日ノウィンから届いた封筒に入っていた手紙。急いで送られたであろう紋切り型の訃報からはあちらの感情を読み取る事はできなかった。
「……読み取る事はできない? はっ!」
その考えにすぐ自分で笑いが出る。何を思ったかなんて決まっている。
喪失の嘆き、困惑からの怒り。たった今夢で見たその光景がまさにその答えに違いないじゃないか。
「そろそろノウィンにつくぞー!」
馬車のがたつく音に負けぬようにと御者が大声を張り上げる。今までろくに動かなかった乗客たちが息を吐きながら荷物の確認をし始める。
僕は体を前に乗り出して外を見た。懐かしき故郷。罪を置いてきた場所。
「行くか……」
僕はカバンを持ち直し、近付いてくる村へと向いた。
光を失い、村人たちが失意の底に沈んでいるであろう絶望のノウィンへと。
「ええーーーーーーーーーーーー!?」
僕は村の入り口で大声を上げた。あまり目立つつもりもなく隠れて事を済ませようと思っていた。なのに叫んだ。故郷が信じられない異常事態に陥っていたからだ。
『濃厚な森の幸! ノウィン名物山菜料理!』
『宿屋はすぐそこ! さわやかな寝起きに町の喧騒を離れた静かな自然!』
飲食店や宿の所在地をアピールするカラフルで大きな看板。補修されてピカピカになった村の建物。精力的に村内を行き来する職人たちは掛け声をあげながら木材を運んでいる。
「な……なにこれ?」
呆然と呟く。そこには誰も立ち寄らないへんぴな村があるはずだった。それが民家や原っぱの隅々にわたるまで小奇麗に整備され、まるでどこぞの観光地みたいな活気がむんむんと伝わってきている。
「ふー、やっとついたわ」
「思ったより居心地よさそうですな」
つっ立ったままの僕の横を他の馬車客達がぞろぞろと通り過ぎ、看板や貼り紙を確認し始める。彼らに話し掛けられた村民は笑顔で対応し、用意していたように具体的な地理などをよどみなく説明しだす。残される僕。村は明るいムードに包まれている。
これは……一体何だ? この村に何が起こっていると言うんだ?






