前編
西の森の白い妖狐と言えば、知らぬものはいない。美しい女に化けて人の子を攫い 貪り食っていると、もっぱら噂されている。
だが、それはあくまで人間達の間で広がる噂であって、真実ではない。妖狐はそれはそれは深く人間を愛していた。
人を愛する妖狐は、ついに人間の子を産みたくなり、人間の男を惑わし交わってみたが、そう上手くはいかない。
人との間に生まれた子供は、妖狐にとって気に入るものではなかった。
「妾が欲しいのは人の子じゃ。人の子を愛したいのじゃ。こんな混ざった紛い物は要らぬ」
妖狐が己が娘にかけた最初の言葉である。
産まれたばかりの乳飲み子を、父である人間に投げ渡す。赤子は母を求めて泣き喚き、それを抱き抱える父は狼狽えていたが、妖狐は一切気にせず、深い森へと姿をくらませた。
*
「お前さん、人喰い狐の話を知っているかい?」
「そりゃあ勿論、知っているさ。この前、庄屋の跡取り息子が連れ去られたとか」
曇り空の下で、町人たちは今日も狐の噂話をする。いつもの場所で、いつものように、小さな声でヒソヒソと話す。
「庄屋の旦那は激怒してなぁ……大金叩いてご浪人雇って、狐退治に向かうとかなんとか」
「あんなおっかねぇ妖に太刀打ちできるのかねえ?」
「それがな?贔屓にしているお武家様やら、力自慢の奴らまで名乗りを上げ始めて、たいそうな騒ぎになっているらしい」
町人たちは、やれ九尾の狐だとか、地獄から生まれた狐だとか、死んだ遊女の魂だとか、ある事ない事噂する。
そんな町人たちの後ろで、見慣れぬ田舎者の男が「お勘定」と言った。
男は 菅笠を被った小さな子供を連れており、噂に恐れをなしたのか、金を払ってすぐに、子供の手を引き足早に茶屋を去る。
その日の夜、妖狐の討伐に向けて、大勢の人間が西の山に入った。
*
子を攫われた親、手柄を立てたい浪人に、庄屋に恩を売りたい武家の者、竹槍や縄を握る力自慢の男達……十数名が、西の山に集まった。
大量の提灯の光が、幾つもの思惑を乗せて辺りの闇をゆらゆらと不気味に照らす。
彼らは勇み足で狐の根城へと押し入り、そこで 悍ましい光景を目にする事となった。
根城は古びた大きな洞窟で、岩場には狐が喰ったであろう小動物の骨が散らばっている。
歩みを進めるに連れ、ヒヤリとした空気が流れ、土や石の臭いがツンと鼻を刺す。
更に奥深くに入り込むと、 香の香りと獣の臭いが増し、幼い子供の啜り泣く声が聞こえてきた。
「おい! 子供の声がするぞ!」
「間違いない、攫われた子供らだ!」
足を早めて暗闇を進み、少し開けた部屋の様な場所に辿り着いた一同。
そして皆、言葉を失い狼狽えた。
「あぁ、可愛い我が子や。泣いておらんで、母の元へおいで」
美しい女が、沢山の人の子を、愛おしそうに撫でくりまわしている。
気を失う子や顔を真っ青にしてガタガタと震える子、泣きじゃくって縮こまる子がおり、そんな子らを慰めるかの様に、女は「良い子じゃ、良い子じゃ」と甘い声で囁き続けている。
女の美しさに惚けた数名の男達は、自らをつねり上げて正気に戻り、狐を憎む者達は、腹の底から憎悪が湧き出した。
「ーーこの、化け物め!!! 子供らを返せ!」
庄屋が震える拳を強く握りながら、そう叫ぶ。
しかし女ーー白い妖狐は、見向きもせず、子供を可愛がり続けた。
皆に平等な愛を注いでいた妖狐だが、部屋の奥にぐったりと倒れる子供に目をやると、悲しげに眉を下げる。
「あぁいけない、死んではならぬぞ」
そう言うと、倒れる子の方へ優雅に歩みより、まるで本物の母の様に優しく抱き上げる。
そして己の指から水飴の様なドロリとした『なにか』を出し、子供に飲ませた。すると恐ろしい事に、ぐったりとしていた子供はみるみるうちに元気になり、そしてすぐに怯えた様子に変わる。
「なんだ今のは……!」
「なんと……!! なんと、残酷な事を!!」
人間達の憎悪は、激しい怒りの衝動に塗り替えられた。その悍ましい光景を見て、彼らは自らの命を省みず、一斉に妖狐に襲いかかった。
力自慢の男達が雄叫びを上げながら、竹槍を突き出す。しかし妖狐はそれをものともせず、白い鬼火で吹き飛ばした。
親達は子供らの元に真っ先に向かい、我が子を抱きしめる。しかし男達の激しい攻撃をひらりと交わした妖狐が、鬼の様な顔で迫ってきた。
「妾の子に触るな!」
そう怒鳴り、鋭い爪で人間たちを切り裂こうと腕を振り上げ、白い炎は燃え盛った。
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