第一話 夏は変わらない
今年も、夏が来た。
朝は、目覚まし時計より少し早く、蝉が起こしてくれる。
窓を開ければ、昨夜の湿り気を残した空気がゆっくりと部屋へ流れ込み、どこからか子どもたちの笑い声が聞こえてくる。
見上げた空には、白い雲がゆるやかに形を変え、夕方になれば積み上がった入道雲が、夕焼け色に染まっていく。
夏だけは、昔と同じ顔でやって来る。
青い空。
白い雲。
照り返すアスファルト。
向日葵は今年も太陽へ向かって咲き、夕立は街を慌ただしく濡らしながら通り過ぎる。
花火大会が終わる頃になると、夜風はほんの少しだけ涼しさを連れてきて、「もう夏も終わりだな」と、誰かが毎年同じことを口にする。
夏は、それを何十年も飽きることなく繰り返してきた。
変わったものがあるとすれば、それは夏ではなかった。
歳を重ねるたび、夏休みは遠ざかり、八月は遊ぶ季節ではなく、身体を気遣い、冷房の温度を気にする季節になった。
昼下がり。
一人で飲む、少しぬるくなった麦茶に、ふと寂しさを覚えるような季節に。
朝から降り注ぐ蝉の声も、昔は「元気だなぁ」と笑って聞いていたのに、今では猛暑を伝える天気予報の声に紛れ、あとから鳴いていたことに気づく。
ふと目を閉じれば、あの日見た青空が、鮮やかによみがえる。
子どもの頃、一日は果てしなく長かった。
朝、家を飛び出し、山道を駆け抜けて、日本海まで自転車を走らせた。
気づけば、一人、また一人と、ランニングシャツの跡だけ白く残した、真っ黒な友達が集まっていた。
海で遊び疲れれば、そのまま砂浜へ寝転び、流れていく雲を飽きることなく眺めていた。
パンツまでびしょ濡れになり、肌には乾いた潮が白く吹いていた。
ひぐらしの声が聞こえ始める頃、夕焼けに急かされるように家へ帰った。
すだれの掛かった軒下では、風鈴が静かに揺れていた。
風呂で汗と潮を洗い流す。
蚊取り線香の煙がゆっくりと揺れる縁側には、母が冷やしてくれたスイカがあった。
首に掛けた手拭いで髪を拭きながら、塩をひとつまみ振る。
勢いよく、かぶりつく。
甘い果汁が口いっぱいに広がり、腕を伝って肘まで流れ落ちる。
「寝巻き汚したら、またお風呂入ってもらうからね」
台所から聞こえてくる母の声に、「はーい」と返事だけして、また大きくかぶりつく。
向かいでは、風呂上がりの姉ちゃんが笑っていた。
二人で夢中になって、スイカの種を飛ばし合った。
どちらが遠くまで飛ばせるか。
そんなことだけで、腹を抱えて笑っていられた。
夜になれば、扇風機が首を振るたび、生ぬるい風が部屋をゆっくり巡る。
窓際では、この前の夏祭りですくった金魚が、父の梅酒の空き瓶の中を泳いでいた。
蚊に刺されて赤く腫れた足へ、母がキンカンを塗ってくれる。
「しみる!」
「我慢しなさい」
布団の上で、そんなやり取りをしているうちに、いつの間にか欠伸がひとつ漏れた。
冷凍庫で凍らせた氷枕の冷たさを頬に感じる。
薄らいでいく意識の中――
隣の部屋のテレビの野球中継の声と、足元をそっと撫でる母のうちわの風だけが、ぼんやりと残っていた。
気づけば夢の中だった。
それが、あの頃の夏だった。
あの頃は、この夏が終わるなんて思ってもいなかった。
来年も、その次の年も。
同じ友達がいて。
同じ家族がいて。
同じ景色が続いていくものだと、本気で信じていた。
でも、夏は何も約束してくれない。
ただ静かに訪れ、静かに去っていく。
今年も。
去年と同じ顔をして。
まるで、何も失っていないかのように。




