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戦国乱世伊賀物語 ~はつと鵺~  作者: 高山 由宇
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終章 現代の戦国時代

 夜が明けて鵺が戻って来ると、既に準備の整っていたはつは(ぬえ)を急かして雑木林へと向かった。はつの足では、その場に着くのに一刻あまりもかかってしまった。鵺が立ち止まった所には、抜け穴のようなものが見えた。その抜け穴の近くに土が盛られた場所を見つけた。また、木々の合間からは、遠くにある柏原城を見ることができた。

「ここにかすみがいるの?」

「ああ」

 暗がりの中で鵺が答えたのを聞くと、はつは粗末な墓前にサギソウを供えた。

「ねえ、鵺、知ってた? かすみはね、鵺の家の前に咲くこの花が好きだったんだって」

「そうか」

 はつは跪き、手を合わせる。

「かすみ…本当にもう、いないんだね」

「人は、生まれ変わることがあるのか?」

 鵺の言葉に、はつは振り向いた。

「お前がかすみに言ったのだろう?」

 はつは、戦に行く前にかすみに尋ねたことを思い出した。

「かすみは、あれば良いと言っていたな」

「うん」

「お前は、あると思うか?」

「私は…」

 はつは考え、そして頷いた。

「あるよ」

 自信に満ちた言葉に俄かに声を詰めた鵺だが、

「そうか」

とだけ言うと踵を返す。はつもそれに従って、来た道を戻って行った。


 雑木林を抜けると、陽はすっかり昇り切っていた。

「鵺、はつ」

 遠くからふたりを呼ぶ声が近づいて来る。草之助である。その半歩後方には千手(せんじゅ)姫の姿もあった。

「鵺、久方振りに手合わせでもしないか?」

 草之助の誘いに、鵺は溜め息をつく。

「戦も終わったばかりだというのに…」

「なんだ、疲れて動けぬか?」

「誰が、あれしきのことで」

「では、良いな?」

 草之助に言い包めれら、鵺は仕方なしに承諾をした。

 里の端、鵺の家の傍で、鵺と草之助は手合わせをすることにした。千手姫が審判を務め、はつは鵺に教わった木登りの練習をしながらそれを眺めている。

 鵺と草之助はそれぞれ刀を構えた。先に鵺が動く。上段から面を取りに来た鵺の刀を草之助は跳ね上げる。そのまま逆に面を取りに行くが、鵺は寸でのところで一歩後退し避ける。そして、大きく前進し、体勢を崩した草之助の懐に飛び込むと、刀の切っ先を喉元に突きつけた。

「一本」

 千手姫の声が上がる。

「まだまだだな」

 勝ち誇ったように言う鵺に、

「さすが、刀ではお前に勝てんか」

 草之助は苦笑を漏らす。だが、次の瞬間、草之助は手にした刀を投げ捨てると、刀を持つ鵺の手首を掴み、背後に回り込んで締め上げた。力を失くした鵺の手からは刀が抜け落ちる。

「だが、体術ではまだ俺の方が上だな」

「一本」

 鵺を押さえつけ動きを封じている草之助に、ころころと笑いながら千手姫が声を上げた。

「お前は武士になりたいのだろう? 体術より剣術を磨け」

 押さえ込まれた腕が痛むのか、苦痛の表情を浮かべる鵺が声を荒げた。

 木の枝に腰を下ろしそんな光景を見つめながら、はつは物思いに耽っていた。

「今日は9月22日か」

 誰にともなく呟く。

「今日で丸1年か…」

 はつが戦国時代に来て1年が経った。この節目の時に思うのは、いつ戻れるのか、あるいは、もしかしたら2度と戻ることができないのかもしれないということである。やっと戦が終結して喜ばしいことではあるし、良くしてくれる皆とずっと一緒にいたいとも思うのだが、やはり現代に戻りたいと思う心はどうにも止められなかった。

 その時である。

 突如、大地が揺れ出したのだ。それは、地割れでも起こるのではないかと思うほど、凄まじい揺れであった。はつは振り落とされまいと、必死に木の枝にしがみつく。皆は無事だろうかと3人に目を向けるが、誰もが平静を保っていた。いや、むしろ揺れ自体に気がついていない様子であった。

 この揺れは自分にだけ起きているのだろうか、そう思った矢先、ひと際大きな揺れに身体が宙に持ち上げられた。はつを懐かしい浮遊感が襲う。そして、そのまま、背中から地に叩きつけられたのだった。


 はつは、膝と胸に痛みを覚えた。

 背中を打ちつけたはずだが、膝と胸に痛みがあったことを不審に思いながら起き上がった。顔を上げれば、そこは滝野の里ではない。鵺の家もない。鵺も草之助も、千手姫の姿もそこにはなかった。ただの狭い、木が絡まり合ってできた小さなトンネルの中にはつはいた。1年前に(くぐ)ろうとした、まさにそのトンネルであった。

「…戻ったの…?」

 身体についた土や木の葉を払う。そこではつは、自分が小袖姿であることを思い出した。祭でもない限り、現代ではかなり目立つ格好である。

 周囲を見回しながら、誰もいないことを確認してトンネルを出ると、そこは1年前に見た景色と何も変わっていなかった。空を見上げれば、太陽が真上に差しかかろうとしている。

 人目を避けるように、はつは裏道を通って家路を急いだ。

 懐かしい我が家に着くと、家の中から掃除機をかける音が聞こえてきた。母がいるのだろう。すぐにでも会いたい衝動を抑え、掃除機の音に紛れるようにそっと2階の自分の部屋を目指す。そこは、やはり何も変わってはいなかった。はつは急いで手近の服に着替えると、1階に下りて母に抱きついた。

 掃除機をかけていた母は、掃除機のスイッチを切って怪訝そうにはつを見る。

「どうしたの、初音?」

 懐かしい呼び名に、自分がようやくはつから初音に戻れたような気がした。

「ねえ、今日って何日?」

「11月1日でしょう? 朝食の時にも言ったじゃない」

 初音の問いかけに、母は答えた。

「今日は何年?」

「何を言ってるの?」

「いいから! ねえ、何年?」

「平成26年でしょう?」

「そっか…」

「初音、一体どうしたの?」

「なんか、すっごく久し振りな気がするね」

「まだ2時間くらいしか経ってないじゃない。それから、マッサージチェア届いてるわよ」

 母は抱きついたままの初音を突き放すと、掃除機のスイッチに指をかける。だが、ふと気がついたように、

「初音、服を着替えたの?」

と尋ねてきた。

「うん。散歩したら汗かいちゃったから」

 初音がそう言えば、母は特に何も聞かずに掃除を再開する。再び、掃除機の音が家中に響き渡った。

 その音を聞きながら、初音はリビングに移動する。配置が少し変わっており、リビングの一角にマッサージチェアが堂々と置かれていた。だが、初音はそれには目もくれず、ノートパソコンを引っ張り出すと起動させた。そして、インターネットを繋げる。

 「天正 伊賀」と打ち込み、検索をかけた。初音がいなくなった後の鵺たち伊賀衆の動向を知るためである。

「天正伊賀の乱…」

 1番上に出てきたものを読み上げた。それをクリックする。そこには、伊賀国で起こった織田氏と伊賀惣国一揆との戦いの総称であると記されていた。総称という言葉が気にかかり、さらに調べてみる。そして、分かった。天正伊賀の乱と呼ばれる戦いは、4年間に渡り第3次まで続いていたのだ。初音が居合わせたのは第1次天正伊賀の乱であった。また、第2次天正伊賀の乱はその2年後に起こっている。

「そんな…」

 マウスを握る手が震えた。

 第2次天正伊賀の乱を調べると、そのサイトには、伊賀国は焦土と化し、壊滅的な打撃を受けて滅んだと記されていたのだ。初音は鵺や草之助、千手姫らのその後を探るべく、必死にパソコンを睨みつけた。そして、知れば知るほどに、第2次天正伊賀の乱の悲惨さが浮き彫りになっていく。

 第1次天正伊賀の乱は、功を急いた北畠(きたばたけ)信雄(のぶかつ)が、信長に報告もせず勝手に挙兵したものであった。忍びの戦いに疎い北畠は、伊賀忍とは倍以上の兵力差があったにも関わらず、1万余りの兵の内、重臣を含む6千もの兵を失い大敗を喫する。それを知った信長は激怒し、織田の汚名を晴らすべく伊賀への復讐を決意したそうだが、時節が悪く先延ばしになったらしい。

 それから2年後の天正9年、第2次天正伊賀の乱が起こった。

 石山本願寺との講和が成立したりと、大きな脅威から解放された信長は、伊賀への報復へと動き出したのだ。信長は、第1次の大敗を聞いて伊賀忍の力を脅威と認識していた。そのため、伊賀を小国として侮らず、戦闘要員がわずか5千人程度と見られる伊賀忍に対し、5万弱もの兵を侵攻させたのである。伊賀忍は第1次の時と同じようにゲリラ戦法で応戦した。だが、信長は信雄とは違い、忍びとの戦い方を承知していたのだ。夜間はあちこちで松明を焚き続け、闇に乗じて動く忍びたちの行動を封じてしまった。また、信長は徹底した破壊、殺戮を行った。老若男女問わず、非戦闘員であっても斬り捨てたと記されている。

「ひどい…」

 織田信長に対する憎悪の念が湧いてくるのを感じた。しかし、歴史のことだ。見方を変えれば、信長にも通さねばならない正義があったのかもしれない。だが、初音は1年間だけではあるが、実際に伊賀国で暮らしていたのだ。鵺たちのことを思うと、どうにも胸が締めつけられて仕方がなかった。

 柏原城についても載っていた。そこは、第2次天正伊賀の乱最後の拠点であったという。柏原城にて、吉政や百地丹波ら伊賀衆は籠城戦を決行した。しかし、それも長くは持たず、吉政ら伊賀衆は遂に白旗を上げたのだ。柏原城が開城した時点で、半月ほども続けられた第2次天正伊賀の乱は幕を閉じたのであった。

 吉政は殺されることなく、乱後も信長につくことで生き残ったらしい。

 だが、その1年後に第3次天正伊賀の乱が起こった。

 それは、本能寺の変で織田信長が横死したことにより、各地に散っていた伊賀衆が再び集い、蜂起したのである。伊賀衆は、信長についた吉政と柏原城を攻めた。柏原城は落城し、その後の吉政の動向は不明であるという。また、伊賀衆は、討伐に向かった北畠信雄により瓦解させられたとのことだった。

 天正伊賀の乱の経緯や伊賀衆の末路は大体理解できた。しかし、初音が最も知りたいのは、1年間生活をともにしてきた滝野の里衆のことである。吉政のことは分かった。鵺や草之助、千手姫たちはどうなったのだろうか。初音は根気良く調べる。すると、千手姫について書かれた記事を発見した。

「千手滝の伝説…」

 その記事によれば、戦の中を赤目渓谷に落ち延びた草之助と千手姫は、落ち武者狩りが激しくなりはぐれてしまったのだという。山中に逃げ込んだ千手姫は草庵の老婆に匿われたのだが、実はその老婆は草之助の母だったのだ。しばらくして、草之助は草庵に千手姫がいることを知った。だが、千手姫を外から呼ぶだけで、久し振りの我が家に入ろうとはしなかったらしい。草之助は、かつて武士を志して家出した手前会わす顔がないとして、千手姫を連れ出すとさらに奥まで逃げ込んだ。しかし、ついに追手に見つかったふたりは、覚悟を決めると滝に身を投げてしまったというのだった。

「初音、どうしたの?」

 調べるのに夢中で気がつかなかったが、いつの間にか掃除機の音がやんでいた。リビングに入って来た母に気がついて「なにが?」と顔を上げた時、視界がぼやけたことに気がついた。それから間もなく、ひと滴、頬を伝って落ちるものがある。ここで初めて、初音は自分が泣いていることを知った。

「…なんでもない」

 初音は目元を拭い、さらに調べる。だが、それ以上は何も出てこなかった。鵺についてはその名すら見当たらない。生きた証を残さないことが優れた忍びだというなら、鵺はやはりそうだったのだと初音は思うのだった。そして、もうひとつ気づいたことには、初音が見た夢は第2次天正伊賀の乱の情景であったということである。実際にその時を生きた鵺の記憶が、初音が戦国時代に行き、草之助や千手姫と接触することによって思い起こされていたのだろう、そう思うのであった。

「草之助や千手姫、生まれ変わってきているのかな…」

 呟いた声に、母は振り向く。しかし、内容までは聞こえていなかったようで、首を傾げると仕事に戻った。母は、今は洗濯物を干しているところだった。

「初音、マッサージチェア使わないの? あんなに楽しみにしてたのに」

 初音は、そう言えばそうだったなと思い出す。戦国時代に行くまでは、マッサージチェアに座って、そこで1日中オンライゲームができたら幸せだろうななんてことを考えていたのだ。初音は大仰に溜め息をついた。再び、怪訝な表情の母が顔を向ける。

「さっきからどうしたのよ?」

「ねえ、私にだって、いいところあるんだよね」

 繋がらない言葉だったが、それでも母は「そうね」と頷いた。

「私、きっと、頑張っていたんだろうな」

 初音は鵺のことを思った。そして、笑う。

「私、もっと頑張るよ」

「そう、頑張りなさい」

 その時、スマートフォンにメールが入った。美雪からの夕食の誘いである。

 初音はパソコンを片付けると、マッサージチェアへと移動する。それを作動させながら、美雪に返信を打った。鵺が初音の生まれ変わりであるならば、きっと美雪はかすみの生まれ変わりなのだと、確信じみたものが初音の中にはあった。かすみのことを思うほどに、初音は一刻も早く美雪に会いたかった。

 スマートフォンが鳴る。早くも美雪からの返信だった。

「あ…」

 思わず声が漏れる。美雪からのメールには、「かすみって誰?」の文字が記されていた。初音は苦笑する。かすみのことを思って打っていたら、美雪の名を打ち間違えてしまったらしい。初音はすぐに謝罪し、いつものレストランで夕食を一緒にしようとメールを送った。そして、スマートフォンを胸に抱えたまま目を閉じる。

「初音、頑張るんじゃなかったの?」

 母が洗濯物を干しながら尋ねる。

「うん。明日からね」

 マッサージチェアに揺られながら初音は答えた。

「明日からなんてのは大体やらないんだから、今から頑張りなさい」

「今日は疲れちゃったんだもの」

「まだお昼でしょう。何を言ってるの」

「うん、そうなんだけど…」

「初音」

 どこか遠くで名を呼ばれるのを聞きながら、初音は誘われるよう眠りについた。

 夢の中に、鵺と草之助、千手姫が現れた。

 ぶっきらぼうな感じの鵺に、朗らかに笑いかける草之助がいる。そんな草之助には敵わないようで、鵺もわずかに口元を緩めた。それを、ころころと可憐に笑いながら、千手姫が見つめている。いつもの光景がそこにはあった。

 初音は思う。戦は何も戦国時代にだけあるのではないのだと。

 学生には受験戦争がある。学業が修了したなら、次は社会進出のための就職活動があり、特に女性には結婚活動というものもある。実際に命をとられることはないものの、初音が生きるこの時代もまた、常に戦いの毎日であるのだ。

 鵺は、忍びとして優れた腕を持ちながらも、その心は実に脆かった。その脆さを隠すため、群れることを嫌う振りをしていた。そして、とても一途に吉政のことを思っていた。千手姫への思いも、千手姫の枷とならないようひた隠しにしながら生涯を終えたのだろう。初音がこれまで誰も好きになれないでいる原因は、なんとなくそこにあるように思われた。心の奥底に魂と呼ばれるものがあるのならば、その部分では、いまだに千手姫のことを忘れられずにいるかもしれない。

 鵺の生き方はとても器用と言えるものではない。だが、好きだと初音は思った。時に怒り、時に悲しみ、時に涙を流し、鵺は様々なことによく心を乱していた。実に人間味のある忍びであった。

 初音も決して器用ではない。自他共に認めるほど、あらゆることに不器用である。もう少し手先が器用なら仕事もスムーズにいくのにと思ったり、もう少し要領良く器用に生きられればいいのにと思ったりも散々してきたが、それらが今ではどうでも良く思える。

 鵺と出会ったからである。

 鵺と出会い、自分のルーツを知り、今ではこの不器用ささえも愛おしいと思えるようになった。

「鵺…」

 知らずと漏れた声に、母が振り向いたように感じた。だが、すぐに深い眠りへと落ちていく。

 鵺は不器用ながらも、戦国乱世を生き抜こうと懸命にもがいていた。1年というわずかな時間ではあったが、その姿を見て美しいと初音は思った。器用になれなくてもいい。不器用でもいい。

『私も、これからの人生…現代(いま)の戦国時代を懸命に生き抜いてみせるよ』

 心の中に宿る鵺の魂に言い聞かせるように、初音はそう誓ったのであった。

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