第36回 風が変わる前に
ユリカと出会ったのは去年の7月、前期試験が終わってすぐの頃、タツヤ企画の合コンだった。
合コン会場の木屋町のカフェバーに、少し遅れてやってきたユリカを見た時の第一印象は、
「エラい現実離れしたスタイルの子やな」
だった。
と言っても、PLAYBOYのグラビアみたいな「ボン・キュッ・ボン」ではない。
肩とウエストが細く、腰から下半身のライン ─ 脚が不自然なほど長い ─ も華奢だった。
それに対して胸の盛り上がりは、肩からシャツを羽織ったカットソー姿でもはっきりと認識できるほど立派だった。
頭は小さく、セミロングのストレートの黒髪。
その姿は、広告研究会の隣のボックスのアニメ研究会のドアに張り出された、アニメのポスターに描かれた女の子によく似ていた。
一重なのに不思議な魅力をたたえた切れ長の目、細く尖った顎。
はっきり言って好きな顔だった。
乾杯から自己紹介、質問タイム、雑談、誰かがトイレに立つたびに行われる席替え。
ごくごく当たり前の合コンの進行の中で、ふと気づくと何度席替えが行われてもユリカが隣にいることに気づいた。
こういう場に何度か参加していると誰もが感じるようになる、あのちょっとくすぐったいような「イケる」という感覚。
それがユリカから僕に向かって溢れ出していた。
「ねえ、来週海行かない?2人で」
ユリカが突然切り出した。
自分が誘って、それを断る男が存在することなんか一度たりとも思いついたことすらない、そんな誘いだった。
「ええけど、どこの海?」
「香川。」
「え?香川?」
「そう、香川。私の出身県。瀬戸内海にね、女木島っていう鬼ヶ島のモデルって言われてる島があって、そこの海水浴場」
「島?」
「うん。前は渡し船しかなかったんだけど、この7月からフェリーで行けるようになって、子供の頃行ってすごい綺麗だったからまた行ってみたいなと思ってね。」
「鬼ヶ島なんや」
「そう、鬼の棲家って言われれてる洞窟もあるよ」
「ええけど、そんなとこ日帰りで行けるん?」
「無理無理。岡山の宇野港ってとこまで行って、そこからフェリー乗って高松行って、またフェリー乗り換えて行くんだから」
「え?泊まり?」
「うん、お父さんが香川でお寺の住職やってて、檀家さんの付き合いで会員制のホテルの会員なんだよ。私が言えば使わせてくれるから」
「いいの?」
「何が?」
「僕と泊まりで旅行」
「うん?何がダメなの?」
僕はタツヤみたいに次々と女の子を食い散らすような軟派ではないが、かといって、目の前の据え膳を無視できるほど聖人でもない。
合コンの翌週、夏休みに入った僕はユリカを乗せて西に向かって車を走らせていた。
今年の春に舞子と行った時と違って山陽自動車道はまだ開通していなかったので、姫路から先は国道2号線を延々と走ることになり、宇野港に着く頃にはもうクタクタだった。
「このうどん、別に特別美味しいわけじゃないけど、なんだか『行ってきます』『ただいま』の挨拶のうどんって感じがしていつも食べちゃうんだよね」
甲板にあるさぬきうどん屋も、この時ユリカに教えてもらった。
1時間ほどで高松港に着くと、新しく就航したばかりだという「めおん」というフェリーに乗り換えた。
宇高連絡船に比べたらとても小さく、家庭的な匂いのするフェリーだった。
突堤の赤い灯台を後にすると、10分ほどでフェリーは鬼ヶ島についた。
船着場から少し歩いた先の、島の海水浴場は、葦簀が立てかけられた昔ながらの小さな海の家が並び、いかにも地元の小学生といった子供たちが走り回る、とても鄙びたところだった。
派手な水着とオシャレなシーサイドハウスが立ち並ぶ須磨の海岸とは対照的だ。
「さ、泳ご!」
そういって、Tシャツとショートパンツを脱ぎ捨て、着てきたビキニ姿になったユリカのスタイルは圧巻だった。
まるで、メロンを2つに切ってそのまま貼り付けたみたいな2つのまん丸な膨らみを赤いビキニが包んでいる。
海の家にいた家族連れのお父さんや、フェリーでやってきたらしき若者グループの男たちの目が一斉に降り注いだ。
本当に、アニメのグラビアイラストみたいだった。
横に並ぶと、僕の方が十センチ以上背が高いのに、脚が始まる位置はユリカの方が高い。
まあこれは、僕の脚が短いという話でもあるのだが。
「でも、なんか整い過ぎて現実感なさすぎて、かえってエロくないな。」
そんなことを考えながらも、自分と一緒にいる女の子がビーチの注目を集めているのは悪い気はしない。
南佳孝の歌みたいだ。
当の本人は、そんな注目を集めていることなんか「当然でしょ?」という態度だったが。
そんなわけで最終フェリーギリギリまでたっぷりと海を堪能した僕たちは、高松に戻り、ユリカのお父さんが手配してくれたピカピカのホテルにチェックインした。
その日の夕食はユリカの案内で、土器川沿いの骨付鳥の店。
若い男女として当然の一夜を過ごした翌日は、ユリカの案内でうどんツアーが始まった。
「この頃たまにテレビとかで讃岐うどん特集とかやってるでしょ?あれ、私が子供の頃から当たり前にお使いでうどん玉買いに行ってた製麺所のおっちゃんとかが『達人』みたいに紹介されえてて、笑っちゃうんだよね。うどんなんか何でもない日常の食事なのに。」
自虐なのか自慢なのか分からないユリカの話を聞きながら、次々とうどん屋をめぐる。
全部の道を覚えている訳じゃないからと言って、丸亀の宮脇書店でユリカが買ってくれたのが例の四国の道路地図だ。
「おっちゃん、なんがでっきょんな?」
「おー、ユリちゃんか。大きなって」
ユリカは地元の人と話すときは讃岐弁丸出した。
それはそれでなかなかに新鮮ではあった。
1日に何軒も回るペースに驚いて
「なあ、香川の人ってこんなうどん食べるん?」
と聞くと、最低1日1杯は食べるし、おやつにも食べるし、法事にも出てくるし、運動会のお昼もタライに入ったうどんだし、とにかくなくてはならないものらしい。
4軒回って、さすがにもう食べられないというと、ちょっと散歩しようと言って、タヌキの聖地だという、源平合戦でも名高い観光地につれいていってくれた。
そんな訳で、春の舞子とのうどんツアーの下地となるロケハンは、この時に完了していたのであった。
……今思えば、あの旅の蒸し暑さと、ユリカの勢いと、あの潮風は同じ匂いがしたのかもしれない。
そんな記憶を、比良からの風が一瞬だけかすめていった。
◇ ◇ ◇ ◇
琵琶湖畔でTシャツを脱ぎ捨てて、水着姿になったユリカを見るタツヤたちの目線は、まるっきり女木島のお父さんたちと同じだった。
男連中だけじゃない。
女性陣からも
「ちょっと!ユリカ!あんた、そんな凶悪な兵器隠し持ってたん!?」
そう叫んだのは、フリータイムからタカトモがご執心のミナコだ。
「けど、気持ちよさそうやな!暑いし私もそうしよ!」
そう言ってこちらもTシャツを脱ぎ捨てると、ユリカに比べたら多少ぽっちゃりではあるがミナコもなかなかのものだった。
雑誌Fineのモデルの杉本彩に似ている。
タカトモの目が釘付けになっている。
他の3人は、そんな用意はしてきていなかったらしく、「いいなー」などと言いながらビールを飲んで涼をとっている。
「舞子も暑かったら水着になったらえええよ。下に着て来てるやろ?」
そういうと舞子は、
「でも、あんなすごいお姉さんの2人も見せられたら私が水着になってもいいものかと…」
とゴニョゴニョ言っている。
笑っていると、タツヤが
「おい、ボチボチいくか、ウィンド?」
と言いながら、セイルにポールを通し始めた。
僕も準備を始める。
ポールを通し、ブームをセットしてロープを張り、バテンを差し込んでいく。
1年ぶりの作業に心が躍る。
海パン一丁になり、張り終わったセイルをボードにかちりとはめ込んで、琵琶湖に浮かべて僕とタツヤはビーチスタートで湖を滑り出した。
…はずだった。
「なんやこれ。全然あかんやんけ」
「ほんまやな、もう一つ大きいセイル持って来なあかんかったな」
7月の午後の琵琶湖の風は、微風とも言えないほど微弱なものだった。
多分、一メートルから、時々そよいでも二メートル。
気持ちよくプレーニングするには、今日のセイルではせめて四メートル以上、できたら六メートルは吹いてほしい。
「まあ、夕方なったら吹くかもしれんし、俺は上っとくわ」
そう言ってタツヤは早々にボードを岸に引き上げた。
舞子がこちらを見ている。
そうだ。これくらいの風だったら、舞子と遊べるじゃないか。
「舞子!水着になってこっちおいで!」
「ええ?でも」
「ええから!おいでって!」
「分かったー」
そう言ってミッフィーのTシャツとデニムの短パンを脱いだ舞子は、フリルの付いたワンピースの水着姿になった。
首の後ろで結ぶ細い紐と、少し大きめのフリルが、妙に彼女らしい。
ユリカやミナコのような派手さはない。
けれど、湖の浅瀬に立つその姿は、夏休みの絵日記から抜け出してきたみたいで、なぜかいちばん自然に見えた。
「わ!冷たい!」
そう言って僕のところにやってきた舞子に、僕はボードの後ろを指さした。
「えっとな、板の後ろの方にいくつか輪っかがついてるやろ?」
「これ?」
「それのな、一番後ろの一個だけのんあるやん?それにつかまって、ボードの後ろにぶら下がるみたいにしてみ」
「こう?」
舞子がつかまって体が浮いたのを見ると僕は、わずかな風をセイルで捕まえてボードの上に上がった。
「行くで。しっかりつかまってといてな!」
そう言って、なんとかセイルに風を取り込んでスタートする。
「わー!なにこれ!すごい!」
ウィンドサーフィンとしてはかなりのスローなスピードでも、水の上で引っ張られているとそれなりのスピードに感じる。
それに、風が弱過ぎて安定感に欠けてたのが、後ろに重りが出来たことで逆に安定した。
「ハルくん!すんごい速いよー」
舞子を引っ張りながら、僕はのんびりとタックでターンしながら湖岸の水辺を何度も往復した。
「すごい進むー!わー!顔に水がああ!」
舞子は大喜びだ。
と、その時、一瞬だけ風の呼吸が強くなった。
僕はセイルを持っていかれないようにブームに体重を預けて少し後ろに体を反る。
ボードがグンと加速した。
「うわああああ!!!!!何事おおおおおお!!!!」
後ろで舞子が大騒ぎしているのが聞こえる。
「しっかり捕まって!」
「そんなあああああ!!!!」
しかしその風は一瞬で消え去り、また緩やかな微風に戻った。
僕は舞子を引っ張ったままボードを岸に向け、足がつくところでセイルを倒し、舞子の手を引っ張って立たせた。
濡れた前髪が額に張り付いている。
「あーびっくりしたあ!急にすごいスピードになるんだもんなあ!」
そういう舞子と、顔を見合わせて大笑いする。
穏やかな夏の琵琶湖が僕たちを見ていた。
岸に上がってタバコに火を点ける。
舞子はまだ湖の中で、足元に寄せる波を見ながら笑っていた。
「お前、みんなの前で舞子ちゃんとイチャつきすぎ」
タツヤもやってきてタバコに火を点けた。
「イチャついてへん。ウィンドサーフィンの安全講習や」
「便利な言葉やな、安全講習」
なにか言い返してやろうかと思った、その時。
湖岸の木の枝がガサッと大きな音を立てて揺れ、空気の匂いが変わった。
「おい、これ。」
「おう。」
タツヤがニヤリとする。
僕は、フリータイムを楽しんでいるみんなのところに行って声をかけた。
「ごめんけど、今から大急ぎで撤収して!捨てられるゴミとか紙皿はゴミ袋にまとめて。炭はかまどの穴に寄せて、残ってる水とかお茶とかを全部かけて、ちゃんと音がしなくなるまで冷まして。土はそのあとや。熱いまま埋めたらあかん」
「舞子、これ車のキー。スチベルと食器類、先に車に積んどいて。ダッチオーブンとグリルはまだ熱いかもしれんから、勝手に持たんでええ。革手袋つけて、タツヤか誰かに手伝ってもらって。火がちゃんと消えてるかだけは、みんなで確認して」
「どうしたの急に?」
「ええからお願い。ほんで申し訳ないけど、俺とタツヤは一本だけ行ってくる!ほんまに一本だけ。戻ったらすぐ片づけ手伝うから!」
「あ、あと!」
「大事な事忘れてた。ビニール袋とか紙とか、軽いもん優先して片付けていってー!」
そう言うと僕とタツヤは、ブームとフットストラップを持って、波打ち際に移動した。
上空で風が巻く気配がした。
「来るぞ!」
一瞬だけ、琵琶湖の音が全部消えた。
───ゴオッ!!!!
タツヤの声と、その風が吹くのがほぼ同時だった。




