第26回 渡月橋の助手席
翌日の朝食後に行われたハンディカムの広告コンペは、満場一致で関大の圧勝だった。
「コンパクト化と高画質の両立」「オートフォーカス、オートホワイトバランス、オートアイリスなど、オート機能の充実」等々、カメラの高機能を訴えた我々同志社大広研の広告は
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8つのオート、1つの未来。
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というキャッチコピーがアップの商品写真とともに大きく配され、
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フォーカス、露出、ホワイトバランス、アイリス。
見せたいのは、映像ではなく、感情そのもの。
ソニーのテクノロジーが、すべてをオートに変えた。
だから、迷わない。撮るだけでいい。
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というボディがレイアウトされていた。
それに対し、関大広研は、「日付や時刻、任意の文字を重ねて表示できる」という"デジタルスーパーインポーズ機能"に訴求点を絞り、
よちよち歩きの赤ちゃんがこちらに向かって歩いてくるビジュアルと、足元の床に、「1988.5.8 はじめの一歩」のスーパー、そしてたっぷりの余白に
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物語は、日付から始まる。
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というキャッチコピーと商品名だけを、大きく取った余白に控えめにレイアウトしていた。
両校の3回生は、同志社広研の作品には
「コピーは悪くないけど…なんかCMのナレーションっぽくない?」
「結局、何を言いたいのかがわからないっていうか…」
「機能はすごいけど、それをどう使うかのビジョンがない」
「いや、でも頑張ったのはわかるよ!オートのとこ、全部調べたやろ?」
という辛辣な評価を下し、それに対して関大には、拍手すら混じるような好意的なコメントが次々と寄せられた。
「ビジュアルの力強さとコピーがすごく合ってた」
「よちよち歩きの赤ちゃんに『物語は、日付から始まる。』は、ずるいくらい刺さる」
「機能を“感情に変換する”っていうのが広告として完璧」
「余白が効いてたな。『伝えたいことだけ、伝える』ってこういうことなんやな」
「ターゲットが明確だった。あれ見たら、親世代なら“買おう”ってなるよ」
関大のチームは、誰が指示したわけでもなく自然に立ち上がって一礼した。
同志社の後輩たちがぽかんとする横で、僕は苦笑いしながら心の中で「これは完敗やな」と呟いた。
でも、不思議と悔しさはなかった。
やっぱり、広告って“伝えること”よりも、“伝わること”なんだ。
どれだけ機能を並べても、見る人の中に何かが残らなければ届かない。
僕たちは、それを今回教えられた気がした。
◇ ◇ ◇ ◇
「さあ!湯豆腐御膳や!」
関大組のそんな声とともに僕達は車で来ているメンバーの助手席や後部座席に乗り込み、嵐山へと向かった。
このあたりは、京都独特の碁盤の目はもうない。
クネクネと丸太町通まで出て、 そのまま西へ向かう。
「ん?中田さん?これ何ですのん?」
僕の車の助手席に乗っていた織田が素っ頓狂な声を上げた。
助手席前の小物入れが開いていて、キキララ、ごろピカドン、ハローキティ、マイメロディなどのキャラもののポケットティッシュや、アイスクリームやフルーツの匂い付きポケットティッシュが、はち切れんばかりに詰められていた。
既にいくつかは足元に転がっている。
織田がまじまじとティッシュの山を見つめながら、助手席で身を乗り出すようにして僕の顔を覗き込んできた。
「何って……ポケットティッシュやんか」
「いや、そら見たら分かりますやん。でも、なんでこんなに……しかも全部サンリオ系で、香り付きまで。え、これ、中田さんの趣味なんですか?」
「ちゃうちゃうちゃう。そんなわけないやろ」
僕は慌てて片手を伸ばしてダッシュボードの蓋を無理やり閉めようとしたが、中からフローラルピーチの香りがふわっとこぼれてきた。
織田がにやっと笑う。
「いやいや、隠さんでええのに。別に俺、そういうの否定せんタイプですよ?」
「ちゃうて。これは、あれや、あの、舞子が……」
「舞子ちゃん?」
「あ、いや、その……知り合いの……」
言いかけて、変に説明する方がまずい気がした。
舞子本人はいないのに、助手席だけがやけに舞子だった。
織田が半笑いでこっちを見るので、僕はちょっと視線を逸らしながら、前方に集中するふりをした。
「ほら、鼻かむ時に、ええ匂いする方がテンション上がるやん」
「どんな理屈ですのん」
「あ、あれやで。隙間埋めてカタカタ音を防ぐための、クッション材としてやな」
「まさかの防音材扱い」
「そや、カーオーディオの音に集中したい派やねん」
「……どんだけこじつけても、“ごろピカドン”が足元に転がってるのは否定できへんのですよ、中田さん」
「……」
「ええって、隠さんでも。人には人のティッシュライフがあるんですわ」
「……もう、はよ湯豆腐食いに行こ」
そのまま僕はアクセルを踏んだ。
でも、織田の肩がずっとクククと震えているのは、ミラー越しにしっかり見えていた。
「←渡月橋」という青看板が出たら、タレントショップが立ち並ぶメインストリートを抜けて桂川に出る。
川沿いに並ぶ大型駐車場の一つに車を入れて、僕達は車を降りた。
事前に高木がるるぶで見つけて決めたという湯豆腐の店は、正直大したことはなかった。
いわゆる、観光地クオリティというやつだ。
しかもその観光地価格を、勝負に負けたこちら側が関大の分まで払うのだから、たまらない。
「今度から、皆で行く店決める時は俺が調べて俺が決める!」
高木を睨みつけて僕が宣言したことは言うまでもない。
店を出て、少し歩く。
美味しくもない湯豆腐御膳で不本意にいっぱいになった腹をさすりながら、僕たちは川沿いの道を歩いた。
観光客のざわめきと、焼き団子の香ばしい匂いと、時折吹き抜ける桂川の風が混ざり合い、午後の嵐山はひどく平和だった。
視界の先に、渡月橋が見えてきた。
真っ直ぐに伸びた橋桁の上を、修学旅行の女子高生が小さく列をなし、日傘を差した年配の夫婦がゆっくりと並んで歩いている。
その後ろを、外国人観光客の集団が、はしゃいだ声を上げながら記念写真を撮っていた。
橋の欄干まで来て、僕はふと立ち止まる。
川の水は、春の雪解けを過ぎて落ち着いた流れになっていた。
大小の石が水面から頭を出し、その間を縫うように静かに水が流れてゆく。
川の向こうには、緑の木々をまとった嵐山の稜線が、優しく、どこか懐かしい輪郭で重なり合っている。
ほんの一ヶ月前には桜が咲き乱れていたであろう場所も、今は青々と葉を茂らせ、初夏の陽射しを受け止めていた。
ふと、目線を川の上流側へ移したときだった。
欄干越しに視線を伸ばしたその先、水面に浮かぶいくつものボートが見えた。
川の緩やかな流れに揺られながら、数組のカップルたちがオールを握っている。
中には、男が漕いで、女の子が日傘をさして頬杖をついている組もいれば、
ふたりで向かい合って笑いながら、なかなか進まないボートをくるくる回してしまっている組もある。
「……へえ」
川面の光が、ボートの白い縁や、女の子の揺れるワンピースの裾に反射して、
まるで映画のワンシーンのように、景色がきらきらと揺れていた。
渡月橋の喧騒とは対照的な、ゆったりとしたその光景を眺めながら、
僕はふと、この前舞子がテレビで嵐山の紹介をしている番組を見て、ボートに乗りたがっていたことを思い出した。
今ごろ舞子はどうしているだろう。
クッションを敷き詰めた押し入れで、丸くなって昼寝をしているかもしれない。
あるいは、この嵐山と同じ初夏の光の下、鴨川デルタで友達の猫にカリカリを与えながら、お話をしているのかもしれない。
「来週、舞子を連れてきてやろう」
僕は心の中で呟いた。
そう思った瞬間、渡月橋の向こうで揺れていたボートの白い縁が、少しだけ明るく見えた。




