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第11回 しょうゆ豆ラプソディ

「ね、今日はこんぴらさん?だっけ?登りたい!」


舞子は目を覚ますと、「おはよう」より先にそう言った。

顔色はすっかり良くなり、おでこに手を当てても熱くない。


「ええよ。でもその前に、まずはエネルギー補給や」


僕がそう言うと、舞子は元気に布団から飛び出し、そのまま食堂へ向かった。

今日のトレーナーの真ん中では、蝶ネクタイをしたペンギンがテニスラケットを振っている。

下は、いつものドルフィンパンツだ。


食堂には僕たちの他に一組、春休みの旅行だろう、小学生くらいの男の子連れの家族がいた。

その子が舞子のトレーナーのペンギンをじっと見つめている。

舞子が小さく手を振ると、男の子は照れたように母親の後ろへ隠れた。


「おはようございます」


女将さんに挨拶して席に座る。

舞子は、テーブルの上に並んだ皿をひとつひとつ確かめるように眺めた。


「わあ…朝からこんなに、ちゃんとしてるんだ…」


声のトーンに、驚きと喜びが少し混じっている。

湯気の立つ味噌汁、玉子焼き、焼き鮭、浅漬け、炊きたての白いごはん。

その端っこに、小鉢に盛られた例の豆がちょこんと控えていた。


「あ、これ…夕ごはんにもあったやつ」


舞子が小鉢を見つめ、うれしそうに笑う。


「朝にも出るんだ…しょうゆ豆って、朝ごはんにも食べるんだね」


その顔は、完全に「豆との再会」だった。

箸で一粒つまみ、そのまま口へ運ぶ。

もぐもぐと噛みしめ、唇の端が、ほんの少しだけ持ち上がる。


「うん。やっぱり美味しい…ちょっとしょっぱくて、でも香ばしくて…」


それから、ゆっくりごはんに箸を伸ばし、ひと口。

しょうゆ豆との相性が良かったのか、思った以上に箸が進んでいる。


焼き鮭を半分、玉子焼きをひと切れ、ごはんをもうひと口。

時々ちらっと僕の方を見て、同じテンポで食べ進めていく。


「なんか…こういう朝ごはんって、落ち着くね」


「せやな。旅の朝って感じや」


僕がそう返すと、舞子はお茶をすすりながら目を細めた。


「こういうの…わたし、覚えておきたいなって思った」


「しょうゆ豆のこと?」


「んー…それもあるけど、うん、全部」


気取った言い方でも、誰かに聞かせるためのセリフでもない。

ただ、自分の中にそっとしまっておきたい、そんな響きだった。


最後のひと粒のしょうゆ豆を名残惜しそうに口に入れ、

お椀を両手で持って味噌汁を飲み干す。


「ごちそうさまでした」


声は小さかったけれど、その顔には満足がにじんでいた。

しょうゆ豆は、ちゃんと記憶に刻まれたらしい。

たぶんこれから先、何かの拍子にこの味を思い出す日が来るだろう。


◇    ◇    ◇    ◇


部屋に戻るなり、舞子は何のためらいもなくドルフィンパンツに手をかけ、そのままつるりと脱ぎ始めた。


「わー!待て!やめろって言うたやろ!」


思わず声が裏返る。

僕は慌てて目をそらしながら叫んだ。


「あっ、ごめんなさい!いつものハルくんの部屋じゃないから、つい…えっと、後ろ向いてて!」


言われるまでもなく、もう壁に向かっている。

木目がやたらと細かく見える。


「はい、もういいよ」


振り向くと、舞子はデニムの短パンに履き替えていた。

ただし、トレーナーはさっきのまま。


「今日はそれなん?」


「うん!好きなんだ、タキシードサム。可愛いでしょ?」


確かに、咥えタバコのに〜ちゃんよりはよほどいい。

可愛くて、ちょっと子どもっぽくて、それでいて妙に舞子らしい。


◇    ◇    ◇    ◇


「お世話になりました。飛び込みなのに、ありがとうございました」


宿代を精算して玄関で頭を下げる。

女将さんはにこにこと笑って、「また来まいよ」と手を振ってくれた。


外に出ると、空気はもう春の気配を帯びている。

瓦屋根が光り、どこかの庭から沈丁花の香りがふわりと流れてきた。


このまま一日が、いい一日になりますように。


舞子の背中を追いながら、僕はそんなことを思っていた。


僕たちは車に乗り込み、すぐそこの金毘羅さんの門前町へ向かった。


「んー、どこも高いなあ」


道沿いの駐車場をいくつか通り過ぎながら僕がつぶやくと、舞子が一軒のお土産屋の前を指さした。


「ね、あそこ、無料って書いてるよ!」


「あー、その下の小さい字見てみ。『当店で二千円以上お買い物のお客様』ってなってるやろ。買い物せえへんかったら普通に料金かかるやつや」


説明すると、舞子は「知ってたけど?」みたいな顔をしてこちらを見る。

前髪がぴょこんと跳ねている。


「おみやげ買えばいいんでしょ?私、お父さんとお母さんにお土産買おうと思ってたし、どうせ買うなら駐車場ただになる方が得じゃん」


もっともだった。

どうも僕は「観光地の一見客相手のぼったくり商売にやられてたまるか」と、勝手に身構えていたらしい。

舞子はもっと自然体で、目の前の門前町をまるごと受け入れている。


「すみませーん。帰りに買うんで、車停めさせてもらっていいですか?」


声をかけると、店のおじさんが顔を出した。


「かまんで。ようけええとこあるけんね。ゆっくり見てこんまい」


讃岐のイントネーションが気持ちいい。

僕はその店の駐車場に車を停めた。


少し先から、長い石段が空に向かって伸びているのが見える。


「ね、それ何かな?」


舞子の視線の先を見ると、木でできた杖が、陶器の傘立てみたいな入れ物にたくさん立てられていた。

おじさんが出てきて言う。


「その杖はサービスやけん、好きに使うてええんよ。帰りに返してくれたらかまんけん。あれなしじゃ、階段のぼるん、けっこうしんどいけんな」


渡された杖は、年季が入っていた。

舞子は「やった!」と言い出しそうな勢いで一本受け取り、すぐに手に構える。

どう見ても、昨日までインフルで寝ていた人間ではない。

ファミコンの冒険の勇者みたいだった。


僕も一本。

「では、行ってきます」と会釈して石段へ向かう。


序盤は余裕だった。

高校時代、花園一歩手前まで行ったラグビー部のレギュラー。

体力には、まあまあ自信がある。はずだった。


…百段も登らないうちに、太ももの裏がピキピキ言い始めた。

息も少しずつ上がってくる。


一方、舞子はというと──


「おーい!こっちこっちー!」


先をひょいひょい登っては、くるりと振り返って手を振る。

その軽快さたるや、牛若丸もびっくりである。


「こっちだって…分かっとるわ…」


ぜえぜえ言いながら返す声は、もはや自分のものではなかった。


百段目の鳥居をくぐり、大門に着くころには、僕は汗だく、息も絶え絶え。

シャツの背中はぐっしょりで、杖がなければ膝から崩れ落ちていたかもしれない。


「こんなに…なまってたんか…」


高校時代の筋肉たちに、心の中で謝る。


「すまん、みんな…オレが悪かった…」


それでも何とか、本宮まではたどり着いた。

舞子は元気そのもので、境内をくるくる歩き回ったあと、振り返って言う。


「ねえ、奥の院まで行こうよ!」


げえ。


奥の院は、ここからさらに五百八十三段。

数字を思い出しただけで、太ももが先に拒否した。

体力よりも先に、精神が音を上げている。


「…舞子、行くんなら行ってきてええよ。僕はここで待ってる」


舞子は不服そうに口をとがらせた。


「え…」


「ごめん。もう…途中で寝転ぶ自信あるわ」


しばしの沈黙。

やがて舞子は、小さく「わかった」とだけ言って、駆け出していった。


小さな背中が、どんどん小さくなっていく。

タキシードサムも一緒に笑っているだろう。

杖を振りながら駆け上がる姿は、もはや勇者というより魔王だった。


石段の端に腰を下ろしながら思う。

回復力が化け物みたいな女の子と、

なまった元ラガーマンとで、旅をしているのだ。


たぶん、これはそういう物語なんだ。


◇    ◇    ◇    ◇


舞子は、奥の院へ駆け出してから三十分も経たないうちに戻ってきた。

少しくらいは疲れているかと思えば、やけに爽やかな顔をしている。


「登ってる途中で、猫いたよ!あと、景色すごかった!」


僕は黙って頷く。

体力も、感性も、もう追いつけそうにない。


やっと息が整ってきたころ、舞子がぺたんと隣に腰を下ろした。


「ふう〜、やっぱり上まで行くと気持ちいいね。景色、やばかったよ」


僕たちは本宮の正面に立ち、改めてお参りをすることにした。

二礼、二拍手、一礼。

旅の無事と、ちょっとだけ、それ以上のことも願う。


「おみくじ引いていい?」


舞子はもう、賽銭箱横の売り場に向かっていた。

ここまで元気なら、もうインフルの心配はない。


「よし、大吉!」


舞子が小さく跳ねて、紙をひらひらさせる。


「旅行:たのしい。恋愛:進んでよし、だって」


「…ふうん」


「ふうんって何、ふうんって」


僕はごまかすように視線を外した。


下りの階段は、登りの時と打って変わって脚が軽い。


「うわ、なにこれ。降りるって楽勝!」


先を歩く舞子のトレーナーが、ふわりと揺れている。

途中、「石段や」の暖簾が目に入り、舞子がぴたりと足を止めた。


「ねえ、あれ。甘酒って書いてある。飲んでみたい」


今の僕も、甘い飲み物なら大歓迎だ。

小さな木の椅子に腰掛け、紙カップを両手で包む。

米麹の甘酒はほんのり温かくて、甘さの奥にやさしい香りが漂っていた。


「ん…これ、なんかほっとする…でも、お酒なんだよね?大丈夫かな?」


「アルコール入ってへんよ。米麹の甘酒やから」


「え、そうなの?じゃあお子様でも飲めるやつなんだ」


「…まあ、そういうことやな」


僕の声は、少し鼻にかかっていた。

内臓まで温まっていく感じがする。


残りの石段も、足取り軽く下っていく。

ふもとの駐車場に戻り、杖を返しながらお礼を言うと、

店のおじさんが「お疲れさん。ゆっくりしていきない」と笑った。


店の中には、定番の金刀比羅みやげが並んでいる。

灸まん、しょうゆ豆、木彫りの犬、そしてなぜか、金色の小さな鈴が鈴なりになっていた。


「わ!なにこれ可愛い!」


舞子が声を上げる。

そこには、ぽかんと口を開けた台形のおまんじゅうが並んでいた。

一般教養の民俗学の授業で見た、交差点と扉の神をそのまま駄菓子にしました、という感じだ。


「名物 かまど」


と札が出ている。


「…なんか、"話しかけてきそうで話しかけてこない顔"してない?」


舞子が真顔で言う。


「夜中の廊下にこれ置いてあったら、めっちゃ怖いな」


舞子は笑いながら言った。


「これ、お父さんとお母さんとおばあちゃんのお土産にする!」


と言って三箱抱えた。


駐車場代は、これでチャラだろう。

そんなせこいことを思いながら、


「あ、そうや。僕も嵯峨のおばちゃんに土産買ってくわ。

この前ぶぶ漬けで世話なったし」


僕は和三盆の干菓子の箱を手に取る。


「わさんぼん?それ何?」


「讃岐の高級砂糖や。砂糖やのに、口に入れたら涼しくなる、不思議なやつ」


試食用に出ていた小さなかけらをつまんで、舞子の口に入れた。


「わ!美味しい!本当に口の中がすーっとする!私、おばあちゃんにはこっちにする!」


ということで、「名物 かまど」と和三盆の干菓子を二箱ずつ手にし、

改めておじさんに礼を言って店を出た。


◇    ◇    ◇    ◇


「あ〜楽しかった!そんで、お腹すいた!」


駐車場に戻るなり、舞子が元気に叫ぶ。

もちろん僕も、朝ごはんはもう完全に消化されていた。


今日行くうどん屋は、もう決めてある。


「舞子、今日もまた地図見てもらってええ?」


そう言って道路地図を渡す。


「行き先はな、仲多度郡仲南町大口。千十番地。山の反対側に行ったら道ないから、

最後に左に山へ上がる道があったはずや。その道のある方に案内して」


「任せて。じゃあ、まずここ出たら右に曲がって、県道208号線をずーっとね」


「この先で国道319号線に自然に合流するから、そのまま道なりで」


相変わらず、舞子の案内は的確だ。


「次の"追上橋西"って信号を左折」


「はいはい」


「その先でちょっとスピード落として。うん、そこの細い道を右。

踏切渡って、少し行ったら、さっき言ってた山の上に上がる道が左にある」


目的地には、十五分ほどで着いた。

突き当たりに大きな駐車場。

奥には、煙突のついた古い工場みたいなスレート屋根の建物。

脇の屋根の下には、これでもかと言わんばかりに薪が積まれている。


入口の前には、海の家のようなテーブルと椅子。

上には「うどん やまうち」と書かれた年季の入った白い看板。


店に入ると、薪のかまどと、その上でぐらぐらと沸き立つ大釜が目に飛び込んできた。


「かけの特大、ひやひやで」


金毘羅さんの石段で、朝のカロリーを根こそぎ消費した僕が注文すると、

舞子が不思議そうに首をかしげる。


「あれ?昨日のお店と同じ?あそこだけって言ってなかった?」


「この店な、昨日の宮武さんで修行した人が始めた店なんやって」


「じゃあ、親戚みたいなうどん屋さん?」


「まあ、そんな感じやな。ほら、あそこの天ぷらも」


「わ、私の顔より大きいゲソ天!」


「同じとこから仕入れてるらしいで」


「じゃあ、私も今日は…かけの大!あつひやで!」


「で、ゲソ天二本な」


丼によそわれたうどんと、皿に乗せたゲソ天を受け取り、会計カウンターでお金を払う。


「はい、全部で五百九十円ね」


またしても、財布を二度見する値段だった。

祇園のうどん屋なら、店先に立つだけでも怒られそうな金額だ。


生姜を自分ですり、一味を少し振って、舞子と同時に箸を割る。


「いただきます!」


「わ!柔らかい!」


舞子が、最初のひと口で声を上げた。

ここの麺は、昨日より少し細くて、表面がやわらかい。

なのに、噛むとしっかり押し返してくる腰は、やはり讃岐うどん。

薪の大釜の火力の賜物だろう。


気がつけば、舞子はまた喋らなくなっていた。

うどんをすする、つゆを少し飲む、ゲソ天をかじる、またうどん。

ほっぺたが、見事なハムスター仕様になっている。


「は〜!」


大盛りを一気に平らげ、舞子が息をついた。


「美味しい!美味しい!こんなのが、ここの人たちの"ふつう"なんだ…」


ぽつりとこぼした声には、少しだけ羨ましさが混じっていた。


「しかも、麺を温かくしてつゆは冷たくとかできるって、

猫舌なのに冷たすぎるのも苦手な私のためにあるようなうどんじゃん!」


大きな目が、さらにきらきらしている。


◇    ◇    ◇    ◇


「あ〜美味しかった!」


舞子が満足げにシートベルトを締める。

車の時計は、まだ午後三時を少し回ったところだった。

昼ごはんにしては遅いが、夕食にするには早すぎる。


僕はハンドルを握ったまま、少し考えてから言った。


「今日はもう、宿入ってのんびりしよか」


「え、もう?でもいいね。温泉とかあったら嬉しいな〜」


そんな都合のいい話が…と思ったところで、

小さな手書きの看板が視界に飛び込んできた。


「一泊二食付 ひとり二千五百円」


「えっ、うそ…今の見た?」


「見た。泊まろ」


駄菓子屋を見つけた子どもみたいなノリで、

僕たちは矢印に従って脇道へ入っていった。


すぐに、昔ながらの瓦屋根の平屋が見えてくる。

玄関には「民宿 川西」と書かれた小さな表札。

どう見ても、普通の家だ。


「こんにちはー!」


声をかけると、縁側から日焼けした優しそうなおばあさんが顔を出した。

事情を話すと、ちょうど空いているからいいですよ、とのこと。

しかも本当に、ふたりで五千円ぽっきり。


「安すぎて、逆に怖い…」


と舞子が小声で言うが、建物も庭もきちんと手入れされていて、

むしろほっとするような空気だった。


通された部屋を見て、僕は思わず「おお」と声を漏らした。

襖で区切られた畳の間が四つ並び、そのうちひと部屋をあてがわれたのだ。

まさに、昔ながらの「田舎の民宿」そのもの。


「わあ、なんか合宿みたい!」


舞子が畳の上でごろりと転がる。

僕も寝転んで天井を見上げると、小学生のころの春休みを思い出した。


「うどん、今日も美味しかったなあ…」


などと言ってだらけていると、「お風呂沸いたよ」と声がかかる。


宿の奥さんが、何気ない調子で言った。


「お風呂は家族風呂やけん、空いとる時に順番で入ってくれたらええですよ。兄妹さんやったら、一緒でもかまんけど」


「い、いや、順番で大丈夫です!」


僕は反射的に声を上げていた。

舞子は横でくすくす笑っている。


先に入った舞子は、風呂上がりにいつものドルフィンパンツに、

モコモコしたピンクの羊が描かれた長袖Tシャツを合わせていた。


「あらまあ、可愛らしいお嬢さんやねえ」


奥さんの一言に、舞子は少し照れくさそうに笑っていた。


夕食は居間でいただいた。

大皿の焼き魚、煮物、味噌汁、漬物。

そこに、またしてもしょうゆ豆。


「おいおい…」


僕が思わず声を漏らすと、舞子も苦笑いしながら一粒つまむ。


「しょうゆ豆、また出たね…」


「朝も出たし、昨日の晩も出たし…しょうゆ豆、皆勤賞やな…」


甘じょっぱくて、やっぱり不思議な存在感だ。

絶品というより、気がつけば手が伸びているタイプのやつ。


部屋に戻ると、茶菓子と急須を運んできてくれた。

お茶請けは、さっき買った「名物 かまど」。


「しかし…金刀比羅宮、なめてたわ…」


僕は茶をすすりながら苦笑する。


「うん。ハルくん、もうちょいで倒れるかと思った」


「倒れてへんし。高校のときは花園一歩手前まで行ったラグビー部やで」


「それ、何年前?」


「うるさいわ」


他愛もない話を続けるうちに、舞子が大きなあくびをした。


「あー、眠い」


「まだ八時やぞ」


「でも眠い…」


部屋の隅には布団が積まれていたので、僕がせっせと敷いていると、

舞子はもう畳の上にごろりと寝転んでいた。


「おい、舞子。布団で寝ろ」


反応がない。


「寝るな。せめて布団までたどり着け」


「…んむぅ…」


仕方なく、軽い身体を抱え起こして布団に突っ込み、掛け布団をかける。


十六歳の女の子の寝顔に、少し罰当たりな気分になった。

でも、放っておくわけにもいかない。


「まったくもう…」


そう言いながら、自分も隣の布団に倒れ込んだ。

体にかかった布団が、じんわりと温かい。


今日も、よく歩いて、よく食べて、よく笑った。


春の夜の静かな闇が、民宿の小さな畳の部屋で、

僕たちをそっと包み込んだ。

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