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クラリスの献身 ~私に死ねと言ったのは、あなたでしょう?~  作者: 紺青


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9. 孤独な戦いと2つ目の願い事

「え? 王妃教育を前倒す?」

 クラリスは声を張り上げた。

 瘴気が出たという報告はないが、各地で小さな災害や疫病の流行、不作などが相次ぎ、ローレンスはその対応に追われている。クラリスも自分の執務や王妃のフォローをしながら、王太子の執務を手伝っていた。

 

 アンブロワーズから瘴気と聖女召喚の真実を聞いてから二週間が経っているが、瘴気対策について良い案は思いついていない。それなのに王妃教育をねじ込まれたら、どう考えても時間が足りない。


「ああ。母上の体調が思わしくなくて……。王妃の執務もクラリスに回したいと言われているんだ。王妃の執務をするには必要だから……」


「どんなご病気でしょうか? 侍医の見解は? つい最近もご友人を集めて華やかな茶会を白の宮で催していたようですが?」


「……クラリス。そんな怖い顔をしないで。心の病だから目に見えるものではないんだ」


「……」


 大神殿の魔石への魔力供給。神殿への慰問、各地への視察。手紙や書類の代筆、届いた手紙や招待状の翻訳、要人との会合や他国の王族の来るパーティーでの通訳。王宮で行われる夜会や行事の手配、国内外の賓客をもてなす手配。


 その上、最低限、王妃がしなければならない執務の代理をしろと? ほとんどお付きの女官が裁いて、印を押すだけなのに?


 自分は着飾って、華やかな場に登場してほほえみを振りまくだけ。クラリスが地味な装いで、国中を走り回っているのに、これ以上を求めるのか?


「十八で結婚し、王太子妃となってからでは遅いのですか? あと一年です」

 王妃教育は、通常は婚姻し王太子妃となってから受ける。


「王妃付きの女官が五人辞表を出してきた。クラリスが完全に王妃の仕事を采配するのと給与を上乗せするなら、撤回してくれると言っている」

 眩暈がしてきて、額に手を当てる。初めは仕事を押し付けてくる彼女達にいい印象は持てなかったけど、一緒に仕事をしていくうちに同じ王妃の被害者として仲間意識が芽生えていた。


 最近ではクラリスの采配に異を唱えることなく、まめに動いてくれる。彼女達ももう限界なのだろう。王妃教育を受けているという建前があると、クラリスが触れる書類が増える。中途半端に王妃が関わっていると邪魔なのだろう。


「事情はわかりました。でも、王妃教育を受けてしまうと……」

 王太子妃教育までなら、王家の秘にまで触れることはない。


「大丈夫。なにがあっても私の妃はクラリスだ」

 少年から青年へ成長し、どこか色気を感じられるようになったローレンスが綺麗な笑顔でほほえむ。


「……瘴気が発生して、聖女召喚が行われたら、婚約者は聖女様になるのではないですか?」


「大丈夫だ。瘴気が発生することはない」


「そんな保障はありますか? 王妃教育まで受けてしまったら……」

 王家の秘匿するものを知ってしまったら。深く内政に関わったら。彼が聖女様と婚姻し、婚約破棄されたクラリスに待っているのは毒杯だ。


「秘匿とする内容はできる限り最後の方に回してもらう。お願いだ。クラリス。私が頼れるのはクラリスしかいないんだ」

 お決まりの彼の懇願のセリフに、頭のどこかがすっと冷えた気がした。今でも彼のことを愛してる。でも、心のどこかが軋んでいる気がする。


「お願いだ。私の可愛いクラリス。二人で共に立つ未来のために、がんばってもらえないか?」


「はい。承知いたしました」

 臣下のように彼に頭を下げた。

 


 ローレンスが言いたい事だけ言って茶会の席を立つ。その姿を見送ったクラリスは魔法の演習場に向かった。


「なにから手をつけたらいいの……? 時間が足りない。考えるのよ、クラリス」


 聖女召喚を防ぐには確固たる瘴気対策があればいい。瘴気が発生するまでに王や上層部を説得する材料が欲しい。王妃教育を受けるとなると、じっくり考えたり資料を探す時間がない。瘴気対策についての案さえ出ていない現状で、アンブロワーズへの質問もしくはお願いという札を切るのはもったいない。


「偉いね。だいぶ追い込まれてるみたいだけど、ちゃんと来たね」

 これまでどんなに過酷な状況でもマリー先生とのサボりの時間をサボったことはない。ほとんどの時間は二人無言でお菓子を摘まみ、お茶を飲んでいるだけだ。荒涼とした魔法の演習場で物言わぬ老婆と過ごす時間のお陰で、クラリスが狂わずにいられるのはわかっていた。


「今こそ、二つ目のお願いを使う時じゃないのか? 休憩を抜くのは本意じゃないけど、時間がないから仕方ない」

「二つ目のお願い? でも、まだ方向性すら決めていなくて……」

 彼女がめったにしないおせっかいを焼くということはクラリスの状況がかなり悪いということだろう。


 魔法の演習場の真ん中には、いつものティーテーブルではなくて、ぽつりと木製のドアが置かれている。ドアには魔法陣が描かれ、紫の魔石が中央で光っている。


「え?」

 マリー先生が扉を開くと、そこは赤の宮のアンブロワーズの部屋だった。


 二部屋をぶち抜いて繋げたような広い空間に、外は曇り空なのにあたたかい日差しが降り注いでいる。ゆったりとしたソファや空の本棚や棚で、猫たちが今日も優雅にくつろいでいた。相変わらず本や魔道具など、魔法師らしいものはなにもない猫たちのための空間。アンブロワーズはソファに寝っ転がって、視線だけこちらに向けて手をひらひらと振っている。

 

 部屋の片隅には以前にはなかった文机が設置されていて、その上には以前借りた資料と魔法や魔道具に関する本が山のように積まれている。

「時間がない。とっとと始めな」

「あの、どうして……」

 とりあえず、マリー先生に背を押されて部屋に足を踏み入れる。

 

「二つ目のお願いは研究スペースの確保と助言だろ?」

 アンブロワーズが片目をつぶってみせる。

「……はい」

 押し付けられたような形になったが、今のクラリスに必要なものだった。


「これからは魔力制御の時間はここでの時間に充てるといい。緊急事態だから致し方ない」

 マリー先生を見ると猫たちと溶けそうな顔で戯れている。絶対、こっちが本命だろう。


「ありがとうございます」

 クラリスは早速、机に向かうと資料と本を読み始めた。

 マリー先生のものなのかアンブロワーズのものなのかはわからないけど、積まれた本にはクラリスの知らない魔法や魔法陣や魔道具について載っている。高速でページをめくりながら、思考を働かせる作業に没頭した。

 

 はっと気づいて時計を探すが、この部屋にそんなものは存在しない。相変わらず昼間の明るさを部屋は保っているが、きっとなんらかの魔法でそう保たれているだけで参考にはならないだろう。


「大丈夫だよ。王太子は午後は貴族院の会議で、その後は王と王妃との会食だろう? あんたの侍女に夕食は一緒にとるし、帰りは青の宮まで送ると伝えてある」

 マリー先生の言葉にやっと肩の力が抜けた。ここまで集中して作業したのは久々かもしれない。


「ほら、今日はここまで。少しは休憩しな」


 マリーが手を振ると、いつものティーテーブルが出現し、その上には具がぎっりりと挟まった丸パンが三人分並び、スープが湯気を立てている。


「もしかして……マリー先生の手作り?」

「そうだよ。嫌なら食べなくていい」

「食べるに決まってるじゃないですか」


「うん、うまい」

 いつの間にかアンブロワーズが先に席に着き、大口をあけて丸パンに噛り付いている。


「ほんとに。あんたは猫の世話はまめにするのに自分の世話は全然しないんだからね」

 クラリスも席について、目の前の皿に置かれた丸パンにかぶりつく。新鮮なレタスとオニオン、酸味のあるソースとサーモン。クラリスの好きな組み合わせだ。素朴で麦の味がするどっしりと中身がつまったパンを咀嚼する。根菜がゴロゴロと大きめに切られたスープを口にすると優しい味がした。


「おいしいです。ありがとうございます、マリー先生」

「ふんっ。自分とアンブロワーズのを作るついでだよ」

 

 猫たちが静かだなと部屋を見渡すと彼らも食事の時間のようで、部屋の片隅で目の前に置かれた皿に無心にむかっている。いつの間にか窓の外が暗くなっていて、部屋には暖色の灯りがそこかしこに灯っていた。


「帰りたくないなぁ……」

 本音がクラリスの口からこぼれた。


「で、なんか収穫はあったのか?」

 クラリスの沈んだ様子や言葉を気にかけず、アンブロワーズが問いかける。


「この国全体に結界を張る、というのはどうでしょう? この世界の異物をはじく設定にして。雨が降ってきて、それを傘ではじくようなイメージです」


「なるほど、結界か……。そうか、瘴気を消さなくてもはじけばいいのか……」

「あんたの得意技だね」

「アンブロワーズ様の? マリー先生も得意ですよね?」

「私が教えたのはもっと単純なものだったんだけどね。この子の結界はもっとすごい。赤の宮とその周辺に常時、結界を張っているんだよ」

「え? 常時、結界を?」

「ああ。この子の許可した人間以外、ここの敷地に入ることはできない。もちろん猫は出入り自由だけどね」

「なるほど」

 だから警備の騎士も巡回していないし、王宮の内部だと思えないぐらい城も庭も人の手が入らず荒れ果てているのだろう。

 

「でも、まだ机上の理論で。私は結界の魔法を使用したことがないので、どんな魔法陣なのか知りません。条件設定が上手くいくかもわかりません。実際に実現可能かは実験してみるしかないです。どのくらいの魔力量が必要かもわかっていませんし……」


「うん。でも、悪くない。それならいけるかもしれない。その方向で詰めていけばいいいんじゃないか?」

「ありがとうございます」

 意外と親身になってくれる彼にほっと胸をなでおろす。マリー先生は興味のなさそうな顔で食後の紅茶を淹れ始めている。


「発想の転換だな。姉と一緒に瘴気対策も考えていた。その時は聖女の代わりに瘴気を浄化する方法ばかりに囚われていた。結界を張る方法なら、この世界の人間で対応可能だ。色々と調整や試作は必要だけど、協力しよう。一人では間に合わないだろう? どのみち、聖女召喚でも多くの魔法師の魔力が失われる。媒体を使えば、一人で魔力を供給する必要もないだろうし、いい方法だと思う」

「はい」


 久々に食事がおいしいと感じたのは、方針が決まったからなのか、協力者ができたからなのか。

 アンブロワーズは初めなにも教えないと言っていたのに随分気前がいい。やはり亡き姉の想いをなんらかの形で成就したいのかもしれない。それに聖女召喚で自分と同じ魔法師が犠牲になるのに心が痛むのかもしれない。


 聖女召喚は異世界から人間を一人こちらの世界に一瞬で移動させるので、瞬間的に莫大な魔力が必要となる。魔石への魔力供給と違って、自分の魔力の大半を一気に失うことになるので、魔力量が戻ることはない。下手をすると魔力器官が壊れて、二度と魔力が貯まらない体になってしまう。

 

 百年前は聖女召喚の魔法陣を起動させたことにより、十人の魔法師が死にはしなかったものの魔力を失ったとされている。その被害だけでも許されるものではない。


 アンブロワーズの許可が下りたのでマリー先生とのサボりの時間だけでなく、空いた時間は全て、陽だまりと猫を横目に結界の魔法陣の研究に没頭することになった。

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