7. 瘴気と聖女様
クラリスがマリー先生を好きなのは、嘘を言わないところ。彼女はシンプルで力強い。彼女の淹れる紅茶やクッキーのようだ。
「瘴気ってなんでしょうか? この先、発生する可能性はあるんでしょうか?」
彼女の前で、瘴気や聖女様について話題に出したことはない。
「さぁ、なんだろうね? 気になるなら、ただ不安を抱えて怯えずに調べてみたらいい」
いつものように軽い口調だけど、その目はどこか暗く遥か遠くを見ていた。彼女の話はいつも回りくどい。知っていることでも教えずに、自分で調べさせる。
「婚約も披露されたし、あの子も立太子した。調べられることも増えただろう?」
クラリスは王太子の婚約者という立場になり、幼い頃から執務に駆け回っていることに対する信頼もあった。
王宮の文官の使用する資料室。王宮の図書室の特別閲覧室。大神殿の書庫。
ただの貴族令嬢では閲覧できないものも、見ることができる。
「そうですね」
マリー先生に不安を言えなかったのは、背中を押されることが怖かったからかもしれない。真実を知るより、不安に怯えているほうがよかった。でも不安に震えていても、助けてくれる王子様はクラリスにはいないと知っている。だから、動き出すことにした。手遅れになる前に。
◇◇
「クラリス、最近忙しくしているね」
彼への内緒が二つに増えた。
一つ目は魔力制御の訓練と偽って、マリー先生とお茶をしていること。
二つ目は瘴気と聖女様について調べている事。二つ目は彼と分かち合ってもいい気がしたけど、なんとなく言い出しにくかった。
「王妃様のお願いが増えているから……」
これは事実だけど、嘘でもある。王妃から仕事を押し付けられるのは今に始まった事ではない。自分をいいように使っていた女官たちをきちんと手懐けて、今ではこちらが指示を出して彼女達に仕事をしてもらって、上手く回している。今更、どうということはない。
「母上の……。すまない。クラリス。いつも負担をかけて」
「ええ、でも、苦労は先にしておいた方が、自分がその立場になった時に楽でしょう?」
「さすがクラリス。私は君が伴侶でよかったと思うよ」
「私もよ」
幼い頃と変わらず、ローレンスのことは好きだ。でも彼に嘘をつくことに罪悪感を抱くことはなくなっていた。クラリスの――二人の幸せを守れるのは自分だけだ。
彼と別行動する時に、仕事のついでを装い文献を探し回った。ローレンスが学園に通う間、隙間時間に大量の小間切れの仕事を挟むことに慣れていたので、苦ではい。
「なぜ瘴気や聖女様に関する資料がないのかしら?」
ニナーハ国では絵本が市井にまで流通し、子供でも知っているのに、史実はあまり残っていないようだ。膨大な数の書籍や資料の中で、瘴気や聖女について書かれたものは簡単な経緯の書かれた薄い本一冊しかなかった。
あとは市井にも流通している煌びやかな装飾の絵本や書籍だ。そちらは多少の違いはあれど、クラリスの知っている程度の話だ。
「で、収穫はあったのかい?」
マリー先生とのお茶会で、一週間の成果を問われる。
「ほとんど、なにも。百年周期で瘴気が発生することと、瘴気が発生すると異世界から聖女様を召喚するしかないということしかわかりませんでした」
「ほう?」
「あとは召喚された聖女様は確実に王となる人と婚姻しているくらいかしら」
王家の家系図が正しければ、だが。
「ははっ。だろうね。クラリス、あんたもわかっているだろう? 王家はね、非になることは根こそぎ隠すんだよ。王家の瑕疵になることが残っているわけないだろう?」
「王家の非……?」
「クラリス、真実が知りたいか?」
いつも柔和な笑みを浮かべている顔は怖いくらいの真顔だった。
「……真実?」
不安が胃の奥からせり上がって来る。
「あんたには知る権利がある。でも、知らない方が幸せかもしれない……」
モヤモヤする気持ちを抱えて、ただ瘴気が発生しないように祈るだけの日々。真実を知って、どうするというのだろうか?
でも、なにも知らないままの方が怖い。ローレンスは事が起こるまで、いや起こった後もなにもしてくれないのを知っている。彼のことを愛しているけど、信頼はしていない。
「知りたい、です」
その返事は歯切れが悪かった。
「さすがに王家の影の歴史をね、無関係なアタシがベラベラしゃべるわけにはいかないんだ」
その回答にどこかほっとする。
「だからね、覚悟が決まったら赤の宮へ行きな。一階の奥の青の魔石が扉にはまっている部屋。話は通しておく。ああ、認識阻害の魔道具を持って、一人で行くんだよ」
マリー先生は手のひら大の箱型の魔道具を差し出した。
「今はほとんど仕事をしていないが、この国一番の魔法の腕を持つ男だよ。聖女召喚に関しての第一人者。それにね、死霊使いでもある」
偏屈な人嫌いだから話を聞いてもらえないかもしれないけど、とおどけたように付け足す。マリー先生はいつものように表情の読めない顔で紅茶を飲んだ。
クラリスはその日、開けてはいけない扉を開いてしまったのかもしれない。
◇◇
「ちょっと出るわ。大丈夫、すぐそこだから一人でも」
翌日の午後、執務の合間を縫って、さっそく赤の宮へ向かうことにした。隠しポケットに認識阻害の魔道具が入っているのを手でなぞって確認する。
今日はローレンスに貴族院での会議が入っていて、彼は不在だ。クラリス付きの侍女や護衛は慣れたもので、多少単独行動をとってもなにも言わない。王宮の警備は万全だ。
「赤の宮……」
名前だけは聞いたことがあるが、クラリスは黒の宮と青の宮以外の場所は極力立ち入らないようにしているので、方角以外はなにも知らない。いつも足を踏み入れない場所に行くとなると、なにかいけないことをしている気になる。
足を止めて、隠しポケットから認識阻害の魔道具を取り出し起動した。魔道具の起動は、はめ込まれた魔石に少し魔力を流すだけでいい。これでクラリスが赤の宮を訪れたことは誰にも知られない。
「あの噂は本当なのかしら……」
王宮では子供でも知っている有名な話だ。
赤いお化け屋敷。夜な夜な狂った死霊使いが捕まえてきた犬や猫に死んだ人の魂を入れる実験を繰り返しているという。その魔法陣は死人の血で描かれているとか。
かつては側室や愛妾の暮らす後宮であった場所。
先代の王が気に入った異国の踊り子を囲っていたが、嫉妬に狂った王妃に惨殺されたという噂もある曰くつきの場所だ。先代の王が崩御し、今代の王には側妃も愛妾もいないため今は廃屋となっているという。
「本当にここは王宮の内部なの?」
王族の暮らす場所は庭も城も隅々まで整えられている。
手入れのされていない庭とその背後に佇む廃墟同然の城を見て、呆然とした。王族の数が少ないため、需要もなく建て替えも取り壊しもせず放置しているのだろうが、想像以上に酷い有り様だ。
生い茂る雑草の中に、城まで続く石畳らしきものを見つけ出して歩を進める。歩きやすいように踵の低い靴を履いてきたが、それでも歩きにくい。
近づくにつれ赤の宮の全貌が見えてくる。建物自体に変わったところはない。ぽってりとしたクリームを絞ったような形の屋根、横長の建屋、大きく取られている窓。ニナーハ国の伝統的な建物と同じ様式だ。元は赤色だった屋根の色は褪せていて、外壁にはヒビが入り、せっかくの大きな窓は汚れでくもっていて、全体的に廃墟独特の打ち捨てられた雰囲気が漂っている。
「こんなところに誰が住んでいるっていうのよ……」
本当に死霊使いが出てきそうな雰囲気に、泣き言がもれる。それでもローレンスに話して付いて来てもらう、という選択肢はない。彼に助けを請うという選択肢は、とうの昔にクラリスの中で消えている。
「嫌だ。汚い、怖い。帰りたい……」
身を震わせながら、壊れて半開きの扉から城に足を踏み入れた。本当にこんなところに人が住んでいるのだろうか?
内部は整えられているのかと思ったら、外観同様ひどいものだった。灯は灯っておらず薄暗く肌寒くて埃っぽい。天井のあちこちに蜘蛛の巣がはり、朽ちたタペストリーが所々に下がっていて不気味さが増している。廊下にもヒビが入っていて、足を取られないように一歩ずつ慎重に前へ進む。
「一階の奥の青の魔石が扉にはまっている部屋……」
建物が横長であるせいで、なかなか奥までたどり着かない。なるべく心を無にして先に進む。ようやく行き止まりにたどり着くと、くすんだ青の魔石がはまる扉が現れた。
「すみません。アンブロワーズ様はいらっしゃいますか? マリー先生の紹介で来ました。クラリスです。クラリス・ランチェスターです」
トントンと扉を軽くノックした。意外なことに扉が静かに開いた。
「え?」
クラリスは一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなった。
廊下とは違って、日当たりがよく居心地のよさそうな部屋にはたくさんの猫がいた。この部屋の主と思しき人物は顔の上に広げたままの本を載せて、ソファに寝転がっている。
「あの……」
見回すと広々とした部屋には侍女や侍従の姿はない。本や魔道具やおどろおどろしい魔法陣は部屋になかった。柔らかそうな絨毯が敷かれ部屋の本棚や棚は全て空で、猫が走り回れるように所々穴や小さな段差などが設置されている。猫たちは飼い主同様、突然現れたクラリスを気にすることもなく、部屋のそこかしこでくつろいだり、走り回ったりしている。
「あの、突然の訪問失礼いたします。ランチェスター公爵家の長女のクラリスと申します。アンブロワーズ様に瘴気や聖女召喚についてお聞きしたいのですが……」
「臭い」
ソファの人物はただ一言発すると、クラリスは部屋の外にいた。どうやら風の魔法を行使して、一瞬で部屋から押し出されたようだ。ご丁寧に扉も閉じられている。
「猫は匂いに弱い。馬鹿みたいに臭ってる薔薇の香水を着けている間は入室禁止だ。僕は仕事はしないし、誰かになにかを教えることもしない。例えマリーの紹介だったとしても、だ」
閉じた扉の向こうから声がする。呆然としたクラリスは肩を落として、来た道を戻ろうとした。
その目の前に三冊ほど綴られた書類が落ちてきた。
「ただし、君には瘴気や聖女召喚の真実を知る権利がある。当事者だ。王宮には資料が残っていないだろう? あるとしても上っ面の嘘ばかり書かれた絵本だけ。瘴気や聖女召喚の資料ぐらいは貸してやる。他の人間には見せるなよ。婚約者の王太子でもだめだ。質問を含めた要望は三つまで。以上だ」
まくし立てるように言われた内容に、頭がついていかない。
「いらないなら、そのまま置いていけ」
「いえ、ありがたくお借りします!」
「匂いをつけるなよ!」
「はい! 承知いたしました」
胸元にしっかり資料を抱えると逃げるようにその場を辞した。
クラリスが瘴気や聖女について知っていることは、王宮で見つけた一冊の薄い書籍と広く流通している絵本で得られた知識のみ。
死霊使いで、偉大な魔法師であるというアンブロワーズが貸してくれた文献は、製本されておらず、手書きでまとめたものを綴ってあるだけ。紙の様子から見ると比較的新しいもののようだ。
その日の夜、ベッドに入ると天蓋を引き、魔道具で明かりを灯す。彼の貸してくれた三つの資料にざっと目を通す。
一つ目は、瘴気の発生前後の事実を時系列に記したもの。
百年前の瘴気発生分布図やその予兆、発生後の被害状況や、どの土地をどの順番で巡り浄化したのかを記した聖女様の旅の記録。聖女様の周りの者の証言。事実のみが歴史書のように羅列してある。事実しか書いていないからこそ、瘴気というものの恐ろしさが伝わってくる。そして、聖女様の力のすごさと人柄も。
二つ目は百年前の聖女様の手記。
どうやら聖女様の国の言葉で書かれたものを、こちらの国の言葉に翻訳したようで箇条書きの文章が連なっている。なにを好み、召喚されてからどんな風に過ごしたのか、彼女の一生が垣間見える。
最後はお伽噺が、子供でもわかるような平易な言葉で綴られていた。
ただし、広く流布されている絵本とは内容が違う。瘴気と召喚された聖女様と王子様が出てくることだけは一緒だが。
――これが、瘴気と聖女召喚の真実?
自分の世界がひっくりかえるような衝撃を受けた。貪るようにして、三つの資料を一気に読み込む。
読み終えて、背筋がぞっとして寒気がする。自分の両腕をこすって気持ちを落ち着かせようとした。
物音が聞こえて思わず天蓋を開けた。
胸元が嫌な音を立てている。いつもは意識しない心臓がその存在を主張して波打っていた。きっちりと窓は施錠され、カーテンが閉じていることを確認してベッドにもどる。手足が冷えて、動悸が収まらない。
マリー先生はなんて人を紹介してくれたんだろう。
いや、王宮の片隅に生息するアンブロワーズの持っている資料が真実とは限らない。だけど、きらびやかに装飾された絵本より辻褄があっていて、色々なことが腑に落ちる。
天涯で囲まれたベッドの中、クラリスのため息がこぼれた。




