14. 聖女の要求
「クラリス!!」
ローレンスの焦ったような声がする。人々のざわめきが最高潮に達し、王が王笏を床に打ち付けた。
ふいに左手の腕輪が目にとまる。
――細い腕輪に刻まれている魔法陣の本当の意味。
一週間前、ふらりと姿を現したマリー先生が無言で小さな紙片を渡して去って行った。その紙片には見覚えのある魔法陣と古代語で書かれたそれをクラリスにも分かるように翻訳した魔法陣が描かれていた。部屋に戻り教本を片手に、その魔法陣を解読したクラリスは息を呑んだ。これ以上、落胆することなどないと思っていたのに。
クラリスはひたりと王を見据えた。抑え込んで来た感情が体の中を渦巻いているのに、頭のどこかは冷静でクラリスから全てを奪うものに容赦はしないと決めた。
「婚約は破棄よね? だって魔水晶に埋まってゆっくり死にゆく女に、王太子の子を成すことはできないものね? 順番を守ってください、陛下。まず婚約を破棄して、聖女就任でしょ?」
クラリスは左手首の銀の腕輪を撫でた。
「お前! 陛下になんという口を聞いているんだ! ただ王命を拝命すればいいだけだぞ!」
父が激高する声が聞こえるけど、知ったことではない。
「王太子ローレンスとクラリス・ランチェスターの婚約を破棄する」
王が投げやりに婚約破棄を宣言する。
「婚約者じゃなくなるから、これはいらない」
王に向かって左腕を差し出すと、わずかに彼の顔が歪んだ。王に指示を受けた大神官が進み出て、銀の腕輪に手を添えるとなにかを口の中でつぶやいた。銀の腕輪がしゃりんと音を立てて床に落ちる。
それをローレンスに渡した。受け取った彼の手は震えている。
――ねぇ、あなたはこの腕輪の意味を知っていたの?
その手を包むようにして彼の顔を覗き込んだ。
「ねぇ、元婚約者として一つだけ答えてくれる?」
「ああ、答えられることなら……」
しぶしぶといった体で答える彼の目に、かつてあった熱はない。いや、ただの聖女が来るまで暫定的に利用するだけの婚約者で、全て演技だったのかもしれない。その腕にしがみつく聖女様の顔は満足げだ。
「これは私に死ねって言ってるのよね?」
「なっ!! 違う! なにを言い出すんだ!」
「だって、そうでしょう。聖女様の代わりに聖女を拝命して、魔水晶に閉じ込められて百年の眠りにつき、この国に結界を張って瘴気を追い出す……。魔力が枯れ果てて体が朽ちるまで。それって死ぬのと変わらないでしょう? ゆっくり死ぬってことでしょう?」
クラリスの高い声は思いのほかホールに響き、人々のざわめきが大きくなる。
「クラリス、誰かがやらなくてはいけないんだ……。父の……陛下の話を聞いただろう。王族が誠意を見せる時なんだ。君しかいないんだ、この役目を果たせるのは……」
「ふふっ。魔力があれば誰でもできるし、一人じゃなくてもできるわよ? どうせ王妃教育を受けて婚約破棄されたら、側妃になって子供を山ほど生んで王妃殿下や聖女様の代わりに執務をするか、毒杯を賜るしかないものね。捨てる命の有効活用ってわけね」
クラリスとローレンスのやりとりに貴族達の間にざわめきが広がる。王や国の上層部の人間はクラリスの暴露に苦い顔をする。なによりこれまで献身的に王太子を支えてきたクラリスの反抗的な態度に、皆驚いているのだろう。
「クラリス・ランチェスター」
王が憤慨した顔でこちらを見るが、強くは出られないのはわかっている。建前でもクラリスの了承の言葉が必要だ。
「任務を引き受けてあげる。その代わり、ちゃんと言って。“クラリスから聖女様に心変わりしたので、聖女様の代わりに死んでください”って」
「そんな!! なんてことを言わせるの! ひどいわ! クラリス様! ローレンス様が可哀そうだわ!」
クラリスは目を見開いた。あなたこそ、私に死ねと言っておいて、今更なにを言っているんだろうか?
「クラリス様!!」
「クラリス・ランチェスター」
「クラリス」
聖女が泣き叫び、陛下や父が自分の名を呼ぶ。
それでもクラリスは、無言でローレンスを見続けた。召喚した聖女様にも腹が立つが、どこまでも自分は悪くない、運が悪かっただけだと思っているのが透けている。まるで悲劇のヒーローのように自分に酔って、綺麗事を並べる婚約者を最後に聖女様と同じ所まで引きずり落としたかった。性悪な聖女様の方がまだマシだ。
「……それで君の気が済むのか?」
「ええ。あなたの手で粉々にして欲しいの。あなたへの想いも私のしてきたことも。お願い、愛しのローレンス様。私にはあなたしかいないの。死にゆく元婚約者の最後のお願い、聞いてくれるでしょう?」
棒読みでかつて彼が告げた懇願の言葉を並べると、彼の顔がわかりやすく引きつった。
自分の人生もやってきたことも全て、意味のないことだったのだ。せめて、彼に自覚してほしい。自分がクラリスの矜持を踏みにじり、献身に気づかず捨てようとしていることを。
もう、献身的なクラリスはいない。
この決定が覆らないなら、クラリスの行く道が決まっているなら。彼にも王族にも尽くさない。献身的な聖女として死にたくない。死ねと、いらないと言われて、この命を散らしたい。
「決して心変わりしたわけじゃない……。聖女様は神がもたらした大事な使者なのだ……」
「ローレンス、クラリスの望みを叶えよ」
それでもぐずぐずと言い渋るローレンスに王から激が飛ぶ。
「「「ローレンス殿下」」」
配下の者や貴族からも彼に声がかかる。
「クラリス、聖女様の代わりに命を捧げてくれ。君の尊い犠牲は無駄にしない。君について後世に語り継ごう」
「セリフが違うわよ。いつもみたいにお願いしてよ」
「頼む……、クラリス」
「こっちは命を懸けるのに、これぐらいのお願いも叶えてくれないの?」
「……ックラリス、お願いだ。聖女様の代わりに死んでくれ!!」
どこかやけになったように叫ぶ婚約者の声が響き渡る。その隣で本物の聖女様が醜悪な笑みを浮かべた。
「わかったわ。だって、お願いを叶えられるのはあなたの可愛いクラリスだけですものね?」
ついに彼は崩れ落ちて泣き始めた。そんな彼を抱きしめて聖女様がクラリスに向かってなにかわめいている。
「拝命、謹んで承ります。この国のために、殿下のために、民のためにこの命を捧げましょう」
ずっと祈って来た。この国の安穏を。聖女様が必要となる事態とならないことを。
聖女召喚は神の思し召し。これが神の望みなのでしょう。さしずめ、私が今回の瘴気を収める生贄ということ。この国の安穏はクラリスが命を差し出すことで叶うらしい。最後のカーテシーを披露すると、クラリスは幸せそうにほほえんだ。
はじめは面白そうにしていた周囲も、やっと終わった茶番にほっとした空気が漂った。
「ああ、最後に陛下。この魔力制御の金の腕輪も不要なのでお返ししたいのですが? 王家の秘宝ですよね? 外していただけます?」
クラリスは左腕に残った金の輪を皆に見えるように掲げる。好き勝手して場を荒らしたクラリスに激高していた王の顔が、みるみるうちに青ざめる。
「国と王家のために、命がけで結界をはるんです。もう、私には不要ですよね、これ? それに王家の秘宝を持ったまま百年の眠りにはつけないわ、恐れ多くて」
「あ、ああ……。しかし、気に入っているならそのままでもいいが……」
王の手が自分の左手首の金の腕輪に触れる。
「いりませんよ。私、死ぬんですよ? 死ぬんだからアクセサリーも魔力制御も不要です。それにこんな悪趣味な物いりません。なんか罪人を捉える鎖みたいで。大神官様なら外せます? 自分で外すことができなくて」
王の方を見ることなく大神官が進み出て、クラリスの手を取った。小さな声で呪文をとなえると、金の腕輪が外れてカラリと音を立てて床に落ちる。
馬鹿みたい。クラリスがローレンスの虜になって、なんでも言う事を聞くから、十七の少女になにを背負わせていたのか忘れてたのね。もう、クラリスは献身を捨てたから、少しの甘さも見せない。
「じゃ、準備ができたら、声をかけて。私の死出の準備が整ったらね」
クラリスは玉座から出口までまっすぐに敷かれた赤いカーペットの上を歩き始めた。
「ああ、私、もう仕事しないので。それくらいの我儘許されますよね? だって私、命を懸けてこの国に尽くす聖女様になったんですから」
最後にひらひらと手を振ると、今度こそ皆の前から姿を消した。
クラリスの姿が見えなくなった後も、しばらくは怖いくらいの沈黙が場を支配していた。聖女様が泣きわめく声とローレンスのすすり泣きだけが響いていた。
これでよかったのだ。一人の尊い犠牲で国が助かるのだ。皆、心の中でそうつぶやいていたが、最後に見せたクラリスの乱心と笑顔に、底知れぬ恐怖を拭い去ることはできなかった。




