13. 聖女就任
「クラリス・ランチェスターを聖女に任命する」
それは、まるで断罪の場のようだった。
――私が聖女?
王の言葉に、呆然として周りを見回しても誰とも目が合わない。王宮のホールには、王族を初めとして主だった貴族達が集められている。王の側には、大神官が控えていて神殿関係者も揃っていた。騎士や魔法師、文官のみならず、使用人たちの姿もある。
――私に瘴気を浄化しろっていうこと?
瘴気を浄化する仕組みを知っているクラリスにはわかっていた。この世界の人間が瘴気を浄化することなどできない。王は何を言い出したんだろうか? 疲労と寝不足で上手く頭が回らない。
今日は聖女様の歓迎パーティーだとしか聞いていない。その手配をクラリスがしたので間違いない。しかし、会場には手配した華やかな装飾もされていないし、豪華な料理も並んでいない。それなりに着飾った貴族達が神妙な顔をして勢ぞろいしているだけだ。
自分が身にまとうマーメイドラインの白いドレスが目に入った。清楚で繊細で美しいドレス。アクセサリーは胸元で光る一粒のダイヤモンドのみ。しかし、クラリスの白い髪がドレスの良さを消していた。自分の装いに無頓着なクラリスはいつも侍女達に任せていた。優秀な侍女達はいつも最適な装いに仕上げてくれる。
――そう。今日のこの格好も意図されたものだということね。
クラリスはなにかの茶番劇の主役として、引っ張り出されたらしい。
「聖女となり召喚された聖女様の代わりに瘴気をはじきだし、侵入を防ぐ結界を国にはるのだ」
クラリスは静かに王を見つめた。ローレンスとは違った種類の野性味のある美形で人に命令することに慣れた雰囲気。その隣で王妃は長いまつ毛を伏せた憂い顔をしている。扇で隠した唇は弧を描いているかもしれないけど。
「そなたが考案したのだろう。自分の言葉に責任を持て。実用化できるようアンブロワーズとマリーと奔走していたらしいな?」
王の側には、正装したアンブロワーズとマリー先生もいる。俯いていて表情は伺えない。彼らは味方だと思っていたけど、王家の手の者だったのか? クラリスに語ったことは偽りだったのか? ローレンスに裏切られた時以上の痛みが胸に走る。
「そなたの発案では魔石を起点として結界の魔法陣を展開させるという話だった。それをアンブローズが改良して魔水晶と人を融合させたものを起点としたら百年は持つらしい」
それは、つまり――
「魔石に魔力を供給する人間が必要になる。だが、みなも知っての通り、魔法師は聖女様の召喚で多大なる犠牲を払った。誠意を見せるために、今回は王族から人を出す。クラリス、王太子の婚約者であるそなたは準王族だ。そなたを聖女に任命する」
つまり、人柱になれということ。
体のいい生贄。大神殿の魔石に魔力供給していたと思ったら、今度は結界に魔力を供給する餌になれと。
「王妃教育で習ったであろう。王妃の一番の勤めは王の盾となること。子を成すことより重要だ。唯一、王位継承権を持つローレンスを出すわけにはいかない。これはお願いではない王命だ」
ふと、王の側に侍る父の姿が目に入ると、ふいっと目を逸らされた。
「公爵家は同意している。国のため、王家のため。そして、婚約者であるローレンスのために、その身を捧げよ」
「今回、魔法師達が死力を尽くして召喚した聖女様には瘴気を浄化する力がなかった、ということでしょうか?」
クラリスが淡々と問うと、王の眉がぴくりと動いた。
「口がすぎますよ、クラリス様。聖女様は神託を賜ったのです」
王の横から大神官が半身を乗り出し、幼子に言い聞かせるようにゆっくり話す。
「神託?」
「異世界から聖女様を召喚するのは誘拐、つまり犯罪であると」
それはわざわざ神託を受けなくても誰でもわかることだろう。なぜ、神殿関係者も王族も聖女召喚を実行する前に、それについて考えなかったのだろう?
静かに成り行きを見守る人々を見て、冷静さを取り戻す。結局、理由はなんでもいいんだろう。
聖女様が駄々をこねているうちにも瘴気は貯まるし、被害は広がる。人々の不満や不安も最高潮に達していた。王家がこの事態を収めたという派手なパフォーマンスが必要なのだ。
王やローレンスの根回しは完璧で、皆この成り行きを知っている。だれも異を唱えるものなどいない。ただの様式美。クラリスが返事をすれば終わる。
玉座に座る王の傍らに立つローレンスと不安げな顔をする聖女様が目に入った。そちらを見つめたまま、返答をしないクラリスに、場が騒めき出す。しびれを切らしたローレンスがこちらに向かってくる。
「わかるだろう? クラリス。この国のことは、この国の者が解決しなければならない。そして適任者は君しかいない」
――本当に?
勝手に聖女召喚を決行したのは、彼だ。それなのに、なぜクラリスが犠牲にならないといけないのだろう?
条件は豊富な魔力量だけ。それなら王族の者も当てはまるし、高位貴族や神官でもできるだろう。それに一人だけを犠牲にしなくても、複数人で分担すればよい。
「これは神の怒りだ。異世界からの聖女召喚を繰り返す我らへの最終警告だ。そのための尊い任務である。クラリス・ランチェスター」
王の言葉がホールに響き渡る。
王族や高位貴族の男共は役目があるから。殿下の伴侶には異世界から来た聖女がいるから。クラリスの存在や、これまでしてきたことは全て代わりがいるから。だから、なにも問題ないということ?
「クラリス!!」
それでも無言を貫くクラリスに焦れたのか、父から叱責が飛ぶ。名を呼ばれたのはどれくらいぶりだろう? 人前で父と呼ぶなといったくせに。彼にとって利になれば、王太子妃でも聖女でもなんでもいいのだろう。
ぼんやりと視線を王の隣にいる王妃と怯えて震えている聖女様に移す。
「いいなぁ……」
小さな小さな声でクラリスはつぶやいた。
なんの役目を果たさなくても。立場に見合った義務を果たさなくても。王妃も聖女様も存在するだけで許されるし愛される。
クラリスは人の分まで仕事をしてこの国や彼に尽くしても、誰にも感謝されないし愛されない。
「クラリス……クラリス、お願いだ。君しかいないんだ……」
隣でローレンスの懇願するような声がする。
そうね。聖女様に数年かけて瘴気を浄化する旅をさせなくても、婚約者を媒体にして国に結界を張って瘴気を散らせばいい。一人を犠牲にして百年持つなら儲けものだ。そして、皮肉にもその仕組みを考えたのはクラリスだ。
あの時は必死だったのだ。愛する人との婚約を守るために。この国とこの国に住む人々を守るために。聖女召喚という異世界の少女を犠牲にする方法を使わないために。
「クラリス様ごめんなさい……。私に勇気がないせいで。でも、神様に聞いたら悪いのは勝手に召喚したこの国の人達だから、私は悪くないって。ここで私が瘴気を浄化してしまうと、また百年後に犠牲がでるからって……」
軽やかに近づいて来た聖女様がクラリスの両手を取った。まつ毛をふるわせ大きな黒い瞳に涙を溜める聖女様の本性をクラリスも見抜けなかった。
クラリスがその本性を知ったのも今朝のこと。
黒の宮のクラリスの客間に突然現れると、勝手に椅子に腰かけクラリスのために用意された朝食のフルーツを素手で掴んで、下品に口に運び出した。
部屋の扉は開けられているが、控えていた侍女の姿が消えている。王宮でクラリスを優先してくれる人間はいない。
「やってらんないよねー。あー、タバコ吸いたーい」
ぷっと皿にオレンジの種を吐き出した。短いスカートを履いているのに、片膝を立てて座っているせいで、下着が見えていて思わず目を逸らす。
「あんたって、前の世界にいた親友もどきにそっくりなんだよねー。綺麗でお高くとまっていて、賢いのかなんなのかしらないけど、いつも人のこと見下してさー」
今度はフォークを手に取り、ザクっと音を立ててリンゴに突き刺した。
「ムカつくから、婚約者を寝取ってやったんだ」
きゃらきゃらと楽しそうに笑っている。ローレンスと二人でいる時や、クラリスと対面した時のしおらしい様子は一切ない。あまりの変貌ぶりに別人だと言われた方が信じられるくらいだ。
「それを責められてムカついたから、窓から突き落としてやったの。あの時の顔、見ものだったわ~。最後まで親友ぶってるし。お前なんて、友達でもなんでもないっつーの」
シャクシャクと音を立ててリンゴを咀嚼する。
「周りからは親友同士って思われてたからさ。自殺を止めようとしたのにって泣いたらおもしろいくらい信じてもらえてさー。無罪放免。それなのに、なんか寝取った婚約者が怒ってきてさ、最後刺されたの。腹をブスってね。ありえないくらい血が出るしさー。痛いし熱いし、マジ笑えない」
パンケーキ用のナイフを手に取り、自分の腹に向け実演して見せている。
「あちゃー、死んだのか。って思ったらさ、こっちの世界飛んでてさ。傷もないし。全然あっちの世界に未練なんてないし! ラッキーってね」
腹の辺りを撫でながら、けらけら笑っている。
「イケメンにちやほやしてもらえるしさ、ごはんも意外とおいしいし、泣けばなんでも用意してもらえるし言う事きいてくれるし、最高だよ。ローレンスはお堅いけどさー、騎士も魔法師もお偉いさんもチラッと足見せたらすぐ食いついてくるし! うける! こっちの世界の男もなかなかいいね! でもさ、スマホもコンビニもたばこも酒もないんだよ。そんな世界で野宿! しかも危険を伴うなんて冗談じゃない。イケメンに傅かれて、できるだけ楽してのんびり暮らしたいっつーの」
バンバン音を立ててテーブルを両手で打つので、食器やカトラリーがガチャガチャと音を立てる。
「だからさ、あんたが生贄になって結界張ってよ」
パンケーキの真上からザクっとナイフを突き立てた。聖女と思えないくらい醜悪な顔をして。
「恨みはないけど、あんたも死んでよ、あの子みたいに。あたしのためにさ」
全然理解できない情報を詰め込まれて、吐きそうになる。思えば、あの時に聖女様も知っていたのだろう。自分が瘴気を浄化する旅に出る代わりにクラリスが犠牲になることを。
「猫かぶるのも疲れるのよねぇ。あー、いいわね、その顔。なんでも持ってる美しい女がさ、輝きを失った虚無の顔」
今でも彼女の高笑いが頭にこびりついている。そして思った。やはりアンブロワーズの教えてくれた聖女の真実は本当だったのだ、と。
「ごめんなさい……。クラリス様……」
今も目の前で瞳を潤ませてクラリスの手を握り、懇願する聖女様は幼くて庇護欲をそそる。あの時に聞いた自己申告によると十六ではなくて二十で、学生ではないけど男が釣れるから学生の格好をしていたらしい。そんな彼女を見る周りの目は憐れみと優しさが溢れている。
――この女の正体も知らずにのん気な。
ぐずぐず泣く聖女様の肩に、ローレンスが労わるように手を添えて抱き寄せた。
「クラリス……。今、この瞬間も瘴気は増え続けている。この国の民のためにも、覚悟を決めてくれないか?」
これまでクラリスが尽くしてきたことはなかったことにされて、王も婚約者も父も、聖女様も皆この身を差し出せという。
周りを見回しても誰とも目が合わない。誰にも信用されず陰口をたたかれるところから、信頼関係を構築したつもりだった。それもみんな幻だったのだろうか?
王妃付きの女官や王宮で働く文官、騎士団や魔法師団の要望にもできる限り沿うてきたつもりだ。神殿の慰問も定期的に行っていたし、必要な場所に必要な援助が届くようにした。各地の領主から出された嘆願や要望は出来る限り現地を見て、公正に必要な援助を行ってきた。できる限り思いやりの気持ちを持って、誠実に対応したつもりだった。
でも、その気持ちも仕事も誰にも届いていなかったんだろうか?
クラリスが編み出した方法は、持続的に魔力を与えればいいというもの。一人を犠牲にするのではなく、皆で魔力を注げばよい。なのに、出された結論は一人を生贄とすること。いなくなっても問題ない者を。
――ああ、猫になりたい。
脳裏によぎるのは、なぜか猫たちで。もし生まれ変わりがあるなら、猫に生まれたい。
ずっと走って来た人生で、心が安らぐのはあの部屋だけだった。偏屈で怠惰な死霊使いの部屋。仕事をしない彼の部屋には魔法の本や魔道具は一切なく、日当たりがよくて猫が走り回れるような空間が広がっていた。
次に部屋を訪ねると見知らぬ猫が増えていたりする。死霊使いと呼ばれる男は、どこからか捨て猫を拾ってきて、猫をなで昼寝する。その横で必死になって書を読み、ペンを走らせた。
でも唯一の味方だと思っていたマリー先生も、止まり木だったアンブロワーズも王家の回し者だった。用意してくれた書籍も情報も協力する姿勢も、クラリスを生贄にするための罠だった?
馬鹿みたい。バカみたい。バカみたい。
なんのための努力だったんだろう?
いつから彼らは私を犠牲にするって決めたんだろう?
クラリスと聖女様の乗る天秤を傾けたのはいつなんだろう?
「あはははははははっ」
これまでずっと抑え込んで来た感情が激流となって、溢れ出す。
無駄だった。全部無駄だった。彼のためにとしたことは。彼のためだと尽くしたことは。国のためを思って走り回ったことは。民のためだと思ってしたことは。クラリスの献身は全て無駄だったのだ。




