11. いらなくなった婚約者
それから婚約者の青い瞳がクラリスに向けられることはなくなった。周りから痛々しい者を見るような視線が刺さる。
聖女様はまだ十六歳だという。
召喚されてから一週間経っているが、こちらの服ではなく異世界の学生が着る制服を身にまとっている。クラリスからするとはしたないくらい丈の短いスカートに不思議な形をした大きな襟のついた服。襟元にはふんわりとリボン状にスカーフが巻かれている。素材も形も見慣れないものだが、不思議と聖女様に似合っていた。膝の見える眩しい若さはじける足から視線をそらす。
召喚された日から聖女様は青の宮で暮らしている。だって、ここは聖女宮だから。聖女様をお迎えする場所。だから彼女に与えられたのは、彼の部屋と扉で繋がっている未来の伴侶の部屋だった。
彼は片時も聖女から離れず、聖女様も黒くて大きな瞳に涙を溜めて彼にすがりついている。
どれだけ忙しくても朝食と夕食は一緒にとっていたのに。聖女様が来て以来、その習慣はないものとされている。
見なければいいのに、どうしても気になって時折、二人の様子を見に来てしまう。屋敷の中では見つかりそうなので、二人が薔薇園を散歩しているところを二階の窓からそっと見つめる。
聖女様の庭でローレンスが薔薇を手折っている。きちんと薔薇の棘を抜いてから、傅いて一輪の薔薇を差し出した。頬を赤らめて受け取る聖女は、嬉しそうに笑った。
ため息をついて執務に戻るけど、走らせた筆先が揺れる。なんとかペンを走らせようとすると、ぽたりと涙が落ちた。慌てて書類をよける。クラリスは机に肘をつき顔を覆った。あふれ出した涙は止まらず、とめどなく流れ落ちる。
自分は先を見て動いて来たのに。彼はその場しのぎの回答ばかりで、クラリスはどんどん貶められていく。これまで傷のなかったクラリスの凋落が楽しいのか、周りの好奇の視線が刺さるし侍女や護衛達まで聞こえるように噂する。
泣いてももう、慰めてくれる人はいないのに。幼い頃、涙をぬぐってくれたローレンスはもういない。気持ちがぐらぐらと揺れる。このまま王と同じように聖女様に真実の愛を彼も捧げてしまうのか? それとも昔の彼に戻る日がくるのか?
未消化な気持ちを抱えたまま、クラリスは淡々と自分のすべきことをした。聖女様が召喚されたことで、一時は高まっていた不安も払拭されたようで、仕事は落ち着きを見せていた。王妃教育、自分や王妃の仕事、王太子の通常業務。それに加えて、瘴気を避ける結界の魔法陣の研究も続けた。
クラリスは自分の未来が閉ざされたのを理解していた。
王妃教育をしても、彼の執務を代行しても、結界の魔法陣の研究を続けても意味などない。
でも、なにかしていたかった。なにも考えたくなかった。湧いてくる感情に浸りたくなかった。忙しくして、なにも考えられないくらいやることを詰め込んだ。
◇◇
久々にローレンスと話したのは聖女召喚から十日ほど経った頃だ。クラリスを訪ねてきたわけではなくて、たまたま廊下で行き会っただけ。
「クラリス、聞いていると思うけど聖女様が召喚された」
挨拶もクラリスを慮る言葉もない。聖女召喚が決行されたのをこの目で見たけど、彼や彼の配下の者からの報告はこれまで一切なかった。
「私が聖女様の担当になった。しばらく他のことには手が回らないから、よろしく頼む。瘴気を浄化する旅に出る前に、この国について知っていただき不安を取り除くことが大事だから」
それは他の者ではだめなのですか? 私と共に過ごす時間は少しもないのですか? 喉まで出かかった言葉がつまる。ローレンスはクラリスが一言も発しないうちに姿を消していた。
きちんと聖女を紹介されたのはそれから二週間後のことだった。
王太子付きの側近に呼ばれて行くと、薔薇の咲き誇る庭のガゼボで、二人並んでお茶をしていた。かつて彼の隣の席はクラリスのものだったのに。
茶器は二人分しか用意されていないので、配下の者のようにローレンスの傍らに立った。
「あの、お呼びだと聞いたのですが……」
話が弾んでいる様子だが、お構いなしに声を掛ける。
「ああ、クラリス。こちらは召喚した聖女様のクミだ」
「クミ、こちらは公爵令嬢のクラリス」
「クラリス様はローレンス様の婚約者、なんですよね?」
どこか怯えた様子でこちらを見て、ローレンスの服の袖を引いている。
「ああ。だが、気にしなくて良い。クラリスはとても寛大な心を持っているから」
ショックを受けている様子の聖女の背を労わるように撫でている。クラリスを呼びつけて話しているのに、彼の瞳は一時もクラリスを映さない。
「ごめんなさい。クラリス様。ローレンス様を独り占めしちゃって」
こちらを潤んだ瞳で見上げる彼女は本当に幼子のようで、クラリスの中に迷いが生まれた。突然環境が変わって戸惑う、庇護が必要な子供に見える。
召喚聖女の真実は本当なのか? これまでの聖女様と同じとは限らないかもしれない……。
「クミ、君にはこれから瘴気を浄化するという大仕事が控えている。この国の救世主だ。最優先すべきは君なんだ」
聖女様の手を取り、熱弁を奮う彼の真意はどこにあるんだろう?
「ローレンス様、少し込み入ったお話を二人でしたいのですが」
「ならば、ここですればよい」
聖女様を見て、迷いの生じたクラリスは確認したかった。
彼は瘴気と聖女召喚の真実を知って、どう解釈したのか? 聖女様についてどう思っているのか? 聖女様を娶るのか? クラリスの処遇をどう考えているのか?
「少しの間で良いので二人で話せませんか?」
子供のように怯える彼女を前にして、王族のみに密やかに伝わる召喚聖女の真実を語るわけにいかないだろう。
くすんくすんと子供のような泣き声が聞こえたと思ったら、クミがハンカチで目元を押さえてうつむいている。
「私、私が邪魔なんですよね? さみしいけど大人しく待てます」
立ち上がろうとする彼女の腕をローレンスがそっとつかんだ。
「クラリス」
咎めるような圧のある声。相変わらず視線すら合わない。
「日を改めます」
クラリスは彼の腕の中で泣く聖女様を見て、踵を返した。自分の瞳に浮かぶ涙を二人に見られたくなかったから。
その足でクラリスが向かったのは大神殿だった。こんな時でも義務を放棄できない自分が滑稽で笑いがこみ上げてくる。ローレンスに呼ばれた時は、そろそろ魔石への魔力供給の頃合いなので一緒に行くものだと思っていたのだが。聖女様にのぼせた彼はそんなことは、すっかり頭から抜けているみたいだ。
俯いて足早に歩いていたせいで、足を止めた護衛騎士の背中にぶつかる。その背から覗き込むように相手を見ると、護衛を引き連れた王が立っていた。
「ああ、お前か」
いつものように尊大な態度で、ローレンスより濃い金の髪をかき上げる。冷たい青の目で射抜かれて、クラリスは頭を下げた。
「ローレンスの分も励めよ」
その言葉に反射的に頭を上げる。
「陛下、あの! 聖女様が落ち着くまでローレンス殿下の魔力供給は免除なのでしょうか?」
「……逆だと思わないか? まるで王族の方が貴族や民に隷属しているようだ。なぜ、王となる者が我が身を犠牲にしないといけないのだ?」
「……」
王の返答になっていない言葉にクラリスは固まった。
「どの道、聖女様の浄化の旅に同行することを考えると、ローレンスはしばらく魔石への魔力供給はできない。王妃教育を受けているのだろう? 王妃は子を成すより仕事をするより、王を守ることが大事だと習わなかったか?」
「……」
確かに王太子教育を受けている時から、講師に口酸っぱく言われているので知っている。
「未来の王であるローレンスのために励め」
「かしこまりました」
喉元でいろいろな言葉や疑問が詰まっているが、返答を許さない王の重苦しい威圧的な空気を感じて、それ以上言及する勇気はクラリスにはなかった。
護衛の騎士を階下に待たせて、薄暗くて狭い階段を上る。
扉を開けると中央の大きな魔石が白く美しく光を放っていた。周りにある五つの小さな魔石は弱々しく光っている。
――私に五個の魔石に魔力供給をしろってことよね?
一つ目の魔石に手を添える。まだ、少し不快感を感じる程度。
二つ目の魔石に移った。成長した今では、二つの魔石に魔力を供給しても倒れることはない。
三つ目、四つ目と魔力を順に供給していく。頭の片隅には不安と恐怖があって、心臓が嫌な音を立てている。大丈夫、大丈夫、成長して魔力量も増えているはず。さすがに無茶なことを王はクラリスに求めたりしないだろう。しゃらんと音を立てた左手首の金と銀の腕輪をなでる。
最後の魔石を前に深呼吸を繰り返す。魔力を供給するのは相変わらず気持ちのいい作業じゃないけど、今のところ問題ない。王の言うように、聖女様の浄化の旅にローレンスが同行するのは濃厚だ。一人で魔石の魔力供給をすることにも慣れなくては。クラリスは心細さをふりはらうようにして、五つ目の魔石に手を添えた。
顔を嫌な汗が伝う。魔力が吸われていく感覚があるのに、魔石の光は一向に強くならない。体から段々、力が抜けていくけど、ここで手を離したらここまで供給した分が無駄になるかと思うと手を離すことができない。もう少し、きっとあと少しで……。
一瞬、目の前が白くなったと思った次の瞬間には床に倒れていた。目を開けて、全ての魔石が白く光っているのを確認して、ほっとする。
床に手をついて体を起こそうとして、愕然とする。手にも体にも力が入らない。この薄暗い屋根裏部屋にいるのはクラリス一人。護衛の騎士は階段下だし、苦しくてうめき声が漏れるだけで大きな声が出ない。永遠に続くかと思われた苦痛の中で浮かんだのは彼の顔。
――ローレンス、助けて。しんどい、苦しい。もう、嫌だ。たすけて。
どれぐらいそうしていたのだろう。
現れたのは赤紫のローブ。紫の瞳に浮かぶのは怒りだった。
「マリー先生、バカみたいですね。心のどこかでまだ、彼が現れるんじゃないかって思ってたんですよ、私」
どこにそんな力があるのか、マリー先生は細い腕でクラリスを抱えると狭い階段を軽快に下っていく。護衛の騎士にクラリスを任せることなく、黒の宮の客間まで運んでくれた。
「気休めだけど、これを飲んでおくこと。あと、魔石への魔力補給は全力でやるんじゃない。いつもの半分くらいの明るさになる程度でも十分持つ」
茶色の小瓶をサイドテーブルに置くと、それだけを言い置いて去って行った。
きっと魔石の魔力供給でクラリスが倒れたことは彼に知らされないだろう。それに、もし知ったところでなんとも思わないだろう。きっと、クラリスが苦しんでいる今も二人は甘い世界に浸っているのに違いない。ベッドで横になるクラリスの頬に涙がとめどなく流れる。
――ローレンス、苦しい。それでもまだ、あなたを想ってしまう自分が苦しい。
二人重ねた時間が多すぎる。幼い頃の甘い思い出。学生時代に距離を感じたけど、戻ってきてくれたローレンス。どこかで正気を取り戻して、また戻ってきてくれるかもしれないという期待を捨てることができなかった。
◇◇
聖女召喚から二カ月たったある日、白の宮へと王妃から呼び出しを受けた。
ローレンスが立太子し青の宮に居を移してから、時折、白の宮で王と王妃と共にローレンスは食事をとっていたが、クラリスが呼ばれたことはない。
パーティーや夜会の補佐で傍に侍る事はあるが、個人的に呼ばれたこともなかった。
王妃の仕事はほとんどクラリスに移管されていて、クラリスから直接、王妃の配下の女官に指示を出して恙なく遂行している。だから、仕事で王妃に絡む必要はない。
どこか痛ましげな顔をしている王妃付きの侍女に案内された白の宮の庭は、王妃の趣味なのか様々な種類の白色の花で溢れていた。その庭先で、ローレンスと聖女様が仲睦まじくお茶をしている。二人を見つめるクラリスに気づくこともない。
マリー先生によると、聖女様はこの二カ月、この国や瘴気を浄化する方法を学ぶこともなく、旅に出発する準備も進んでないと言う。姿を見ないと思ったら、王太子の勤めも聖女の役割も放棄して、王妃に囲われて楽しい時間を二人は過ごしていたようだ。
ふと足元を見ると白いアネモネの花が揺れている。クラリスの横にはいつの間にか王妃が立っていた。王妃の視線の先には、彼女と同じように無邪気に笑う聖女様の姿。
「ねぇ、クラリス。とってもお似合いだと思わない?」
「……」
この親子はとても似ている。儚くて美しいところとか。一方的に話して、クラリスの返答を求めないところとか。人の気持ちを想像することができないところとか。
「私ね、ずっとあの子に我慢を強いていたけど、恋愛結婚して幸せになってほしいと思っていたの」
「……」
「だからあの二人を祝福してほしいの。クラリスががんばっていたのは知っているのよ」
「……」
「……残念ね。全てが無駄になって」
そう言うと、クラリスをその場に残して王妃は去って行った。
マリー先生、あなたの例えは正確です。繊細で美しくて、毒を内包するダチュラの花のよう。知らない間に王妃はクラリスに対して憎しみを溜めていたのだなという感想しか出てこない。
自分が努力しないことを棚に上げて、執務を押し付けたくせに。クラリスが優秀であればあるほど、息子の寵愛を受ければ受けるほど、憎しみが増したのかもしれない。
王妃にとっては残念なことだけど、クラリスに流す涙は残っていなかった。それでも、どこかに情はある。一つだけ賭けをすることにした。クラリスはその足でマリー先生の元へ向かった。




