五話
翌日、馬に積んでいた荷物を背負って、レイナは忘れ物がないかアルクの部屋を見渡した。
彼はご神体というありがたい身分でありながら、突然やってきたレイナの為に部屋を貸し出して温室のソファーで先日は過ごしたらしい。申し訳なさがあったが、それも今日までのこと。
名残惜しげに植物達を眺めてレイナは立ち上がった。
アルクに見つかっては、引き止められるかもしれないと思ったので、晩に出て行くことにした。
そっとガラス張りのドアを開いて外に出る。
首都の明かりがここまで届きそうなほど、ぎらぎらと不恰好に光っていた。レイナはため息をついて
繋いでおいた馬―カムラを離そうとカムラが繋ぎとめられていた所まで歩いていったレイナは、人影を見つけて足を止めた。
「…何よ?」
「帰るのか?何の手土産もないまま」
立っていたのは不敵に微笑んだヨラシルだった。何故アルクではないのかと舌打ちをしたレイナは、
ヨラシルを無視してその側を通った。ヨラシルは長い蒼穹色の髪を揺らしてレイナに振り返った。
「…エネルギーの分散方法…無い訳でもない」
「…えっ?」
「来い、見せたいものがある」
ヨラシルはレイナに近づくと、レイナの脇腹を抱えて翼を広げた。
鳥類の真っ白な翼が漆黒の闇に輝くように眩しく、レイナは思わず目を閉じた。
「ちょっ、ちょっと、何!」
「黙っていろ、舌を噛むぞ。それから」
「きゃああああああああっ」
「目はつむっていた方がいいな、怖いぞ」
飛び立ってから忠告を受けたレイナは、大きな悲鳴と共にヨラシルの腕の中で縮まった。
粒のようになった温室がぐるりと回転して、レイナは気を失いそうになってヨラシルの腕にしがみついた。ヨラシルは薄く笑ってわざと旋回するように体をねじって、低空飛行してレイナの恐怖心を煽った。
「うきゃああああっ、ちょっとおろして、おろしなさい~!」
「ははは、今我輩が離したら一気にあの世に逝けるぞ」
ヨラシルはそのままぐんとスピードを上げて海の真上を飛んでいった。
暗闇が広がる第一大陸は、少女の少し楽しげな悲鳴が木霊するように響いていた。
「下を見ろ」
目的の場所まで着いたのか、空中で止まったヨラシルは、レイナに告げる。
しかしながらすっかり干からび、疲れ果てたレイナは、両手で顔を覆ったまま黙っていた。
ヨラシルは何の反応もないレイナを抱き起こし、お姫様のように抱きかかえた。
「何だ?気絶でもしたかと思っていたが根性が図太いと見える」
「うっさいわね!」
「下を見てみよ。あれがキリカの中枢だ」
レイナはそっとヨラシルの腕から顔を出して真下に広がる黒々とした海を眺めた。
海は小さな小波を立てて普段通りさざめいていたが、その真ん中には巨大な王冠のようなモニュメントが浮かび、その周りを避けるように海がぽっかり穴開いている。
そして王冠には無数の木の枝が絡みついて、進入してくるものを完全に拒むような不思議な景色が広がっていた。
レイナはその姿にただただ驚き、声も出せずにいた。
「な、何よこれ…」
「ユグドラシルの王冠だ。あの王冠の中にキリカがある。」
「キリカってそもそも何なの?確かにこの下から強い気を感じるけれど」
「………さあな…」
ヨラシルは知っていそうなそぶりで間を置いて答えた。それを鋭く見据えたレイナだったが、
そんな事を詮索していても仕方がないので口をつぐんだ。
「…それで、私に言ったわよね?方法があるかもしれないって」
「アレは、我輩の意志とは別な意思を持っている。ともなれば方法は一つ、キリカ自身の乱れたエネルギー配給を平等にするため、何がキリカの意思の邪魔をしているか探るしかあるまい」
「何よそれ?具体的にはどうするの?」
「あの王冠に入るに他はないな」
レイナはうんざりとしてヨラシルの顔を見上げた。
「勿論アンタがするんでしょうね?神様なんでしょ?」
「馬鹿を言うな、アレはとてつもない結界が張られていて我輩は入ることが出来ない。それに、なんの努力もなしに成果を得られると思うな」
「もう、じゃあ私にどうしろって言うのよ」
「アルクと共に、この結界を破るのだ」
「えっ、ええっ?」
レイナは思わずヨラシルの胸元を掴んだ。それにバランスを崩したヨラシルは、さっとその手を払いのける。
「何だ大きな声を出して」
「だっ、だってよ?私は普通~の人間なのよ?出来るわけないじゃない!」
「この結界は人間でなければ解けない。アルクは人間ではないが、まあ元は人間だったことだし、手助けするだろう」
「それで…本当に私の国が助かるの!?」
「それは王冠の中でキリカに交渉するしかないな。何度も言うが、アレは我輩の意志とは…」
「ああ、もう!分かったわ、やる、やればいいんでしょう!」
ヨラシルはニマッと笑んでレイナを見下ろした。腕を組んですっかりふてくされた様子のレイナをなだめるように、ヨラシルは空いた手でレイナの頭を撫でた。
「では、温室に帰ろうか。帰りはレクシウスを呼ぶとするか」
ヨラシルは指笛を鳴らし、静かな声で呟いた。
「七つの美徳、謙譲のレクシウス此処へ」
物凄い突風と共に黒い羽根が舞い上がった。
ヨラシルに抱かれていたままのレイナは、ゆっくりと降り立った美しい黒色の翼を広げたレクシウスを見上げてただ口を開くことしか出来なかった。ただの人間だと思っていたレクシウスは、人間では到底成し得ない事を平気な顔をしてやってのけている。なんたって宙に浮いてお辞儀をしているのだ。レイナは頭が痛くなるような気分に苛まれて大きく項垂れた。
「御呼びでしょうか、ヨラシル様」
「彼女を温室へ。我輩もすぐ戻ろう」
「御意に」
レイナは少しだけ宙を浮いてレクシウスの腕に収まった。
浮いたときはまた悲鳴を上げたレイナだったが、ヨラシルとは違って妙に安心感をレクシウスの腕の中は感じた。ヨラシルは両手を広げ、月光を仰ぎ見る。そしてレイナに向かった。
「貴様へ武運があらんことを」




