杉の木の下で
日曜の朝、恭一は水灯の池の前に立っていた。来週も麻人は学校を休むのだろうか。
「麻人を助けたい。元気になりますように」
朝晩続けている祈り。ただ祈るだけの毎日。池を見つめ、ぼんやりとしていた。
「にゃー」
足元で愛猫が鳴いている。いつの間にかやってきたビハク。恭一はしゃがんで頭を撫でた。
「なぁ、ビハク。麻人はどうなるんだろうか」
池を見渡しつぶやく恭一。
「俺にできる事って何だ」
小さな白い猫は、静かに恭一を見上げている。
「ごめんな、ビハク」
ただ、誰かに聞いてもらいたかった。その時だった。
強めの風が吹き、辺りの木々や池の水面が揺れ、空から一羽のカラスが降り立った。
恭一はビハクを抱き上げ、目の前のカラスに向かって言った。
「希水か?」
「うん」
「どうした?」
「恭一! 今晩、麻人を助けに行こう」
「……」
恭一は無言だった。
「聞いてる?」
「あ、ごめん。ちょっと驚いて」
今晩九時に、麻人と出会った杉の木に来てほしい。希水はそれだけを伝え、さっと山の方へ飛び立ってしまった。
「どういうこと?」
恭一はビハクを抱いたまま、呆然と空を見上げていた。
「にゃー」
ビハクが大きな声で鳴き、恭一は我に返った。家に着くと、一目散に姉の部屋のドアを叩いた。
「どうしたの?」
「今日、助けるそうだ。杉の木に九時だ」
「え? 何、何」
恭一の慌てぶりに、彩音は笑い出した。順を追って説明し、やっと理解してもらえた。
「分かったわ。とりあえず九時ね。私も一緒に行くわ」
「うん」
恭一はこくりと頷いた。
「いいよね? ビハク」
ビハクもまた、軽く頭を上下に動かした。
正午になってもあまりお腹はすかなかった。姉にしっかり食べなさいと言われしぶしぶ食べていた。仕方なく食べていたが、水ナスは美味しかったなというのは覚えている。
午後も気が気でない。気持ちを落ち着けようと、竹刀を手にし庭で素振りをした。スマホを見たり、居間の時計を見ては溜息をついていた。
午後七時過ぎ、家族が集まり居間で夕食をとっていた。
「なんだ、腹でも痛いのか?」
父親が恭一に聞いてきた。
「え? 別に大丈夫」
どんな顔をしていたのだろうか……恭一は背筋を伸ばした。
食事を終え、恭一は自分の部屋のベッドに寝転がり天井を眺めていた。
「恭一、いい?」
ドア越しから姉が呼んでいる。
「何?」
姉がドアを開けた。
「お風呂に入ったら?」
「そんな気分じゃないよ」
「体を清めて挑もうよ」
それもそうだと納得し、風呂場へ行った。
入浴後、鏡に映る自分に向かい『よし!』と心の中で叫んだ。
夜九時になった。
恭一、彩音、ビハクは杉の木を見上げていた。今晩は月が出ていない。静寂の中、恭一は深呼吸した。
すると、カラスが木の上の方から降り立ち、ビハクの横に並んだ。
「恭一、今から麻人の闇の中に行ってもらうよ」
「闇の中へ……」
「日々草を身に着けていて。僕は池で待ってる」
希水はビハクをちらりと見ると羽ばたいていった。彩音は地面に咲く白い日々草を一本摘み取り、恭一の胸ポケットに差した。
ビハクは杉の木に右の前足を添え、恭一を見上げた。
「ビハクと同じように右手を添えてみて」
「分かった」
彩音は、恭一の背中をそっと押した。暖かい手だった。俺は一人ではない。
杉の木に手を添えた恭一。その瞬間、頭がくらっとなり意識を失ったのを覚えている。




