第39話
「まったく、ブラックさんに当てられてアンタまで熱くなってどうすんのよ! 喧嘩がしたいわけじゃないでしょうに!」
「ら、ランカ……お客さんの前で頭を叩かないでくれよ」
「テレビも馬鹿も叩けばちゃんと動くようになるの!」
「だ、だって『惚れた』だの『大切な人』だのいきなり言うもんだから!」
「お父さん! そういう話じゃなかったでしょ!」
「そうよ、それにこの人だったら娘をやっても良いわ、酔ってもいないのにあんなセリフを吐けるだなんて相当な大物よ、熱意が伝わって来て思わず私までときめいたくらいだもの!」
「お母さんも!」
ロジャーの両隣に2人のエルフが出現した。本当に突然に。
信じられない光景にメドハギは口をパクパクさせた。
疑似魔術路を応用した魔力探知。メドハギは目で見たり、耳で聞いたりすることの他に魔力の動きや強弱を感じ取る特殊な感覚を持つ。レースにおいて他の選手の位置やスパートのタイミングが分かるほど鋭敏な精度を誇る能力にも関わらず、二人が透明化して目の前にいたことに全く気が付かなかった。
「驚かせてしまってごめんなさいねぇ~、とりあえず座りましょ」
という訳で、テーブルの対面にアップルトン一家が揃った。
「この透明化は魔力の反応さえ探知されない完全迷彩魔術なのよ、魔法局に登録されてない古代魔術だから内緒ね」
「な、なるほど……」
金髪のエルフは何でもないことのように言った。
思えば、師匠もよくグレーゾーンの魔術を使っていたな、とメドハギはエルフの魔術的倫理観の危うさを再確認した。
「盗み聞くような真似をしてごめんなさい、でも娘を預ける親としての心配を分かってちょうだいね、これはあなたがどれだけ本気なのかを確認するために必要なことだったの」
「本気、ですか」
「えぇ、どれだけユオのことを考えているかを見させてもらったわ」
知らないうちに自分はテストされていたのだ、とメドハギは唾を飲み込んだ。
「この子を信頼して任せて良いものか、十分に判断できたわ。あ、自己紹介がまだだったわね、ユオの母、ランカよ」
金髪に白い肌、尖った耳と青い瞳。絵に描いたようなエルフの女性はユオによく似た顔立ちをしている。エルフでなければ姉と言われた方が納得しやすい程若い見た目をしている。
「そ、それで……俺、私は今後ともユオさんの指導を任せていただけるのでしょうか」
ランカは砕けた雰囲気の口調と肝っ玉母ちゃんのような態度だが1本の芯が通った女性のようである。力強い声色を持ち、油断のない視線がメドハギのサングラスに突き刺さる。
1級レース並みの緊張が胸に広がる。
対照的にランカは大口を開けて笑顔を作ると、
「合格も合格、これからも娘をよろしくお願いね」
拍子抜けするほどあっさりと、ウィンクまでおまけしてランカは言った。
メドハギは思わず喉から空気が漏れるように笑った。
「は、はは……」
驚いたのはメドハギだけではない、2人も同様だ。
ユオは目を見開き、ロジャーは、
「ランカ! そんな簡単に決めてしまって良いのかい⁉」
「簡単じゃないわ、私だってシドールの先生方に教わってプロを目指せば良いと思っていたわよ、でもね、ブラックさんはきっと学校のどんな先生よりもユオのことを思ってくれるわ、たとえどんな障害や困難があろうともこの人はユオを見捨てたりなんかしない」
「それは、エルフの直感かい?」
「いいえ、女の勘よ。知っているでしょロジー、男を見る目には自信があるの」
「うぐ……、」
ロジャーは低く唸って小さく唇を噛んだ。
「ユオが昔通っていたクラブのトレーナー覚えているでしょ? 持病があると知ったら急に態度を変えて、自主退団を勧めてきたこと……、ブラックさんは持病の事を知っても諦めなかったのよ? それどころか信頼関係を築けなかったことを悔いる謙虚さも持っているわ、他にこんな素敵なトレーナーさんがいると思う?」
ロジャーはマグカップを持つ手を中途半端なところで止めて「そうだね」と呟いた。
「あまり持ち上げないでください、良い成績を残した選手が良きトレーナーになれるとは限りません。それに今回の件は私の未熟さが招いたことです、褒められる点などありません」
「何言ってんの、元はと言えばこの子が正直に身体の不安を相談していないことが原因! このトレーナー不幸者! あれだけ熱心にブラック先生のことを話して、世話にもなってるのに、アンタが信じないでどうすんだい⁉」
「ご、ごめんなさい!」
「私に謝ってどうする⁉ 先生に言いなさい!」
母のお叱りを受けたユオは銀色の瞳に涙を滲ませてこちらに向き直り、
「ハギさん、ごめんなさい……」
「良いんだ、ガキが大人を信用できないのは大人が悪いからだ、もっと信じてもらえるように俺もこれから頑張るさ」
バツの悪さを覚えたメドハギは唇を尖らせて言った。
殴られる覚悟でここまでやって来たというのに、まさか謝られるとは思いもよらないことだった。
気まずいやら恥ずかしいやらで、目を隠してくれるサングラスにちょっぴり感謝する。
うんうん、と満足気に頷いたランカだったが、話を思い出したのか、パン、と手を打って言った。
「とにかく、私たちはブラック先生を恨んだりなどしていません。これからもどうかビシバシ鍛えてやってちょうだい」
「はい、まぁほどほどに、適切に指導いたします……身体と相談して……」
「……」
身体に怪我や障害を抱えながらも活躍するプロは多い。
(方法はいくらでもあるはずだ)
メドハギは今一度覚悟を決める。
まずは疾患の詳細を知る、原因や症状を知り、その対策を考える。心臓への負担が小さい練習を考案する必要もある。その為にはより多くの知識が必要だ。ある程度の解剖学やスポーツ科学の知識はあるがそれでどうにかできる問題ではない様に思う。頼れる人物はそう多くなく、メドハギは近いうちにハリントンに相談しようと思い至った。
思考が加速し、ユオにとってなにが最適解なのかを考えるが、すぐに思いなおす。
(今ジタバタしてもしょうがない、か……レースはもう目の前まで迫っている)
まずは勝つこと。
プロへの道程にはどれだけの時間がかかるか分からない。最大の目的について考えるのは少なくとも今ではない。その前の、目の前の目標達成に心血を注ぐべきだ。
難しい顔をして紅茶の残ったマグカップに視線を落とす様子に気が付いたのか、ランカはこんなことを言った。
「人が違えば教えることだって異なるもの。ユオがアナタを選んだということは、親や学校では教えられない何かをアナタから学べると思ったが故。きっとこれには意味があるわ」
そしてこう付け足す。
「ブラックさんが教えた娘がどんな大輪を咲かせるのか、楽しみにしているわ」
師匠が語りかけてくるようでメドハギは背中を押された気分だった。
メドハギは立ち上がると、
「夜遅いですが、ユオさんをお借りしても? 長くはかかりませんので」
「いや、今病院から戻ったばかりで」
「いいわよ」
「ランカ⁉」
父親には悪いが、メドハギはもう決めてしまった。こうすると決めた以上、断られようがユオを引っ張り出す気だった。
メドハギはテーブルの対面に回り込み、ユオの手を掴んでそのままリビングを出ていこうとする。
「ハギさん、ど、どこへ行くんですか⁉」
「いいから来い、約束は破ることになっちまうがどっちにしろ同じことだ」
「意味が分からないんですけど……」
階段までやって来た時、先回りしたロジャーが道を塞いだ。
「どいてください」
「……」
肩を押しのけようとすると、力強く肩を掴まれた。
「私だって娘を応援する気持ちは妻と変わらない」
「分かっています、愛の形は人それぞれって言いますから。俺はあなたのことを悪く思っていませんよ」
この夫婦と会ってメドハギはそのことがよく分かった。どちらが正しいとか間違っているとかではない。娘を守ろうとする父と娘の決断を尊重する母。2人ともが娘を愛しているのだ。
「ユオは……心臓の形が悪くて不整脈を持っていると言いましたよね……」
「はい」
まだ何かあるのか、と身構えるが、
「それは10歳までの話です」
「はい?」
「成長するにしたがって心臓も発達し、今ではほとんど何の支障もありません」
「いやでも、実際に今日倒れたんですよね?」
「医者が言うには、『高濃度の魔力が急速に心臓に流れ込んだことで一時的な反応が出たに過ぎない』そうです」
「だとしても心臓でそんなことが起きるのは危険すぎます、何が言いたいんですか」
「こういう反応は一度経験すると、閾値? がかなり上がるそうです……つまり、同じような負荷がかかったとしてもユオが倒れることはない、ということです」
「閾値が上がる……魔力の刺激に鈍感になるってことか……え、不整脈の症状が出たから倒れたってわけでもないんですよね? というか、え……今のユオに障害は無いんですか⁉ ちょ、ちょっと待てよ⁉」
「心拍数が極端に上がると不整脈が出るのは本当です、ですが競技を行う上で大きな支障にはならない、と主治医の太鼓判をもらいました、ついさっきです。むしろ負荷を与えて肥大化したスポーツ心臓になった方が安定するかも、とも言われました」
「つまり、ユオの身体に疾患と呼べるようなものは、何も無いと……?」
「はい」
「今までの一連のやり取りは、あくまで俺がトレーナーとして信頼できるか確認するためのテストでしかなくて、俺の本心を引き出すためにハメたと?」
「そうなります」
「……」
「ごめんなさいハギさん、うちのお母さん、こういうこと平気でするタイプなんです」
全身の力が抜け、メドハギは階段から落っこちそうになった。
「……」
我が子を愛する親はここまでするものだろうか、とメドハギはぼんやり思った。
「い、行きましょうハギさん! さぁ!」
メドハギの性格をある程度分かってきたのか、ユオは両親とメドハギを遠ざけるように引っ張って階段を下りていく。
事実、少しでもその判断が遅れていたらメドハギは余計な事をしでかしていただろう。
玄関までやってきたところで、「やっぱりやられっぱなしはムカつくな」という思いが顔を出し、メドハギはロジャーの愛を利用させてもらうことに決めた。
「娘さん貰っていきますね~、朝には返しますんで!」
「このクソ野郎! やっぱりダメだランカ! あいつの骨まで燃やし尽くす魔術を用意しろ!」
「アンタ! またそんなこと言って! ブラックさんの何が気に入らないの⁉」
「きっとあのサングラスは下卑たいやらしい欲望を隠しているんだ! 嫌だ! 娘は渡さない!」
「いい加減にしなさい! 縛り付けるわよ⁉ あ、ブラックさ~ん、今度は昼間の営業中にいらっしゃいね~ご馳走するから~!」
「ありがとうございます!」
「待てグラサン野郎! 話は終わって———」
メドハギはそこで玄関のドアを閉めた。
外は静謐な夜の空気に満ちていた。
降り続いた雨は一旦止んでおり、濡れたアスファルトと土の匂いが鼻孔をくすぐる。
解放された気分になったメドハギはスーツのジャケットを脱ぎ、ユオの肩に掛ける。
「やっぱりスーツってのは苦しいな、居心地悪ぃわ。冷えるから掛けとけ」
「ふふっ、ありがとうございます」
ユオはふにゃりと笑ってジャケットの襟を手繰り寄せる。
「んだよ、そのにやけ面は……俺は結構マジに怒ってるんだぜ? 俺の事はしつこく聞いてくるくせに俺に隠し事をしていたとはな……」
わざとらしくイタズラっぽく言ったつもりだったが、ユオは真剣な表情になり、メドハギと車との間に滑り込んでくる。
「すみませんでした……ズルいのは私の方でしたね。でも、これでおあいこです。私が勝ったらって約束守ってもらいますよ」
「図太く成長しやがって」
2人は車に乗り込み、メドハギがチラリとパン屋の方を向くと、2階の窓から両親がこちらを見下ろしているのが見えた。
「……良い父ちゃんと母ちゃんだな……」
「そうですか? 別に私にとってはあれが普通の親ですけど……」
「それが良いんだよ」
メドハギは慎重に車をスタートさせ、来た時よりもゆっくり車を走らせる。
「すまなかったな、その……色々と……そもそも俺がもっとちゃんとしていればお前を追い込むこともなかったのに」
「い、いえ……私が焦ったのが悪いんです……」
謝るメドハギを見て、ユオは虚をつかれたように目を丸くさせた。
「……」
「……」
しばらく無言の状態が続き、マノア地区を抜けた辺りでメドハギが切り出した。
「お前との約束、お前がレースで勝ったら質問に何でも答えるってやつ……悪いけどそれは無しにしてもらうぞ」
「…………やっぱり……」
横目で見るユオはメドハギの突然の言葉に萎れているようで、もし彼女に犬や猫のような耳や尻尾があるならば絶対にしょぼんと垂れていただろう。
そんな想像をしたメドハギはやれやれと苦笑し、
「勘違いすんな、『勝ったら答える』って約束は待たないことにしたんだ、今話すよ」
今回の一件は結末はどうあれ2人のすれ違いが原因で起こった事故。
もう二度と起きて欲しくはないし、起こさせたくない。
だから、『勝ったら答える』という約束は待たないことに決めたのだ。
そうしてメドハギはゆっくりと話し始めた。これまでのことを。
車が向かう先はフレイザーズ・クラブもある別荘地、その山の高台。
金持ち達の邸宅や別荘が立ち並ぶ高級住宅地のとある一角、そこにあるのは古い空き家であり、何年も人は住んでいない。雑草生い茂り、窓や扉には立ち入り禁止を示す板が打ち付けられ、一部ではお化け屋敷とも呼ばれている一軒家だ。
そこはかつてのメドハギと師匠が暮らした思い出の家だった。




