第38話
車は祭りのあったキッセン地区を抜け、マノア地区に入った。
このマノアという街は若いファミリー層が住む閑静な郊外にあり、似たようなデザインの小さな家が立ち並ぶ新興住宅地である。小中学校が近いとあって治安はかなり良いエリアだ。浮浪者や中毒者が徘徊していることもなく、清潔で静かな空気が漂う。
メドハギは目的の家の前に車を止めた。
二階建ての住宅で一階部分が大きく、大きなガラス窓がある正面には空の棚が並んでいる。
黒い木目調のドアには『閉店』の札がかけられており、明かりは点いていない。メドハギはどうしたものかと視線を上げる。金色の装飾が扉の上部を彩っていた。
ここはパン屋・『ランカ』、ユオの自宅である。
夜とあってパン屋は営業しておらず、ドアを数回ノックするが人が出てくる気配はない。
裏の方へ回ると別の玄関を見つけた。
見上げた2階部分の窓から明かりが零れている。
メドハギは一度深呼吸をして、インターホンを押した。
数秒の間が永遠に思え、息苦しくて思わずネクタイを触った。
(防犯上明かりを点けているだけで、本当はいないのか……?)
だが、不在を疑い始めた時、ドアの向こうから声がした。
「どちら様ですか」
くぐもった男の声色には警戒の色が滲んでいる。
「メドハギ・ブラックと申します、フレイザーズクラブでユオさんのトレーナーをしています」
「……それで?」
「ユオさんが倒れたと聞きまして、病院に向かっても状態は教えてもらえないだろうと判断し、ご自宅まで伺った次第です、夜分遅くにすみません……」
ドアから返事はない。
やはり深刻な事態なのだろうか、と胸中に不安が広がる。
「どうぞ」
短い言葉が聞こえると、ドアが開いた。
短髪で長身、ユオと同じく銀色の目をした中年男性が立っていた。
「2階が自宅です」
厳めしい表情の男は低く小さい声で言葉も短いが、スリッパを用意してくれた。
(多分、親父さんだよな……)
男の後ろを歩くメドハギが首の後ろをこする。
娘が倒れた時にトレーナーがそばにいなかったことに腹を立てている、あるいは娘を無理に追い込んだことを恨んでいるのだろう、と思った。
当然、覚悟をもってやって来たが、それでも我が子を思う親の姿は強くメドハギを揺さぶる。
カーペット地の階段が処刑台に繋がっているように感じた。
通されたリビングルームはショールームのように小奇麗でありながら、いくつもの家族写真が飾られ生活の雰囲気を感じさせる。
対面式のキッチンにダイニングテーブルが繋がり、少し離れたところにソファと一人用の安楽椅子が置かれ、壁際にはテレビがある。どこにでもあるような家庭。当たり前の生活空間が広がっていた。
ダイニングテーブルに促されるまま着席する。
父親は無言のままキッチンへ向かい湯を沸かし始めた。
「あ、お構いなく」
「ん」
お茶が出てくるまで話が進まなそうであり、メドハギは不躾にならない程度に部屋を見渡す。
「……」
テーブルの上、冷蔵庫、壁、いたるところに写真がある。
テーブルに置かれたフォトフレームには父親と母親、そして今より少し幼いユオが3人でソファで身を寄せ合っている姿が収められていた。
ユオの黒髪から尖った耳が突き出ていた。イヤーマフを装着する前だと分かる。その隣で肩を抱いているのは母親だろう。
白い肌、青い目、金髪からは長い耳。エルフそのものという容姿をしている。
母親とて純粋なエルフではないだろうから数百年も生きているということはないはず。だが、ユオの年齢を考えるとどんなに若くても30代は超えているはずなのに見た目は20代前半、否、もっと若く見えるかもしれない。
これがエルフ。純粋な古代エルフの寿命は数百年とも数千年とも言われ、人生のほとんどを若い肉体で過ごす。
(流石エルフ、若く見えるな、下手すると俺よりも若く見えるかも)
まるで絵画を見ている様な気分にさせられる。
父親がカップを手に戻ってきて、メドハギはハッとした。
「インスタントですが」
「ありがとうございます、いただきます」
二人は紅茶に口を付け、一呼吸置いた。
無口な印象を持ったが、先に口を開いたのは父親の方だった。
「ユオの父、ロジャーです。娘がお世話になっております」
「いえいえ、オ、私の方こそユオさんがクラブに入ってくれて助かっています」
俺、という一人称が出そうになって慌てて言いなおした。
「クラブでの娘の様子はどうですか」
「はじめの頃はクラブメイトとの距離感が掴めずにいた様子でしたが、すぐに友人も出来た様子ですし、エイダという子らと一緒にいるのをよく見かけます。練習熱心でマジメでとても強い子ですよ」
「そうですか」
ロジャーはホッとしたような、そして少し照れ臭そうな顔をした。
(家庭訪問かよ)
いよいよ教師じみてきた自らの立場にメドハギは居心地悪さを覚え曖昧な笑みを作る。
「シドール校に通いながら外部クラブに行きたいと言い出した時は本当に驚かされました。ですが、少し安心したような気にもなりました。入学してからというもの、ユオはずっとイヤーマフを着けてエルフということを気にしていたようでした……もしかしたら学校でイジメられているのでは、と気になって聞いたりもしましたが、あの子は『何でもない』と言うばかりで……親として何をしてあげられるのか、分からなくなっていました。そんな時です、ブラックさんあなたに出会ってフレイザーズに行きたいと聞かされたんですよ」
無口で不愛想な印象を持ったが、娘のこととなると饒舌なのかもしれない。
ロジャーは目を細めて言う。
「プロになりたい、というあの子の夢を叶えるためには何でもする覚悟です。私は託すことにしました。シドールのように良い環境があっても、水が合わないということはよくあることですから」
メドハギはギュッと唇を引き結ぶ。
「私は我が子を信じています。彼女が信じるあなたなら任せても良いだろうと思っていたからこそ、あの子を託したんです」
「……申し訳ありません」
そんな気持ちを裏切ってしまった。
親心、想像は出来てもメドハギに共感的な理解はできない。妻子どころか親さえ知らない男にとって家族愛や親子愛といったものは人の話や小説、映画で見聞きするだけのもの。
(きっと俺が想像する気持ちの何倍も強い想いのはずだ)
そう考えると、何も言えなかった。出てくるのはせめてもの謝罪だけだった。
そして、平謝りするメドハギはロジャーが告げたことにぎょっとする。
「あの子はね、生まれつき不整脈を持っているんですよ、心臓の形がいびつで激しい運動は控えるようにと主治医に言われているんです」
「不整脈、ですか……」
「普段から脈が飛ぶことがありますし、心臓に負担をかけすぎるとめまいがしたり、意識が遠のいたりすることがあるんです」
「そう、でしたか……」
メドハギはようやくピンときた。
ユオのスタミナのムラ、その正体はこれだ。
(無意識化での疑似魔術路? 気づかないうちに魔力を消費している? バカか俺は! 何も知らねぇくせに知ったような口で能書き垂れやがって!)
持病、ユオは持病の不整脈によって全力を出すことができない。あるいは、出そうとしても症状が邪魔をしてしまう。全力を出し過ぎれば不整脈の症状が強く表れると知っていた、だから長距離でもスローペースの練習では余裕があった。
クラブを去ろうとした駐車場で彼女に言われた言葉が脳裏に浮かぶ。『あなただって、きっと私を見限る……そうに決まってます……』。芽が出ない自分を卑下したが故の言葉だと思っていた。
自信を取り戻させ、エルフの力の使い方を習得できれば全て解決できると思い込んでいた。それは一部正しかった。レースに勝てる可能性は高まり、彼女はプライドを持つことができた。
だがそれだけでは不足、事態はもっと複合的だったのだ。
原因には持病の存在もあった。そのことに気づけなかった。
「娘から聞いていませんでしたか?」
「……はい……ですが、変わらず責任は私にあります。ユオさんはトレーナーや教師といった人達に不信感を抱いていました。最も近くで指導する私がそのことに気づいていながら、話してもらえるだけの信頼関係を築けなかったのです」
練習中の事故、それ自体は不幸としか言いようがないただの事故だが、ユオの場合は起こるべくして起きてしまった事故だ。
少女の疲労度合いを確認せず、コミュニケーションを疎かにして練習メニューを組んでしまったメドハギに言い訳の余地はなかった。
「今後、このようなことは決して起こしません、ユオさんの練習メニューを0から見直し、彼女とその主治医と相談する場を設けます。また、再発防止策の一つとして定期的にご両親にも練習が把握できるように見学の機会を作り、報告書を提出することをお約束いたします」
「……何を言っているんです」
「ユオさんに傷ついて欲しくないのは俺も同じです、親ならばその気持ちはきっと私よりも強いはずです、ですから少しでも安心していただければと思いご提案させていただきます」
「まさか、あなたはまだユオを指導し続ける気でいらっしゃるのですか」
「はい、その通りです」
しかし、だからと言って投げ出すつもりはない。
問題が起きたからといってすぐに辞めたり、諦めるのは二流以下。それでも尚、足掻き、雑草の如くしぶとく粘り続けてこその一流ではないか。
スゥ、と息を吸い込んだメドハギ。
「保身の為とお思いかもしれません、ですが、俺はユオに惚れ込んでいるんです。あの子は未だ花が咲かない蕾の状態、あの子を咲かせる手伝いができるのは私だけだと確信しています! ですからどうか、どうかお願いします! もう一度俺にチャンスをください! もう二度とあの子に無理はさせません、お願いします!」
メドハギは声を震わせながら言った。自らの一人称が素に戻っていることを忘れるほどで、余裕が無かった。
「無理をさせない、か……あの子が本当にプロになれると思いますか」
「それは……」
冷静な言葉を浴びせられ、メドハギは答えに詰まった。
だから、正直にしか言えなかった。
「分かりません」
「分からない? あなたは元1級なんですよね、そんなことであの子を導けるのですか」
「俺はトレーナーとしては新人ですから、若い選手がこれからどうなるかなど分かりません。俺の仕事は自分が培ってきた技術と経験を教え子たちに伝えることだと思っています。それを活かし、どこまでやれるかは本人次第です、手を引いてゴールまで先導することはできません、できるのはせいぜい、隣にいることくらいです」
「……ああ言えばこう言う……それができなかったからこんなことになったんじゃないんですか? この数日間、あの子はクラブから帰ってくると私たちと話もせずに部屋に籠って死んだように眠っているんです、何かに追い詰められているようで見てられません」
「未来を切り開くのは自分自身、輝ける場所を探すのも自分自身、あなたよりも若い俺がこんなことを言うのは筋違いかもしれませんが、人生は当てのない旅なんです、ゴールなんて終わってみるまで分からない、孤独で長い旅だ……でも、一人で歩かなくちゃいけない、なんてルールは無いはずです! 隣に友や愛する人、家族やトレーナーがいても良いはずです! 俺はユオの隣にいたい、居場所を作る手助けがしたい、彼女の夢を応援したいんです!」
ガタン、とテーブルが揺れた。
身を乗り出したロジャーが胸倉を掴み上げてくる。
「ブラックさん、あなたは……」
愛する娘を追い込んだのは紛れもなく自分だ、とメドハギは理解している。
そのくせ、それでもトレーナーで居続けたいなどとほざくのは自分勝手な言い分に他ならない。きっとロジャーの目にはサングラスの男は話の通じないおぞましい何かに見えていることだろう。
「俺を殴れ、元々その覚悟で来てる」
メドハギはワガママな生き方を変えられない。
いつだって自分の力でこじ開け、ねじ伏せ、切り開き、突き進み、逃げてきた。平凡な生き方を拒否し、好きなように生き、手段を問わなかった。
クズ、不良、ロクデナシ、なんと言われようとも構わない。
だって自分はそういう人間、そういう風にしか咲けない。
目的の為なら如何なる苦労も痛みにも耐えられる。
「大切な人失ってしまう方がずっと痛い」
そして、父親が拳を振り上げた。
メドハギはそっと目を閉じる。
人に寄り添う、とは言葉で聞くよりもずっと難しい。
師匠はあの時、どれほどの覚悟で自分の師匠になると決断したのだろう。
次の瞬間に訪れるであろう痛みを前に、メドハギはそんなことを考えた。
「…………?」
だが、メドハギの顔面が叩かれることはなく、奇妙な静寂があった。
恐る恐る目を開けたメドハギはその光景に驚くあまりよろめいた。
「アンタ、それはやり過ぎ……試すだけって言ったでしょ? ブラックさんも、保護者と会うだけなのに気負い過ぎ、どんな覚悟で訪問してんのよ」
「は、ハギさん……お久しぶりです」
突如として現れた金髪のエルフがロジャーの腕を掴み、同じく突然現れたユオが気まずそうに挨拶をしてくる。
「な……に……」
呆然とするメドハギに向けて、金髪のエルフが胸の前で指を広げ軽い調子で言う。
「サプラ~イズ! ってね! 透明化して今までの話ぜぇーんぶ聞いてました~! 話には聞いてたけど顔と雰囲気に似合わず熱い男ね」
いきなり広がるホンワカパッパとした空気、気候の急変動に対応しきれなくなったメドハギの思考能力は0になった。




