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黒髪エルフのサングラス  作者: 石野舟
第2章・ナイフ耳を包み隠す
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第19話

 下校時刻はとっくに終わっている。薄明から夜に変わり、窓から見える中庭が月の光に照らされる。敷地内にある寮では生徒達が夕食を取っているはずの時間帯だが、校舎に人の気配は無く静寂に包まれていた。

 教員一人一人に提供される準備室が集まったフロア、ハリントンの札がかけられた一室だけが柔らかな光を零していた。

 おおまかな事情を話し終えたメドハギが体重を背もたれに預ける。


「———というわけで、別にやましい気持ちで入り込んだんじゃないんですわ」

「そうですか……」


 ハリントンが苦い顔をしながら呟いた。

 本人が隣にいる状況で説明するのは心苦しかったが、この先生は人の欺瞞に敏感であり、取り繕ってもすぐに嘘だとバレてしまう。下手な言い訳が通用しないことは分かり切っていた。

 隣に腰を下ろしたユオは紅茶に口をつけることも無く、ただ下を向いて黙ったまま大人達の話を聞いているようだった。


「まぁ教師だって完璧じゃねぇことは分かってるし、この道のベテランに言うのはおこがましいっすけど……もうちょっと生徒を見てやってくださいや。アンタはこの学校で最も中立的なんですから」


 ティーカップの底を見つめるハリントンが「ごめんなさい」と呟く。

 それはユオに向けた謝罪なのか、メドハギには分からない。特に分かりたいとも思わなかった。


「あなたがいた頃、私は何もできませんでした。あなたの事情は知っていたのに、守ってあげられなかった……」

「やめてください。守ってやる、なんて恩着せがましいことされたら、昔の俺はもっと反発していたと思います。それに、アンタは教師の仕事を全うしていた。身分も虹彩も成績も関係なく、全ての生徒に平等に厳しかった。それだけで十分っすよ」

「いいえ、大人は子供を守るものです。それを信条に教職に就いたというのに……私はまた同じ失敗をしたのです、情けなくて謝罪することくらいしかできません……。アップルトンさん、気づかなくて、守ってあげられなくて申し訳ありません」


 皺とシミが刻まれた手を胸に置いて言った。


「……先生は悪くありません。お金持ちや名家の子が集まるこの学校の性質上、こういう事態になるのは想像していました……特に私は、他の皆と違うことも多いですから……」


 フォローになってないな、とメドハギが心の中で嘆息する。

 当然だ、最初から教師なんかに期待していない、と宣言したようなものだ。プライドの高いハリントンにはショックだろう。


「まぁまぁ、そこら辺のことは追々片付けるとしてー、俺の話を聞いてくださいよ」

「後回しにはしたくありません。イジメの事実を知った以上は、早急に手を打たなければ」

「それも関係あるんですよ、まぁ聞いて。実は今日ここにやって来たのはこの子を勧誘したかったからだけではないんです。ハリントン教諭、アンタにも会いたかったんだ」

「私に?」


 緑の瞳が意外そうに丸くなる。


「はい、単刀直入に言います、ユオ・アップルトンを俺に預けてほしい」


 驚いたユオがテーブルにぶつかって食器が揺れた。

 そんなことは気にならないのか、ユオは声を上ずらせながら言う。


「そ……それ本当ですか……」


 メドハギにとってその反応は意外だった。困惑されたり、怪訝な顔を向けられるものだと思っていたのだが、そうでもないらしい。

 昨日との変わりように逆に困惑させられながらも続ける。


「勝手にウチへ通わせるわけにもいかないので、今日は筋を通しに来ました。この子の移籍を認めてほしいんです」

「移籍……? でもあなたは」

「郊外にあるフレイザーズ・グァイリスクラブという新設クラブでトレーナーになりました。規定上の問題はありません」

「なるほど……コールさんですね……」


 学校側に話は通してある、とクリスは言っていた。もしかしたらかつての恩師との交友は今でも続いているのかもしれない。ともあれクリスがトレーナーになっていることを既に知っているのなら話は早い。メドハギはユオをクラブの新人として迎えたい旨を説明し始めた。


 ハリントンは礼儀と秩序に厳しい人物だ。だが、義理や人情を軽視するほど薄情ではないことをメドハギは知っている。道理を守って、筋を通す内は無碍に扱うことはしないだろう。

 トレーナーにはクリスもいること、練習に集中できる環境が十分に用意されていること、ユオにとってメリットになりそうなことは全てを話した。


 聞き終え、短く息を吐いたハリントンは目を瞑って言う。


「確かに、アップルトンさんの現状を鑑みれば、移籍という手段はありかもしれません……」


 メドハギが胸を撫で下ろす直前、冷水のような一言を浴びせられた。


「ですが、認められません」


 にべもなく言われた。閉店間際に駆け込んだ店のシャッターを目の前で下げられるようにスッパリと。


「この子には可能性があります、俺と似た才能です。このまま学校のクラブにいたらきっと枯れてしまいますよ」

「アップルトンさんに才能があることくらい、私にも分かっています」

「あん? このまま枯れさせる気か」

「アップルトンさんはスポーツ特待生です。学校のクラブでプレーすることを条件に入学しているのです。あなたがいた頃は奨学生と呼ばれていましたが」

「特待生……」


 突きつけられた事実を反芻し、ユオを見る。

 合わせる顔が無い、とでも言いたげな表情で視線を泳がせていた。


「なら尚更だ、こいつ練習に出てねぇんだろ? 学校にとって財産でもある特待生がイジメられてんのに、アンタら教師は何の対策もしてねぇじゃねぇか。出て行かれそうになったからって引き留める資格があると思うなよ。こいつは俺が貰っていく」

「そうかもしれません、ですが規則は規則です。認められません」

「頑固ババアが」

「何と罵ろうが、これは厳然たるルールです。私にいっても無駄ですよ」

「あんたはクラブの主任だろうが、どうとでもなるはずだ」

「それでも、恣意的に捻じ曲げることはできません」

「あ、あの……」


 毅然とした態度を崩さないハリントン。『規則は規則』、昔からの口癖だった。


「アンタ、さっき言ったばかりじゃねぇか……守ってあげられなかったって……俺のことはいい、昔の話だ、だがユオは違うだろ、この子は今苦しんでいる。目の前の生徒を助けてやれなくて何が教師だ、何がトレーナーだよ」


 まるで檻。

 制度という鎖で閉じられ、飛ぶことを禁じられた鳥かごの中の鳥。


 ハリントンが一瞬言葉を詰まらせてから言う。


「イジメの件は必ず解決すると約束します、ですが移籍は別の話です。あなたも大人になったのならルールを守りなさい。いつまでも我儘が通ると思っているわけではないですね?」


 子供を諭すような口調に、また腹が立つ。

 生徒を縛り付けるだけの鎖がルールなんて上等なもののはずがない。


「不自由なだけのルールなんて、俺が引き千切ってやる」

「……話になりませんね、お引き取りを」


 ルールだの、前例が無いだの、大人たちは何かと理由を付けて若者の挑戦を邪魔する。大人は子供を守るものだ、と言ったハリントンですらそうだ。

 大人だってしがらみというルールの中で生きているし、正直しょうがない、という気持ちもメドハギの中にある。


 だが、それを認めてしまってはダメだ。


 自分が諦めてしまえば、隣の少女を、かつての自分を否定することになってしまう。

 生意気だ、礼儀がなっていない、プロはまだ早い、周囲の言葉を無視してひた走っていたあの頃の自分。それだけは裏切れない。


「……」


 経験者として、鳥かごに閉じ込めることを是とするわけにはいかない。

 沈黙に沈黙が重なる。


 悔しかった。二つ返事で了承を得られると甘い考えでいたわけではない。だが、こうも取り付く島がないとは思わなかった。

 シドール校のトレーナーの中ではハリントンが最も『話の分かる大人』であり、おそらくその想定は間違っていない。他の教諭連中ではまともに取り合ってもくれなかっただろう。こうして部屋に入れてもらえただけでも奇跡と言える。ハリントン教諭は厳格な性格故に平等だ。

 その彼女にハッキリと断られてしまった。


「……」


 甘かった。ユオにとってのメリットを提示したところで意味は無かった。結局のところ、これは交渉ではなくお願いに過ぎなかった。ハリントンの良心や生徒を想う心、などという不確かなものを頼りにしていた自分の甘さに腹が立つ。

 頼みの綱が切れかかっていた。あるいは初めから繋がってなどいなかったのかもしれないが。

 諦めたくは無いが、どうすれば打開できるのか分からない。

 死にかけの声を絞り出すようにして言う。

 それ以外にできることは無かった。


「こいつはスゲェもんを持ってるんだ、このまま枯れさせたくない」

「利己的なあなたらしくもないですね、どういった心境の変化ですか」

「いいや利己的だよ、俺はいつまでたっても我儘なガキだ……」


 ハリントンの心を突き動かすような名演説ができるわけでもない。メドハギは本心のありのままを垂れ流すだけ。


「俺は道端の雑草メドハギ。何の価値も無く、人に踏みつけられるだけの雑草。立派な花なんて咲かねぇし、存在するだけで厄介もの扱い。金も、親も、故郷すらなく、土地をさまよう根無し草だ…………でもな」


 言葉遣いも何もかもを置き去りにして、剥き出しになった感情を告げる。


「枯れかけた花の隣で笑っていられるほど、腐ったつもりはねぇんだよ」


 静かな咆哮が部屋全体を震わせる。


「永遠に花を咲かせることなんざ不可能だ、だから人も植物も次の世代に種を残す。これまで生きたエネルギーを、情報を、次に託すんだ。『お前なら俺以上にできる』ってな」


 言葉にする内に、曖昧だった気持ちに朧気ながら輪郭が浮かび始めるのを感じていた。

 何のことはない、結局、メドハギもクリスと同様だったわけだ。


「今度は俺が託す番なんだよ」


 ハリントンがそっと目を閉じた。

 返事は無い。だが、追い詰められたのはメドハギではなく、ハリントンのようだった。深い皺を更に深くして、考え込むように、噛みしめるように、険しい顔をして黙り込んだ。

 独白のように呟くメドハギは気づいていない。


「こいつが俺を必要としているかは分からねぇ、でも、俺は確信してるんだ。俺の人生で獲得した何かを伝えるなら、こいつしかいない、ってな」


 壁掛け時計の秒針が刻む音だけが聞こえる。

 ユオの紅茶もすっかり冷めてしまっているようで、メドハギのズボンもほとんど乾いていた。


「……」


 やはり無理なのか。

 ハリントンは相変わらず黙ったまま、首を縦に振ろうとしない。


 メドハギは立ち上がった。ユオの顔は見られなかった。これは逃げではない。交渉材料を集めなおして再挑戦する為だ、自分に言い聞かせてドアノブに手をかける。


「どうして……」

 

 だが、


「どうして私の意見は聞いてくれないんですか! 私は……まだどうしたいか、なんて一言も言ってないのに! 私の気持ちには価値が無いんですか、これは私の問題のはずです! お前はどうしたいのかって、ただそれだけ聞いてくれたら……っ」


 少女の叫びが空気を切り裂き、ドアノブを回す手を止めた。


「アップルトンさん……あなた、この男について行くと伝えていなかったのですか? …………はぁ……メドハギ・ブラック、ここまでやって来ておいて……私は話が既に纏まっているのだとばかり思っていましたよ? アップルトンさん、あなたの気持ちを聞かせてくださる? 自分はどうしたいのか、言ってあげなさい」


 そうして、ここまで黙っていたユオが立ちあがって、メドハギとハリントンを交互に見る。

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