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ひかりのしごと  作者: 遠野なつめ
第三章
20/30

愛しいものへ

ある朝のこと。

部屋で目を覚まして、壁にかかった時計を確かめた。

ここは地下だから、鳥のさえずりや日の光で目を覚ますことはない。時間に関係なく、電気をつければ部屋は明るくなり、電気を消せば暗くなるだけ。


もうすぐ定時のメロディが流れる頃だ。

前線のメンバーは相部屋で寝泊まりするのが通例だったが、唯一の()()である千裕は、通路の端にある小さい部屋で一人で眠っていた。


草平は男性陣の相部屋のひとつで過ごしていて、いくらか廊下を歩いたところに居場所がある。後方を支える陽子は別の階にいた。


青い作業服を着て袖をまくったとき、ラジオ体操のメロディが流れ出して、新しい朝が来たことを告げた。


食堂に向かう通路で、草平が「おはよう」と言った。千裕はあいさつを返して、ふと疑問を口にする。


「夜中の見回りは誰がやってるんでしょうか」


昨晩、部屋で寝ているときに、扉の外で誰かの気配を感じたのだ。夢うつつの中、足音が近づいて部屋の前で止まり、しばらく留まって去っていった。


留置施設にいた頃は、脱走や自殺を防ぐために、職員が夜中に廊下を見回るのは当たり前だった。ここでも誰かが担当していて、皆が無事に部屋にいるかを確かめるんだろう。自分が施設の見回りを頼まれたことはないから、後方の役割かもしれないと思ったのだ。


千裕のなにげない言葉に、草平は「見回り」と不思議そうな顔をした。


「脱走とか、事故を防ぐために見て回るやつです。昨日も来てました」

言葉を付け足す。自殺と言おうとしたのを飲み込んで「事故」と言い換えた。


「分からないな。僕が寝てて気づかないのかもしれないけど」


見回りについて見聞きしたことはない。外に出たらシャドウに曝露するから脱走できないし、見回らなくてもみんな部屋で寝てるんじゃないか、と草平は話した。


そういうものかと思って、気配の話は終わりにした。見回りじゃないなら何なのかは気になるが、寝ぼけた自分の気のせいかもしれない。霊的なものを感じない性質の千裕は、草平と別れて食堂に入った。


白い帽子とマスクの女性が机を拭きながら、千裕に近づいて「作業服を預けてくれたら縫って直すよ」と提案してくれた。


手間をかけるのは悪い気がしたが、食堂のスタッフが見ていても気になるほど不格好だったのかもしれない。部屋に駆け戻って、予備の作業服を取ってくる。


「おせっかいなお母さんだと思ってなんでも頼って。お母さんというよりおばあちゃんか」


彼女は目元に笑いじわを浮かべて、千裕の手から作業服を引き取って朝食を渡した。出来上がったら返すわね、と言い残してカウンターの奥に帰っていく。


訓練には広い場所のほうが都合がいいから、前線のメンバーで車に乗り合わせて、近くにある地下駐車場に行った。


木原は千裕のことを、数年に一人現れる特異な体質の人間だと紹介した。この見た目に反して戦力になるから前線に加わっている、と。戸惑いと好奇心が混ざったような視線がちらほら向けられた。


投光器を持ってきて使い方を示した。無骨な直方体の装置で、一方が白色のライトになっている。千裕と草平がブレードを持って巨人の内部に入るとき、それ以外のメンバーが周りを囲んで投光器を操作するのだ。かなり大きくて重いので、地面や台に据え置くか、数人で抱えて使うことになる。


千裕はそこで初めて本物の投光器を目にした。自分で触ることはなくても、本番で皆で協力して動くためには、どういう仕組みなのか知っておく必要があった。


木原がメンバーを数人呼んで、投光器を抱えてスイッチを入れるように指示した。


白い光が駐車場の奥を照らす。


これが「スタンバイ」だと木原は説明した。

巨人の動きを鈍らせる効果があって、千裕と草平が内側で活動している間はこの強さに設定される。


木原は真剣な口調で、これから「ライトアップ」をやるから下を向いて目をつぶるように、と告げた。保護眼鏡を持っている人はかけてもいい、と付け足す。


千裕は眼鏡を持っていないので、その場で目をつぶった。


投光器が切り替わって、千裕は光の中にいた。


まぶたの裏が真っ白に染まる。上から手で目を覆ったが、手のひらを貫いて光が入ってくるようだった。直視してしまえば目を痛めるのは確かだった。


スイッチを切った後、木原は訓練の流れを説明した。


治安当局の先例では、6台の投光器をライトアップに設定して20分当てれば巨人は消滅するという。自分たちは核を壊して根絶するのが目的だから、投光器で消滅させるのは作戦の失敗を意味していた。


ライトアップを使うのは、外でトラブルが起きたときか、内側で千裕や草平が危険に晒されたとき。死よりはいくらか良い、という最終手段だった。


「危ないときは無線でライトアップを求めるように。訓練ではスイッチを入れる代わりに旗をあげてもらう。電気がもったいないからな」


その言葉に場の空気が柔らかくなったが、訓練は厳しいものだった。


木原が個々のメンバーに「何時の方向に進め」と指示をして、指示の通りに投光器を抱えて走っていく。12時が正面、3時が右、6時が後ろ、9時が左。


千裕と草平もバディを組んで、防護服を着てブレードを担いで走り回った。2人組で「進め」と指示を受けたとき、千裕が一歩先を進んで、草平が後ろについた。


生き物の肉を切り刻むわけにいかないから、ぶよぶよしたゴムの塊を2人で切った。本物はずっと大きく分厚く、切り口から液体が流れるらしい。


液体を浴びるとシャドウに曝露したのと同じ症状が出るから、液体を遮るタイプの防護服を着て行く。どんな感じなのかは想像するしかないが、かなり手ごわい存在だろう。


地下駐車場は涼しいはずだが、訓練で動き回ると汗が流れる。休憩に入って防護服を脱いだとき、他のメンバーがシャツを脱いで半裸で涼んでいた。


「あっついなあ」

「女の子いるんだからシャツぐらい着ろよ」

上半身はセーフだって、と誰かが笑った。


その場を離れようとすると、草平の姿が目についた。草平もシャツを脱いでいて、千裕のほうからは背中と横顔が見えた。引き締まった体つきの精悍な青年だった。


その姿に、目が吸い寄せられた。


神戸のマンションで過ごしたのとはずいぶん印象が違う。その頃はためらいなく「同志」と呼び合ったが、バディを組んだ今、同志という言葉はかえって白々しく思えた。草平は戦う男という感じがして。


──私だけが女だなんて。


柱の陰に引っ込んで、千裕はペットボトルの中身を飲み干すと、平らな地面に横になった。「私」の一人称が心を侵食しているのは、暑さで思考が鈍っているから。


服が汚れるのもかまわず、休憩が終わるまで目をつぶる。誰かの視線を感じた気がしたが、名前を呼ばれなかったので放っておいた。


訓練が終わって、千裕と草平がブレードを持って車に戻るとき、木原がちょっとした話を振った。


「俺もどこかで聞いた話だけど、外国の兵士は、自分の銃に愛する女性の名前をつけて大切にすることがあるらしい」

「映画みたいですね」


相づちを打つ2人に、木原は続けた。


「人間の名前じゃなくてもいいけど、ブレードに愛称をつけて使えば手に馴染むようになる。結構ばかにできない効果があるからな」


──サクラ。


千裕はその場で名前をつけた。

故郷に残してきた、愛する柴犬の名前だった。心の中で名付けたとたんに、ブレードの重みが苦ではなくなって、温もりすら感じるようになった。


──サクラ。一緒に行こう。


その日はブレードを携えて、拠点の部屋に帰った。

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