第一章 おもうさん 第二話 家族について
1519年(永正16年)綾小路邸。
綾小路 数麿 二歳。
転生モノのチートたる所以は兎に角、主人公が早熟である点だ。
起きてる時間は最大限体を動かす事に費やし、食事(授乳)、排せつ、その他は泣き声の調子を変えるなどして効率良くコミュニケーションに勤しみ、乳母との関係性も良好なものを築いてきた。
尾張のお漬物と違い乳母の乳首を嚙んだりはしない。
僕は今も昔もそんな特殊性癖の持ち主では断じて無いからな。
二歳ともなると首が座り片言ながらも喋ることが出来るようになり、自分の置かれた立場と言うものも多少は判るようになってきた。
先ず僕の家族。
お父さんの名前は綾小路資能。
現在右近衛中将と言う朝廷の役職を拝命し丹後介と言う地方の次官職も兼ねているらしい。
最も先の戦火で中断した御霊会が復興したみたいな事言っていたから応仁・文明の乱後の1500年以降の戦国時代らしいから、、、官職有っても公家ではあまり期待できないね。
綾小路家と言うのは楽の家みたいだけど、その辺りの知識は前世に持って無いので良く判らない。
次にお母さん。
お母さんの名前はまだ知らない。
お父さんはお母さんの事を「奥よ」って言うし、使用人たちは「お方さま」「姫さま」「御台さま」って呼ぶので名前を聞いた事が無いのです。
お母さんの伯父さんは多々良義興って人らしい。
従三位前左京大夫の周防権介で山城守護の管領代って言ったら大内義興しか居ないじゃん。
確か大内家って渡来系の在庁官人だったから多々良が姓なのか?
義興大伯父さんや母方のお祖母ちゃんのお母さんが山城国上賀茂社の神主さんの出なので僕もそこで生まれたらしい。
因みに大伯父さんやお祖母ちゃんとお母さんもそこで生まれてる。
僕が生まれた年まで義興大伯父さん、京の都に居て将軍さまのお力になってたそうなんだけど、地元を出雲国の尼子氏がちょっかいを掛け始めたので帰国しちゃったとの事。
その時期に社家町から上京の綾小路殿へ僕も引っ越したらしいんだけどね。
全然気が付かなかったよ。
今最も天下に近い戦国最初の覇者、大内義興を見られない事が残念です。
でもそんな天下人に近い実力者と縁がある綾小路家は朝廷や室町殿と大内家との取り次ぎ役を期待されてるって聞いたからいつか会える時が来るよね?