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4. 母の記憶

今回ちょっと長いです。

ふと、昔のことを思い出す。

 

 私が物心ついたのは五歳のころだった。気がついたら私はとある国のとある町にある。とある、ありふれたごく普通の、一般家庭の一員になっていた。

 

 

 父は自衛官とかで仕事が忙しいらしく家に戻らない日も少なくなかった。幼い頃の私はそれに不満がなかったと言えば嘘になる。けどまぁ、そうは言っても三人の仲は良かったし、父が帰ってきた日はすっごく嬉しかった。

 

 

 

 そういうわけで私の幼い頃というのは、ほとんどが母と過ごしていた記憶で埋められる。

 

 母は美しい人だった。それでもって優しい人だった。これは昔教えてもらったことなのだけれど、母は結婚する前は結構有名な舞台女優だとかでそれはそれは活躍していたそうだ。

 

 でも、母は持病を患っていて25歳の人気絶頂のときに引退を余儀なくされファンから惜しまれたんだとか。

 

 そして、そのときにプロポーズを迫ったのがお父さんだった。昔、母にプロポーズはどんな言葉だったのかと訪ねたことがある。

 

 母は、少し考えて「ないしょ」と、いたずらっぽい笑みを浮かべてはぐらかした。どうやら父に恥ずかしいからと言い止めらているそうで、結局そのことを教えてもらうことはなかった。

 

 

 

 

 小学生に上がった頃だろうか、あの頃から私には明確な夢があった。

 

 それは、歌手になりたいという夢。より多くの人に、自分の歌を聞いてほしいという夢。

 

 そんなことを夢見るようになったきっかけは、幼稚園の発表会で他の子と歌を歌ったとき、そのあと母と父が、私が一番上手に歌ってた、大きな声でよく聞こえてた。と褒めてくれたことだ。

 

 親なら誰だって我が子の頑張りを褒めるだろう。きっと私だけじゃなくて、他の子も自分の親から褒めらていただろう。そんな当たり前のことなのに私はなぜだか嬉しくて、もっと褒めてもらいたくて、いつしか歌うことが大好きになっていた。

 

 

 

 それから私は夢に向かって子供なりに頑張った。音楽性を高めるためにピアノのレッスンなんかにも通ったりしたし、色々なプロの歌や演奏を聞きまくって研究したりもした。

 

 10歳のときに素人限定の歌謡大会に出て、そこで賞をとったりもした。そのときは、自分には才能があるんだと舞い上がっちゃって、純粋すぎた私はより一層夢に励むようになった。父と母も、まるで自分のことのように喜んで応援してくれていた。

 

 

 

 

 

 でも、それから半年、とある冬の日のことだった。その日は夜までレッスンがあって、帰宅したのは午後七時くらいだった。「ただいまー」と私がリビングのドアを開けると、そこには持病の発作で苦しみ倒れていた母の姿があった。私は急いで救急車を呼び、母に薬を飲ませた。幸い一命をとりとめたものの、母の症状は重くしばらく入院する必要があると、私と後から駆けつけた父は医者に言われた。

 

 その帰り道、不安そうな顔をする私を案じて、父が「大丈夫。すぐよくなるさ」と私の頭を優しく撫でてくれた。

 

 

 

 

 少し状態が安定すると母は入院先を自身の出身地にある山中の病院に移し変えた。

 

 地元ということで母もリラックスできるし、そこは自然が豊かで空気が澄んでいたので母の病気を治すのにちょうどいいという医者の判断のもとだった。

 

 

 

 私はちょっと嫌だった。なぜなら、今まで毎日会いに行けてたのに病院が遠くなってしまったせいで、時間の都合を考えると週末の休日にしか会えなくなってしまうからだ。

 

 私は半ベソをかきながら、いやだいやだと駄々をこねて父と母を困らせた。もう三年生なんだから我慢しなさい、と私をなだめる父。

 

 それに対して母はとある提案を私にだした。それは私が前から欲しがっていた、母が大切にしている腕輪を譲るというもの。

 

 

 ただし、私が立派な女性として成長したときに渡すという条件付きで。そして、ここで我儘を言っているようでは腕輪は譲れそうにないなぁと最後に付け足した。

 

 私はすぐさま泣くのをやめて、「我慢するー!!!」と元気よく言った。

 

 

 

 自分でも厳禁な子供だと思う。父も同じようなことを思ったのだろう「まったく仕方ないやつだなー!」と母と二人で笑っていた。

 

 

 

 

 

 それから、平日に学校とレッスンに通い週末には母に会うために電車で片道二時間かけてお見舞いに行く日々が続いた。この時代にはビデオ通話の技術が進んでおり、平日でも気兼ねなく母の顔を見て話すことは出来た。

 

 けど、やはり直接顔を会わせた方が嬉しさも増すので毎週末お見舞いにいくことは欠かさなかった。

 

 

 

 

 10歳のときに小学生限定のコンクールで大賞をとった。日頃の努力が報われたようで、とても嬉しかった。

 

 次の日母の病院へ行った。すぐさま賞をとったことを報告した。母は、すごいねぇ頑張ったねぇ、と以前に比べるとえらく細くなった腕を動かして私の頭を撫でて褒めてくれた。10歳になってもこのときばかりはあまりに嬉しくて、えへへとついつい口元がニヤケてしまい、まるで幼い頃に戻ったように母に甘えた。

 

 

 

 

 そのとき、私はずっと前から胸の内に秘めていたことを母に打ち明けた。

 

 

 「あのねお母さん。私もっとがんばるよ。だからいつか、私が大舞台で歌ってるところお母さんに見に来てほしいなぁ」

 

 

 子供心に、他意のない純粋なきもちから出たお願い。そんなお願いに母は、

 

 

 「そうだね、早く病気治して琳が歌ってるとこ、見に、行くから、ね...」

 

 

 母の返事は、まるで振り絞るように、途中から瞳に涙を浮かべ声が震えていた。

 

 

 そのときのことは今でも鮮明に覚えている。なぜ母が泣いているのか、自分がどれだけ残酷なことを言っているのか、それを理解できるほどそのときの私は大人ではなかった。

 

 

 

 

 それから数ヵ月後の休日、その日は父も久しぶりに休暇がとれたらしく一緒にお見舞いに行った。病院には母方の祖母と祖父と母の妹である伯母さんが先に着いており、この日だけ皆が集まったのでやや違和感を覚えた。

 

 皆は病室に着くなり母と少しばかり世間話を交えたかと思ったら、主治医がやって来ると私と母を残して静かに部屋を出ていった。なに話してるんだろ?と質問すると、さぁ、なんだろうねーと母も分からないようだった。そんな母の姿はさらに痩せこけ衰弱しているようだった。

 

 それでも何を話しているのかどうしても気になった私は、お花の水を変えてくると母に告げて皆を探しに行った。しばらく歩いていると、廊下の角で父達が医者の話を聞いているところを見つけた。

 

 

 

 私も混ざろうと一瞬考えたが、父達の重苦しい雰囲気を感じ取り、なんとなく声をかけない方がいいだろうと思って遠くから見守ることにした。離れていたので声はあまり聞こえなかった。

 

 

 

 

 けれど、嗚咽を漏らしながらハンカチで涙を拭う祖母と伯母、がっくりと項垂れて肩を落とす祖父、そして、なにかを堪えるように拳を固め、悲しい顔をしながらも医者の話を真剣に聞く父。四人の様子を見ていたら、流石の私でも事態を理解することはそう難しくはなかった。

 

 全てを悟った私は、どうしようもない気持ちになって、いてもたってもいられなくなって、いつの間にか走り出していた。たぶん、父達には気づかれていなかったと思う。

 

 

 

 

 すれ違う看護師に注意されながら、私はただひたすら走った。途中転んだり息がきれそうにもなったけど、それでも走るのをやめなかった。

 

 

 

 

 気がつくと私は屋上の庭園にいた。既に空は朱く染まっていて、夜の訪れを告げようとしていた。外は少し肌寒く、冷えた空気が私の涙を乾かしてくれた。まるで、悲しむ私の心を慰めるように。

 

 

 「私、こんなことしてていいのかなぁ」

 

 

 ベンチに腰をかけ、誰もいない庭園でそんなことを呟く。そう長くない母のために自分はなにをしてあげられるのだろうかと考える。けれど、考えれば考えるほど、わからなくなって、また、泣きそうになる。

 

 だから、そんなことを考えるのはやめてしまう。考えたって苦しいだけだから、別のことを考える。けれど、頭に浮かぶのは母のことばかり、それが、とてつもなく、辛い。

 

 

 

 「やっぱり、ここだと思った」

 

顔を上げると、母が目の前に立っていた。嘘をついて部屋を出たことを思い出して、怒られると思ってつい身構える。

 

 「なぁに? 怒られると思ってるの? 」

 

 そう言う母の表情はいつにも増して穏やかなものだった。母が「よいしょ」と言って私の横に腰をかける。

 

 

 「別にお母さん怒ってないわよ?でも、お父さん達には後で謝らなきゃね? 心配してたよ? 」

 

 「うん...」

 

 「あと、病院の人にも。廊下走り回って迷惑かけたんでしょ? 」

 

 「うん...」

 

 「どうかした? なにか嫌なことでもあった? 」

 

 本当のことを言ったら母を困らせると思って、私は首を横に振った。

 

 「そう……」

 

 

 

 

 でも、たぶん、きっと。私の下手な気遣いなんか母はお見通しだっただろう。お母さんさ……と母が言おうとしたとき、もう長くないことを告げられると思って再び見構えた。でも、母が続けた言葉は意外なものだった。

 

 

 「お母さんさ、琳の歌、聴きたいな」

 

 「え?」

 

 驚いた私は母のほうへ振り向く。

 

 「ダメかな? 」

 

そう言う母の顔は、少し照れくさそうだった。

 

 

 思ってもみなかった。ついさっきまで、これから死に逝く母のために自分がするべきことはなんなのか。果たして歌うことが母のためになるのかと悩んでいたのに、その母から歌ってほしいとお願いされたのだから。やはり私は驚きを隠せなかった。

 

 少しだけ、迷って。 

 

 「いいよ」

 

 短く、そう言った。

 

 「ありがとう。選曲は任せるわ」

 

 「わかった。でも準備してきてなかったから、ズレてもがっかりしないでね?」

 

 はいはい、と返事する母は凄く嬉しそうだった。

 コホンと咳払いして、ベンチに座る母の前に立つ。そのとき私はなぜだが普段以上に緊張していた。思えば母の前で歌うのは幼稚園の発表会以来だった。

 

 

 

 「それじゃあ、いくよ? 」

 

 そう言って私は、一番得意な歌を歌った。悲しい雰囲気にならないように、明るい歌を選んだ。聴く人が元気になるように、今までで一番気持ちを込めて一生懸命歌った。

 

 

 

 それでも、やはりぶっつけ本番だったせいか途中失敗することもあった。目を閉じて、最後のロングトーンはビブラートをめいいっぱい効かせて響かせる。少しずつ自分の声が小さくなっていき、歌が終わった。

 

 

 

 終わったけれど、母がどんな表情をしているのか、見るのが怖くて閉じた目が開けなかった。

 

 わずかな間静寂が続く、これ以上目を閉じているのは流石に不自然だろうと私が恐る恐る目を開いたのと、母の拍手の音が聞こえてくるのは、ほぼ同時だった。

 

 

 

 「琳はほんとに歌が上手ね」

 

 母は、パチパチと優しく手を叩きながら、幼稚園のあのときとまるで変わらない慈愛に満ちた笑顔で、あのときとまるで変わらない心からの称賛の言葉を私にかけてくれた。

 

 「ホントはもっと上手く歌えるんだよー?」

 

 そういう私はまだ内心不安だった。母の言葉がまるで幼稚園のときと変わらないので、自分の成長をちゃんと見て評価してくれているのか気になっていたからだ。

 

 そんな私の心情を察したのか、

 

 「あのときよりももっと上手くなってるわね」と母は言ってくれた。

 

 「でしょー?わかってんじゃーん」

 

 「さすが私の娘!」

 

 母は誇らしそうに胸を張ってそう言った。

 

 「元人気女優の娘です!」

 

 私も母に対抗して胸を張ってみせる。

 

 「元は余計よー!」

 

 と、私の肩を揺らす母。

 

 他愛のない親子の会話。そう遠くないうちに死に別れる親子とはまるで思えないような、明るい会話。

 そこには、母と私だけの、二人だけの時間が流れていた。

 

 

 

 そんなこんなしていたら、いつの間にか自分の中のモヤモヤが消えていたことに気づく。母はこうなることを見越して私に歌うことを提案したのだろうか。

 

 「あ、ちょっと元気になった。琳はやっぱり歌うのが好きなのねぇ」

 

 母はすぐに私の心情の変化を見抜いてしまう。

 

 そのとき、やっぱり母には敵わないなと改めて思った。

 

 「もぉ~。お母さんってば~」

 

 わかっていた。私を元気づけるためだけではないと。いつの日かに私がお願いした、大舞台で歌ってるところを見てほしいという約束を、死んでしまう前に少しでも叶えようと母はしたのだろうと。

 

 でも、お願い叶えてくれたんだね。と、それを口にすることはなかった。

 

 だってまだ、大舞台で歌ってるとこは見てもらってないから。だって、今の歌は完璧じゃなかったから。

 

 だって、それを言ってしまえば、お別れが近づいてしまう気がしたから。

 

 そこからはもう泣いたりはしなかった。母に心配をかけないように、今だけは笑ってみせた。

 

 ベンチに腰をかけ、再び母と横並びになる。


 「お母さんね。ここから見る景色が好きなんだ」

 

 「うん、私も好き」

 

 「あら奇遇ねぇ。それじゃあお昼と夜どれが一番好き?」

 

 「うーん。今までは夕焼けだったけど、今は夜の景色が一番好き」

 

 「え? どうして?」

 

 「月が、すごく綺麗だから」

 

 ほら、と私が指をさす。母がその先を見て呟く。

 

 「あら、ほんとねぇ」

 

 私もその日はじめて知った。ここから見る月がこんなに綺麗だったなんて。

 

 

 

 街から離れた場所にあるこの病院は夜になるととたんに暗くなる。その光を遮るものはなく、月は煌々と力強く輝き私たちを優しく照らしてくれていた。

 

 さらには、どこからか木々の揺れる音や獣の鳴き声が共鳴するかのように聞こえてくる。その音は生命の力を帯びているようで、心の奥にまで静かに響き渡っていた。

 

 まるで、月や自然が母に生きる力をわけてくれているようだ。

 

 

 

 

 

 このとき母と過ごした時間。このとき母と見た景色は私にとってかけがえのない思い出だ。

 

 あのときのわたしは、どこか晴れ晴れとした気持ちになっていた。

前置きが長くなっておりますがご容赦下さいm(__)m

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