第二幕『その日、彼女と出会う』
地元に帰ってやることと言えば死んだ目でネトゲを繰り返すことだった。
リネージュ、ラグナロクオンライン、ファイナルファンタジー11等ビックタイトルが跋扈していたこのMMORPG全盛期、小さく稼働していたゲームがあった。その名を、イグドラシルオンラインという。
当時の僕はそのゲームにはまって昼夜を忘れてプレイしていた。と言っても、もう中身は分別のある大人だ。一日二時間程度のプレイにおさめている。
後は、母と話したりテレビを見ていたりした。母は人が変わったような僕に上機嫌で毎日良い話し相手になってくれた。
そう言えば、この頃は本来は両親とは険悪だったのだ。
インターネットで合格通知を見た時は、喜ぶというよりは脱力した。
(あの学校、もしかしたら名前書いたら入れる類の学校だったんじゃ……)
歴史ある町への思いを強く語った自信はある。当時の僕より流暢に喋れただろう。けれども、流石に三十路過ぎの無勉の頭に試験は堪えた。
(そう言えば、あの子、いたなあ)
凄く美人なのに、気がつくといなくなっていた子。試験の面接の待合室で、隣の席に座っていた。緊張した面持ちで、俯いていた。
(今思えば、あの子はなんでいなくなったんだろう……?)
そんなことを、少し思った。
けど、女性に積極的に話しかけていくほどのアクティブさは僕にはない。社会に出てある程度緩和されたが、今でも女性は苦手だった。
そんなこんなで、語る内容もなく京都へ向かう日がやって来た。
アパートの下見と契約は既に済んでいる。弟と、父と共に、京都へと向かった。そして、当地のデパートで生活用品や家電を買い漁る。新生活フェアと称して家電のセットが安く売っていた。
「あ、その掃除機ほとんど吸わないよ」
「あ、その浄水器最初だけ使うけどほとんど使わなかったよ。水は普通に飲める」
「その分を電子ジャーにつぎ込んで欲しいな」
そんな風に、無駄な出費を抑えていく。
何せ実際に経験したのだ。その生活を。だから、何が有効になって何が無駄になるか良く知っている。
普段は頑固な父も、息子の門出を祝おうという気分なのだろう。素直にアドバイスを聞いてくれた。
そして、荷物が全て運び込まれ、弟と二人きりになる。
とたんに、切なくなった。
かつての僕は、思わず弟の腕を握ったのを覚えている。
けど、その弟とも十年後には拗れているのだ。
「精々、嫌な奴にはなるなよな」
弟は、戸惑ったような表情でその言葉を聞き、頷いた。
情けなかった門出。今は、一人前の門出になったと思う。
そして、一人の生活が始まった。
とりあえずネット開通の電話を入れる。何をするにしてもネットがなければやっていられない。そして、学校の下見を行うことにした。
行き方もうろ覚え、時刻表もうろ覚えだ。とりあえず一時間に何本も電車があるので、地元のように一本乗り遅れたら一時間近く待機する必要はない。
ラウンドワンの場所は何処だっただろう。しまった。何処で電車を降りれば良いか覚えていない。それは後々のネット検索に任せるしかないだろう。
(しかしこの、ガラケーの入力の手間さよ)
今ならば指をスライドさせて入力したい文字を選ぶフリック入力という天才的発明があるから文章入力も高速化したが、この頃はボタンをちまちまと押す他に入力方法はないのだった。
ゲーム機器としてはボタンがあるおかげで優秀だったが、メールや検索にはやや手間取る。そんな印象だった。
スマートフォンの発明は何年からだっただろう。確か欲しいと思ったのがこれから四年後だった気がする。
(四年後、かあ……)
全てが決まる時期だ。
しかし、僕には関係のない話だった。全ては終わった話。これは夢の中の話なのだから。
とりあえず、一ヶ月の猶予がある。その間に、学校への通学路を頭に叩き込もう。
案内のパンフレットを見て、降りる駅を確認し、電車に乗る。
電車の中で、ふと、あの少女の存在に気がついた。
綺麗だけれども、すぐに大学からいなくなってしまったあの子。
話しかけようかと少し悩んだが、やめておくことにした。面倒臭かったのだ。
共通の話題があるとも思えないし、そもそもこの時期にどんな話題が流行っていたかわからない。らき☆すたぐらいなら覚えているけれどもどう考えてもアニメを見る人種ではない。
アニオタ認定されて陰口を叩かれても面倒臭いし。それが僕の結論だった。
電車を降りて、駅に出ていく。懐かしい光景だった。京都の外れの田舎駅。大学に通うために、僕は何度もこの駅に降りたのだ。大学の在学期間の殆どをネトゲにはまって家に篭っていたという汚点に目を瞑れば。
バスがやって来るまでしばし時間がある。僕は、ベンチに座ってその時間を潰した。
「あの……同じ学校の人ですよね」
恐る恐る、といった感じの声だった。
僕は驚いた。話しかけてくる相手が予想もつかなかったのだ。
見ると、大学に入ってすぐにいなくなったあの子が、俯きがちにこちらを見ていた。
「ああ、うん、そうだね」
面倒臭いことになったなあと思いつつ僕は微笑みを顔に浮かべる。社会に出て、対人スキルは揉まれている。
「面接の待合室で、席、隣だった」
少女は、表情を緩めた。
「あ、やっぱり!」
「今日は大学の下見?」
そう言いつつ、ベンチの端へと移動していく。その意図を察したのだろう。少女はベンチの隅に座った。
「そうなんです。これから通う大学で、私は新しい生活をするんです。だから、待ちきれなくって」
期待が大きすぎて現実を見たショックで辞めてしまったとかなのかな、と僕は思う。
「ミクシィやってますか?」
唐突な発言に、僕は戸惑った。
そう言えば、そういうサイトがあったのだった。当時は、流行りの全盛期だったのではあるまいか。
「いやー、やってないっすねえ」
「やってる人はそういうところでもう友達作ってるんですって。私、焦っちゃって」
「焦ることないんじゃないですか。一人でもなんとかなりますし、クラス分けされるから友達も作りやすいですよ」
「けど、テストの過去問とか貰えるって話聞きません?」
「過去問が必要なほど難しい試験はないですよ。講義に出ていいれば大丈夫」
少女は、不思議そうな表情になる。
「……貴方ってまるで、経験者みたいですね」
喋り方が不味かったな、と僕は思う。思わず真顔になった表情を、すぐに笑顔に変える。
「いえ、又聞きですよ。俺も実は、これからの新生活にそわそわで」
「一人暮らしですか?」
「ですよ。貴女は?」
「一人暮らしです。親の監視の目がなくなって伸び伸びって感じですよ」
「そうですよね、好き勝手出来て。ちょっとハメも外しちゃって」
ハメどころかタガが外れるんだよな、と僕は回想する。
大学時代に僕がやっていたこと。それは、ゲーム、ゲーム、ゲーム。
今思い返しても消したいような黒歴史だ。
それでも、京都での生活を楽しいと感じていた部分はあった。
「ねえ、一緒に大学見学しませんか?」
「……別に構いませんけど」
断って、今後の大学生活に支障をきたすのも躊躇われた。
(けど、それってデートじゃないのかなあ)
僕はそんなことを考えて、すぐに思い直した。
(そこまで意識されてないか。自意識過剰だ)
三十路過ぎて独身ともなると自分の外見上のスペックにも冷静になれるものだ。
そして、二人でバスに乗る。
講義の時刻とずれているからだろう。拍子抜けするほどバスの中は空いていた。
最後尾の席に、二人並んで座る。
色々な、話を聞いた。僕と同じ、田舎からの出身だということ。地元の銘菓。家族構成。弟が心配だという話。
「こんなこと言うとオタクっぽいと思われるかもしれないけれど、趣味は小説なんです」
大丈夫ですよ、こっちはガチのオタクです。
「物語シリーズとかかな?」
「物語シリーズ? ……なんです、それ?」
しまった。この時期にはまだ物語シリーズは始まっていないのだ。
「奈須きのこ……」
「美味しそうですね」
この時期の奈須きのこはノベルゲームである月姫を成功させ、Fateで商業作品に進出と順調にステップを上がっている最中だった。一般層に普及するほどの莫大な知名度を得るのはまだ先の話だ。
僕は基本的に聞き役に回ることにした。失言するのも恐ろしかったし、なんとなく、この少女が一生懸命話してくれることが微笑ましかったのだ。
そして、バスは目的地についた。
「やっぱり、広いなあ」
大学の構内を見て、感心したように少女が言う。
「いくつも、棟がある。色々な場所へ行って授業を受けるんでしょうね」
「そうだよ。講義によって行く棟が違うから最初は余裕を持って行動したほうが良いかもね」
「やっぱり、貴方って経験者みたい……」
不思議そうに、少女は言う。
「又聞きだよ、又聞き」
「ずるいなあ、ネットワークをもう持ってるなんて。ね、私も混ぜてもらえません?」
「ネットワークなんて持ってないけど」
「携帯電話の番号、交換しましょうよ」
「いいけど……良いの? 俺で」
こんなことを聞くから三十路過ぎても独身なんだぞ、お前。そんな、心の声がした。
「良いですよ。小説好きに悪い人はいません。今度、物語シリーズや奈須きのこさんについても教えて下さいね」
エロゲーについて女性に解説しろと申すか。
中々ハードル高いなと思いつつも、僕は携帯を用意した。
そして、赤外線通信で電話番号を交換した。
彼女の名前は、如月迷。
その時、僕は目眩がするのを感じた。地面が揺れているようだ。思わず、その場にしゃがみ込む。
「大丈夫ですか? 気分、悪くなったんですか?」
迷の声が遠くからする。意識が徐々に遠くなっていく。
喚くような、声がした。
「その世界で得た温もり。それを、お前は現実に帰る度に失うのだ」
「誰だ?」
思わず叫ぶ。
「俺はそれを、高みから見物させてもらおう」
甲高い笑い声が耳鳴りのように反響する。
そして、僕は畳の上で起床していた。地面の揺れも、既にない。真夏の蒸し暑い気温が周囲を包んでいる。体を起こすと、ペトロニウスが、興味なさげにそれを見て去って行った。
「夢……か?」
着替えて、歯磨きをする。出勤時間まではまだもう少し時間がある。それにしても、長い夢だった。数カ月分の夢を一晩で見るとは。
結局、迷は大学を辞めたし、僕も大学を辞めてリーマンショックの就職氷河期に酷い目にあった。その事実は変わらない。
あの夢の、なんと優しいことだろう。
あの夢の僕達は、希望に満ちていた。
残酷なほどに、希望に満ちていた。
懐かしいスマートフォンの手触りを確かめる。戯れに、電話帳を開く。そして、硬直した。
如月迷の電話番号が、スマートフォンに残っていた。
第三幕『混乱時々波乱』に続く




