一人の男が吼えるとどこかで誰かが殴られるバタフライ効果のような何か
半年ぶりの更新です申し訳ありません……ほんとすいません……
「あっぶねぇ……まさか窓から投げられるとは思わなかった……僕じゃなければ死んでいた……」
空中で複数回にわたって宙返りのように回転した後、芝の生えた地面に手や足をつくことなく軽やかに着地する。なんとなくやらなければ駄目だと思い、直立不動の体勢から両手で空を仰いだ。さながら大歓声を受ける英雄のように笑みを浮かべるのはファンファンロ。
「何馬鹿なこと言ってんだいあんたは」
それを偶然歩いていた魔王城の廊下から窓越しに見ていたナターシャが、窓を開けつつ同僚に呆れたようにツッコミを入れる。傍に従っていた女の蜥蜴人がファンファンロの姿を見て思わずクスリと笑った。服の袖で口元を隠しながらだが。
「あんたって、頭は良いのに頭おかしいよねぇ」
溜息にも近い呆れた声で、窓台に頬杖をつきながら語りかける。しかし視線は天井の方へと向けられており、頭部の蛇達が焦ったようにせわしなく蠢いているのはアランの怒りを感知したからであった。ファンファンロは頭だけ振り向いて気の抜けたような表情で答える。
「おやナターシャ。こんなナチュラルに喧嘩売られたのは久しぶりだよ。まぁ買わないけど姫さ……お嬢さん見てない?」
「あんたが魔王様怒らせたのかい……珍しく喧嘩を買うそぶりを見せる暇もないなんて、何をしたらそんなに怒るのさ……ひめ……お嬢さんならたぶんマーキュリーのところだけどさ」
「ん、マーキュリーのところか」と、一人呟く。相も変わらず頭部以外の肌を露出していない恰好で、出歩いているのは花も恥じらう美人。そんな同僚の方へと体の向きも変えつつどう説明するか悩んでいると、同僚はファンファンロが喋る前に質問をしてきた。
「ひ、お嬢さんを探してるってことはあの子絡みの事かい? 泣かしたりでもしたんじゃ無いだろうね」
ずずいと窓から体を乗り出してファンファンロに質問するナターシャ。前かがみになっているせいかその女性らしい体のラインが目立っているため、あわてて背後では蜥蜴人の秘書が体の後ろに隠している。夫以外に肌を見せないようにと暑苦しい恰好をしている割に無意識に無防備な体勢を取ることがよくあるため、陰で秘書達がフォローしている光景は魔王城でよく見ることが出来るものであった。
それはともかく妹のような感覚でお嬢さん、もといフェアの事を見ているナターシャからすれば返答次第によって拳骨で殴ろうかとも思う事態である。ファンファンロは両手をあげて降伏の意のようなものを示した。
「ないないない。無いってば。いくら僕が自分の満足のために人を陥れるような性格だからって、魔王様に危害が及ぶようなこと自分からするわけないじゃないか」
「自分で性格悪いことを理解してるんだから、あんたってのは本当にタチが悪いんだよ。まったくもう……それにしてもなんで怒ってるんだい。はぐらかさないで、ちゃんと答えな」
ファンファンロは別にはぐらかしているつもりでは無いんだけどなぁ。などと考えながらメガネの縁から裸眼を覗かせて睨んでくるナターシャを見つめ返した。普通ならばメデューサ族の瞳にかかった魔力によって体が徐々に石化していくものなのだが、ファンファンロ程の強力な存在になればわずかに体の動きが鈍くなる程度である。そもそもの生物としての格の差が違うのだ。
「あー……まぁ話すけどさぁ。とりあえず仕事終わったの?」
「ん……これ私の机の上に置いといて……うん。とりあえずそれが終わったら休んで良いよ。ありがとうね」
ナターシャは後ろの秘書の居る方向に体を向けると、秘書の顎付近に手を添えると犬の顎でも撫でるように軽く撫でた。秘書は軽く目を閉じて気持ちよさそうな反応を見せ、蜥蜴ではなく犬なのではないかと思わせるように尻尾を振った。
「ハイッ! お言葉どおりに力いっぱい休みます!」
「休みなのに力いっぱいでどうすんだい。力も気も抜いて休みな」
「はい! わかりました! それでは失礼いたします!」
元気よくナターシャに挨拶をして模範的な素晴らしい敬礼を見せると、足早にナターシャのもとから離れて行く。それを見送ったあとすぐに後ろを向き、ファンファンロにマーキュリーの居る最上級看護室に向かいながら説明しろとナターシャは促した。
◆◇◆◇
その頃、現世旅行中の閻魔はというと。
「ちゃんと自分の罪を認めろ! そうすれば罰金だけで許ししてやるから!!」
「嫌だからただの正当防衛だって……そろそろくどいぞ君……」
「あぁもう頑なな奴だな! あの兄弟も許すと言ってるんだ、お前も謝れば問題を起こして哨所の業務を妨害した分の罰金さえ払えば解放すると言ってるんだぞ! というかお前を捕縛している者に対して君とはなんだ君とは!!」
机に体を乗り出した女性にずっと怒鳴られ続けていた。気弱な者ならその勢いに気圧されそうな程に吠えており、現に店の外に出ると弱気な性格になる天照大御神がその声に驚いて隣の閻魔に縋り付いている。
なお顔を見られないように友人のパールヴァティーに貰ったショールをすっぽりと頭に被っているため、微妙に涙目になっているのは女性にも閻魔にも気づかれていない。
「……僕もそうしたいところはヤマヤマなんだけどねぇ……職業柄嘘を付けないもんでねぇ……職業柄というか職業病というか……」
「なんだ、お前は裁判官か擁護士か何かなのか?」
「あってるとも言えるし違うとも言えるし……まぁそれに類似した職業かなぁ……」
アランやその側近などならばともかく、現世の人々に自分の仕事を正直に伝えたところで信じて貰えないことは明白であると考えた閻魔はどことなく言葉を濁した。
女性はそんな閻魔に一度は眉を顰めたものの、不審者を町に入れないように働く哨所の責任者ともなれば相手の言ってることが嘘か真か判断するのもある程度得意である。言葉を濁してはいるが、嘘をついているわけではないと女性は判断して「そうか」と問い詰めることはしなかった。
そうは言っても、閻魔を解放するわけでは無いのだが。
「それならなおの事己の罪を認めるべきだろうが! なぁ、お前。私はさっきから間違ったことでも言っているのだろうか!?」
「いや……うん……発言自体はなんにも間違ってないんだけど、罪を犯したのは僕じゃなくてあいつらだって何度言えば」
左右に立っている警備員の事など気にもかけず、困ったように頬を掻きながら身じろぎする閻魔。責任者の女性は頭こそ良さそうだが見るからに非力そうな体であり、聴取している者が悪人だった場合に拘束をするためなのか、閻魔達の隣にはマッスルボディなタフガイ警備員二人が陣取っている。腰には魔法剣も帯びているためかなりの威圧感があるはずなのだが、アラン曰く知人の中で三本指に入るほどズ太い神経を持つ閻魔には至極どうでもいい存在でしかなかった。なお強い生命の気配にそこそこ敏感で怖がりな天照は内心怖がっていたが。
「何を言っている! ならばなぜあの兄弟はぐったりとしているんだ!
「君に半日は根掘り葉掘り聞かれまくったからだろ。騒ぎの事だけならともかく兄の事をどう思うだの誕生日には何をあげただの、挙句の果てには他に好きな“男”は居るかとか一生兄弟二人で過ごすのかとか自分の趣味趣向の為に聞いちゃってまぁ。職権乱用も大概にしとかないと後で自分の首を絞めることになるよほんとに」
目の前の女性が抗議する間もなく閻魔は早口で説教をする。喋る暇があれば性格的にすぐに反論をしてくるだろうと踏んだからだ。そのおかげか口を開こうと何度も口をもごもごとしていたものの、論破でもされたのか「ぐむぅ……」と唸って女性は口をつぐむ。
「……ま、まぁお前の話は私への忠告だと思って聞いておこう」
気が強いためかはたまた哨所の責任者という役職ゆえか、案外すんなりと話を聞きつつも返答はどこか上から目線であった。その様子を見た警備員の一人が軽く噴き出していたが、女性に一睨みされて押し黙った。
「それにしても……」
責任者の女性はちらりと閻魔の隣で蠢く何かの布を被った生き物を見る。オシャレなのかかなり良い生地の布を被っているようで、わりと裕福な夫婦……二人組に見えた。というのも女性はおろか哨所の者達は誰も閻魔の横で縮こまって震えている天照の顔を見ていないのである。仕事としては確認しなければならないのだろうが、魔力とはまた違う別のモノから悪意も敵意もない善良な者だと感じていたのだ。
「おい、そこの布を頭に被った娘。顔を見せろ!」
「うぅん? ……あー……ちょっとそれは勘弁してもらっても良いかなぁ?」
「なんだ? 何かやましいことでもあるのか? ……もしやDV「それ以上下らねぇこと言ったらこの場で裁くぞ」は、ひゃい……っ」
さらりと激情を表に出す閻魔。閻魔から魔力は感じられないのだが、それよりもさらに根源的な何かから女性達は恐怖を感じた。それはいわゆる“本能”と言われるもので、世の中の生物の魂を構成する【正の力】と【負の力】から生じているのだが、一介の役人でしかない彼女達にはわかるはずも無い。
「あぁうん……ちょっと今嫁の機嫌よくないもんで……一般人に極力これ使いたくないんだけど……悪いねぇ」
ようやく天照がビクビクと震えていることに気が付いた閻魔は恐怖心で硬直してしまっている女性に向けて片手を伸ばし、その額に人差し指を当てた。自分の額に向けられた指を見て「ひっ」と小さく声を漏らした。
「そんなに怖がられるとちょっと傷付くんだけどねぇ……とか言って。まぁすまないね。ちょっとこのままだと現世で大混乱が起こっちゃうからさ」
閻魔がそう言い終わると女性はふっと糸が切れたように気を失って。流石にこの状況を見れば警備員達は腰の剣に手をかけ、今にも抜剣せんと睨みを利かせる。つもりでいたのだが、次の瞬間には視界が暗転していた。
「うーん……しかしどうしようかなぁ。このまま逃げるべき?」
なんとなく審判者としての権能を用いて【正の力】と【負の力】を操ることで気絶させたものの、行った後になって困る閻魔である。閻魔を貶めた兄弟はうつ伏せの姿勢でぐったりしていたが、閻魔が困りながら何気なく兄弟の方を見るといつの間にか爆睡していたためその眉間に深々と皺が寄った。
「……クッソ、あのバーロー共絶対に牢屋に送ってやるからな。暗示を使えば確実に僕の方が勝つからな馬鹿野郎共……牢屋で後悔しやがれ」
閻魔がそう悪態をつきつつ、自分の腰にしがみついたままの天照を見た。なんとか宥める為にどう接しようか考えていたところで、ふと脳内に勝手に別の考えが浮かんでくる。考えというよりも文章なのだが、それを紙などに書きだすとこういう内容であった。
『ねぇ休暇中なのに仕事用の力使うってどんな気持ち? ねぇどんな気持ち? やっぱりえんまくんは仕事熱心なんだね! 現世旅行なんかして問題起こさないかと心配だったから試してあげたけど旅行中でも仕事の力を使いたくなるぐらい仕事が好きなんだね! 凄いなぁ! 感心するなぁ!!』
無論、これは閻魔の考えではない。一部の例外を除いた現世の生物全てを凌駕し、圧倒的な能力を行使できる閻魔に容易く干渉出来る存在などただ一つ。
「死ねや創造神んんん!! やっぱテメェの仕業かゴラァァァ!! 毎度毎度要らねぇことばっか……降りてこい精神異常者のクサレボケがぶっ殺してやる!!」
一瞬で怒りが頂点に達し、大地を震わせるような怒鳴り声をあげる閻魔。が、その声に驚いて天照が肩を竦ませたことに気が付き、急速に落ち着きを取り戻しながら「やべっ……」と声を漏らした。
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!」
天照の目から大粒の涙がこぼれた。
そしてその瞬間、言葉通り世界から光が消えた。
◆◇◆◇
「魔王様の角が折れたぁ!? 馬鹿なこと言うんじゃないよ、どうやったら折れるんだい」
「いや僕だって驚いたさ。聞く前に追い出されちゃったもんだから……」
「どうせ神経逆なでするような行動でもしたんだろう、あんたの事だもの!」
ファンファンロの話を途中まで聞き、ナターシャは急に駆け足でマーキュリーの下へと向かい始めた。アランが自身の角をかなり大事に扱っていることを知っているからである。走りながら自分が笑ったことでさらに気分を悪くしたのかもしれないと思い至ったファンファンロは、隣を走る女性から目を逸らした。
「……はぁ……これだからあんたは……なんであんたは生命の恩人相手にも問題のある行為ばっかり出来るんだい……!」
「初めて喋った時に笑っちゃうよって忠告してたと思うんだけどなぁ……」
頭を掻きながらも廊下の角を曲がり、最上級看護室の一室。つまりはマーキュリーが静養している部屋の前にたどり着いた。
「姫様! 居ますか!」
「な、何よ……どうしたの?」
勢いよく開け放たれたに驚き、ファンファンロとナターシャが一緒に来ていたことで二度驚いたフェアが目を丸くしながらそちらを見た。高級なベッドの上にはマーキュリーが寝ながらアランの角を大事そうに抱えており、フェアはそんなマーキュリーのベットの傍に椅子を持ってきて座っている。
「何よも何も、その角ですよ! 魔王様の! それ持って行かれるとボクの身が持た……ファッ!?」
「ちょ……何よ! 何も見えないじゃない!」
「暗いの……得意なはず、なのに……全然何も、見えない……です」
「ファンファンロ、二人の周囲に居な! 何かしらの刺客かもしれない!」
「そ、そう言われても暗すぎて何も見えないって、目を布で塞がれてる気分だ……」
いつも飄々としているファンファンロが彼らしからぬ言動で狼狽えた。魔法の気配を感じたならば幾らでも対処出来ようものなのだが、知らない魔法を使われた気配も無いのだ。ファンファンロはアランの部下の中でも一、二を争う程に強いのだが、それは魔法を非常に得意としているのが主な要因である。元の姿が全身が燃え盛る羽毛で覆われた不死鳥という姿であるため火属性の魔法を最も得意をするのだが、他の属性の魔法も生半可な魔法使いよりも扱えるのだ。生物の格としては当たり前の範疇に入る能力なのかもしれないが。
ファンファンロは何も見えず、バランス感覚を欠いているためかどこかフラフラとしながら歩いていたが、やがてベッドの縁に手をつけられるとホッと安堵した。
「マーキュリーだいじょぶ? 姫様も」
「大、丈夫……です……きゃっ!」
「なんだい!?」
ファンファンロが二人の位置を探ろうと手を前方に振っているとふと片手が何か柔らかいものに当たり、これはなんだろうと一瞬訝しげに考えた瞬間に世界が光を取り戻した。
ファンファンロが突然の明るさに驚いて一度目を瞑り、回復したためにもう一度目を開いく。するとそこには自身の手がマーキュリーの小さな胸の上に乗っており、色白なマーキュリーの顔が真っ赤に染まっていた。ファンファンロは体を強張らせて両手をゆっくりと上げた。
「……あ、あー……その、マーキュリーごめ」
何かの気配を感じてファンファンロが右前方を向くと、ナターシャの美しい足で放たれる回し膝蹴りが腹に、白金のネックレスの効果を発揮させたフェアの拳が眼前に迫っていた。
☆
アランが頭の重さのバランスが悪いことに苛立ちつつ、最初から最後まで自分で書かなければならない面倒くさい形式の書類を書き上げようとしていた。アランほどの速筆でも三十分はかかる大変さである。
そこに襲い来る暗闇。
「……なんだ? 魔法か? 感知が出来ん……どういうことだ。もしやまたテロ組織の……? くっ、しかしこの暗さでは何も出来ないではないか! “火”……熱は感じるが光が見えん……どういう原理の魔法だ……? 該当するような魔法は記憶にないが……」
アランは何日も徹夜をして微妙に疲れている頭で困惑しながら手のひらに発生させていた炎を消すために軽く手を振った。すると服の袖に何かが当たった感覚があり、アランは体を強張らせる。
ところで魔族領において一般的な筆記用具と言えば羽ペンである。羽の先にインクをつけて字を書くものだ。値段は羽の状態によってピンからキリなのだが、良い物のほうが当然長持ちもするため節約家じみたアランも流石に良い物を使っている。また値段の差があるのは文字を書くのに必要不可欠なインクも同じなのだが、インクの素材などによって質などは変わるものの、昔からの壺や最近発明されたというガラス瓶という上部に大きな穴の開いた容器に入っているのは変わらない。
つまり、世界が光を取り戻した瞬間にアランの目に飛び込んできたのは、
「うぐ……あぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ!!! インクがああぁぁぁぁぁぁ!! また最初から書き直しではないかクッソォォォォォォォ!!!」




