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11-1 保身のための決断

 古河が、民自党本部から配信を開始する少し前。


 首都高速4号新宿線、上り方面。

 世界で最も交通量が多い都市の一つである東京の大動脈が、奇妙な静寂に包まれていた。


 普段は、トラックや営業車やタクシーで渋滞が常態化しているはずの走行車線から、一般車両の姿が一切なくなっていた。

 あるのは路肩にピタリと停車させられ、ハザードランプを点滅させている無数の車の列だけ。


 その異様な光景の中を、長い車列が弾丸のごとく疾走していた。

 先導する白バイとパトカーの赤色灯が、無人の車線を切り裂いていく。

 そして、車列の中心に鎮座するのは、全長5.5メートル、重量9トンを誇る漆黒のリムジン。

 アメリア連邦国の大統領専用車キャデラック・ワン。通称『野獣(ビースト)』だ。

 まるで、モーゼの十戒で海が割れるシーンを再現しているかのような絶景が、首都高の上で描かれていた。


 『野獣』の装甲板の厚さは20センチ以上、窓ガラスは12センチもの防弾ガラス。ライフル弾の直撃すら苦にしないこの「走る要塞」は、八王子IC(インターチェンジ)から高速に乗り、霞が関ICを目指し、法定速度を遥かに超えるスピードでひた走っていた。


「……なかなか壮観だな」


 広々とした後部座席でガブリエル・ハルフォードは、窓外を流れる景観に独りごちた。

 彼の一言で、既に日本政府は動いていた。

「新宿テロの影響による緊急車両の大量通過」という名目で、首都高を利用していた全てのドライバーに対し、路肩への停車命令が出されたのだ。

 従わない車両は、警察と自衛隊の実力行使によって即座に排除される。


 首都のインフラ機能を麻痺させてでも通り道を空ける。それは世界最強の権力者に対する、畏怖と敬意の表れでもあった。


 ガブリエルは、手首にはめている高級時計に視線を落とした。

 須磨総理に提示した30分の猶予が今、過ぎ去ったことを確認した。

 スーツの内ポケットから専用スマートフォンを取り出し、直通回線の通話ボタンをタップする。

 コール音が鳴る間もなく、相手はすぐに応答した。


『……須磨です』

 スピーカー越しに聞こえてきたのは、苦渋に満ちた総理の声だった。


「時間だ。答えを聞こう」

 シンプルな問いかけ。このような交渉時、相手に躊躇し翻意させる時間を与えない。それがガブリエルのやり方だ。


『申し訳ない、大統領閣下。まだ、岸波さんと党内の一部で反対があって説得できていないのです。もう30分……いや15分だけでいい、待ってくれませんか』


 たどたどしく聞き取りにくい須磨の拙い英語に、ガブリエルも最初は何かの聞き違いではないかと考えた。

 しかし、最後に「待ってくれ」と言ったのは聞き取れた。その懇願を知るとガブリエルの表情から感情が消えた。

 浮かび上がったのは、冷徹な為政者の顔。


「もう30分待てだって? 答えはノーだ」


 その拒絶は氷のように冷たく重かった。

 車内は完全な静音設計が施されており、タイヤの走行音すら聞こえない。その静寂が、ガブリエルの言葉の威圧感を増幅させていた。


「私は、今も君が良き友人だと思っている。そこで友人として忠告するが、君や民自党の連中は決断が遅すぎる。有事の際、それは命取りになるぞ」


『……し、しかし、我が国の手続きというものがありまして』


「手続き?」

 ガブリエルは鼻で笑った。

「決断の遅さ。それは裏を返せば、多方面への配慮と調整を施し問題解決を計ろうとする、君の優しさの表れなのかも知れない。だが一国のトップになったからには、そんな悪癖とは決別すべきだ」


 電話の向こうで、須磨の苦悶の吐息が漏れる気配がした。

 ガブリエルの言葉は、忠告の体をとった最終通告だった。

 ――これ以上、私の意向に背くなら友人関係を解消する。

 それは即ち、アメリア連邦国という後ろ盾を失い、須磨政権が崩壊することを意味していた。


 須磨は二者択一を迫られていた。

 一つは、古河を引き渡し、政界のフィクサーとして君臨する岸波文男の怒りを買い、政治生命を断たれるであろう未来。

 もう一つは、古河を匿い、アメリア国大統領であるガブリエル・ハルフォードの怒りを買い、生命も財産も全て奪われるであろう未来。


 どちらを選んでも地獄。だが、より深く底のない地獄はどちらか。比べるまでも無い。


 数秒の沈黙の後、須磨の震える声がスマホ越しに届いた。


『……分かりました。私の責任で古河達哉を引き渡します』


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