6 卒業パーティー
これが最終章になります。
ここでリーベの秘密がわかりますが、もちろんハーバートは当然知っている事で、秘密だとは思っていないという設定です。
王太子が卒業するという事で、式には両陛下と姉夫婦も臨席していた。
「ずいぶんと時間がかかったな。もう間に合わないかと思ったぞ」
「全くです、陛下。自分で根回ししまくった挙げ句に自分の首を締めるなんて、あの子は馬鹿なのか利口なのかさっぱりわかりませんわ」
「馬鹿と天才は紙一重って、本当なんですね、お母様」
「こらこら。恋愛事が苦手なのは、私達も人の事言えないでしょう」
「そうでしたわね、フランツ様。これはきっと両親の血のせいですわ、きっと」
キャスリンは両親を見て笑いをこらえた。
実は王妃は元々は現王の兄の婚約者であった。ところが、ある男爵令嬢と恋に落ちた婚約者から、ある日突然婚約破棄を宣言されてしまった。
彼女は王太子の事が元々嫌いだったので、婚約破棄になった事を寧ろ喜んだ。しかし彼女は国の有力者の娘であったため、今度は新しい王太子の婚約者にされてしまった。
そう、元の王太子は問題有りの駄目人間だったので廃嫡され、男爵令嬢と共に平民落ちしたのである。しかし公には病死した事にされ、残された気の毒なその婚約者は、亡くなった王太子の弟と新たに婚約を結んでお幸せになりました、というシナリオが設定されたのだ。
しかし、自分の子供をまるでただの駒のように、本人の意思を全く無視する親達に、新王太子とその婚約者はうんざりした。そして、王太子同様政略結婚させられていた、王太子の親友ヘルマン=ミッテヘルツ夫婦と共に、いつかあの連中をギャフンと言わせてみせると意気込んだ。
しかし、そうやって色々と話し合うようになると、お互いの人となりをよく知る事になった。そして初めは全く自分達の好みではなかった筈なのに、いつか王太子とその婚約者は本当に愛し合うになってしまった。これでは周りの思惑通りになったと思われるかも知れないが、そうではなかった。
当時、王族は有力貴族との縁を結ぶために、多くの側室や愛人を持つのが当然とされてきた。だが、新しく即位した国王は王妃だけを心から愛し、一切側室も愛人も持たなかった。どんなにハニートラップを仕掛けられてもその罠には引っ掛からなかった。
それに国王は大変頭の切れる人物だったので、愚かな貴族と縁を結ばなくても、自らの力で真に必要な有力者との関係を築き、着実に地盤を固めていった。
ただそれに対し、ミッテヘルツ候爵夫妻はお互いに思いやってはいたが、国王夫妻のように真の夫婦として愛し合う事は出来なかった。
それ故に、跡継ぎの長男が生まれ、家や国が望んでいた娘が生まれたところで、二人は役目を果たしたとばかりに、張り詰めていたものがプツンと切れてしまった。
妻の方が先に昔の恋人の元へ行ってしまった。突然の事に夫の方はそれなりにショックを受けたが、それでもそれを責めるつもりは全く無かった。だから、一つだけ決め事をして二人は円満に離婚をした。
その決め事とは、お互いに二人の子供の事を一番に考え、後々の面倒事を避けるために、彼等の兄弟は絶対に作らない、という事だった。
ミッテヘルツ候爵家は元々回復魔術師を輩出する家柄で、絶えず王家を守る事を義務付けられていた。
しかし生まれてくる子供が皆回復魔術を持つ訳ではない。故に多少なりと魔力ある子供が生まれると、本人の意思など全くお構いなしに結婚させられていた。ダーフィットとリーベ兄妹の両親もそうだった。
そしてダーフィットは大して魔術が使えなかったが、妹のリーベは生まれた瞬間から相当な魔力持ちである事が分かった。なぜなら、彼女は回復魔術師特有の金色の瞳をしていたからである。
リーベは誕生した瞬間から、その前年に誕生していた王太子との結婚が定められていた。貴重な回復魔術師は王家の為に存在するものだったからである。
しかし、国王夫妻もミッテヘルツ候爵も本人無視の政略結婚など、自分達の代で終わりにしたかった。だから自由に交友させて、自然に結ばれればそれに越した事はないが、他に誰か好きな者ができれば、そちらを尊重しようと思っていた。
そしてハーバートとリーベはヨチヨチ歩きの頃から、幼馴染みとしていつも一緒にいた。ただリーベの正体を周りにわからないように変装させていたので、見目麗しいハーバートと彼女は不釣り合いのように映った。
しかしハーバートはそんな事には全く気にならなかったようで、リーベをとても可愛がった。そして彼女を揶揄する者には大人だろうが子供だろうが、男だろうが女だろうが、貴族だろうが使用人だろうが容赦しなかった。あの見事な理論攻めで相手を言い負かし、二度とリーベに嫌がらせをさせないようにしていた。
そしてリーベの方もなんだかんだとハーバートに苦言を呈しながらも、王太子を尊敬し、彼の役に立てる事に喜びを感じて、せっせと助手役に励んでいた。
その上、彼女は側にいる事で王太子を守っていた。これは両陛下と一部の者しか知らないが、ハーバートはかなり小さく生まれ、成人を無事迎えられないだろうと言われていた。幼い頃から年がら年中熱を出し、その度に生死の境をさまよっていた。
ところがリーベと触れ合うようになると、ハーバートはあまり熱を出さなくなった。そしてたまに体調を悪くしても、リーベが見舞いに行くと、すぐに回復していた。
リーベは無意識にハーバートに対して回復魔術を使っていたのである。
このまま二人が結ばれてくれればいいと両陛下は願った。ところが、ハーバートは九歳の時に、北の辺境伯令嬢のルーツィ=フィーアシュタイン嬢と結婚したいと言い出したので、両陛下は驚き、酷くがっかりした。
なにもルーツィ嬢が気にいらないわけではない。息子が丈夫になった今、リーベの回復魔術の力が絶対に欲しい訳でもない。ただ、二人が互いに必要とし合っている仲だと思っていたからである。
両陛下はハーバートの願いに「分かった」とだけ答え、特段何の対応もしなかった。恋とは障害があればあるほど盛り上がる。反対すればするほど逆効果になる。実の兄の経験上、嫌というほどそれを思い知っていたのだ。
ハーバートは恋に恋しているだけのように思えた。余計な刺激をせずに見守ろうと思った。
両陛下の考えは正しかった。
王立学院に入学して、ようやくルーツィと付き合えるようになったというのに、ハーバートは一向に彼女と婚約したいと言ってこなかったのだ。しかもこちらからルーツィを城に招待したら?と声をかけても、何だかんだと言い訳してけして連れては来なかった。
ようやく事態が動いたのはリーベが入学してからだ。ハーバートの様子がおかしいとリーベの兄ダーフィットから報告があった。
そして、リーベ絡みで、とうとうハーバートがルーツィと普通の友人になると決断したようだと聞いた時、両陛下は深いため息をついた。優秀だと思っていた自慢の息子は、恋愛に関してはかなりのヘタレだったのだ。
国王はフィーアシュタイン辺境伯に心を込めて詫び状を送ったが、初めから娘が王太子妃になれるとは思っていなかったので、気にしないで欲しいという返事がすぐに届いた。
良い人を紹介しようとも考えていたが、既に申し込みをする者もあるので遠慮するという。ハーバート殿下のおかげでじゃじゃ馬が淑女になる事が出来て、寧ろ感謝していると綴られていて、両陛下は申し訳無さが倍増した。
息子の判断、対応の遅れは、運が悪ければ一人の淑女の人生を台無しにしていたのかもしれないのだ。王太子として男として許せる事ではない。
両陛下はハーバートが悩み苦しんでいても、一切手を貸さずに放置した。もしこのまま独身となっても、それはそれで仕方がないと思った。
しかし両親とは違い、姉のキャスリンは情が深かった。しかも自分達の恋を応援してもらったという思いもあって、弟にお節介をした。
そのおかげで今日の卒業パーティーでハーバートは、婚約者無し、という大叔父以来の事態にならずにすんだのである。
厳かな音楽が奏でられ始め、パーティーの会場の扉が大きく開かれた。
王太子殿下が誰をエスコートして現れるのか、在校生と卒業生の家族はワクワクしながら扉の方を見つめた。
すると、いつもはクールな王太子が滅多に見せない笑顔を浮かべ、茶色のふわふわの綿毛のような髪に、金色の瞳をした、今まで見たことのない、美しい女性をエスコートして現れた。
ハーバート王太子は頬を染め、うっとりとした顔で、パートナーを見つめながら踊った。二人の踊りは本当によく息が合った見事なもので、あちらこちらから、ため息が漏れた。
「そりゃあ息も合うわよね。十五年も一緒に踊ってれば」
キャスリンの言葉に周りにいた人々が驚いた顔をした。そしてその中の一人のご婦人がこう尋ねた。
「モンフォール公爵夫人、王太子殿下のお相手のご令嬢はどなたなんですか?」
「彼女はミッテヘルツ候爵令嬢のリーベ様。弟ハーバートの婚約者ですわ。弟の長年の思いがようやく実りましたの」
ーえーっ!!ー
会場中にざわめきが起こった。
しかし、お互いに見惚れ合い、二人だけの世界に入り込んでいる王太子とその婚約者の令嬢の耳には、そんな雑音は一切はいっはいなかった。
「奇麗だよ、リーベ。本当の君の姿は僕だけのもので、誰にも見せたくなかったのだけれど、エスコートなしでは、大叔父と同じような人間だと思われても困るし」
「ええ、殿下がそういう趣向の方だと噂がたったら、それこそ私はただのお飾りの婚約者だと思われてしまうでしょうね。それでなくても今現在、卒業式だけのためのパートナーだと皆様思っていらっしゃると思いますし」
「冗談じゃない。卒業式のためだけのパートナーが必要だったのなら、僕はこの二年間こんなに苦労しなかったよ」
「ではどんなパートナーとして私を望んで下さったのですか?」
「そりゃあ、一生を共に歩むパートナーとしてに決まっているじゃないか。君も知っているように、僕は馬鹿だから、君が側にずっといてくれないと困るんだ」
「次期国王になられる方が、間違ってもご自分の事を、馬鹿だなんておっしゃってはいけませんわ」
「いや、馬鹿だよ。ずっと長い事君に悲しい思いをさせてきたんだから」
ハーバートの顔に後悔の色が浮かんだ。九歳から十五歳まで、自分はルーツィを好きだと錯覚していたのだから。そう、あれは間違いなく錯覚だった。
ルーツィを好きだと思っていた時でさえ、リーベと少し離れるだけで心が落ち着かなかった。学院に入った年は特に酷かった。ようやくルーツィと会えたというのに、少しも心が安らかにならなかった。
それはリーベと離れていたからに他ならない。いつもいつも気がつくとリーベの姿を探していた。それなのに、リーベへの恋心に気づけず、なんの行動も取れなかった駄目な自分。
ハーバートの辛そうな顔を見て、リーベは天使のような慈愛の籠もった笑みを浮かべた。そしてこう言った。
「ハーバート殿下。私の瞳には回復魔法だけではなく、人の心も読む力があるのですよ。まあ、殿下専用ですが。ですから、殿下のお気持ちは分かっておりました。ですから私は心穏やかにこの日を待っていられましたわ。たとえ私が残りものになっても、最後は殿下が選んで下さるって!」
ハーバートはリーベがいじらしくて胸が熱くなり、曲がまだ終わっていないというのに足を止め、リーベを強く抱きしめた。そして
「君が残りものの筈がないだろう。最初から僕には君しかいなかったのだから」
彼はこう言うと、彼女の唇に、大人になってからは初めてのキスをしたのだった。
『婚約破棄シリーズ』は実際にあったことを小説にしたもので、王妃がネタを出版元に提供していた、という隠れ設定にしてあります。
最終章まで読んでくださって、ありがとうございます。