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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第一章 術屋
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盗っ人疑惑

 頬を撫でる風がピリリと冷たく、乾燥している。重ねて着込んでいる服の下の肌が寒さに総毛立つ。

 早朝、開店前に店の前を掃き掃除するのが段々苦になってくる季節が近づいていた。

 日本で言う秋にでも向かっているのだろう。

 朝晩がかなり冷えるようになったものだ。ハイラスレシア帝国に私が転がり込んでから、早二ヶ月ほどが経とうとしていた。

 レイヤルクの術屋でも、座ると暖かく感じるホッカイロまがいのクッションなどの、寒い季節向けの商品が店頭に並ぶようになってきた。

 寒くなってくると日中の方が客足が伸び、朝や夕方は逆に客が減った。



 少しこちらの生活にも慣れた私は、たまに術屋の商品の材料の買い出しも任されるようになっていた。

 この日も私はレイヤルクから、高原兎の毛皮を十枚買って来るよう、言いつけられていた。

 店内の掃除を終えると、レイヤルクが書いてくれた簡素な地図を手に術屋を出る。

 表通りから術屋を覗くと、レイヤルクがカウンターに寄り掛かりながら開店一番に来店した若い二人組の女性客と会話に花を咲かせているのが目に映った。安定のいつもの光景だ。

 最近気づいたのだが、多分私はレイヤルクがお客さんとおしゃべりをする為に、必要な人手だったに違いない。

 パン屋の前を通りかかると、扉が勢い良く開き、中からタアナが顔を出した。長い髪を後ろで一つにきっちりと束ねた彼女は、私と目が合うとパッと表情を輝かせた。


「ねえ、新作のパンが焼き立てなのよ!味見していって。」


 その勢いそのまま店内に引きずりこまれると、有無を言わせず丸いパンを手渡された。味見というか、丸ごと頂けるのだろうか。

 ねえ、食べて!と連呼するタアナのお言葉に甘えて、遠慮なくパンに噛りつく。

 表面はやや硬く、パリパリとした歯応えがあった。中は意外にもしっとりとしていて、生地の中に木の実とダイスチーズがたくさん入っていた。

 美味しいし、栄養価も高そうだ。今度是非レイヤルクにも買おう。

 私が素直にパンを褒めると、タアナは心底嬉しそうだった。私がギッシリと詰まった具を咀嚼しながらパンを味わっていると、タアナは店の奥から水をいれたコップを持ってきてくれた。


「そう言えば聞いた?巫女姫様が体調を崩されて臥せってらっしゃるんですって。」


 思わず口の動きが止まる。


「お姿を拝見できる日をとっても楽しみにしていたのに。残念だし、心配だわ。……まあ私なんかが心配したって何の足しにもならないけど。」


 全然知らなかった。

 サイトウさん、身体の具合が悪いのだろうか。

 彼女は神殿庁の人々からこの上なく大事にされているのではなかったのだろうか。言葉が通じないのだから、もしかして体調管理が難しいのかもしれない。

 タアナが差し出してくれた水を有難く飲みながら、思った。

 サイトウさんは立場上、きっと私ほどの自由はない状況下に置かれている。以前レイヤルクから見せられた新聞には、確か彼女は十代だと書かれていた。

 仕事についていけなくなって、日本での自分の現状を半ば放棄したくなっていた私とは違い、若いサイトウさんは日本で楽しい青春時代真っ盛りだったはずだ。そう、彼氏だっていたかもしれない。まだまだ親も恋しい年頃だろう。

 ――今頃強烈なホームシックにかかっていたとしても不思議はない。

 そう考えると、サイトウさんが凄く心配になってきた。

 元居た世界に帰してくれ、と嘆く可憐なサイトウさんを、神官たちが軟禁状態にしている可能性だってある。むしろ、そちらの可能性の方が高いのではないか。

 急に黙り込んだ私に驚いたのか、タアナは顔を曇らせた。


「もしかしてチーズが多過ぎた?少し具を詰め過ぎかとは思ったんだけど…」

「違うの、そうじゃなくて。……巫女姫様もこれみたいに栄養が豊富なパンを沢山食べて、早く元気になって欲しいね!」


 少し無理矢理なコメントをして、発売の際には必ず購入すると宣言をする。

 喜んでくれたタアナの姿に、私まで何となく嬉しくなりながら、パンの御礼を重々言ってタアナと別れた。




 サイトウさんの事で頭をいっぱいにしながら、買い出しに戻る。

 レイヤルクが書いた地図は彼の才気が溢れ、非常に難解だった。その分かりにくい地図をどうにか解読し、何度か道に迷いながらも頼まれた物を毛皮専門店で手にいれた。

 兎というから、勝手に小振りの毛皮を想像していたのに、高原兎とやらの毛皮は一枚で丁度大振りのバスタオルを折り畳んだほどの大きさと厚さがあり、十枚持つのは存外大変だった。

 買い物籠に入り切らずに、灰色の毛皮は中から溢れた。そんな状態の籠を両手で抱えて帰路につく。毛皮は結構な嵩があり、おまけに質感があまりに滑らかで、どんなに押し込んでも籠から零れては地面に落ちた。

 少し歩くだけで何度も籠から毛皮を落としてしまい、その都度拾う。………これではせっかくの毛皮が、汚れてしまいかねない。

 辟易しながら顔をあげると、前から歩いて来る若いカップルに気づいた。手を繋いでお喋りをして、女性の方はまるで弾むように歩き、実に幸せそうだ。

 飛び込んできたその光景に、不意に胸を突かれる。


 (ーーーああ、私こんな所で何をやっているんだろう?)


 そもそも巫女姫の召喚と殆ど同じ時期に私がこの国に迷い込んでしまったのが、偶然だとは思えない。世界の間にある膜とやらを神官長が突き過ぎたのではなかろうか。予定外の大きな穴が開けられてしまい、私のベランダとこの世界が繋がってしまったのかもしれない。

 そう考えると、顔も知らない神官長に対して漠然とした怒りが沸いた。神官長ーーー恐らくは自己顕示欲に駆り立てられた鼻息荒い小太りの男性が、悲嘆にくれて不調をきたして寝込む女子高生を恫喝する光景が脳裏に浮かんだ。

 今まで私は同じ異世界トリップをした身の上でも自分の方がかわいそうで、サイトウさんは恵まれた立場にいると思っていたが、もしかしてそれは早計だったのではないか。私は自分がこちらで生きるのに精一杯だったけれど………。

 タアナや帝都の人々は巫女姫を称賛するし、ましてや神官を批判するところなど聞いた事もないが、レイヤルクだけは違った。

 ひょっとして彼が言う通り、神官たちは悪どい人たちなのかもしれない。

 サイトウさんは私にとって唯一の、日本との接点だ。彼女にとってもそうだろう。私なぞ、この世界に来た時に着用していた服すら今手元に無い。いつの間にか無くなっていたので、ある日レイヤルクに尋ねたところ、「あ、捨てちゃった。」と邪気のない笑顔で言われたのだ。

 避けてきた神殿庁だけれど、同郷のお姉さんとして、サイトウさんの為に何かして上げられる事があるかもしれない。彼女も同じ日本人がいると知れば、心強く感じてくれる可能性もある。

 ――何より、同郷の人と、話したい。

 そう決心すると私は今まで近寄らなかった神殿庁がある区域に、やっと足を向けた。同じ日本人が困っている時に、レイヤルクのいう事を鵜呑みにして神殿庁を怖がっているのはよろしく無い。そんな思いが芽生え、水を吸った綿の如く私の中で膨らんでいった。


 神殿庁にたどり着くと、太い列柱をめぐらせた荘厳な佇まいと威圧する様に聳える建築物を前に、暫し私は勢いを失って立ち止まった。びっしり整然と並ぶ四角い窓が、私を見つめる千の目にも見える。

 気を取り直して籠を持つ手に力をいれ、再びその白い建築群に近付く。

 門扉などは特に存在せず、一際巨大な建物の中央には大きな両開きの扉があり、その前には銀色の甲冑を身に付け、剣を腰から下げた偉丈夫な男性が立っていた。警備兵だろうか。

 建ち並ぶ建物で視界は完全に遮られ、奥の方は視野が及ばないが、広大な敷地を擁している事だけは予想できた。

 石畳が敷かれた広い前庭には、金ピカの女性像が立っていて、その足元には滑らかな光沢を持つ石の台があった。抱える籠の重さがそろそろ私の腕力には限界になり、丁度良いのでその台の上に一旦置かせてもらった。

 顔を上げて建物を眺めると、一番手近にある薄い水色の建物の入口は開け放たれていて、神官らしき人や、信者らしき一般人と思しき人が出入りしていた。籠を置いたままそろそろと釣られる格好でそちらに歩み寄ると、入口の近くには木製の掲示板が設置されており、大小様々な貼り紙がされていた。

 神殿の催し物のお知らせや、寄付の推奨など。種々の掲示に多少興味を惹かれて目を通していると、面白い広告を発見した。

 神殿庁での事務員を募集する貼り紙があったのだ。しかも、応募条件が変わっていて、東部地域出身の女性正民のみに限っていた。

 これはどうしてなのだろう。幾ら色んな人が集まる帝都と言えど、東部地域の女性ってそんなに彼方此方にいるわけではない。

 もしや神殿庁内でも巫女姫の黒髪フィーバーなのだろうか。

 サイトウさんはどの辺りの建物にいるのだろう?

 建物を全体的に見渡そうと後ろへ下がる。そしてそのあまりの巨大さに、圧倒されて首を左右に振る。

 一旦籠を取りに女性像の足元へ戻り、台に置いていた毛皮溢れる重たい籠を再び抱える。その拍子に零れる様に毛皮が一枚滑り、靴の上に落ちた。

 ――やれやれ。何回目だよ。

 拾おうと屈んだその時、斜め後ろに人が来た気配を感じた。

 急いで振り返ると、そこには甲冑をギラつかせた男性がいた。


「何をしている!神殿への供物に勝手に触れるな!」


 何故怒鳴られているのか訳もわからず、とりあえず私はすみません、と口走るとその場を離れようとした。だが警備兵らしき男性は待て、と叫ぶと私の左手首を掴んだ。

 男性の手の平は汗か何かで濡れており、気持ち悪いと思った私はそれを火でも触れたかの勢いで振り払った。するとそれが彼の逆鱗に触れたらしい。


「逃げる気か!供物泥棒め!」

「何するんですか!はなして!」


 男性は急に激昂して私が抱える籠をふんだくろうとし始めた。その衝撃で毛皮が一枚籠から又落ちた。


「人の善意を掠め取ろうとするとは何事だ!今見たぞ!供物台からこれをとっただろう。」


 供物台?

 もしや女性像の足元のこの台の事だろうか。供物を乗せる台だったのか。取るとこだけでなく乗せたとこもちゃんとみといてよ!これは私の私物だから!

 二人で籠を押し合い引き合いしていると、神殿の建物の中から数人の人々が出て来て、その内の一人が弾かれた様にこちらへ走って来るのが横目に映った。

 シャラ、と金属音がしたと思った直後には、私の眼前にはその人物によって剥き身の剣が突き出されていた。

 何するんだ、危ないじゃないか!!

 私に剣を向けた男は黒髪に黒目の持ち主であったが、顔立ちは私とは違い、ずっと彫りが深かった。ウェーブのかかった長い髪をポニーテールにしていて、まるで毛並みの良い馬の尻尾みたいだ。詰襟の濃い紫色をした上衣を銀色のベルトでしばり、下には同じく濃い紫色のズボンをはき、肩からは黒く長いマントをしていた。

 神殿の扉に立っている警備の男性たちより明らかに良い物を着ている。

 精悍なその顔はいかにも不審者を睨むものだった。


「何事だ。」

「この娘、供物泥棒でごさいます!この籠を供物台から盗むところをこの目で見ました。」


 剣を向けられて押し黙った私の隙を突いて、警備兵は私の腕から籠を奪った。頭に血が昇るのを感じ、私は抗弁した。


「籠が重かったからちょっと置いただけです。私が買って来た毛皮ですから、返してください。」

「登録証を見せて貰おうか。」


 いまだ私に白銀の剣を向けながら男性は言った。

 ええと、登録証って前にレイヤルクが話してくれた、神殿登録証の事だろうか。

 成る程、登録証はハイラスレシアで言う身分証みたいな物なのだろう。学生時代に街中で深夜に自転車を引いていた友人が警察から職質を受け、学生証を見せろと言われたと聞いた事があるが、まさにあれと同じか。

 だが困った事に私は今、学生証はおろか登録証ももっていない。

 素直に言うしかない。


「登録証は持っていません。」


 黒髪男が、意思の強そうな凛々しい眉根を寄せ、途端に蔑みの表情を露わにした。


「………お前、隷民か!」


 あっという間に黒髪男が空いている方の腕で私の腕を掴み、それを後方へ勢い良く捻り上げられる。腕が千切られんばかりの痛みに私は悲鳴を上げた。

 マズイ、どうしよう。やっぱり神殿庁になんか近寄るんじゃなかった。

 神殿の関係者を怒らせてしまったこの事態に、どうすれば良いのか分からず、心臓が早鐘をうつ。


「よせ。乱暴な真似をするな。」


 後方から場違いに涼し気な声が響き、私が顔を動かす間も無く、男性に力づくで跪かされる。

 自由だった片手で慌てて受け身を取り、顔面を石畳に強打するのを間一髪防げた。

 視線を動かすと警備兵も両膝を地面につき、両手を己の胸に当てて首を垂れている。そろそろと視線を上げると、そのまま私は言葉を失った。

 正面に立ち私を睥睨しているのは、抜ける様に白い肌に射抜く様な鋭い光を放つ青の双眸を持つ人物だった。

 細く高い鼻梁は繊細な彫刻がもたらしたように、その形には寸分の狂いも無い。眩しく輝く黄金の髪は風によって、長く後ろへと靡いていた。その容貌は常識を超えた美しさがあり、私は幻覚でも見ているのか、と思った。

 首から足首まである純白の長い服の袖と裾には金色の糸によってふんだんに刺繍がされ、首回りには黄金と緑や赤の貴石を組み合わせた分厚い装身具が燦然と煌めいていた。

 片肩から掛けられているのは真紅のショールでありーーーー私は呼吸すら忘れた。赤いショールを纏う神官は………。いや、そんなまさか。



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