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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第四章 ハイラスレシアの片隅で
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サイトウさんと私

 馬車は帝都劇場の正面玄関ではなく、ひと通りの少ない裏口につけられた。

 停車するや否や、扉が開かれてクラウスの手が中へと差し出された。そのまま彼の手を借りて下車したのだが、私は馬車の中から引き摺り出される勢いだった。

 神官長は馬車を降りず、私だけクラウスのやたら力強い腕に引かれて劇場の裏口玄関へと向かった。目立たない扉の前に、既に聖騎士が一人立ち、私たちの到着を待っていた。

 中に入ると公演は終わってからかなり時間が経つのか、他の一般客らしき人々は誰もいなく、広く天井の高い劇場の廊下は、ガランとしていた。煌びやかなシャンデリアや、手の込んだ調度品が物寂しく見える。華やかな観客たちの代わりに、地味な衣装に身を包んだ神殿庁の職員が数人いて、右往左往していた。二階へと続く豪華な階段がある広いホールに出ると、顔見知りの護女官と鉢合わせた。


「サヤ!来てくれたんだ!」


 私がそれに答える隙を与えず、クラウスは私を二階へと引っ張っていった。階段に敷かれたフカフカの絨毯ですら、彼の急いでいる足音でドンドンと音がしていた。多分、今私がこの場に座り込んだとしても、この男は私を引きずってでもサイトウさんの所に連れて行くつもりだろう。

 階段を上って、廊下を少し進むと、クラウスはある扉の前で漸く立ち止まった。扉の前には聖騎士が両脇に直立不動で立っている。おそらくこの中に巫女姫がいるのだろう。

 花と蔦の模様が彫られたその木製の扉に顔を近づけると、クラウスは抑えた声で、扉の中に向かって呼びかけた。


「巫女姫様。サヤを連れて参りました。」


 すると中から、若干震えを帯びた澄んだ高い声がした。


「ほんと?サヤなの?」


 睨みつけるような目力で、クラウスの漆黒の瞳が私にすぐさま向けられた。気圧される形で私は扉に近寄り、返答した。


「ヒナ様。サヤです。」


 沈黙が返された。

 私とクラウスは思わず互いの顔を見た。その一瞬後に、唐突に目の前の扉が開かれた。

 そこには、一年ぶりに見るサイトウさんがいた。

 私たちはきっと、驚くほど同じ表情をこの時浮かべていたと思う。目を見つめたまま、少しびっくりした顔で、私とサイトウさんは同じ数だけ瞬きをした。

 お互いに何を言えば良いのか咄嗟に言葉が出ず、でも何かを言いたくて、焦った。

 サイトウさんは私の記憶の中にいた彼女よりも、一段と大人びていた。丸みを帯びていた頰はすっかりシャープな大人の輪郭になっていて、綺麗な額に掛かっていた以前の前髪は、もう長く伸ばされて後ろへと結ばれていた。まだ子どもらしさを含んでいた一年前の少女は、幼さが抜けて今や大人の女性へと変わりつつある様だった。

 私はそこに喜びと、一抹の寂しさを感じた。

 可愛らしいとも言えたサイトウさんは、いまや美しい女性になっていた。

 サイトウさんのすっかり大人びた、意志が強そうな黒く大きな瞳に、微かに涙が浮かんでいた。

 懐かしさと、心の底からくる安心感。

 この世界での、唯一の同胞。

 引きつけられるように、腕を伸ばして抱き締めたくなる気持ちを抑えて、私はその場に膝をついた。


「ヒナ様。長い間…」


 不意に暖かいものが身体の上から降って来た。サイトウさんが、跪く私に抱きついていたのだ、とすぐ後に理解した。


「会いたかったよ、サヤ。」

「ヒナ様…」

「ワガママ言ってごめんね。こんな風に呼び出したりして。」

「私の方こそ、急に休職をしてしまってすみませんでした。」


 サイトウさんは私の腕に手を掛けると、私を立たせた。そうして、私を部屋の中に引き入れた。中には誰もいなかった。追い出していたのだろう。


「サヤが護女官を辞めると、ルディガーから聞いたんだけど。本当に?」

「はい。もう、ヒナ様は私がいなくてもお困りになることはないかと。」

「そんなこと、ない。」


 私は敢えて笑顔を見せた。


「私、ヒナ様のお友達になって良いですか?」

 

 一瞬、サイトウさんは意表を突かれた様な顔をした。けれど、直ぐに愛らしい笑みを浮かべて、彼女は何度も頷いた。


「勿論だよ。友達になってくれる?」


 私が一度首を縦に振ると、サイトウさんは私に身体をぶつける様にして抱きついて来た。

 私も彼女の背中に手を回した。


「あのね、私、本当はサヤのことこの世界のお母さんみたいに感じてた。」


 お母さん!?

 姉ではなく、母親だとは………。

 そこまでの年齢差はないんだけど。喜ぶべきところなのかもしれないが、ショックも少なからず感じた。

 だがサイトウさんは私から離れると、一切の悪気なく、無心の笑顔を浮かべて私を見ていた。


「あれから、どうしていたの?なんだか、サヤは頼もしくなったよ。」

「ちょっと太ったんですよ、実は。」

「そうじゃなくて!」

「サイトウさん、覚えていますか?」


 私は気がつくと彼女をサイトウさんと呼んでいた。それはとても無意識だった。そう呼ばれたサイトウさんは、はっと目を見開き、柔らかな笑顔になった。


「いつか、神殿庁で約束しましたよね。この世界で、私たちは絶対に幸せになろうね、って。」


 サイトウさんは幾度も頷いた。


「私、この世界での自分にとっての幸せが、何なのかを考える時間が欲しかったんです。それを見つけに、神殿庁を離れたんです。」


 少しの沈黙の後にサイトウさんは口を開いた。


「その、ええと、それってなんて言うんだっけ。」


 そう言いかけてから、彼女は懐かしの言語で再度口を開いた。


『自分探しの旅!そう、自分探しの旅はもう終わったの?』


 私は懐かしの日本語に笑い出してしまった。

 この世界で日本語を使って話をするのは、酷くおかしな感覚だった。それはまるで、私たちにだけ通じる、秘密の暗号の様だ。


『終わって、帰って来ました。』


 今度はサイトウさんが弾けるような笑顔になった。


『じゃあ、これからはいつでも会えるね?!』


 私たちの立場の違いを考えれば、それは無理な話だ。それでも、そんな野暮なことは今は指摘せず、私はそうですね、と同調した。


『話を聞かせて!凄く遠い北の街にも行ってきたんでしょう?』


 それは、アーシード発、エバレッタ経由の情報だろうか。ああイヤだ、なんだかアーシードが信用ならなくなってきたぞ。

 念のため確認すると、サイトウさんは物凄く微妙な笑顔になった。彼女は扉の外を気にするそぶりを見せてから、抑えた声で言った。


『日本語があって良かった。聞いたでしょ?婚約の事。あのね、アーシードったら、すっかり婚約者に骨抜きにされてるの。』


 爆笑した。

 そんなアーシードは、なんだか意外なようで、実は想像に容易いような。

 私の反応に気を良くしたのか、サイトウさんは続けた。


『付き合い始めた当時は凄かったよ!アーシードファンの女の人たちが、悔し泣きしたんだから。彼女に標的にされたら、多分落ちない男の人っていないんだよ。』

『ある意味、尊敬しますね。』

『しない、私はしないよっ!』


 私たちはまた大きな声で笑った。

 その声が聞こえたのか、廊下から巫女姫を呼ぶ女性の控えめな声がした。護女官長だ。

 懐かしさと、罪悪感がまた湧き起こる。

 サイトウさんは扉を開けて護女官長を招き入れた。

 護女官長の瞳は真っ直ぐにこちらに向けられていた。


『ご無沙汰しておりました。』


 私が頭を下げると、護女官長は歩を進め、両手を広げて私を抱き締めた。


「大切な人を、亡くされたのですね。」

「………はい。」

 

 するとサイトウさんが少し笑いを含んだ声で話に入ってきた。


「サヤ、こんな時に突っ込むのもなんだけど、さっきの日本語だったよ。」


 はたと気がついた。

 私は護女官長に日本語ではなしかけてしまっていた。

 ーーー恥ずかしい。

 赤面しながら詫びると、護女官長は笑い飛ばしてくれた。


「ヒナ様。そろそろ神殿庁にお戻り下さい。神殿庁でサヤと昼食を共にされては?」


 護女官長の提案に、サイトウさんはキラキラと輝く瞳を私に向けた。物凄く期待に満ちている。


「サヤ、どう?!」

「皆、喜びますよ。サヤ。」


 今度はノックもなしに扉がひらき、クラウスが乱入してきた。


「サヤ、神殿庁からの帰りは俺が送ろう。」

「あ、それは遠慮します。」

「会わない内に慎み深くなったな。」


 サイトウさんが鈴が転がるような声で笑った。


「サヤとクラウスが、いつの間にか仲良くなってる!」

「ご存知ありませんでしたか?俺たちは実はとても仲良しなんですよ。」


 護女官長までがふき出し、部屋の中が一層明るい雰囲気に包まれた。




 私たちは連れ立って部屋を出て行った。



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