再会
翌日起きると、既に昼を軽く過ぎていた。かなり寝ていたようだ。引っ越しの疲労だろうか。もしくは昨晩、トーマや彼の奥さんとの久々の再会に、浮かれて飲み過ぎたからかもしれない。
宿の部屋のカーテンを開けると、ジワジワと緊張感が身体を走った。今日は新天地での生活の初日だ。
窓の外に見える、玉ねぎ型のドームを持つ宮殿を眺めてから、私は軽く深呼吸をした。近い内に、神殿庁にいる神官長やヒナ様に、挨拶に行かなければならない。いつまでも休職中の身分でいるわけにはいかない。
帝都の通りはカミールのそれよりも人々の喧騒で賑やかだ。
その日私は身支度を整えると、久々の帝都の雰囲気に圧倒されながら、レイヤルクの家の近くへ歩いて行った。タアナに会いに行くのだ。
かつてレイヤルクの術屋だった場所には、今は服屋が入っていた。以前の術屋だった頃の名残はすっかりなく、綺麗な服を纏ったマネキンたちが店の前に並んでいる。この建物の所有者は私なのだが、管理は神官長にキレイに丸投げしてあった。
私は仮にも多分、ここの大家であったが、寄らずにその隣のパン屋ーーータアナの住まいに行った。
パン屋に入りレジの方を見ると、そこに彼女はいた。
大きな緑色の瞳が更に大きく見開かれ、次いで口が開いた。
「サヤ!?」
相変わらず張りのある元気な声だ。彼女は手に持っていた伝票らしき物を放り出し、こちらへやって来た。
「いつ帰って……じゃない、ちょっと待って!!」
タアナはトレードマークの茶色の髪のポニーテールを振り乱して店の奥に消えると、直ぐにまた戻って来た。何故か手にぬいぐるみを持っている。
まさか私にくれるんだろうか、と思い付いたが、タアナはそのまま私を通り過ぎて店の扉を開け、通りに出で行った。追いかけると、タアナは手にしていたショッキングピンク色の鳥のぬいぐるみを、勢いをつけて右手で宙に放った。すると信じ難い光景が後に続いた。
投げられたぬいぐるみは放物線を描いて落下する寸前で突如羽ばたき、まるで生きている鳥のように力強く空へと舞い上がったのだ。そうしてどんどん遠くへ飛んで行ってしまった。
「タアナ、何アレ?」
小さくなっていく鳥をまだ目で追いながら、私は後ろからタアナに話しかけた。何というか、実に非凡な風景だった。ショッキングピンク色のぬいぐるみが空を飛んでいくのだ。
まさかタアナは会わない間に神技の力に目覚めたのだろうか。
だがこちらを振り返ったタアナも、私と寸分違わぬ表情をしていた。彼女は驚きを露わに呟いた。
「びっくりした。本当に鳥になっちゃった。」
数回瞬きをしてから、彼女は直ぐに話を変え、私の両腕を掴んだ。
「帝都に戻ってきたの?ねえ、今までどうしていたの?」
店の奥からはパン屋の旦那さんも姿を現して、私に中でゆっくりしていくよう、優しく声を掛けてくれた。
私とタアナは店の奥のスペースにある席で長々と話し込んでいた。
タアナはたくさんパンをくれて、お茶も出してくれた。
だが夕飯時近くになり、店頭が混み始めたので、私はそろそろ引き上げようと腰を上げた。外を見ると雪がまたチラつき始めていた。長居をしてしまった。降雪が強くなる前に帰ったほうが良さそうだ。
「待って待ってサヤ!まだ話し足りないよ!」
「でも旦那さんと奥さん二人じゃ、忙しくなってきたんじゃない?悪いから…」
席を立った私をタアナが押さえた。
「まだ大丈夫だから。本当に。もう少しだけいて!」
すると店頭からこちらの様子をチラリと見た旦那さんが、私のところに早足で歩いてきた。
「積もる話もあるだろうから、もう少しいてくれて構わないんだよ。すぐ、客も減るだろうから。」
そうだろうか。この時間だと、逆に客が増えていきそうな気がするのだが。
なんというか、二人が私を何とか引き止めようとしているのを感じ、私は再び腰を落ち着けた。
「あっ、ちょっと待ってて。今試作中のパンを持ってくるから!」
タアナはそう言うとオーブンの隣にある、パンが並んだ棚に向かった。
もうお腹がいっぱいでパンが入りそうにないのだが………。
タアナは丸いパンを二つ手に持つと、笑顔でこちらに歩いてきた。だがタアナが始めたパンの説明が不意に止まった。彼女の緑色の瞳は私を飛び越えて、店頭の方角へ向けられていた。
どうしたのだろう、と思ってタアナに呼びかけると、彼女は私に視線を戻して言った。
「………ごめん。やっぱりお店が混んできたから、手伝うね!」
急に前言撤回をするなりタアナは試作品だというパンを紙袋に詰め込み、私に押し付けてきた。急かされる形で私は席を立ち、店の出口まで歩いた。
私たちを見て旦那さんはすまなそうに言った。
「悪いね、サヤ。久しぶりなのにバタバタとしてしまって。また遊びに来てくれ!」
私は礼を言うと、タアナに背中を押される勢いで店の外に出された。
どうして急に摘み出されたのだろうか、と首を傾げていると、私の視線は別の所に釘付けになった。パン屋の通りの前に、大きな黒い馬車が停まっていた。見覚えのあるその車体に、私はおもわず手にしていた紙袋を取り落としそうになった。
大きく頑丈でシックなその馬車は、神殿庁の公用車であった。
私の目の前で馬車の扉が開いた。
中にいたのは、神官長とアーシードだった。
神官長は黒い外套を羽織り、長い金の髪を緩く後ろで一つに括っていた。一年ぶりに見る、綺麗な青い瞳が懐かしい。
ーーーまさか神官長が仕事中に、パンを買いに?
そんな馬鹿な考えが一瞬頭の中をよぎった。
だが驚いて声を失う私とは対照的に、神官長は冷静な表情でこちらを見ていた。つまり、私が今ここにいると知って、馬車をまわしてきたのだ。
「元気にしていたか?」
神官長は馬車から降りるなり、そう問うてきた。
私はあり大抵に肯定してから、ぎこちなく説明した。
「昨日帝都に越してきたの。別の街にずっといたんだけど。」
神官長はただ、そうか、と言った。アーシードは馬車から降りてはいたが、私たち二人とは少し距離を取り、敢えてなのかこちらは見ずに馬車の後方にいる警護の為の聖騎士に何やら話しかけていた。
神官長は通りの真ん中で、私と向かい合い、それ以上何を言うでもなくこちらを見つめてきた。私は不意打ちとは言え、久々の再会に喜んでしまい、自然と笑顔が溢れているのに、目の前の神官長はひどく硬い表情をしていた。唇は真一文字に結ばれ、冷たいまでに整った顔立ちからも一切の感情が読み取れなかった。
神官長は私と会った事が嬉しくないのだろうか、待っていて貰えると思ったのは、やはり間違いだったのかもしれない。
もう私の事などどうでも良くなっているーーー?私がいない間に、恋人が出来ている可能性だってある。
私は神官長の硬い表情から色んな事を推測して、怖くなった。
少しの沈黙の後、神官長は言った。
「パン屋の娘に頼んであったのだ。サヤが帰ってきたら、伝書鳥を飛ばしてくれと。」
「ああ!さっきのあの鳥のぬいぐるみが……。」
タアナはだから私をやたらに引き留めたのか。それにしても、なんて色のぬいぐるみを選んだんだろう。あのぬいぐるみを神官長が買っている場面がちょっと想像できない。
私は一度かしこまった表情に戻り、神官長と向かいあった。休職中の護女官として、言わなければならない事がある。上司としての神官長に。
「長く勝手を致しました。申し訳ありません。突然の休職にもかかわらず、長期の間ご迷惑をお掛けしました。」
足を揃えて頭を下げる。
「貴方が心身共に健康になるのに必要な期間だった。分かっている。」
神官長は一度咳払いをし、周囲の様子を気にする素振りを見せてから、声を落として言った。
「心配していた。昨日は…」
「あ、あの、昨日はレイヤルクさんのお墓に行ったんです。」
「ああ。知っている。昨日は私も行ったのだ。墓地でサヤを見かけて驚いた。」
私を見た?
それなら声を掛けてくれれば良かったのに。そういうと、神官長は少し引き攣った笑顔を浮かべた。
「丁度サヤを男性が迎えに来た所だったのだ。」
「ああ、彼はカミールでお世話になったトーマです。先に帝都に来ていたので、引っ越しやらを手伝って貰ったんです。友達というか、同僚というか。」
「同僚?私はてっきりサヤの恋人かと。」
私は首を左右に振りながら笑い、神官長に教えた。トーマは結婚していて、可愛い娘さんもいるのだと。
すると神官長は大きな溜め息をついた。幾度か瞬きをしてから、私の目をしっかりとらえて言った。
「おかえり、サヤ。」
「ただいま、ルディガー。」
「名で呼ばれるのは新鮮だな。」
私たちはお互いに微笑み、ほぼ同時に上空を見上げた。どんよりと暗い空からは果てなくパラパラと雪が降り続けていた。
「今日はもう遅い。家まで送ろう。」
「お仕事中じゃ…」
「あとは明日に回せる案件ばかりだ。それにこの機会を逃すほど愚かではない。サヤは直ぐに逃げ出すから。」
神官長はそう言うと、パン屋に近づいた。パン屋の中にいる人は、皆一様にこちらを見ていた。トングでパンを挟んだ状態のままのお客さんもいた。パンが潰れるだろう。神官長は中には入らず、タアナに外から軽く会釈した。
タアナは慌てた様子で、胸に手を当てながら膝を軽く折った。
「馬車に乗ってくれ。雪が強くなってきた。」
私は神官長に礼を言いながら、御者に宿の住所を伝えると、神官長と一緒に馬車に乗り込んだ。
「この一年間、どうしていたんだ?本当に心配していた。私も、皆も。」
私はさっきタアナに話した内容と殆ど同じ話を神官長にした。各地を転々としたこと。あてどなく旅をし、挫折しそうになった矢先に出会った隷民シェルターのこと。カミールでの生活。尊敬できる上司や、楽しい同僚。それでも帝都へ、帰りたくなったこと。
「直ぐにでも護女官に復職するか?」
「神官長。ーーー私が護女官としてヒナ様のお役に立てる事は、もう無いと思います。残念ですが。」
あれから一年が経ち、もうサイトウさんはすっかりハイラスレシアに馴染んだだろう。今やもう、自他共に認める立派な巫女姫になっているはずだ。
私は、自分が再び護女官として働く未来を描く事がもう出来なかった。ヒナ様と会えるとしても、それは護女官としての私ではなかった。互いにとって過去を懐かしみ、また母国語で二人だけの話ができる、かけがえの無い存在ではあるだろうが、それは護女官である必要はないのだ。
そう説明しているあいだ、神官長は静かに私の話を聞いていてくれた。
「では…」
「私、護女官を辞職します。」
神官長は突然の辞職宣言に驚いて暫し黙ってしまっていた。
「本当にいいのか?」
私ははい、と答えた。
清々しい気持だった。
話しおえる頃にはとうに仮住まいの宿の前に着いていた。ようやく話が一区切りついたので、私は馬車の扉を開けた。降り積もってシャーベット状になった地面に降り立つと、次の一歩で足を滑らせ、尻餅をついた。
「大丈夫か?入り口まで送ろう。」
後から降りた神官長は私の腕を取ると、起こして立たせてくれた。そうして宿の中へ一緒にきて、共に階段を上がり、部屋の前まで辿り着くと、私たちは名残惜しげに見つめあった。
一年ぶりなのに、私たちは一番肝心なことを話していなかった。
ーーーもう少し話していたい。
ここで声を掛けなければ、後悔するに違いない。私は勇気を振り絞って、神官長とその少し後ろに控えているアーシードに言った。
「あの、寒いから温かいお茶を飲んでいかない?」
神官長は滲むような美しい笑顔を見せてくれた。
「ありがとう。いただこう。」
だがアーシードは穏やかな笑みを浮かべて、私の誘いを辞退した。彼は先に神殿庁に帰るということだった。こうして私は期せずして突然神官長と二人きりという状況になった。身体中にあっと言う間に喜びが駆け巡る様な嬉しさを感じた直後、部屋の鍵を開けながら私は気づいた。
ホテルのシングルルームの部屋に神官長を招くなんてーーー恥ずかし過ぎる!!
神官長の自宅を思い出すと、そもそもとても招待できる広さではない。
とはいえ、今更やめるわけにもいかず、急に縮こまりながら私は彼を部屋の中にいれた。
横目で神官長の反応を盗み見ると、彼はサッと部屋の中に目を走らせた。だが特に表情を変える事はなく、脱いだ外套を自分の腕に掛けていた。思えば私が神官長の自宅に呼ばれた時は、目を丸くして家の中を凝視したではないか。自分の失礼さに今更ながら恥ずかしくなった。
超特急で茶をいれると、私は神官長と簡素なソファのセットについた。
狭い部屋のチャチな席と、そこに座る真紅のアバを掛けた神官長のコントラストが、泣けるほどいたたまれない。何かの合成画像の様にすら見える。
唯一胸を張れるのは、茶葉が一応一級品であるという点だけだ。
神官長は夕食がまだだと思われたので、タアナが持たせてくれたパンを茶菓子がわりに並べた。こちらも私の中では一級品だ。
「ヒナ様や神殿庁のみんなは元気ですか?」
熱い茶を飲んで身体をあたためながら、気になっていたことを聞いた。
神官長は早速パンをつまみながら話してくれた。
「ヒナ様はお健やかにお過ごしだ。相変わらずヒナ様がご参加される行事は大盛況だ。」
私はコクリと頷いた。巫女姫が来て以来、この国の人々が宗教に、神殿庁に対してより熱心に心酔していく過程を、今の私は少し距離を置いて見ている気持ちだった。召喚神技自体が帝国と神殿の力の象徴とその誇示の手段の一つであったが、ヒナ様が来てからは毎年、各地で作物も豊作続きなのだという。そのことは連日紙面を騒がせていた。これは単なる偶然なのだろうか。それとも?
「だがヒナ様は喜んでばかりでいらっしゃる訳でもない。ずっとサヤをご心配されている。」
「私を………?」
「同じ世界から来たサヤを置いて自分だけ幸せになれない、と。」
胸が熱くなった。
神殿庁で、そして後宮でお世話をしたサイトウさんの姿が瞼の裏によみがえり、こみ上げてくる物があった。
彼女も私の事を忘れずにいてくれたのだ。こんな勝手をした私を。ヒナ様は両思いのクラウスと、もう幸せになって良いはずなのだ。それなのに私に何か遠慮をしているとすれば、申し訳ない。先代を除いて、過去の巫女姫はほとんどの巫女姫がこの地で伴侶を見つけて子孫を残していた。巫女姫が幸せであれば良いのだ。彼女の祈りが帝国の安寧に繋がるらしいのだから。この世界では、結婚しようが歳をとろうが、巫女姫は巫女姫だった。
「ヒナ様がサヤに会いたがっている。落ち着いたら、会う気はないか?」
会いたい、と何度も言いながら、私は首を大きく縦に振った。神官長はそんな私を、目を細めながら見ていた。
「実は一つ、めでたい報告がある。アーシードが婚約したばかりだ。」
アーシードが!!
私は激しく瞬きをした。
「お相手は、私が知っている人?」
「相手はエバレッタだ。」
「ええええ!?」
驚きのあまり、私はつい口走った。
「エバレッタは、ルディガーが好きなんだと思ってたのに。」
「さあな。だが私はいつ帰るとも知らぬ女性を待つ様な男だ。」
エバレッタは転んでもタダでは起きないのだろう。神官長は諦めて、富豪として名高い名家出身のアーシードを射止めたらしい。さすが特席にまでのぼり詰めただけはある。
だがなんだろう、アーシードの為にも喜びたいのに、何故か素直に祝う気が起きない。
複雑な心境に至っていると、神官長が向かいの席から手を伸ばし、テーブルの上の私の指先に触れた。
「サヤ。一年間待っていた。私の気持ちはあの頃と全く変わらない。」
「私もーーー貴方に会いたかったよ。」
私はぎこちなく指を動かし、それに応える様に彼の長い指に絡ませた。神官長は私の指をギュッと握った。
「もうどこにも行かないでくれ。」
「うん。行かない。ーーーー貴方のそばにいても、良い?」
「これからは、私の一番近くにいて欲しい。」
そう言って神官長は私の指先に口付けた。彼の柔らかな唇が触れた所から、瞬時に熱がのぼり、顔がかっと熱くなるのを感じた。
「抱きしめても良いか?」
私は喜びに震える胸をおさえながら、小さく、だがはっきりと頷いた。神官長は席を立って、私の隣へ来た。私も椅子から立ち上がった。僅かな躊躇いの後、私たち二人は互いに手を伸ばし、抱き合った。
柔らかな神官服の布地が顔に当たる。
神官長は私の髪を何度も撫でると、額に唇を落とした。私も神官長の背中に腕を回したまま、彼を見上げた。心臓が、これ以上はないと言うほど早鐘を打った。
サヤ、と神官長に何度も囁かれ、そのたびに乙女の様に気持ちがざわめく。
顔が上気するのを感じ、胸の高鳴りに呼吸が追いつかない。
「明日にでも、神殿庁に行くね。みんなにお詫びに行かないと。」




