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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第四章 ハイラスレシアの片隅で
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そして、帝都へ

 ハイラスレシア帝国は広大だ。

 私は地図を片手に、気の向くままの旅をした。

 同じ国でも、東西南北どちらの方角へ進むかでその地の文化も、そこに住まう人々の人種も違う。

 時間だけはたくさんあるひとり旅の中では、私は最初の頃何も考えずにこの国の都市をみてまわった。

 旅に出てから暫くすると、徐々に私も落ち着いてきて、自分のことをじっくりと考える時間が多くなった。

 私はこれから、どうしていけば良いんだろう。

 私はどうしたいのだろう。

 そうして私は、この国へ来た多くの移民が流れ着くのと同じ様に、気がつけばハイラスレシア第二の都と言われる地にたどり着いていた。帝都を出てから既に二ヶ月が経っていた。

 ハイラスレシア帝国の中で帝都に次いで大きな街、カミールはどこか整然とした帝都よりも、一種雑多な雰囲気があり、元はと言えばはみ出し者の私にも居心地が良かった。

 カミールに着いてからは旅を止め、私はそこに予想外に長居することになった。








「ようこそ、帝都へ!」


 トーマは馬車の中から降りるなり、私に満面の笑みを見せた。差し出されたトーマの手を取り、私も馬車から降り立つ。ーーー実に久しぶりに踏み入れる帝都であった。

 独特の喧騒が私を包む。

 感慨深く通りに立って辺りを見渡すと、道のずっと先のたくさんの建物の向こうに、巨大なドーム型の屋根を持つ建築物が見えた。 皇帝の居城だ。かつて一時期、自分がそこにいたなんて、今はなんだか信じられない。

 私がぼんやりと立っていると、馬車を横付けした宿から、ポーターが出てきて、私の荷物を持ってくれた。


「サヤのために、選りすぐりの宿を予約したんだよ!」


 トーマは興奮に満ちた声で言う。彼のテンションの高さに、私が密かに抱いた感慨も吹き飛んだ。


「ご近所は皇帝陛下のお城さ!」

「き、近所………?」


 私の突っ込みを余所に、彼はそのままの勢いで目を輝かせて、私を振り返る。


「当分は宿に泊まるんだろう?」

「うん、そのつもりだよ。」


 久しぶりにーーー1年ぶりに目にした皇帝の居城を前に、私は暫し時間を忘れて立ち尽くしていた。

 視線を落として足元を見れば、タイルが敷き詰められた道路は幅が広く、それすら懐かしかった。私が昨日までいた街、カミールはハイラスレシア帝国の第二の都と言われているけれど、やはり帝都は道路一つとっても規格が違う。


「一年、かぁ。」


 思わず私はつぶやいた。


「今日はもうゆっくり休めよ。家探しは明日からにして。」

「うん。でも今からちょっとお墓参りにいきたいんだ。」

「気をつけろよ。じき日が暮れるぞ。」


 トーマが用意してくれた宿の部屋に入り、窓の外に目を向けると、何かが外を軽やかに舞っていた。訝しく思い、窓に近づく。

 外を見ると小さな白い雪片がヒラヒラと空から舞落ちていた。

 私は窓を開けて首を外に出して、通りを見下ろし、そして景色を眺めていた。

 開いた窓から冷たい湿気を帯びた風が入り込んでくる。急いで外套を羽織ると、私は部屋を出て墓地へと向かった。







 降雪の為か帝都の大通りも人が疎らになり、墓地の周りまで来るとそこは完全な静寂に包まれていた。出入り口である鋼鉄の門を開けると、重たい金属音が辺りに響いた。

 石の墓標が並ぶ中、木々が生い茂る。所々に死者を悼む像が置かれ、私を無言で迎えてくれた。小さな墓標や意匠を凝らした彫刻がされた墓標など、様々な形の墓があった。溢れるほど花が手向けられたものも、又は花は無く、雑草が茂る墓もあった。

 私は名も知らぬ人々が眠るたくさんの墓の間を進み、墓地の奥へと進んだ。奥の方は裕福な一族が所有する区画となっており、一つの区画ごとに花壇で境界線が引かれ、一般の人々の墓よりも立派な墓標や像がたてられていた。私はそのうちの一つに入った。

 その区画の隅にひっそりと、私が訪ねてきたお墓はあった。傍には小さな木が生えている。

 目立たない簡素な墓標の前まで歩いて来ると、私は暫し言葉もなく立ち尽くした。

 最後にここに来たのは、一年前だ。私は一年ぶりに語りかけた。


「ただいま、レイヤルクさん。」


 その灰色の墓標には、小さな字でジョシュア=ガレルと彼の名前だけが刻まれていた。暫し名を眺めていると、雪が少し強さを増し、先ほどより大粒の雪片が次々に舞い降りてきた。

 ーーーそういえば前に、レイヤルクさんに雨を降らせる神技をやって貰ったっけ。

 懐かしさと当時の自分の動揺ぶりが脳裏によみがえり、キュッと胸が痛んだ。過ぎた歳月を噛み締めながら私は手を伸ばして、その名前に指先で触れた。

 雪の欠片がとけ残り、彫られた名の一字一字を微かに白くしていた。指でなぞるようにして、その雪を払い落とした。


「一年も来れなくてごめんなさい。私、いろんな事があったんですよ。」


 私は墓標に向かって心の中で語りかけた。

 巫女姫の生まれ変わりとしてではなく、サヤとしてこの世界での人生をやり直そうとしたこと。その為に帝都を出て各地を旅して見て回ったこと。

 そして、この世界でやはり一番理不尽だと再認識したのは隷民という立場に置かれた人々の存在だった。それはかつての私だったから。

 私がハイラスレシア帝国中の街をまわり、訪ねた中には隷民を保護する施設もあった。だがそういった慈善事業や施設は殆どの場合、実際には余り役に立ってはいなかった。

 そんな中、カミールという街で見つけた隷民シェルターは、うまく機能していたのだ。元々神殿は隷民の最低限の権利を守る為に、隷民からの訴えがあればその主人の所有権を剥奪し、保護をする役割を担ってはいたが、カミールの隷民シェルターはそこと隷民とのパイプ役を果たしていた。

 噂を聞きつけて、帝都からカミールに逃げ込んでくる隷民がいるくらい、隷民シェルターは虐げられていた隷民の力になっていた。

 私は放浪の旅をやめ、カミールにとどまり、隷民シェルターのお手伝いを始めたのだ。シェルターはほぼ寄付金で成り立っているため、常にボランティアを必要としていた。ボランティアとはいえ、なかなかに忙しく、けれど心底追い込まれている人々を一人一人、彼等がその窮状から抜け出す手助けをしていけるのは、とてもやり甲斐があった。私はその時、紛れもなく一人のサヤという人間として、カミールの人たちに必要とされていた。

 そんなカミール支部で私がボランティアの仕事を教わったり、生活面でも何くれとお世話になったのが、職員のトーマだった。

 ある日私は、親しくなった彼に自分がなぜカミールに来たのかをついに話した。

 即ち、自分は異世界から落ちてきた隷民で、幸い今は正民となったが、自分を見失ってしまったということ。

 仕事を休職中であり、いつかは帝都に帰らねばならないこと。好きな人が、帝都にいること。

 その話をした少し後に、トーマは帝都の隷民シェルターにそのノウハウを伝授する為、転勤となったのだった。同じ頃、私もある決心をした。トーマがカミールから出て行った少し後、私は彼に手紙を書いた。帝都のシェルターの様子を、帝都の様子を知りたかったのだ。

「そろそろ帝都に戻ったらどうだ?時間は待ってくれないぞ!」なぜ彼に私の気持ちが分かったのだろうか。自分が帝都に帰る決意をした直後に着たこの手紙の文を読むなり私は笑ってしまった。トーマの軽い調子での問いかけは不思議と心の奥へとストンと落ちてきた。そろそろ帝都へ戻れ、と友人にまで背を押された様な感覚だった。


「こんな私だけど、隷民の地位向上の為に、少しは尽くせたんだよ?」


 レイヤルクにそう告げ、顔を上げると辺りにはうっすらと白い雪が積もり始めていた。

 枝を広げた木々の葉一枚一枚にも、近くにあるベンチの横に置かれた小鳥の像の頭の上にも雪は積もり、寒々しい景色に変えつつあった。そろそろ帰らないといけないだろう。

 私はフードを深く被り、努めて明るい声でレイヤルクに声を掛けた。


「また来ますね。」


 墓地を中ほどまで戻った時、静寂を割って大きな声がした。


「サヤ!」


 顔を上げてフードを少し浅くし、視界を良くする。

 前方から私の名を呼んだ人物がこちらに走ってくるのが見えた。石のタイルを蹴る靴の音が聞こえる。

 ーーーここで今そんなに走ったら、転ぶよ!

 そう私が言おうとした矢先、ズルっと大きな音がした。

 遅かった。


「トーマ、大丈夫!?」


 角を上手く曲がれなかったトーマは横向きにスライディングしながら、盛大に転んでいた。

 参った、と呟きながら彼は雪の積もった地面から身体を起こし、濡れた手や膝を擦った。私も彼の服に付いた雪を払ってあげる。


「どうしたの?どうしてここに…」

「食事を一緒にどうかと思って、宿に行ったらいないから。あまり遅いから、心配したんだよ。」

「ありがとう。」


 その後私たちは顔を見合わせて、爆笑してしまった。


「なんか俺、今子どもみたいじゃなかったか?」

「うん、ごめん。えらい見事な転びっぷりだった!」

「格好つけて迎えに来たのに、恥ずかしいな。」

「そんな事ないよ。カッコイイ、カッコイイ!」


 私たちは再び笑った。

 二人で墓地を歩き、また来た道を戻る。


「うちの奥さんが、サヤの分も夕飯用意したんだよ。食いに来てよ。久しぶりだから凄く会いたがってる。」

「うん。ありがとう。」


  トーマの可愛らしい奥さんと、利発そうなまだ幼い女の子が、私が来るのを待っていてくれている。

 そう思うだけで、胸の中に暖かな火が灯り、寒さをしばし忘れられた。


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