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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第四章 ハイラスレシアの片隅で
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この国の中の私

 私はその後、どのくらいレイヤルクの傍に座っていたか、分からなかった。

 彼の顔を見てはこの世界へ来た時の事や、それからあった出来事を走馬灯のように思い出していた。

 嫌な事も、傷ついた事も、楽しかった事もたくさんあった。この世界に落ちてから、今までに至る日々を振り返ると、余計にこれから私はどうしていけば良いのか、分からなくなった。


「レイヤルクさん、私これからどうしたら良いんでしょうか。」


 尋ねてみても答えは返って来ない。静まり返った部屋で私はレイヤルクに、そんな事は自分で考えろ、と言われている気がした。

 私にとっては、初めて身近な人をしかも目の前で亡くした経験だった。

 それはあまりに呆気なく、けれど絶大なショックを私に与えた。

 身体はすっかり力を失って萎え、頭の中は暗幕が下りてひたすら薄ぼんやりとしていた。私の頭の中は、思考しているようで、その実殆ど機能していなかった。

 死は遠くにあるようで、実は酷く近くにある物だった。まだまだ縁がないと高を括っていても、それは唐突に避け難い速さで直ぐ目の前にあらわれるのだ。

 その夜私は、神官長に話しかけられても反応の鈍い、まるで人形みたいな返事しか出来なかった。目を上げたり表情を作るのさえ面倒で煩わしく、私の状態を案じた神官長が泊まっていくように言ってくれた時すら、無気力にただ客間に向かったのだった。礼も言いそびれていた。


 翌日神官長は朝から神殿庁へ向かったが、私はその一日を幽鬼の様に過ごした。

 神官長が置いていってくれたパンや果物にも一切手をつけず、客間で放心していては、時折レイヤルクが安置されている部屋に入り、彼の顔を無言で眺めた。

 どのくらい時間がたったのか、気がつくと神官長が私の肩を揺すった。

 神殿庁から帰ってきたのかーーー。

 顔を上げると窓の外からは強烈な夕焼けが差し込んでいた。ハイラスレシアの夕焼けは、私がかつて日本で見たどの夕焼けよりも、鮮やかで強かった。乾燥したこの国特有の現象なのかもしれない。そうして、だからこそこの国の人々は太陽を崇めるのだ。

 少し前まで私はレイヤルクの家の掃除をしていた。それがとてつもなく昔の事の様に感じられた。ーーー彼は、いわばこの世界での親のような存在だったかもしれない。うまれたてのヒナは、初めて見た物を親だと思うのだと言う。私にとって、初めてまともに意思疎通が出来たレイヤルクは、やはり私の中では決して小さな存在ではあり得なかった。しかしだからと言って、茫然自失としていようが、そんな私に御構い無しに時間は過ぎていくのだ。

 私とレイヤルクを二人にしてくれた神官長であったが、さすがに心配したのか、私の顔を覗き込んで言った。


「何か飲んだ方が良い。」


 神官長は私を立たせ、背中に手を当てて部屋の外へ誘導した。誰かの命がなくなっても、時は着々と過ぎていくし、そこに残された私は例外ではいられないのだ。自分に影響力があった人物を目の前で亡くし、私は幾らか気持ちが引き摺られそうになっていた。けれど、生きているものは歩き続けなければならない。それはとても根気のいる事だった。

 長い廊下を歩いていると、その途中に大きな窓があり、中庭に面していた。その中庭がとても明るい事に気づき、思わず歩みを止めて見入った。

 以前神官長にこの家でお昼を作って貰った時に、居間から見えたあの中庭だ。今はそれを反対側から見ているのだろう。来た時は焦っていたからか気付かなかった。

 中庭の木々の葉が、敷き詰められたタイルが、そして小さな水盤の水が夕陽を映し、輝いていた。普段は生命力溢れる緑の草たちも、白い可憐な花も、瀟洒なテーブルセットも。一切が夕暮れの光の中で、ただ一つの色に輝いていた。それぞれが放つ光によって、中庭全体が暖かな、淡いこがねいろに染め上げられていた。


「私の自慢の中庭だ。」


 神官長がそう言いながら横に並んで立ち、一緒に中庭を眺めた。

 美しいですね、と私は言葉を漏らした。

 酷く感傷的になっていたせいか、そんな美しい中庭を前に、不釣り合いな台詞が口から転がり出た。


「前に私は中庭で命を失いました。」


 神官長は中庭に目を向けたまま、口を開いた。


「サヤはジュリア様の為にもう十分尽くした。ヒナ様やジュリア様の事ではなく、今日これからは自分自身の幸せを考えてくれ。もう、ジュリア様に縛られる事はないのだ。」


 私はそれには答えずただもう一度、綺麗ですね、と賛じた。目頭がじわじわと熱くなるのを感じ、あっと言う間に目に涙が溢れ、頬を伝い落ちた。レイヤルクの為の涙だろうか。或いはこの中庭のあまりの美しさに心を打たれたのか。若しくは中庭を照らす陽の光が明る過ぎたからか。

 神官長は、ああ綺麗だ、と答えた。その瞳はもう中庭には向けられていなかった。中庭の事を褒めているのに、なぜ私を見つめるのだろう。

 私は一種のもどかしさを感じた。

 神官長はとても優しい口調で続けた。


「サヤ、しばらく休職をするか?」

「えっ………?」

「サヤには今休息が必要だ。とても仕事が出来る精神状態ではないだろう。」


 休暇ではなく、護女官自体を当分やめる?

 考えもしなかった提案をされ、狼狽しつつも、その通りかも知れない、と感じた。

 いま、私は何もかも放り出して忘れ、何処か遠くへ行ってしまいたい心境にかられていた。


「でも、ヒナ様は………。」

「私から言っておくから、それを気にやむ必要はない。仕事に戻りたくなったら、いつでも戻ってくれば良い。」


 私は、言葉なく、神官長の顔を見ながら何度も頷いた。

 中庭に一羽の灰色の鳥が舞い降りてきた。鳥は中庭に置かれたテーブルセットの椅子の背もたれにとまり、小さな首をキョロキョロと左右に回していた。やがて音もなく鳥は羽ばたいて飛び立ち、何処かへ消えていった。

 私たち二人はその一部始終を、ともに静かに見ていた。


「少し前に、レイヤルクが全財産をサヤに譲ると言っていた。」

「私に?」


 隣にいる神官長を振り向くと、彼は手を伸ばして私の涙を拭ってくれた。その後で少しからかう様に笑った。


「言っておくが、かなりの財産だ。一人の元神官長が、二百数十年をかけた蓄財だ。実に重たい愛だな。」

「二百五十年の愛。」

 

 私はこれからハイラスレシアで、どう生きていこうか。何をしたいだろうか。それを考えた時、レイヤルクが残してくれた財産はとてもありがたかった。


「その愛に負けるつもりはない。」


 神官長はそう言うと、私を優しく背後から抱きしめた。私はしばらくその心地よい腕の中で、美しい中庭を眺めた。


「サヤ。愛している。」

「うん。私も…」


 神官長の唇が私の唇に押し当てられた。


「もうあの家に一人で暮らすことはない。いっそ………この家に来てくれないか?」

「ーーー少し時間を下さい。」

「どのくらい?」


 神官長のうっとりとするほど綺麗な目に見つめられ、今すぐこの身を投げ出してしまいたくなる衝動をどうにかおさえる。 ーーーここにいたい。神官長の庇護のもと、その愛に縋って生きていけたらどんなに楽だろう。

 けれどどうしても引っかかるのは、神官長が私を巫女姫として見ている事だった。私は、自分を神官長が召喚した太陽神の巫女姫の生まれ変わりとしてではなく、一人のサヤという女性として、きちんと見て欲しかった。ジュリアは、先代の巫女姫はあの日、井戸の中からネックレスを引き上げた時に消えたのだ。

 私はどうすれば、ジュリアの生まれ変わりではなく、召喚に失敗された巫女姫でもなく、ーーーただのサヤとして生きられるのだろう。

 この世界でどう生きたいのか、と問われれば、全てが終わった今、神官長が私を術屋に探しに来る前に戻りたかった。あの頃私は妙なしがらみもなく、日々を送っていたから。

 もう一旦全てを断ち切りたかった。身軽になりたかった。それが、私にとっても、同じ世界から来たサイトウさんにとっても、良い事の様な気がした。

私は目をはっきりと見開き、真剣な面持ちで神官長を見つめた。


「この先、私も巫女姫の生まれ変わりだという話は、絶対にヒナ様にしないで。」

「勿論だ。」

「アーシードも…」

「誓って誰にも話させない。」


 これを聞いて私は幾らか胸のつかえがおりた。結局のところ、召喚に巻き込まれたのは私ではなくサイトウさんの方だったのだ。でも、今となってはそれは些細なことだ。

 この世界に来てから、着こみ続けて重たくなった服を全て脱ぎ去り、何処かへ駆け出したい。そんな衝動に私は駆られ始めていた。

 ここではない場所ならどこでも、私にとって何か価値ある場所に成り得る様な気がした。でもどこへ?

 それを決めるのも私の自由で良いし、そうあるべきなのかもしれない。


「どこかに行きたい。」

「どこへ?」


 私は答えなかった。我ながら無責任で頼りない判断かも知れないと感じたが、今はそんな自分を許そうと思う。


「神官長。私、旅に出たい。」


 意外な事を聞いた、と言いたげに神官長は片眉を上げた。私は涙に濡れた情けない顔のまま、ぎこちなく笑ってみた。

 私はいわば今日、この世界に生まれたばかりの存在だ。この世界の事を何も知らない。やりたいことはあるけれど何から始めたら良いのかもわからない。

 前世のしがらみを捨て、一からこの国での人生をやり直したかった。

 何だか自分探しの旅みたいだ、と思った。

 そう思えるとふつふつと身体の奥底から、渇いた笑いが込み上げた。

 日本で仕事をしていた頃、私を心身ともに追い込んだきっかけがまさに、上司の自分探しの旅だったではないか。あれほど憎んだそれを、今度は自分がしようと言うのだ。人生は分からないものだ。思えば神官長に初めて出会った時、いかに彼を遠い存在に感じた事か。神官長は長らくこの世界でも、私には縁の無い存在だったのに。けれど本当は私を召喚した張本人だった訳で、それでも今はこうして私は彼を好きになってしまっている。

 日本での遠い日々をふりかえり、今にして思えば、あの頃上司もきっと何かに酷く悩んでいたのだろう。

 もう二度と会えないその人々や日々を想い、胸の痛むような郷愁を感じた。

 当時は色々と憎んだし、何もかも投げ出したくなった。けれど、私は確かに自分の人生を一生懸命に生きたのだ。

 ここでも後悔のないように生きたい。

 今はこんなでも、胸を張って自分がこの世界で歩んだ道を語れるようになりたい。

 私は手を伸ばして神官長の頰に触れた。


「私が巫女姫でなくても、好きだと言ってくれる?私を、サヤとしてちゃんと見て欲しいの。」


 その為にも神官長と一度距離を置きたかった。旅に出て、戻ってきたら、私はもうジュリアの事を忘れるつもりだ。


「だから、私は何もかも一度捨てたいの。やり直したいの。全部。巫女姫だという貴方の認識も。」


 私はここであなたをも捨てる。

 事実上、そう宣言しているのに等しかった。

 そう告げるのは声が震えるほど怖かったし、勇気が必要だった。でも安易にここを避けて通りたくなかった。

 神官長は直ぐには返事をくれなかった。微動だにせずただ黙って私を見つめた後、中庭に視線を移し、長い息をつくと、目を彼方此方に彷徨わせた。とても心情が揺れ動いているのだろうと思えた。


「行くなと言えば考えを変えてくれるか?」

「ううん。」

「それならば護衛は…」

「私は巫女姫じゃないよ。」


 神官長は首を左右に振った。

 この世界に不慣れな私が、一人で旅に出るなど、危ないと。

 私は自分の考えをゆっくりと吐き出すように話した。


「術屋では生きていくのに精一杯で……、神殿庁では目標の為にがむしゃらに働いたんだと思う。」


 でも今、それらが過ぎ去り、私は改めてこの世界で自失していた。私はゆりかごから放り出された赤子だった。


「だから、今度は自分の為にいきたい。」

「どのくらいーーー、どこに旅に?」

「一週間かな。一ヶ月かも。もっと長くても、とにかく自分が納得するまで。」

「………手紙をくれるか?」


 私は首を左右に振った。

 連絡を取り続けたら、意味がないと思ったのだ。


「手紙がないと、私を忘れちゃう?」


 神官長は愚問だ、と言い放つと私をぎゅっと抱き寄せた。天にも舞い上がる様な高揚感に襲われた一方で、これが別れの抱擁になるかもしれない、という一抹の不安が私にはあった。

 都を離れて、また戻ってきた時、まだ神官長は私を想っていてくれるだろうか。巫女姫の生まれ変わりではない、単なる一人のサヤという人間を、待っていてくれるだろうか。

 今、私の未来には不安しかなかった。私たちはそうして長いこと、抱き合っていた。


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