深夜の話し合い
長い話が終わると、もう夕食の時間はとうにすぎていた。
あらゆる気力が萎え、私は空腹を感じなかった。でも神官長は………。
「神官長、こんなに遅くまでごめんなさい。神殿庁の皆が心配しているから、帰ったほうが…。」
「貴方を置いて帰れと?」
私はレイヤルクの寝室の方を見た。その視線の先を辿り、神官長は言った。
「残酷な事を言うが、サヤがレイヤルクの側にいてやっても出来ることは殆ど無い。」
神官長は私の両頬に触れて、私の顔を神官長の方に向き直らせた。
「サヤはもう隷民ではない。ここに残るなんて言わないでくれ。」
「でも、あんな状態のレイヤルクさんを一人にはできない………。」
「残ってもサヤが辛いだけだ。」
「だからと言って今一人にできないよ。」
「彼はもう危険人物ではない。神殿庁は彼をもう追わない。」
「私…」
「サヤ。あの男の話を全て鵜呑みにするべきではない。」
どういうことだろうか?レイヤルクさんの昔語りが、信用できないと?
私は真意を問うように神官長を見つめ返した。
「丸ごと信じたとすれば、サヤは人がよすぎる。」
私が何かを言い返す前に、神官長は続けた。
「私と帰ってくれ。そしてこの先も私の側にいて欲しい。」
私は少し間を置いてから答えた。
「神官長。貴方といきたい。でも、今彼を置き去りにしたら、私は絶対に後悔すると思うの。」
神官長は長い溜息を吐いた。そして、投げやりな視線を宙に送った。
私たちはお互いとても疲れていた。その後は何を言う気力も無くなり、二人して座り込んで動かなかった。そのまま膠着状態に陥り、静まり返った居間に、不意にドアが開く音が響いた。
「何をしに来たんだい、神官長。」
驚いて顔を上げると、寝室のドアが開いていて、レイヤルクさんがしっかりとした足取りで居間に入ってきた。
「熱は、大丈夫なんですか?!」
慌てて駆け寄ると、レイヤルクは険しい表情を一瞬収めて、私に微笑んだ。
「タイミングが悪くてすまないね。もう大丈夫だよ。」
「レイヤルク。いやガレル元神官長。何と呼んだら良い?」
神官長がやや挑発的な調子でレイヤルクに声を掛けた。レイヤルクは答えなかった。代わりに右手を瞬時に押し出すと、その直後に神官長が座っていたソファがドン!と音を立てて、後ろにひっくり返った。神官長は不意打ちを食らったのか、避けるのに失敗しソファ諸共転倒しそうになるのを、どうにか横へと転がって免れた。レイヤルクが神技を使ってこんなことをしたのだーーー直ぐに気づいた私は、驚いてレイヤルクの顔を見上げた。彼は平然と言った。
「いつぞやのお返しだよ。」
「流石と言うべきか?気配すら感じなかった。お前はまるで化け物だな。あれ程体調を崩した後で………。」
神官長は挑む様な笑みを浮かべていた。にわかに部屋の空気が殺伐とするのを感じ、私は身をレイヤルクと神官長の間に割り込ませた。まさか、レイヤルクも自宅で暴れたりはしないだろう、と信じながら。
神官長は腕を組むと、レイヤルクを見つめた。
「その化け物なみの力で、なぜ巫女姫の杯を破壊しなかった?」
それは意外な質問だった。その神官長の問いに対して、レイヤルクは答えなかった。ーーー巫女姫の杯は、巫女姫の召喚儀式に欠かせない品物だ。
レイヤルクが黙ったままでいると、神官長は続けた。
「何百年も生き永らえて召喚を妨害するより余程現実的な選択だ。禁術に手を出す事よりも確実にお前の目的を達成できたはずだ。そしてお前の力と覚悟をもってすれば、決して不可能ではなかった。」
「買いかぶり過ぎだよ。聖杯にかけられた歴代の神官長の神技を、打ち壊す事など私には無理だよ。」
ゆっくりと首を左右に振るレイヤルクを、神官長は表情を変えずに見つめていた。
ーーー本当に?禁術を成し得たレイヤルクに、本当にそれは無理な事だったのだろうか。
神官長の疑問は言われてみればもっともだった。
聖杯を壊す試みをする事は、ガレル神官長のした選択より遥かにハードルが低い様な気がした。ましてや不死の身となった後は、何ものもおそれず、神殿庁に忍び込んで聖杯を破壊する事もできたのではないだろうか。そうすれば、巫女姫は二度とこの世界に召喚出来なくなり、ジュリアの生まれ変わりがこちらに連れ去られる事が永遠に防げたはずだ。
でも、レイヤルクはその道を選ばなかった。
神官長は淡々と続けた。
「お前は自分の気持ちを誤魔化している。自分で分からないなら、私が教えてやろう。お前が禁術に手を出したのは、神殿庁や皇帝に対する怒りでも、巫女姫に対する罪悪感でもない。」
レイヤルクは神官長の言葉を聞きながら片眉を上げた。では、何だと言うのだ、とでも言いたそうに。私も同じ気持ちで神官長の話を聞いていた。
「愛だ。お前は、ガレル神官長は巫女姫を愛していた。」
レイヤルクはゆっくりと目を見開き、その後で失笑した。 そして、何を言うかと思えば、と吐き捨てた。レイヤルクは一応私に気でも使ったのか、私の方を見ない様にして反論した。
「そんなはずはない。知った様な口をきくな。」
「私だからこそ分かるのだ。我々神技に長けたものは、神官の頂点にのみ許された巫女姫の召喚を、常に最上の目標に据えている。それは幼き頃からの憧れであり、夢だ。自分が召喚するかもしれない巫女姫の姿を思い描いては焦がれる。己の手で呼び寄せた巫女姫に対する執着とその神技を通した太陽神への畏怖は、容易に巫女姫への愛に変わる。」
レイヤルクは眉間に皺を寄せ、不愉快そうにその話を聞いていた。一瞬その視線が私へと移り、目が合うと素早く逸らされた。
一方で神官長はレイヤルクから私へと向き直り、私と視線を合わせた。そしてそのまま言った。
「私も、そんな神官長の一人だ。自分が召喚した巫女姫を愛してしまった。」
どきりと私の胸が跳ねた。
神官長に真っ直ぐに見つめられて、心臓が激しく鼓動するのを感じた。
「お前は巫女姫ーーージュリア様をこれ以上他の男に取られるのが嫌だった。だが一方では、聖杯を破壊する事は出来なかった。それは、永久にジュリア様の生まれ変わりとは会えなくなる事を意味するからだ。お前は残したかったのだ。このハイラスレシアで再び彼女と会える、万に一つの可能性を。」
レイヤルクは口を開かなかった。私はそんなレイヤルクの顔をひたすら見つめていた。神官長のいったことは、本当なのだろうか?ガレル神官長は、ジュリアを実は愛していたのだろうか?
私の動揺を他所に、レイヤルクは私からは顔を逸らしたまま、俯き加減で立ち尽くしていた。そうして、聞こえるか聞こえないかの、小さな声で呟いた。
私は彼女を、愛してはいなかった………。
神官長はそれ以上レイヤルクを問い詰めなかった。一度咳払いをすると、代わりにガラリと声の調子を変えて、別の話をしだした。
「お前にもう一つ教える事がある。都にあったお前の家だが、先頃競売にかけられ、売却された。今ならまだ術屋もろとも、現状保存されている。」
レイヤルクは顔を上げ、神官長に対して不快そうに眉をひそめた。だからどうした、と言いたいのだろう。
「神殿庁はもうお前を構わない。戻りたければ都に戻れば良い。ちなみに購入者は私だ。破格の値で譲っても良い。」
これには私もレイヤルクも目を白黒させた。
「決めるのはお前だ。だが、サヤはこんな寒い最果ての地にいるべきではない。」
この地を故郷とする人物が目の前にいるとは思えぬ口振りで、神官長は言った。私がレイヤルクを心配して都に戻らないから、レイヤルクが都に戻れ、と。レイヤルクは訝しむ様に神官長を見つめ返していたが、何事か考え始めたらしく、直ぐには答えなかった。確かに、住み慣れた場所に暮らす方が、レイヤルクさんにとっても、良いのではないだろうか、と私も考えた。
あの術屋にはたくさんのお得意様がいたし、ご近所さんともレイヤルクさんは仲良くしていた。レイヤルクさん、帰りましょう、と私は彼に声をかけた。
「私は長く一つの所に暮らさない様にしているんだ。………少し考えさせてくれ。」
そう答えた後、レイヤルクはようやく私と目を合わせると、優しい声で言った。サヤは今夜は神官長と帰りなさい、と。反論しようとするとレイヤルクはそれを封じる様に言葉を重ねた。
「サヤに頼みたい事がある。私の家と術屋を良く掃除しておいてくれないかい?この部屋を引き払ったら、私が住める様に。」
「本当に?都に戻ってくるんですね?」
レイヤルクは穏やかな笑顔を浮かべて、ああ、そうだよ、と言った。そして、思い出したかの様に付け加えた。ああ、給料はちゃんと払うからね、護女官の月給と同水準でねと。それは偉く高給であったが、私は特段意見はしなかった。




