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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第四章 ハイラスレシアの片隅で
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彼が語る私の前世

 その年の太陽祭はかつてない程の盛り上がりを見せていた。帝国中の人々が熱気をもって祭の最終日を今か今かと心待ちにしていた。

 ハイラスレシア帝国の国教を束ねるガレル神官長は、歴代最強との呼び声が高い実力を持ち、今年の太陽祭の最終日に巫女姫の召喚を行う、と宣言していたのだ。


 帝国中の期待と視線を感じながら、ガレル神官長は召喚の儀に取り掛かった。召喚は神殿庁の聖木の中庭で執り行う事にした。ガレル神官長はもう擦切れるほど読み返し、とうに暗記していたが、召喚術が載る陽方論の秘巻を念の為に聖台の片隅に置いた。

 聖台の中央には、初代巫女姫が携えて来たと言われる聖杯が置かれた。召喚術に欠かせないのだ。

 神殿庁の高位の神官たちが神官長の周囲を取り囲む様にして集まり、遂にそれは始まった。

 己の力量を熟知した、自信に溢れたガレル神官長の詠唱が中庭に響き渡る。その力を支える為の詠唱が、脇を固める神官たちからも唱えられ、やがて強烈な向かい風がその場に吹き込んだ。ガレル神官長の、肩先で揃えた黒い髪が激しくなびく。

 顔面を叩きつける様なその強い風に負けじと神官たちは詠唱を続ける。風は突然止み、再び不意に強烈な追い風が起こった。それが数回繰り返されると、今度は聖杯が小刻みに揺れ始める。

 割れてしまうのではないかと心配になる程の揺れであったが、その聖杯はどんな力を持ってしても、破壊されようがない事を神官たちは皆、知っていた。

 ガレル神官長を中心に、中庭の枯れ枝や落ち葉を巻き込む強い風が渦巻きながら起こり、地が揺れる様な空間が軋む音が振動となって辺りにこだまする。ガレル神官長が両手を広げて前方に伸ばし、まるで何かを呼び込む様な、引き寄せる仕草をした次の瞬間、聖台の前に一人の女性が転がり出た。

 ガレル神官長の灰色の瞳が、驚きに見開かれる。困惑と動揺に顔を引きつらせていたが、美の化身の如く美しい女性が、異世界から召喚された。そのあまりの美貌に、暫しの間召喚したガレル神官長本人ですらも、話しかけることが出来なかった。


 巫女姫の名はジュリアと言った。

 異世界からやって来て初めは狼狽えていた彼女も、ときの流れと共に言葉を覚え、また自分に寄せられる敬意を理解する様になった。巫女姫は特にこの世界で一番最初に出会い、自分を導いてくれる存在であるガレル神官長に特別な愛着を持つ様になった。

 一生懸命言葉を、巫女姫としての立ち居振る舞いを覚えるたびに、ガレル神官長は彼女を褒めた。それが巫女姫には、何より心地よい瞬間になっていた。ガレル神官長が巫女姫を讃え、微笑むと彼女は花が咲く様に可憐に笑った。ーーーその笑顔は春が一斉に訪れたかのような愛らしさに溢れていた。

 ガレル神官長は常に優しく、穏やかに巫女姫の傍らにいてくれた。その彼が持つ明るさや自信、自分に向けられる敬意に、いつしか巫女姫は惹かれていったのだ。

 巫女姫は自分のいた世界を全て奪われたけれど、彼と出会える運命だったのならば、それでも良い、とすら思い始めていた。

 そうしたある日、彼女の後宮入りが決定した。

 その決定を伝えられた日、巫女姫はガレル神官長を密かに呼び出した。彼女は今にも泣き出しそうな顔で、ガレル神官長に尋ねた。どうしても皇帝のもとに行かなければならないのか、と。ガレル神官長は穏やかな笑みをたたえたまま、答えた。慣例であり、単なる形式だけの後宮入りなのだから、何の心配もいらないのだ、と。


「わたくしは怖いのです。」

「何も恐れるものはありません。お護りも差し上げたではありませんか。」


 そう言われて、巫女姫はガレル神官長から受け取ったネックレスにそっと触れた。首から下げたそれは、結構な重量感があった。


「困った時はいつでもお助けします。」

「わたくしは……巫女姫の任務だから行くのではありません。貴方のために、行くのです。」


 言いにくそうに告げられた後半の言葉は、小さく弱弱しかった。初めて告げる、自分の気持ち。神官長として巫女姫に接するのではなく、今はただジョシュアとしてジュリアに応対して欲しかった。

 彼と離れ、皇帝の後宮に行く前に、気持ちを確かめずにはいられなかった。

 巫女姫にとってガレル神官長は、いまや男性として特別な存在だった。けれど、ガレル神官長にとってはどうなのか。それをどうしても知りたかった。

 やがて一念発起したのか、巫女姫はクッと顔を上げて、正面にいるガレル神官長を見上げた。勇気を奮い立たせる為に握り締めた拳は、震えていた。


「ジョシュア、わたくしは……貴方を神官長としてではなく、一人の男性として想っています。貴方を…」

「巫女姫。今はそれを仰ってはなりません。」

「きっと、必ずすぐにここに戻ってきます。どうか、わたくしを待っていて。」

「皆、巫女姫様を心よりお待ち申し上げております。」


 声を震わせて伝えた巫女姫の気持ちに、ガレル神官長はいつもと変わりなく答え、平静を保つ事でその場をやり過ごした。勇気を出して告白をした巫女姫の気持ちに、ガレル神官長がその場で応える事はなかった。気持ちの行き場を失った巫女姫は、不安で胸を一杯にして後宮へ入った。


 後宮で巫女姫は国家の安寧を祈るだけーーーそう教えられていた巫女姫であったが、現実はそうではなかった。

 皇帝は巫女姫を一目見て、彼女に心を奪われた。毎夜の如く彼女の部屋を訪れ、口説き倒した。初めは上手くあしらい、皇帝と一定の距離を上手く保っていた巫女姫だったが、やがてそれは持久戦の様相を呈してきた。

 話が違う。こんな筈ではなかったのだ。ーーーそれは、彼女と共に後宮に来た護女官たちにとっても、同じであった。

 巫女姫に対する皇帝の振る舞いは、許容の範囲を超えている。神殿庁から同行した護女官の勧めもあり、たまらず巫女姫はガレル神官長に手紙を書いた。

  ガレル神官長の手元に直ぐに届けられたそれには、巫女姫が置かれた窮状が切々と書き連ねられ、ガレル神官長への気持ちと、そして直ぐに皇帝陛下にお願いをして、自分を神殿庁にかえして欲しい、と締めくくられていた。

 だがそれを受けてもガレル神官長が皇帝に意見する事は無かった。当時の神殿は、完全に世俗の権力である皇帝の前に屈していた。取り分け近年急速に拡大を続けてきた大国であるハイラスレシア帝国の皇帝の機嫌を損ねる訳には行かなかった。神殿庁の立場と権威の為に、そして己の保身の為に、ガレル神官長は自らが召喚した巫女姫の願いを、放置した。

 ガレル神官長からののらりくらりとした返事に、危機を感じた巫女姫は、矢継ぎ早に手紙を送り付けた。だが、いつしかガレル神官長はその手紙その物を、放置するようになった。巫女姫の望みを叶えられない事が分かっていたために、読む事がつらくなったのだ。

 じきに巫女姫は希望を失い、返事が来なくなった頃に、ガレル神官長に縋るのをやめた。

 皇帝の求愛はしつこかった。

 これだけ後宮の中に女性がいるのに、なぜ自分ばかりを口説くのか、巫女姫はさっぱり理解出来なかった。巫女姫は自分の美貌を過小評価していて、尚且つ彼女が拒めば拒むほど、皇帝の心に火をつけている、などとは気付きもしなかった。

 ある夜の事だった。

 毎夜訪れる皇帝の話し相手をしていて、極度の睡眠不足に陥っていた巫女姫は、欠伸を噛み殺して皇帝に言った。


「お願いですから、今日はお引き取りください。眠くて仕方がないのです。」

「余の訪問は迷惑か?」

「いいえ。ただ、今夜は眠りたいのです。」

「今夜引き取れば、余の願いを一つ聞いてくれるか?」


 巫女姫は只管頷いた。ただ、今直ぐに寝たかったのだ。

 翌日、巫女姫はその約束を猛烈に後悔することになった。

 皇帝は昨晩の約束を履行して貰おうと勇んで巫女姫を訪れて、力尽くで彼女の身体を奪ったのだ。

 ショックのあまり、巫女姫は寝込んだ。

 護女官たちは怒りに震え上がり、血相を変えて神殿庁へ報告に行こうとした。だが巫女姫はそれを頑として許さなかった。

 こんな事を、ガレル神官長に知られたくなかったのだ。巫女姫の自分が何をされてしまったかを彼に知られるくらいなら、自分が皇帝の訪問を暫く我慢をした方がマシだ。どうせ皇帝も直ぐに飽きてくれるに違いない、と巫女姫は考えた。

 だが皇帝の寵愛ぶりはますますの盛り上がりを見せ、心砕かれた巫女姫は抵抗する気力を失った。そうして怒りと悲しみに任せて彼女は中庭にある井戸に、ガレル神官長から貰ったお護りを捨てた。これが自分を助ける事はもうないだろう、と。

 愛を囁きながら自分を抱く皇帝と、憐れで惨めな自分を、寝室の天井に彫られた一羽の翼を広げた鳥がいつも見下ろしていた。巫女姫は涙に濡れた緑色の瞳で、ひたすらその鳥を見上げていた。その鳥が、心底憎らしかった。絶対に今の自分の姿を、ガレル神官長には知られたくない。だが、この鳥はいつも一切を目撃し、全てを知っている。そしていつかその翼を使って飛び立ち、彼に教えてしまうかもしれない。巫女姫はそんな訳のわからない恐怖に怯えていた。

 こうして巫女姫の神殿庁への帰還はますます遠のいて行くように思えた。



 じきに皇帝の妃の内の一人が、鋭い嗅覚で事態を嗅ぎつけた。当然ながら妃はこれを良く思わなかった。

 妃はその頃皇帝の寵愛を一番受けていたのだが、巫女姫が後宮へ来て以来、皇帝がさっぱり自分を相手にしなくなったのだ。強大に変貌していく、ハイラスレシア帝国を率いる現皇帝。若くしてその文武に優れた才能を如何なく発揮する皇帝は、既に他国からも尊敬を集め始めていた。

 偉大な皇帝として確実にその名を歴史に残すであろうこの皇帝の後継を生むのは、この私だーーー。その信念と執念は、嫉妬と混ざり合い、刃となって巫女姫に向けられた。

 三人の護女官のうち、一人が外出していたある晩にそれは起きた。

 いつものように自室で豪華な夕食を食べ終えた巫女姫は、食後に気分が悪くなり、早めに寝台に上がった。ここ最近は体調が優れないことが多かったので、はじめは護女官も本人もあまりそれを気に留めなかった。

 だが一旦寝室を離れた護女官が側に戻ると、事態は一変していた。

 巫女姫は全身を震わせ、お腹を押さえていた。

 一瞬にして護女官は恐怖に震え上がった。

 

「み、巫女姫さま。いつもの医師を呼んでまいりますので、お待ちください!!」


 部屋から転がるように出て行った護女官を視界の端にとらえながら、巫女姫は起き上がろうとして寝台から落ちた。

 彼女は滝のような汗をかいていた。いつもの気分の悪さとは全く違った。今や痺れを感じ始めていたのだ。そして、通常ではあり得ないほどの、腹の痛み。

 何か悪いものを食べてしまったに違いない、と巫女姫は思った。そして、その思いは確信に変わっていった。

 毒だ、と。自分の食事に毒が盛られていたに違いない。

 怖くてたまらなくなった。

 毒であるのなら、いつもの医師に診てもらっても、役には立たない。

 ーーーああ、そうよ。これでは医師が来ても、きっともう間に合わない。

 何しろ出された食事は全て平らげてしまったのだ。最近は頑張って全部食べるようにしていたから。それが、こんな事になるなんて。巫女姫はふらつく足で寝室を出て行った。

 ーーー誰か、助けて。殺されてしまう。

 護女官が医師を連れて寝室に戻ると、もうそこには巫女姫がいなかった。皆で半狂乱になって後宮中を探し回り、ようやく中庭の井戸の横に倒れこんでいるその姿を見つけた。

 巫女姫は既に息絶えていた。救いを求めて辿り着いた井戸から、崩れ落ちるようにして。



 巫女姫の遺体の処遇を巡り、皇帝と神殿庁は早くも対立をした。なかなか皇帝が巫女姫の遺体を引き渡そうとしなかったのである。ここからが遅きに失したガレル神官長の戦いの始まりであった。

 ようやく皇帝は巫女姫を手放し、巫女姫は皇帝が用意した豪華な棺と共に、首を長くして待っていた神殿庁の皆のもとへやっと戻った。輝く金の髪が広がり、まるで安らかにひととき眠りについているだけの様にも見えた。だが人形の様な寝顔にガレル神官長が声を掛けても、巫女姫がその美しい新緑の目を開くことはもう無かった。

 彼女の魂はもうここにはいなかった。正確には、この世界にはいなかった。

 皇帝は巫女姫の棺だけでなく、自分が用意したドレスに彼女を着替えさせていた。棺の中は、皇帝が用意した宝飾品で溢れていた。だが、ガレル神官長はその一切が気に食わなかった。彼は神殿庁で予め準備していた棺に彼女をうつしかえ、宝飾品も神殿庁が用意した物に全て変えた。ーーー畏れ多くも、そのドレスをかえる事など、神殿庁側には出来なかった。


 巫女姫の手を取りすすり泣く護女官や、悲しみに打ちひしがれる神官たちをその場に残し、ガレル神官長は一人、神官長の執務室に戻った。

 巫女姫から届いたきり、開封すらしなかった手紙たちを探そうと思ったのだ。

 ーーーどこだ、どこに置いた?!

 机上に山積みになっている書類の束に手をつけ、封筒を探す。

 引き出しを開け、かき回すがそこにもない。

 何故ないのだ、自分は一体どこに放置したのだ、と自問しながらあちこちを探した。

 探しながら、ガレル神官長の胸は徐々に沈み、締め付けられる様な痛みに襲われた。彼が放置したのは巫女姫の心そのものだった。

 自分がした事の重大さに、今ようやく気づかされたのだ。


「遅い、遅いんだーーー、今更探しても。」


 怒りと後悔で震える声を上げながら、引き出しという引き出しを開け、書類という書類を自分の周りにぶちまける。

 開封しなかった巫女姫からの手紙をようやく全て見つけると、汗で濡れる手でその一通目を開く。

 丁寧で、けれどまだ慣れないハイラスレシアの文字でそれは書かれていた。後宮での日々の他愛ない暮らしぶりから、神殿庁の様子を尋ねる文面、そして後宮滞在を短くして欲しい、との痛切なお願い。

 時は既に遅く、今更これを読んでもガレル神官長にはもうどうすることも出来なかった。巫女姫はもうこの世にいないのだ。

 絶望的な気持ちで次の封筒に手を伸ばし、乱雑にそれを開封する。読み進めるに連れ、手紙の内容は緊迫性を増し、巫女姫がその後宮滞在の後半に、どれほどそこから出される事を切望していたかが、容易く読み取れた。動揺する彼女の気持ちは、字体からも読み取れた。

 巫女姫からきていた最後の手紙を開封した時、ガレル神官長の胸は不安に押し潰された。それは一枚しかなく、紙の半分も書かれていなかった。

 そこに簡潔に書かれていた文面に目を通し、それを理解するとガレル神官長は崩れる様に床に座り込んだ。


「なんていう……、私は、なんて残酷な仕打ちを………!」


 荒い息を吐きながら、ガレル神官長は力なく視線を宙に漂わせた。散乱する書類の真ん中に座り込み、彼はそこから立ち上がる事が出来なかった。


 皇帝側からは巫女姫の死因は胸の病、と発表された。

 だが神殿はその説明に納得せず、しつこく皇帝に詳細を求めた。どうあってもそれ以上の説明が出てこないと分かると、ガレル神官長は独自に調査を始めた。護女官からの状況報告で、彼は毒殺を疑った。だが、後宮の医師の見立ても、残された食事の検査の結果も、それを否定していたのだ。またお毒見役の護女官もいたはずなのだ。ガレル神官長は己の無力さを思い知った。食事は既に廃棄され、神殿庁側からは、その結果を覆えすことが出来ない。


 宗教権威の頂点にいながら、たった一人の女性の生命を守れず、彼女の死因を明らかにする事も叶わなかったのだ。皇帝にそれ以上強く出る事に躊躇する神殿と自分自身の立場にも、ガレル神官長は失望した。己一人の責任でこの先の追及を行う為に、ガレル神官長はその職を辞した。そして歳月をかけて、あの時後宮で何があったのかを調べていくうち、隠されていた事実にぶち当たった。

 巫女姫の死後数ヶ月の内に、彼女の医師や後宮の調理師、そして妃の侍女が亡くなっていた。何らかの口封じの為に消された、とガレル神官長は推測した。

 更に、巫女姫が亡くなってから一年近くたった頃、心痛から同じく神殿を去っていた護女官が、ガレル神官長の自宅を訪ねて来た。彼女は巫女姫が亡くなったあの日に、巫女姫の一番近くにいた護女官だった。

 すっかり別人の様に痩せ、幾つも歳をとった様にすら見えたそのかつての護女官の風貌は、この一年が彼女にとってどれほど苦難に満ちていたかを言葉よりも如実にあらわしていた。


「ジュリア様には、固く、固く口止めされていたのです。ーーー恥になるから、と。」


 けれど、やはり黙っている事は出来ない、お伝えしなければならない、と彼女は言った。


「ジュリア様は皇帝陛下の御子をご懐妊されていました。」


 そう告げるなり、彼女は崩れる様に泣き出した。その激しい嗚咽を目の前で見ながらも、ガレル神官長は表情一つ動かさなかった。

 動かす力すら、もう無かった。


「ジュリア様は、何よりこの事を神官長に知られるのを嫌がり、そして皇帝陛下もジュリア様と御子をお護りする為に、ひた隠しにされていたのです。」


 けれど、これではあんまりではありませんか。ジュリア様は、絶対に殺されたのです。

 そう吐露する彼女の前で、ガレル神官長は自分の胸が真っ黒に塗り潰されていくのを感じていた。ーーー皇帝は太陽神の巫女姫を、強引に手折ったのだ。そして、その巫女姫の命を奪おうなどという者が、一体なぜ存在する。


 ようやく真実に辿り着き、そして恐らくその犯人である妃の一人がわかっても、ガレル神官長の胸中に去来したのは虚しさだけだった。その頃には既にその妃も産褥で他界していたのだ。

 巫女姫は皇帝の子を宿していた。

 もしその子が皇子であったなら、皇帝の唯一の皇子となっていた。

 巫女姫は、ハイラスレシア帝国の世継ぎ争いに巻き込まれたともいえた。


 その後ガレル神官長自身が病に伏し、余命幾ばくかという段階に入った時、激しい怒りが彼の中から溢れた。次の代の皇帝はきっと又新たな巫女姫を所望するだろう。また、何も知らぬ無垢な巫女姫が神官長によって、召喚されてしまうかもしれない。そうして、教義を教え込まれて祭壇に祭り上げられるのだ。

 今や彼には、巫女姫がまるで皇帝に差し出される生け贄にすら思えた。太陽神から与えられる、この世で最も美しい、生け贄。至上の宝石。

 そうさせてはならない。

 ジュリアの魂を、二度と弄ばれてはならない。彼女の平穏を奪ってはならない。

 ーーーそうだ。もう巫女姫を召喚をさせてはならない。だが、どうやってこの先の召喚を止める?

 死を覚悟したガレル神官長に怖いものはなかった。彼は禁術である不老不死に手を出し、以後の神殿庁による召喚を止めさせる道を突き進む事を選んだのだ。怒りと後悔が、彼の原動力の全てだった。




 巫女姫から届いた最後の手紙を、ガレル神官長は肌身離さず持っていた。

 自分への戒めとして、そして自分以外の誰もそれを読まない為に。

 最後の手紙に綴られた字は、とても綺麗だった。

 読むだけで、楚々とした彼女の人柄や、あの澄んだ綺麗な声が頭の中に流れ込んでくる様だった。


「ジョシュア


 今までの乱筆やあなたへの乱暴な言葉を許して下さい。わたくしは貴方を愛していました。ただ、貴方の気持ちが知りたかったのです。でもこの気持ちを押し付けたりはしません。

 巫女姫としてのわたくしをどうか見捨てないで。」

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