表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第四章 ハイラスレシアの片隅で
54/66

ノルトメアへ

 私が旅立ちの準備を終える頃、アーシードはやって来た。

 彼は予定よりも遅れた事を開口一番に詫びてきた。

 どうやら神殿庁に帰還した巫女姫ヒナ様を一目見よう、と通りに群衆が集まり、道が渋滞しているらしかった。


「心の準備はできましたか?」


 神官長の自宅の居間で、アーシードはそう私に尋ねた。

 言いながら転送装置であるランプを私に差し出す。私は無言でこくりと頷いた。ランプを受け取り、アーシードを見つめ返す。私は肩に荷造りをした鞄を下げていた。


「ノーデンに繋がる街道に送ります。」


 アーシードはランプに右手をかざしながら、詠唱を始めた。彼の黒い瞳はランプの中にある、ピンポン玉くらいほどの術光石にひたと向けられ、詠唱が進むにつれ、その優し気な眉間に皺が寄せられていく。次第に術光石はカタカタと細かな振動をし始め、ランプが急に熱を帯び始める。

 詠唱がやんだと思った次の瞬間、術光石はカシャン、と涼やかな脆い音を立て、二つに割れた。それと同時に激しい目眩にも似た引力が私を襲った。ランプに猛烈な力で引き寄せられ、まるで術光石が一切を吸い込むブラックホールの様に身体が引き込まれる。かと思えば、唐突に重力の方向が変わり、割れた術光石はホワイトホールの様に私の身体を引き剥がし、遂には私はランプを持っていられなくなり、まるでどこかに弾き飛ばされた様な衝撃を全身に感じた。

 全速力のトラックにでも正面から突き飛ばされる様な感覚。息はおろか、目を開けている事もできず、私は胎児の様に身体を丸めてその時を耐えた。

 滅茶苦茶な事象は唐突に止んだ。

 そろそろと目を開けると、そこにはアーシードはもちろんいなく、神官長の自宅は消え失せ、私は木立に囲まれた砂利道の真ん中にいた。

 

「ほんとに、転移しちゃった…」


 アーシードに転移の神技が出来るのか疑った自分を少しばかり恥じた。唖然としながら辺りを見渡してから、私はぶるりと震えた。随分と寒く感じるのだ。吐く息も白い。

 北の地なのだと実感する。あまりの展開のはやさに、頭がついてこれず、暫くぼんやりと惚けて立ち尽くしてしまった。

 やがて砂利道を少し進むと木立が開け、遠くに長い城壁とその開口部である大きな入り口が見えた。その両脇に兵士が立ち、城門に入ろうと列を成す馬車や人々の出入りをチェックしている。

 ノーデンだ。昨日神官長に見せて貰ったノーデンの絵に良く似ている。

 ふと来た道を振り返ると、私ははっと息を飲んだ。

 木立で邪魔されていた視界が開けて、遠くに雪を被る険しい山々が見えたのだ。麓には黒い針葉樹林が広がっている。

 それは、かつてレイヤルクが私の部屋に残した故郷の絵にそっくりだった。あの絵はこの景色を描いた物に違いない。


 アーシードの養子になった時に手に入れた登録証を見せ、城門をくぐり抜けると、活気のある街中に出た。やはりどこの建物も直線的な形をしていて、壁には色鮮やかな小さなタイルでモザイク模様の装飾が施されていた。

 その足で直ぐに駅馬車を探し、隣町であるノルトメアに向かった。ノルトメアからノーデンへ走る馬車はとても混んでいたが、逆は空いていて快適だった。

 ノルトメアの街並みはノーデンと良く似ていた。

  私は重たい鞄を持って長々と歩き、既にヘトヘトになっていたので、取り敢えず宿を探す事にした。街の中心である中央市場らしき、大きな市場を目指して行き、そこから近い宿を選んだ。

 護女官はかなりの高給取りであったので、宿代は気にせず、高級そうな宿に泊まる事にした。その方がなんとなく安全に思えたのだ。

 ロビーに入ると大きな暖炉があり、炎が赤々と燃え、暖を作り出していた。私が見てきたハイラスレシアの大きな建物は、大抵中に水を引き、建物の中でさえ小さな噴水を作ったりする傾向にあったが、さすがに寒いノルトメアの地ではそんな風習はないのだろう。

 暖炉の周りには落ち着いた色の布張りのソファが幾つか置かれ、客らしき人々がそこで新聞を広げていた。ゆったりとした時間が流れていた。

 私が泊まる部屋は3階だった。

 一人部屋だったので、部屋自体はそう広くはなかったが、宿が角地に建っているので、部屋の奥にあるベランダからは街の景色が多少眺められ、気持ちが良かった。私は荷物を床に下ろすと、外套を羽織ってからベランダに出た。手摺に手をかけ、街ゆく往来の人々を上から見学した。

 この世界に来てから、私はおそらく一番今が自由で解放的だった。だが同時に途方もない孤独を感じる。

 身軽になると昼食を食べに街中に繰り出した。私は半ば観光気分でノンビリとぶらついた。終始視線を漂わせて、レイヤルクの姿を探したが、それらしき人物は見当たらなかった。

 繁盛していそうなレストランに入り、魚料理とパンを食べながら、ぼんやりと表通りを眺める頃には、やや意気消沈していた。

 レイヤルクはノルトメアにいて、ここに来れば彼に会えると思っていたが、私の勘違いだったろうか?

 食後は観光案内所で地図を貰い、徒歩圏内の主要スポットを練り歩き、終いには私は純粋にノルトメアの観光を楽しんでいた。ちよっとした海外旅行みたいな気分だった。いや、異世界旅行か。

 夕方、歩き疲れて宿の部屋に戻った。部屋の中は術光石の明かりで明るかったが、それ以上に窓から差し込む夕陽が鮮烈で、眩しかった。眩しさに目を細めた私は、一瞬後に部屋の入り口で瞠目した。

 部屋の窓際に置かれたソファに人が座っていたのだ。

 その人物はソファにゆったりと腰掛け、夕焼けを眺めていた。

 一瞬息が止まった私が、その場を微動だにしないうちに彼は口を開いた。


「おかえり。遅かったね。」


 柔和な笑みを浮かべてこちらに顔を向けたのは、レイヤルクだった。

 灰色の瞳に、波打つ茶の髪。飄々とした物腰。

 彼が纏う雰囲気は別れた時と寸分変わらなかったが、その裏に隠された秘密の一部を知ってしまった今は、今までと変わりなく接する事がとても出来そうにない。

 そろそろと彼に近づくと、レイヤルクは変わらぬ笑顔で言った。


「ずっと待っていたよ。」

「レイヤルクさんは、何歳なんですか?」


 言いたい事は山ほどあったが、口から飛び出していたのは、こんな質問だった。それに対してレイヤルクはいつもの調子で答えた。


「ええと、二十三だったかな。」


 図々しい。それに以前術屋で女性客に聞かれた時は、三十八歳だと答えていたではないか。若返ったのか。

 私は彼が座るソファの正面に立ち、穏やかにこちらを見ているレイヤルクを見下ろした。


「本当は、二百五十歳を軽く超えているんじゃないですか?」

「正直に言うとね、いつからか数えるのを止めてしまったんだ。」


 いまだ物腰柔らかなレイヤルクの様子に、私は少し苛立ちを感じた。自分が首から下げていた水晶のネックレスに手を掛けると、首から外してレイヤルクの前に差し出した。


「貴方に貰った物です。前の私は、これを後宮の井戸に投げ捨ててしまったんです。だから、貴方に助けて貰えなかった。」


 初めて、レイヤルクの表情に動揺が走った。灰色の瞳が見開かれ、頬が強張って表情が失せる。

 彼は目の前に差し出されたネックレスを凝視していた。彼もこれを二世紀ぶりに見たに違いない。


「ジョシュア。私は貴方をそう呼んでいたんでしょう?」


 レイヤルクの瞳が私を捉え、まるで泣き出しそうなその瞳は力なく下げられて、彼は顔を両手で覆った。


「君は、……君は、何故そのネックレスの事を知っている?」

「私は、井戸の中に飛び込んでしまいたいくらい、死の間際までこのネックレスを欲していたんです。」


 サヤ、と大層掠れた声でレイヤルクは私の名を呼んだ。


「必死に手を伸ばしたけれど、到底届きませんでした。私に残る記憶は、これが取れない、その苦しみだけなんです。」


 レイヤルクは両手を顔から離すと、私の両手に触れた。私はそっと手を離し、レイヤルクの肘までを覆う手袋に触れ、それを無言で外した。

 あらわれたのは、濃い紫色の手。


「私は、どう死んだのでしょうか。貴方が知っている事を、教えて下さい。」

「君は、一体いつから………?」

「気が付いたのはごく最近です。私は先代の巫女姫のジュリアの生まれ変わりだと。」


 レイヤルクはジュリア、と聞こえるか聞こえないかの小さな声で反芻した。その後で彼の紫色の手がゆっくりと持ち上げられると、私の頬に触れた。


「君は、世界で一番美しかった。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ