決意
私の頭の中で、ありとあらゆる言い訳が浮かんでは却下されていった。
「じ、実は…」
見切り発車で口を開いた私を無視して、神官長は私の横を通り越して歩き出した。その先にあるのは、井戸だ。
彼は井戸端に屈み込むと、何かを拾った。
ドキドキしながら近づいて覗くと、彼が手にしているのは部分的に割れた井戸の木蓋の欠片だった。
神官長は顔を上げ、辺りに視線を走らせた。ーーー井戸の周りは水が盛大に飛び、濡れていた。
「後宮の女性はここで水浴びでもするのか?」
「しない……と思います。」
神官長は井戸から私の服の裾に視線を移した。
釣られて見下ろせば、所々濡れていた。
「サヤ。話してくれ。」
私は静かに溜め息をついた。
こうなったら黙っているわけにはいかない。誰かに気づかれる前に、神官長に穏便にお引き取り願わなければいけないからだ。
「力を使ったのは私です。すみません。」
「サヤが?どうやって。」
「ちょっと、レイヤルクさんの力を拝借したんです。」
私はどこから説明しようか迷い胸元を抑えた。その瞬間、神官長が動いた。神官長は首をめぐらせ、周囲に私と自分の二人しかいない事を確認すると、失礼、と呟きながら私の襟元を掴んで自分の方へグッと引いた。突然の事に心臓が凍りそうなくらい驚いた。
彼は引き寄せた襟を大きく開いて私の胸を凝視していた。つまり、服の中の私の胸を。
事態に気付いて、私は慌てて身体を捩った。神官長の手を離そうとするが、強く掴まれていてビクともしない。
「願いの剣か………!資料室でこれを調べていたのか。陽法論の最終巻を。」
そう言いながら私を見下ろす青い瞳のあまりの鋭さに、言葉が返せない。けれど説明しなければ離してくれそうにないので、私は口を開いた。
「私がレイヤルクさんの願いの剣を抜いたんです。ですのでここには他に誰もいません。」
神官長はようやく私の身体を放すと、その手を自分の側頭部に当て、数回瞬きをした。緩々とした溜息が後に続く。
「良かった……。いや、良くない。」
神官長は何やら勝手に安堵した表情から、急に鋭い目付きに変わり、私を睨み据えた。
「なぜこんな真似を?………それに、貴方はこんな所をあの男に触らせたのか。」
驚いて見上げると、神官長の表情はどこか苦し気で、私に対する微かな怒りすら感じられた。
ーーーだってあの時は、凄く急で。それにこんな風に直に触られた訳じゃない。
「触られたのは、服の上からです……。」
神官長は乱雑に頭を振った。上からだろうが下からだろうが、関係ない、といった風情だ。
「願いの剣の事を私に何故言ってくれなかった。」
「言えば、これを神官長が外そうとしてしまうのではないかと思って…」
「それほどあの男が大事なのか。」
神官長は更に一歩私に近づくと、私に右手を伸ばしてきた。そのまま唐突にその手が私の胸元に侵入してきた。まさぐる様に触れられ、悲鳴をあげそうになった矢先、彼の手は別の物をとらえていた。
「願いの剣などで、一体何を?これは?」
神官長の右手は、私が服の中に隠していたネックレスが握られていた。水晶に縦にも走る願いの剣の金色を、神官長が見落としたりはしなかった。
「これは、……先代の巫女姫が井戸に落とした物です。これを拾うために、レイヤルクさんの力を借りたんです。」
神官長の目が驚きに見開かれた。
「私は先代の巫女姫ジュリア様の生まれ変わりです。ずっとこれが欲しくてたまらなかったんです。神官長、貴方の召喚は正しかったんです。」
緩々と神官長の手の力が抜けていき、ネックレスを解放した。神官長は己の額をおさえ、次に掠れた声で呟いた。
「まさか記憶が?」
「私、おかしな夢に悩まされてきたんです。」
全てを打ち明けると、神官長は暫し言葉を失っていた。
ややあってから神官長は、私に聞いてきた。
私は、この後どうしたいのか、と。
「レイヤルクさんに会いに行きます。」
「ーーーどうやって?彼の居場所すら分からないのに。」
「彼はガレル神官長の故郷にいるんだと思うんです。」
「ノルトメアに?」
私は頷いた。ノルトメアというのはハイラスレシアの北部にある街だった。北部地方にある街の中では一番大きな街だ。そこから少し北に行けば、凍土地帯とこちらで呼ばれる、一年中雪に閉ざされた辺境の地があり、ノルトメアも一年のほとんどが降雪に見舞われる所だった。その地が、ガレル神官長の出身地だった。レイヤルクが転移装置を用いて何処かへ消える時、それはいつも北の方角を指していた。それに、彼は私を後宮まで迎えに来た時に言ったのだ。
私が、寒さに弱くなければ良いのだが、と。
何より、神殿庁に行った後でレイヤルクの自宅に一旦戻ったあの日。家宅捜査を受けた私の部屋の中で、唯一違和感を覚えた、あの見覚えのない小さな絵。あれは私にだけ分かる、彼からの伝言だったに違いない。彼は私が彼の正体に気づいた暁には、私が彼のもとを訪ねるのを期待している。
だが神官長は懐疑的だった。
「そんな、ある意味分かりやすい場所にいるとは思えない。」
「分かりやすい、というよりそこが私に思い付く唯一の場所なんです。」
だからこそ彼はそこに居るのだと思う。正体が分かった以上、彼は私に会いに来て欲しいはずだ。彼にはもう、馴染みの友人も家族も、誰もいない。その孤独は私には想像もつかない。故郷にいる間だけが、彼の孤独を和らげるのかもしれない。そう思うのだ。
すると神官長は首を左右に振った。
「以前ガレル神官長の生家にはアーシードを遣った。既に家屋は現存していない。」
「私がノルトメアまでいけば、レイヤルクさんの方からも捜し出してくれると思うんです。」
でもその為には、一人で行かなくてはならない。でないとレイヤルクさんも警戒して姿を現さないだろう。
そこまで言うと神官長は首を左右に振りながら長い溜息を吐いた。その溜息と共に、言葉を漏らした。私に止める権利はないな、と。
「だがノルトメアは途方もなく遠いぞ。一体どうやって行くつもりだ?」
「近くの街まで、神技でーーー転移させてもらおうと思ってます。」
「ーーー誰に?」
「勿論、神官長にですよ。」
「やはりそうか。」
「やってくれますよね?」
転移の神技なんて、神官長にはお茶の子さいさいだろう。
「………ああ。無論………。」
「ありがとうございます。」
「………もしノルトメアで会えなかったら直ぐに戻ってくるのか?」
聞かれて私は暫し考えた。ノルトメアでレイヤルクを見つけられなかったら、もう彼に会える機会はないように思えた。そのままでいたらもしや一生会えないのではないだろうか。
神官長は井戸の方角に視線を投げたまま言った。
「サヤに行って欲しくはない。だが、ここで引きとめれば私は悪役だな。」
そう言い切る神官長の真意が分からず、私はあやふやに笑った。神官長は少し目を伏せてから口を開いた。その声が、どこか苦しげに掠れていた。
「そもそも、何故レイヤルクの所へ?」
「私がどうやって死んだのかを知りたいんです。このネックレスを手に入れて、彼を問い詰めなければ、私の悪夢は終わらないんです。それに………彼はもう長くはない気がするんです。違いますか?」
神官長は私の首からぶら下がる水晶にジッと視線を落としていた。ゆっくりと青い瞳を上げると、私とは目を合わさないまま、口を開いた。
「レイヤルクの所へ行ってしまえば、もうここへは帰らないのではないか?」
私は言葉を濁した。ここ、とはこの都のことだろうか。それとも……?
「用事が済んだら、必ず帰って来てくれ。」
私は少しはにかみ笑いを浮かべ、その後で思い直して少し強気の笑みを作った。
「勿論です。召喚した責任はたっぷり取ってもらうつもりですから。」
「………待てる自信がない。」
即答した神官長は、私の両手を優しくとった。真摯な眼差しでこちらを見つめ、呟いた。
「どうしても行きたいのか?」
「はい。彼はきっと私を待っていると思うんです。」
神官長は自分の腰に両手を当て、先が見えない暗い中庭に身体を向けた。
「このことを皇帝陛下にお話しされますか?」
恐る恐る尋ねると、神官長は自嘲気味に笑った。
「どうお話しするのだ。今夜の事は私の胸の中にだけおさめておく。」
神官長はそう言うと、腰から下げていた小さなランプを手に取った。
「明日、神殿庁で待っている。」




