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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第一章 術屋
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太陽神と迷惑な美女

 朝食のパンは隣のパン屋に買いに行けば良いので楽だった。

 レイヤルクから渡されている生活費を持って、早朝にパン屋を訪れると、丁度パンを棚にタアナが並べているところだった。焼き立てなのか、小麦の香ばしい匂いが店内に充満して、鼻腔をくすぐる。途端にお腹が空いてきてグルグルと鳴り出す。

 全粒粉入りらしき、健康に良さそうな茶色の四角いパンを取り、紙袋に入れようとすると、タアナが近づいて来た。


「レイヤルクさんがお好きなのは、このパンよ。」


 タアナは丸い手の平サイズのパンをトレイに乗せ、私に差し出して来た。

 本当だろうか。

 数日間彼と一緒に食事をして感じたのは、彼は重度の味覚音痴だという事だった。彼は私の失敗作も成功作も表情一つ変えずに食べていた。作った本人すら逆ギレをしてゴミ箱に投げ捨てたい衝動に駆られるような挽肉の煮物すら、平然と平らげていた。

 そんなレイヤルクに、果たしてパンの好みなどあるのだろうか。大いに疑問に思いながらも、私は笑顔でタアナお勧めの丸いパンを紙袋に入れた。タアナの弾ける笑顔が可愛らしい。茶色の髪を健康的に後ろで纏め、控え目な緑色の瞳が好奇心にキラキラ輝いている。年は私より少し若いくらいだろうか?


「サヤって言うんですってね。この辺りの事で分からない事があったら、何でも聞いてね。私はここに来て五年以上経つのよ。」


 テキパキと棚にパンを並べていくタアナはちょっぴり自信を感じさせた。店の奥を覗いてみると、店主の中年男性がパン生地らしきものを手に小麦粉をつけてこねていた。黒髪に口ひげを生やしていて、恰幅が良く、レイヤルクとは違って厳しそうな人に見える。

 いかにも職人、といった雰囲気の。


「タアナさんも、パンを焼いているんですか?」

「ええ、去年から焼いているの!」


 照れ臭そうにそう言うと、タアナは私に一歩近寄り、少し声を落として言った。


「私、来年旦那様に養子縁組をして頂ける事になっているの。そうしたら正民になれるでしょう?旦那様たちにはお子さんがいないのよ。」


 タアナは喜びを隠しきれ無い、といった様子で打ち明けた。

 そんな手があるのか。

 ハイラスレシアの正民の家族になれれば、隷民という不自由な立場から解放されるらしい。タアナは私の手をそっと取った。


「だからサヤも頑張ってね!弟子を養子にする正民も多いのよ。サヤもやっぱりレイヤルクさんみたいに術が使えるんでしょう?」

「えっ?私にはレイヤルクさんの様な力は全然ありませんよ。」


 直様否定すると、タアナは瞳をやや子供らしくパチパチと瞬きした。随分と面食らった様だ。


「あらっ。ごめんなさい。術屋だからてっきり………。」


 少し考え込んだ後、タアナは急にはっと顔を上げると私の耳元に口を寄せた。


「大丈夫よ!レイヤルクさんと結婚するという手もあるわ!」


 返す言葉が無かった。










 レイヤルクは食卓に並んだパンを鷲掴みにすると、自室に向けて歩き出した。

 部屋から出てくると寝間着から余所行きに着替えていて、パンを齧りながら居間に戻ってきた。

 パンを片手に牛乳をゴクゴクと飲み下すと、そのまま彼はうねる長い髪を撫でつけながら、洗面所に向かった。座って食事をするというマナーを知らないレイヤルクを洗面所まで追いかけ、話を聞いてもらう。


「そのパンを良く買われるとパン屋のタアナから聞いたんですが、本当ですか?」

「あ……ああ、言われてみればその通りかもしれないね。このパン、入口に一番近い所に置いてあるから取りやすいんだよ。」


 明日は私が食べたいパンを買おう。そう強く決意した。








 レイヤルクの術屋は定期的に休店日があった。彼はその日は商品開発や客から預かった術光石に光を入れる作業に没頭する為に、私は店には行かず家で掃除や洗濯をしていた。

 午後には家事が終わってしまうので、レイヤルクの許可を取り図書館へ行く事にした。私は自分が今いるこの場所について、足り無い知識を少しでも活字から得たかった。

 私はまず、この国についての基礎知識と、できれば異世界から来た人々について知りたかった。レイヤルクにはあまりこの手の話をあれこれ聞きたく無かった。私が現状に強い不満を抱いていると思われても困るし、日々の生活の中ですら分からない事が山積みで質問のオンパレードだったからだ。会社でもやたらに質問ばかりする新人は不評だった。自分で調べれば分かる事を人に聞いたり、何度も同じ質問をするのは使えない人材が持つ特徴の一つだ。

 彼は隷民を欲しがっているだけなのだろうから。彼はどう好意的に考えても、私とは頭の中も見た目も違い過ぎて、つかみどころが全く無い人物だったが、現状では私の唯一のライフラインなのだ。

 私は自分自身の生活の為に、彼が満足する様に振舞っている方が無難だろう。




 このハイラスレシアという国は日本と違って日がくれたら外を歩かない方が良いらしいので、出かけるなら昼間の内だ。さもなければまた人攫いにでもあいかねない。

 暗い路地なども危なそうなので、レイヤルクに教わった道を外れない様に気を付けて歩いた。

 図書館はよく整備された幅の広い道路沿いに大きな建物が並ぶ帝都の中心部らしき一画にあり、日本のそれと同様に一般の人が自由に入れる仕組みになっていた。当然ながら出るのも自由だ。日本の街中の図書館とは違い、こちらの図書館は実に大きく堂々たる佇まいをしていた。薄いオレンジ色をした長方形の建物にはアーチ状の高い天井があり、内部はその天井いっぱいまで伸びる本棚が林立していた。高過ぎる棚のせいで中は薄暗かった。

 独特の紙のにおいと、埃っぽさ。中には老若男女がたくさんいて、それぞれの勉強をしに来たと思しき人々を私は興味深く眺めた。

 館内の奥の方は本棚が無く明るかったので、長い木の机と椅子が整然と並べられていた。所謂閲覧スペースだろう。

 内部の正面奥の壁は細密画ばりの細かく複雑な植物模様が彫られ、真ん中には大きな絵画が飾られていて、絵の中から一人の初老の男性が来館者たちを見つめていた。金色の光沢あるゆったりとした服に、触れてみたくなる程に柔らかそうな純白の毛皮を纏う、その髭を生やした白髪の人物は、この図書館を建てた今から十代前のハイラスレシア帝国皇帝なのだという。この皇帝の絵は街中のあちこちで見られた。市場でもこの皇帝の手の平サイズの肖像画が売られているほどで、本によれば大陸の地図をハイラスレシア帝国の色ほぼ一色に塗りかえた皇帝であった。

 多民族を支配する現在の強大な中央集権国家を築き上げた皇帝。

 ハイラスレシアの正民にとっては英雄なのだろう。現在絶賛隷民中の私の心中は複雑だったが。


 私は本棚と本棚の間をカニ歩きしながら、知識をつけるのに適当そうな本を探した。

 ハイラスレシアの字を読むのは全く苦ではないので、慎重に背表紙を舐める様に見つめ、横に進んだ。

 ハイラスレシア帝国について数冊の本を読んだ後、神官や神殿について書かれた本にも目を通した。私は何も知らない赤子も同然だったので、次々と活字から得られる情報は貴重で、時間を忘れて没頭してしまい、それは本という名の知識の海に溺れていく気分だった。手当たり次第に読んだ結果、この国の宗教についてある程度知る事が出来た。

 ハイラスレシア帝国の人々は随分独特な宗教感を持っていた。彼等の宗教は太陽神を崇拝する一神教であった。

 原始、太陽神は自分の熱を冷ます為に入る大海を創造したのだという。やがて神は自分の輝きを写す為の恵み深い大地を海の底から隆起させた。太陽神はその想像力を駆使し、多種多様な生命をこの世界に生み出し、美しい世界を築き上げた。

 そして最も知に富んだ生物である人間たちに、自分の力の一部を授け、とりわけ恵みを与えた人間には自分への信仰を広めさせるという使命を授けた。しかし人間は繁栄とともに信仰心を忘れていった。そんなある時太陽神は気付くのである。隣り合った別の世界にいる人間は、自分の世界には存在しない字というものを持つのだという事を。

 太陽神は世界と世界の間にある膜を突き、一人の美しい女を自分の世界に招いた。そうして、彼女のもたらした字は太陽神への畏怖と共に大陸に果て無く広がっていった。字は混沌とした大陸に統一と繁栄をもたらし、異世界から招かれたその美女は太陽神の巫女姫として現在に至るまで長く讃えられている。

 また以後、異世界から迷い込む人々が断続的にこちらの世界へ現れる様になり、異なる世界の存在が広く認知されるに至ったという。


「巫女姫……?」


 思わず口から疑問符が出た。胡散臭いキーワードだ。

 とどのつまり、この国の宗教的思想によれば、この国の字ーーーあの三角形の連続みたいなやつーーーは、ヨソの世界に起源があると言う事か。私はぼんやりと高校時代の世界史の授業を思い出した。そう言われてみると、地球で言う楔形文字に似ていなくもない。まさかとは思うけれど。

 それにしても、この世界では太陽神とやらが大昔に美女を呼び寄せる為に開けた穴のせいで、私たち隷民がそこに落ちてこんな所へトリップして来ている、と考えられているわけか。巫女姫なんてハイラスレシアの神話の世界のお話だろうし、そんなもん実在したか怪しいものだけど、何故穴を塞いでおいてくれなかったのだ。

 私たち地球の被害者たちからすれば、良い迷惑だ。

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