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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第三章 後宮
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彼の正体

 私が執務室に入るとエバレッタは席を外し、神官長と二人きりになった。

 部屋の奥にある神官長のデスクの上には、私が資料室で見ていた黒い本が置かれ、神官長はそれに視線を落としたまま、こちらを一瞥もしなかった。

 やや俯いたその表情は決して明るいものではなく、寧ろ不機嫌そうに眉間に幾らか皺が出来ていた。一直線に引き締められていた口をようやく開き、神官長は溜め息混じりの声で言った。


「後宮の報告を。」


 一瞬なんの事を言われたのか分からなかった。てっきり禁術の本を見た事について、お咎めがあるものと思っていたからだ。

 そうだった。私はサイトウさんの一週間を報告しに来たのだ。

 慌てて鞄から報告書を取り出し、デスクに歩み寄り、神官長に差し出した。

 神官長が報告書を読み出し、執務室に再び静寂が訪れる。紙を捲る音と、時折神官長がつく溜息の音がやけに大きく聞こえる。

 やがて全ての頁に目を通し終えると、神官長は平板な声色で言った。


「先代の皇祖祭に倣う必要はない。ヒナ様が好まれるやり方を選んで頂ければそれが正解なのだ。」


 私は小さく、はい、と返事をするのが精一杯だった。神官長は続けてどこか感情の籠らない声で教えてくれた。ーーー巫女姫が後宮にいる期日が、皇祖祭の翌日に決まった、と。それは当初予定していた可能な限り最短な日程であり、神官長が一歩も譲らず皇帝に確約して貰った末の決定であった。

 サイトウさんの意向を強く受けて、皇帝に働きかけてくれた神官長に対してお礼を言うと、神官長は物憂げにただ一度だけ、頷いた。

 やがて小さな溜め息をつくと、神官長は読み終えた報告書を黒い本の上に乗せた。


「サヤにはおそれいった。………私などは、これが視界に入るだけで恐ろしい。」


 ついにその話がきたか、と思わず身体を強張らせる。もう待つのが辛く、思い切って自分から尋ねた。


「本を読んだだけで、処分がありますか?………エバレッタが、私は解雇されると……。」

「辞めたいのか?」


 私は間髪置かずに否定した。

 だが神官長の青い目は、ふっと私から離され、報告書の下に隠れた本の上に落とされた。重たい空気に、口の中が急速に乾いていく。緊張による軽いパニックに押し出される形で、私は自分から尋ねた。


「私は首になりますか?エバレッタが…」

「エバレッタが言った事は気にするな。あれは仕事は出来るが昔から、ああいう性格だ。」


 昔から、という言葉が妙に私の脳内に引っかかった。


「クラウスさんが、お二人は幼馴染だと教えてくれました。」

「エバレッタは子供の頃から……、いや、この話はよそう。脱線した。」

「部下としてエバレッタさんの方を信頼されるなら、私も甘んじて処分を受けます。」

「信頼、か。」


 突然神官長が椅子から立ち上がった。目が合うと、彼は自嘲気味に笑った。


「とんでもない事を隠していてくれたな。」


 ドクン、と私の心臓が鳴った。ーーー何の事だろう。

 神官長の投げやりな視線に、私に対する怒気を感じた。

 神官長は力強い足取りで私の方まで歩いて来た。身体が勝手に動き、私は数歩後ずさってしまった。


「エバレッタと比べてしまえば、エバレッタを信用するに決まっている。比べるべくもない。」


 ガン、と胸を、いや身体中を鋭利な刃物で刺された気がした。一撃が去ると、今度は末端から血の気が引き、指先から冷えていく。


「エバレッタは私を裏切らない。優秀で美しく従順な部下だ。重用しない筈がない。」


 ーーーじゃあ、私は?

 すぐ目の前に立つ神官長を見上げる。怒れる綺麗な瞳を、見つめ返すだけでやっとだ。冷たくなった指先を握り締める様に、自分の拳を握り締めた。


「貴方は一番重要な話を私に意図的にしていなかった。あの男の事も、貴方自身の事も。」


 神官長が私の右手を取った。随分乱暴で、力任せだったので、少し痛みを感じた。


「手を取れ、と言うその同じ口で貴方は私に嘘を吐いた。」

「嘘、………?」

「貴方には過去の記憶がある。そして、あの男が何者か知っている。」


 最早眩暈を感じた。私は嘘をついたーーー?いや、確かに私には昔の記憶など無かった。でも、今はそう断言できない自分もいた。あの井戸の夢は、私の記憶かもしれないのだ。

 ただし、一点においてこれははっきりしている。私はレイヤルクが何者かなんて、近所の人たちと同じくらいの知識しかない。


「私には何のお話か分かりません。私もレイヤルクさんの事は教えて欲しいくらいです。」

「貴方は可愛らしく、そして実に堂々と偽りを言う。私は貴方が本当はあの男のもとに帰りたがっているのではないかと疑ってしまう。」

「どうして!!なんで信じてくれないんですか!私は神官長が好きだから側にいたいのに!!」


 何て事を言ってしまったんだろう、とハッと我に帰る暇も無く、私は神官長に抱きしめられた。それは物凄い力で、私は微動だに出来なかった。


「あの男の家にいた間、貴方があの男と何をしていたのか考えるだけで私はあの男を殺してやりたくなる。」

 身体中が火を噴くかと思うほど熱くなる。だがその腕の力とは対照的に、冷静な声で神官長は続けた。


「貴方に見せたいものがある。来るんだ。」





 神官長に連れてこられたのは、広い敷地の神殿庁の中の、聖木のある庭の奥に建つ建物だった。そこには以前も来たことがあった。アーシードの案内によって。

 水色のタイルが外壁に貼られた、神殿庁の宝物館だ。

 神官長の詠唱によって正面扉が開くと、前と変わらず、入り口には二体の正義の審判の像が立ち、来館者に矢を向けていた。今回はその像に全く恐怖を感じなかった。

 この奥には、初代の巫女姫があちらの世界から持ち込んだ、とされる杯があるはずだ。


「ここに飾られている絵は、みな歴代の神官長の肖像画だ。いつかは私も飾られるだろう。」


 神官長の視線に釣られて、私も壁に目を向けた。

 宝物館の内部は、ほぼ隙間無く様々な人物の肖像画が飾られ、彼らはどれも、肩から真紅のショールを下げていた。

 かなり高齢の人から、若い人まで、年齢も見た目も様々だった。

 飾られている絵画を辿るようにして、神官長は壁伝いに中を進む。中ほどまで行くと、歩みを止めた。


「この絵を見てくれ。」


 白い柱の陰になり、部屋の中に立つと見にくい部分にその絵は飾られていた。絵の正面まで行き、言われるまま見た。

 黒い髪を肩ほどまでの長さに切り揃えた、かなり若い男性の絵だった。肩からは神官長の官位を意味する真紅のショール。その灰色の瞳は、見つめ返す様にジッとこちらに向けられていた。

 ーーーおかしい。なんだろう。

 その違和感は徐々にやって来た。

 知らない人物なのに、微かな既視感があるのだ。それと同時に、足元から寒気が上ってくる。

 その正体が分かると、私は短く叫んでいた。


「レイヤルクさん!?」


 ぞわぞわと腕に鳥肌が立っていく。私は絵に穴が開く勢いで見入った。

 私が知るレイヤルクよりも、幾らか若い。髪も長い茶髪ではなく、切り揃えた黒髪だ。かなり全体的な印象が違う。絵の人物はレイヤルクよりも、堅い印象を受ける。

 だがその灰色の瞳だけは全く同じ物で、じっくり見れば見る程、他人の空似では済まないのではと思えるくらい似ていた。


「この神官長は歴代の神官長の中でも群を抜いた力を持ち、若くして神官長に就任した。」

「この人が……、レイヤルクさん?まさか…信じられ無い…」

「そう。信じ難いし、あり得ない。この神官長は今から二世紀以上も前の神官長だからだ。」


 言われた事を、理解するのに時間がかかった。それでは、この絵の人物はレイヤルクではないのか。それともやはりレイヤルクとは何らかの関係があるのか。

 視線をずらすと私の横に立つ神官長と目が合った。彼は私の反応を確かめる様に見ていた。


「彼は恐らく禁術によって、不老不死の身体を手に入れた。」


 あまりに突飛な話に私は思わず、まさか、と軽く笑いながら言い返した。だが神官長が相好を崩す事はなく、いっそ恐い程に真剣な眼差しをしていた。低く、抑えた声で神官長は続けた。


「証明不可能な命題、と言われて来た禁術だ。死に至る禁術により、不老不死を手に入れれば何が起こるのか。彼がその答えだ。」


 ーーーそんなまさか。そんな馬鹿な事が有り得るだろうか。レイヤルクさんが、何百年も生きている人?あんなに神殿庁を嫌っていたのに、昔は神官長だった?

 全てが受け入れ難く、私は激しく困惑した。

 確かにレイヤルクの右腕には、禁術の痕跡にも見える変色があった。彼自身も禁術を行った事を半ば認めていた。だからといって、不老不死など信じられない。


「恐らくは彼の不老不死の神技の効力が、禁術の反動を凌駕した。だから彼は死なずに生きている。そして貴方は彼の禁術に関して何かを知っていた。そうでしょう?」


 直ぐには返事ができなかった。私は言うべきか悩み、何回か無意味に瞬きをし、しまいに絵の中の人物に心の中で詫びた。ーーー約束を守れず、ごめんなさい。

 これ以上は隠していても、無駄だろう。私は意を決して言う事にした。


「………レイヤルクさんは、右腕の肘から先が、黒紫色だったんです。」

 

 神官長は、そうか、とだけ短く言うと、黙ってしまった。それきり厳しい表情で絵を見つめていた。神官長の白い肌の色が、いつも以上に白くなって見える。

 私はレイヤルクに関して気がかりだった事をもう一つ、話した。


「それと、………関係あるかは分かりませんが、彼は原因不明の凄い高熱で、定期的に寝込む事があったんです。」

「禁術と不老不死の揺り返しが起きているのだろう。恐らくいつかその力関係が逆転する。その時が本当の悲劇だろう。」


 神官長が言わんとするところが良く分からなかった。詳しく知るのは恐ろしかったが、それでも知りたかった。どういう意味か問うと、やはり想像通りの答えが返ってきた。


「神官の力は悠久ではない。いつの時点かで必ず衰弱点を迎え、今は拮抗している禁術の代償を最後は必ず負うだろう。本当の不老不死などあり得ないのだ。ましてや歴代の神官長が高位の神官たち総出の力を借りて行う召喚神技を、たった一人で妨害してきた上、今回は貴方を異界との狭間の空間から、この国に落とした。その時点で途方も無い力を使った筈だ。」


 ぞわりと鳥肌が立った。それはつまり、私の召喚を妨害したせいで、レイヤルクさんの衰弱点が近づいた、ということか。彼が高熱で寝込んでいたのは、私の所為でもあったのか。………どうして。

 今回はいつも以上に快復が悪い様子だったのは、私が来てから力をごっそり失っていたからなのか。

 そうまでして彼はそもそも何故禁術に手を出したのだろう。私にはレイヤルクがそんなにまで生に執着している風には、全く見えなかった。一人で何百年も生きて、何がしたかったのだろう。

 よく見ると絵の下には小さな金属プレートが貼られ、その神官長の名前が刻まれているようだった。名を確認すると、そこには『ジョシュア=ガレル神官長』と表示されていた。ガレル神官長。聞いたことがある名前だ。神殿庁に来てから私も色々勉強をしたので、その中で見聞きした神殿史の登場人物の一人だったのかもしれない。

 彼は、ーーー私の隷民時代の主は、私をこのハイラスレシアに落とした人は、私の巫女姫としての召喚とやらを邪魔した人は、レイヤルクという名ではなかった。彼はジェラルド=シーバスでもなかった。彼の本当の名は、ジョシュア=ガレル。ジョシュア、と無意識に口ずさんでみた。


「その名を、貴方は良く知っていたはずだ。」

「いいえ。そこまでは知りませんでした。」

「だが貴方は私の家でうたた寝をしていた時に、その名を呟いていた。ジョシュア、助けて、と。」


 そんな筈はない。嘘だ、と言いたかったが、神官長はどこまでも真面目な顔つきで私を見ていた。それどころか、私を少し責めるような眼差しにも見えた。


「厳密に言えばサヤが知っていたのではないな。きっと以前の貴方が知っていた。」

「分かりません。どういう意味です?」

「ガレル神官長は、先代の巫女姫を召喚した神官長だった。今から二百五十年前に。」

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