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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第三章 後宮
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皇帝と中庭①

 応接室のソファーに深く腰掛けると、どっと疲れが湧いてきた。

 感情的になってしまい、心も身体も疲弊した気がする。

 それにそう言えば昨夜は殆んど寝ていなかったのだ。おまけに食事をしながら結構葡萄酒を飲んでしまった………。おかげで身体が重いし、一人になって座っていると眠気が私を襲ってきた。

 馬車の準備はまだだろうか。

 目が異常にショボショボする。何度目かわからない欠伸をすると、目尻から転がり落ちた涙を再び指で拭う。こんなにも起きているって重労働なんだっけ?

 ああ、このソファー、寝心地が良すぎるから………。

 ゴロンと身体を横たえると、雲の上にいるみたいに気持ちが良かった。




 視界を塞ぐ、暗く深い穴。

 襲いくる絶望的な気持ち。

 気持ち良く目を閉じた筈なのに、私はまたあの穴を見つめていた。

 嫌だ!!

 心の中で叫ぶが、意に反し私は必死に暗い穴の中に手を伸ばして、探し物をしている。

 助けてーーー私を助けて。

 焦りと気分の悪さで足が震える。

 助けてーーーー!!私をここから、助け出してよ。




 私は腹の底から何かを叫び、夢の中だけではなく本当に叫んでしまい、自分の声のうるささに目が覚めた。

 目の前には神官長がいて、真っ白い顔で私を見下ろしていた。

 馬車の用意ができて、私を呼びに来たのだろう。人の家でうたた寝をし、寝言で目覚めた事実が恥ずかしかった。慌てて身体を起こして、乱れた髪を整える。


「すみませんーーー私、何か変なこと言いました?」

「覚えていないのか?」

「はい。な、何て叫んでました!?」

「いや、他愛もない事だ。……案ずるな。」


 だがそう言う神官長の顔色はすこぶる悪かった。なぜ教えてくれないのだ。私は余程恥ずかしい寝言を言ったのだろうか?


「おいで……。送ろう。」


 蒼ざめる神官長とは対照的に真っ赤になりながら私は彼の後をついていった。





 後宮に戻ると、部屋にサイトウさんや他の護女官がいなかった。

 シーンとした部屋を出て、広い後宮内を探し回っているとウィルマに声をかけられた。


「巫女姫様なら水浴び場に行かれましたよ。」


 後宮には女たちの為のプール設備があった。

 私もサイトウさんもまだ行ったことはなかったのだが、思わず私は空を見上げた。

 雲ひとつない、真っ青な空からは強烈な日差しが照りつけていた。確かに今日は暑い。

 釣られたのか同じく上を見たウィルマは、額に浮かぶ玉粒の汗を手で拭い、言った。


「私も水浴びをしたいくらい。」

 

 いそいそと水浴び場に赴くと、たくさんの女性たちがプールに入っていた。

 後宮の棟と棟の間に作られたプールは石造りで長方形をしており、階段が四方についていて下りられる仕組みだった。プールの中からは机の様な石の台がところどころから出ており、そこに座って休んでいる女性もいた。四隅には壺を持つ四人の女性像が立ち、壺の中からは水がプールへと注がれていた。

 ここで皆に貸与される水浴び用の服は、袖のない、白いキュロットタイプのワンピースの様なものであり、柔らかな素材で出来たそれは、濡れると身体のラインが露わになっていて、とてつもなくセクシーだった。

 ここには女しかいないし、勿論日頃から浴場で会っている面々なので皆慣れているのかもしれない。だが、束の間外へ出て男女入り乱れた空間にいた私は、その異空間ぶりに目眩がしてしまった。

 まさか、このエセ水着をサイトウさんも着用を?と慌てて彼女を探すと、彼女はプールの階段の一つにいて、足を水につけているだけだった。服はまだ殆ど濡れていなく、私は胸を撫で下ろした。

 ホッとしながら駆け寄ると、サイトウさんは私に気付いて満面の笑顔で水をすくい、私に向かってしぶきをかけた。


「おかえり!気持ち良いよ!」


 サラとタラも耐え切れなかったのか、裾をたくし上げて膝まで水に浸かっていた。その後ろで、護女官長だけは誘惑に負けまいといつもの服装で、靴も脱がずに控えていた。

 皆女性たちは比較的静かに行水を楽しんでおり、日本のプールで若い女の子たちが騒ぎながら興奮して楽しむのとは全く様相が違った。

 日焼け目的なのか、プール横のベンチでうつ伏せになり、ピクリともしない女性もいた。

 プールの後ろにたつ建物が水面にうつり、女性たちの動きと共にそれが波に消え、再び姿をあらわす。

 夏の日光にクラクラとする。靴を脱いでみようかと逡巡していると、後方から声がした。男性の声なので驚いて振り返ると、そこには皇帝がいた。


「小鳥たちに褒美を取らせよう。」


 小鳥が一体どこに?とプールに目を走らせるが、何故か他の女性たちはワッと一斉に歓喜の声を上げた。

 ーーーああ、この人たちが小鳥ね。

 遅まきながら理解すると、皇帝は手に持つ袋から何かを取り出し、宙に放った。

 日の光を反射しキラキラと光ったそれは、プールの中に落ちた。

 それと同時に、きゃあっ、と黄色い歓声が上がり、女性たちがプールに潜って皇帝が投げた物を探した。

 水面に顔を出したのは若い女性で、ずぶ濡れになりながらも手には指輪が握られていた。

 周囲から羨ましがる声が上がる。

 ーーーなんじゃこりゃ。

 その後も皇帝は次々と宝飾をプールに投げ入れ、女性たちは必死になってそれを探した。静かな水浴びは一変し、バッシャバッシャと水しぶきが上がる。

 流石にサイトウさんはそれには参加せず、面白そうに手を叩いたり笑ったりしてそれを見ていた。

 サラとタラは腰まで水に入り、いかにも参加したそうにしていた。

 ふと皇帝を注視すると、彼はプールで宝飾探しゲームに興じる女性たちではなく、サイトウさんを見つめていた。

 鈴が鳴る様な声で笑う彼女を、皇帝は目を細めて見つめていた。






 翌日からサイトウさんは、皇祖祭の準備で忙しくなった。今年は皇帝の即位10周年であり、巫女姫を迎えての皇祖祭であったので、盛大に執り行われる予定だった。

 私たちは後宮エリアを出て、宮殿の一室で皇祖祭を取り仕切る官僚たちと連日話し合いを行った。式典の大筋は既に決められているものの、細かな詰めは会議で行われた。巫女姫を迎えての皇祖祭は文献に見るしか例が無い為、計画の一つ一つが極めて慎重に検討された。すなわち、巫女姫と皇帝はどの馬車に乗り、どの道を進むのか、大砲の台数はどうするのか、といった決め事一つですら、それぞれの立場があるのか会議では意見が紛糾した。

 時にサイトウさんも意見を聞かれるので、ただ参加しているだけでは済まず、毎回が疲れるものだった。


『本当言うとね、私みたいな単なる女子高生にそんな事聞かないでよ!って言い返したくなるの。』


 部屋に二人きりになるとサイトウさんは苦笑した。居間のソファーに腰掛け、神殿庁から持参していた装身具を重たそうに外すと、テーブルにジャラジャラと音を立てて乗せ、両手を高くあげて伸びをする。

 いつも人に見られてばかりいるサイトウさんには、リラックスできる時間が殆どなく、私と一部の護女官たちといる時だけは、肩の力を抜いて気取らない一面を見せてくれていた。そんな姿を私は純粋に可愛いな、と感じた。欠伸で滲んだ涙を拭いながら、屈託なく笑うサイトウさんを見ると、まだ十代半ばの少女なのだな、と実感する。

  私はテーブルの上の装身具を丁寧に取り上げた。白と黒の小さなダイヤモンドがびっしりと付いた白金の太い鎖が二列になって絡まり、ミステリアスで大人の雰囲気を醸し出すネックレスだった。大変重く、また使われている宝石の量を考えても相当な値段がするに違いなかったが、私の様な素人には、一粒ダイヤの指輪の方が高級そうな本物の宝石に見えてしまうのが不思議だ。庶民の想像力を超えた量の貴石が使われていると、ガラス玉にしか見えないのが、残念だ。

  傷を付けたりしないよう、そして手の脂を付ける事がないよう、白い手袋をはめてから、それを布張りのケースに仕舞う。手の脂はダイヤモンドの輝きと質を劣化させる要因になるのだ。ーーー神殿庁から持って来た家財道具の管理も、私の重要な任務の一つだった。

 余程疲れたらしく、サイトウさんは背中を滑らせてそのままソファーに横になると、ぽつりと呟いた。


『私に前世の記憶がもう少しでもあればここまで困らないのに。』


 サイトウさんは、この世界でのぼんやりとした記憶があるのだという。ハイラスレシアに来た時に、なんだか懐かしく、見覚えのある街並みだと感じたらしい。レイヤルクに聞かせてやりたい。


『………ねえ、サヤ。クラウスは、どうしてた?』


 つい失笑してしまう。神殿庁から私が戻ってきて以来、この質問をサイトウさんは何十回としてきたのだ。クラウスが彼女のしたためた手紙を大事そうに抱きしめるくだりを何度もきいては、嬉しそうに微笑んでいるのだ。

 この世界にそんな風に大切に思える人がいるのが、羨ましい。その人の事を考えるだけで、心が躍りくすぐったくなるような………。前触れもなく脳裏に浮かんだのは、私の手を取り、真っ直ぐに見つめて来る神官長の姿だった。瞬間的に私の胸がドキンと跳ね、その直後に痛くなる。ーーーああ、どうして彼なんだろう。あんな告白をしてしまったというのに。




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