術屋
レイヤルクの術屋で初めて働いた日は、店が数日間の休店の後での営業だった為、たくさんのお客さんがやって来て猛烈に忙しかった。
大半のお客さんは明かりが点かなくなった術光石を持ち込んで来ており、それを名前と住所を書いた紙箱に入れて倉庫に移動するのが私の主な仕事だった。集めた石に後でレイヤルクが光を入れるらしい。
店は確かに繁盛していたが、客をさばききれないのは、どうも店主にも問題があるような気がした。よく見ているとレイヤルクと客のお喋りが長いのだ。学生時代に牛丼屋でアルバイトをしていた私からすれば、あまりに非効率的な営業に見えた。
超個性的な商品を販売している癖に、肝心の商品に説明書がないから、客とレイヤルクの質問と説明がいちいち発生し、長くなるのだ。
レイヤルクが妙に愛想が良いのもよろしくない。整った顔で和かに丁寧な接客をするから、客がつい長話をするのだ。その証拠に、半日観察していると長話をしていくのは、女性客率が異常に高かった。
見かける女性たちは皆私と同じく、裾の長さが足首まである、白く柔らかな生地でできたゆったりとした長袖の服を着て、その上に更に袖が無いワンピースを重ね、ウエストの辺りで布の帯を縛っていた。
上に重ね着するワンピースは花柄だったり、色使いが派手な物を着たりして、それぞれに個性を演出していた。
私の髪は肩甲骨近くまであり、日本ではロングヘアの部類だったが、こちらでは短い方だった。男女ともに髪を伸ばしている人が多く、取り分け女性の髪は一様に腰辺りまであり、皆結い上げたり、ヘアメイクに余念が無かった。
お昼時になると私は二階に戻り、レイヤルクと自分の分の昼食を作った。
この世界の料理という物がさっぱり分からないので、食糧庫を漁り、適当に準備をした。とりあえずパンに切れ込みを入れ、ハムらしき肉塊を挟み、トマトやキュウリの親戚らしき野菜でサラダを作って添える。
正午になるとどこからともなく、ゴーンと低く響く鐘の音が鳴った。
レイヤルクは一旦お店を閉めて、居間に戻って来た。
彼は食卓の上に置かれたサンドイッチを指でつつきながら呟いた。
「君は本当に独創的な料理をするねぇ。」
私も努力はしてみたのだ。
この家の本棚にあった料理本を眺めてはみたのだが、この家には香辛料や調味料が殆ど無かった。多分、レイヤルクが今までちっとも料理をしていなかったのだろう。
「すみません。お口にあいませんか?」
謙虚に詫びてみたが、レイヤルクは口いっぱいにパンを頬張り、咀嚼しながらモゴモゴ話すので、何を言っているのか全然分からない。行儀の悪い男だ。
水を飲んで咳払いをすると、レイヤルクは自信あり気な目付きになり、私を見た。
「私の術屋はなかなかの盛況ぶりだっただろう?午後も頼むよ。」
「女性のお客さんが多いので驚きました。」
するとレイヤルクは軽い調子で笑った。
私はキュウリの親戚をボリボリと噛みながら思った。多分、レイヤルクは凄く女好きなのだろう。店の混雑ぶりを甘んじて受けているようにしか思えない。
午後も術屋はたいした賑わい振りだった。
時折りレイヤルクに代わって私が商品の説明をする事もあった。
雨ガッパを手に取りながら、これは決して濡れない雨具です、などと平然と言うのはやはり幾ばくかの抵抗があった。何となく詐欺師にでもなった気分になるのだ。
だが説明を受けたお客さんたちは何の疑いも無く商品の効能を信じるので、きっとレイヤルクの商品には一定の信用があるのだろう。
尤も商品の効果は半永久的に持続するものではなかった。例えば「冷たいスカーフ」は半年ほどで冷たさがなくなり、単なるスカーフになり下がってしまうらしく、所謂リピーターもとても多かった。効果が切れる事で繰り返し買って貰えるのだから、効果は短過ぎず、長過ぎずが店の利益の為には丁度良いのかもしれない。
慣れない世界の慣れない立ち仕事は非常に疲れる。
夕方になると足腰が悲鳴を上げ始めた。
頭も疲れたせいで、ボンヤリしながらもお客さんが乱した商品の陳列を綺麗に並べ直していると、不意に声を掛けられた。
「今日からここで働いているの?」
商品から手を離して顔を上げると、いかにも陽気そうな中年女性が薄茶色の大きな瞳を興味しんしんといった様子で輝かせて、私を見ていた。
元気ハツラツな笑顔が、疲労困憊した目に眩しい。私がそうです、宜しくお願いします、と答えると彼女は更に尋ねてきた。
「ねえ、どうやってここを見つけたの?いつも一人で大変そうだから、レイヤルクに人を雇うようにいくら言っても、聞いてくれなかったのに。」
「どう、というかですね、私、市場で先日レイヤルクさんに買われた身でして……。」
「えっ!?あなた隷民なの?レイヤルクが隷民を買うなんて意外だわ………。頑張ってね。ここの隣のパン屋のタアナも隷民なのよ。不法入国していた親に捨てられて、五年前にパン屋に来たのだけど、今じゃあの子なしにあのパン屋は回らないわね。」
隣のパン屋には昨日買い物に行った。確か中年夫婦と若い女の子が三人で切り盛りしていた。普通の家族経営だと思っていたのに。あの若い女の子がタアナなんだろうか。
お仲間がそんな所にもいたのか。
やっと終わった………。
それが一日術屋で働いた率直な感想だった。
心身共に疲れ切った。
レイヤルクは手袋をはめた右手を持ち上げ、術屋のショーウィンドウを指差しただけで、ガラガラと音を立てて黒い格子のシャッターがおりて来た。あまりにヘトヘトなので、そういう風にレイヤルクが摩訶不思議な力を発揮するのを、見るだけで精神的に更に疲れる。
しかもこれから私は夕食の支度をしなければならない。二階の住居部分へ上がる階段の方へ歩き出すと、レイヤルクに呼び止められた。
「夕食は外で食べるよ。」
「ああ、そうなんですか。いってらっしゃいませ。」
食べて来てくれるなら正直助かる。私はパンとチーズの親戚でもかじって、寝てしまいたい。レイヤルク、気が利くじゃないか。
安堵の溜め息をつきながら足を階段にかけると、レイヤルクに腕を掴まれた。
「何を言っているんだい。君も来なさい。疲れただろう。一緒に食べに行こう。」
ああ、レイヤルク。なんてイイ奴なんだ。
長い外套を羽織り表通りを歩くレイヤルクに、ついて行く。
この帝都とやらは、日中は太陽がカンカンに照り付けて暑いが、朝晩は涼しい風が吹いてかなり気温が下がる。日本の晩秋くらいの寒さを感じる。日が沈みかけた乾いた冷たい空気の中を、両腕を摩りながら歩いていると、レイヤルクが私を一瞥した。
「寒そうだね。今度外套を買ってあげよう。」
重ね重ねなんてイイ奴なんだ、と飛び上がって喜びそうになる一歩手前で気が付いた。そもそも今日一日の私の労働は、無給なのだ。しかも家でも家事労働をしている。これから先を良く考えれば、とんでもなく搾取されているではないか。
しかも隣のパン屋のタアナはこれを五年続けているのだという。これから五年もこれを続ける、と想像するとゾッとする。なんて理不尽なシステムだ。
外套くらい安いもんじゃないか。
街中を歩いている人々は、大概が私より色素が薄くて彫りが深い顔立ちをしていたが、時折りもっと浅黒い肌の人や、私に似た顔立ちの人も見かけた。見た目だけでは彼等がハイラスレシアの一般市民なのか、隷民なのかは分からない。
通りを歩いていると、突然右手前方の視野が開けた。
だだっ広い敷地に巨大な建築群が並んでいるのだ。
思わず目を奪われて、歩みを止めてしまう。
それは長い列柱に支えられた大きな建物の集合体だった。びっしりと四角い窓がはめ込まれた大きな建築物から、見上げるほど高い円柱の塔が青空目指して突き出ている。その塔のてっぺんは、日の光がもう届かない暗い空に吸い込まれてよく見えないが、どうやらドーム型の屋根の下に鐘がある様に見えた。圧倒的な規模の大きさを前に、見上げると足が自然とすくんだ。
この建物は何なのだろう。
あまりの壮麗さに気圧されながら立ち尽くしていると、レイヤルクに腕を引かれた。
「早く行こう。」
「あの、あそこにあるデカい建物は何ですか?」
「――神殿庁だよ。」
レイヤルクは目もくれずに歩き続ける。
「神殿庁って…」
「だから、ハイラスレシア帝国の神殿を束ねる、神殿庁さ。大きくて当たり前だろう?」
レイヤルクはさも速くその建物の前を通り過ぎてしまいたい、とでも言うように速足で進んだ。どうしてだろうか、眉間にシワを寄せて不機嫌そうな顔すらしている。
慌ててついて行きながらも彼のそんな表情を首を傾げて見ていると、レイヤルクは私の視線に気付いた。
「私はね、神官たちが大嫌いなのだよ。だから力に恵まれてはいても、神官などにはならずに術屋をしているのさ。」
レイヤルクみたいな不思議な力がある人は、神官を目指すのだろうか。この国の宗教とはどんなものなのだろう。今度図書館で色々調べてみなければ。私は自分がいるこの場所について、あまりに何も知らなすぎるから。
私は恐る恐るレイヤルクに尋ねた。
「神官って、悪い人たちなのですか?」
するとレイヤルクは急に立ち止まり、私の両肩を掴むとひたと見つめて来た。いつに無く灰色の目が真剣味を帯びている。
「それはそれは恐ろしい人たちだよ。何も知らぬ赤子の様な真っさらな人間に、歪んだ知恵を付けて、神殿と自分たちの為だけに身を尽くさせるのさ。太陽神の名の下にね。」
「そうなんですか?わ、私、こちらの人間じゃないんで、神官の事が良く分からなくて…」
「一人の時は絶対に近寄ってはいけないよ。」
私の肩にかける彼の手に、より一層力がこめられ、少し怖くなった。従順さというよりは、その真剣すぎる眼差しから逃げたい為に、私な素直に頷いた。