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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第二章 神殿庁
36/66

波乱の予感

 夜中の残業も慣れるとたいした事がなくなってくるから不思議だ。日本にいた時と違い、早く帰宅して買い物をしたい、とかテレビが見たい、なんていう娯楽がここハイラスレシアには少ないからだろうか。他にやる事もないので、最近では仕事に集中しているうちに、気がつくと外が真っ暗、という展開がお決まりになっていた。

 今夜も欠伸を噛み殺しながら片手に術光石が輝くランプを持ち、さっきまで使っていた一冊の分厚い本を返しに、資料室に向かった。この本を返却したら、ようやく本日の任務終了だ。

 基本的に何をするにも他の護女官よりも時間がかかる。神官としてのベースとなる教養がないから、何事も覚えていかなくてはならなくて、必死だ。でも異世界から来たから仕方が無い、と甘える訳にもいかない。勿論、たまには開き直ってしまう事もあるけれど……。護女官として一人前になるまでは、仕事に全力投球したい。私は人生で今が一番、仕事に燃えているかもしれなかった。目標がはっきりしているからか、私はそこだけ目指せば良い、と腹を据えていた。

 やれやれと暗い廊下を歩いていると、前方の廊下が急に明るくなった。時を同じくして、その明かりは前方から歩いて来る人物が持つランプの光から来るものだと分かり、ランプを手に捧げているのは神官長だった。

 つい自分が持つランプと見比べてしまった。明かりをつけた神官の力の差なのだろうか。私のランプの数倍は明るいではないか。正面に立つとこちらのランプはまるで灯いてないみたいにすら見える。


「こんな時間までまだ仕事を?」


 神官長にそう尋ねられて、私はこの資料を返せばお終いだ、と答えた。彼の背後に誰かーーーいつも引き連れている特席の一人や二人も一緒なんじゃないかと、首を亀みたいに左右に伸ばして確認しながら。神官長はどうやら一人の様だった。なんだかホッとしたような、逆に緊張するような複雑な気持ちになった。私の心情を他所に、神官長は一人勝手に納得でもしたのか、頷きながら言った。


「サヤは何にでも真面目に全力投球するのだな。」

「そ、そういうわけでは……。」


そもそもこの時間に鉢合わせしている時点で、お互い様ではないか。


「やはり私は逆に貴方を焚きつけてしまったようだ。」

「そんなことないです。私、これでも結構手を抜いてやっています。」

「毎日これ程遅くまで?」

「はい。……あ、あの、幸い私ヒマですし。」


 寄るデパートもいじるケータイもない。神官長に通じないであろう蛇足を頭の中で口にしながら、私は軽く会釈をして資料室の扉を開けた。驚く事に神官長は私についてきた。速足で本棚の間を移動し、素早く目的を済ませていると、感心した様な声で神官長が言った。


「サヤは今までの巫女姫様とは随分違うようだ。異世界の女性は皆鷹揚としているものだと思っていた。」


 確かにサイトウさんみたいに神殿の人々にかしずかれて始終お世話をされればそうなるのかもしれない。でも私はこの中途半端なエセ護女官という境遇からドロップアウトしないよう、必死なのだ。資料を棚に戻し終えると、神官長が直ぐ後ろに立っていた。


「何か私で役に立てる事はないか?何でも聞いてくれ。」


 神官長に下らない質問をするわけにもいかない。だが折角の機会だ。実はサイトウさんがお祈りの時や訪問先でするスピーチはだいたいの粗筋を私や他の護女官が交代で作っていた。それがなかなか骨折りで、慣れていない私にはストレスが溜まる作業だった。

 そこで思い切って今抱えている案件について神官長に話し、アドバイスを貰うことにした。神官長はかなり真剣に考えてくれて、私は椅子に座って必死にメモをした。神官長はまだ私に付き合ってくれそうな気配だったので、ついでに神殿庁の仕事の中でも曖昧に覚えていたり、いつか誰かに聞こうと思っていた事まで、お言葉に甘えて教えて貰うことにした。

 神官長は私の超低レベルな質問や疑問にまで、嫌な顔一つせず、丁寧に答えてくれた。

 かなり遅くまで付き合わせてしまったので、私は重ねてお礼を言った。だが神官長は気にする必要はない、と首を左右に振った。その後で彼が軽く自分の右肩を押さえて肩を回すと、関節が鳴る音が聞こえた。

 思わず神官長が首につけている豪華な金属の飾りを見つめた。それは肩から首にかけて一周する様な形になっている、分厚い金属製の飾りだった。彼は神殿庁にいる時はたいていそれをつけていた。


「あの、それ、肩が凝りませんか?」

「そんなことはない。軽い物だ。」


 しれっとそう返事をしてから、神官長は急に破顔一笑した。


「いや、嘘だ。やはり重いな。」


 私も声を出して笑った。

 いつもは少し冷たい印象を与える容貌の神官長は、笑うと雰囲気ががらりと変わる。その瞬間が好きだ。なんだか神官長の笑顔には中毒性がある気がする。

 神官長はやがて笑顔を納めて、真面目な顔で言った。


「後宮へヒナ様について行かれたい一心で努力されているのでしょう?もし分からないことや、他の人に聞きにくい事があれば、遠慮なく私に聞くと良い。」

「でも、神官長は私が後宮に行く事に反対されているのでは………?」

「サヤが行きたいのならーーーそれが貴方の望みなら、反対はしない。」

「それは嘘じゃないですよね?」

「ーーー嘘ではないが、本心でもない。」


 私たちはまた笑った。



  帰りがけに私は資料室の奥の一画を見た。そこは硝子の扉の向こうにあり、木製の本棚には黒い背表紙に、題名の印字が無い本が整然と並べられていた。暗がりの中で目にすると何やら気味が悪い。


「あの部分だけなぜ別格の扱いなんですか?」

「ああ、あれらは皆、禁術をまとめた大全なのだ。」


 私がここに来てから得た知識によれば、確か禁術とは神官や術者たちがやってはならない術の事だ。人の思考に入り込もうとしたり、酷く暴力的な結果をもたらす術など。


「ええと、禁止されている術の事ですよね。」

「太陽神と人による太古よりの契約だな。」


 太古………っていつだろう。そこは敢えて聞かないでおこう。


「そんな術を載せた資料をこんな薄い硝子扉の向こうに置いて大丈夫なんですか?」


 いくら誰でも入れる場所ではないとしても、神殿庁で働く数えきれない人数を考えると、セキュリティが甘すぎる気がした。だが神官長は淡々と答えた。


「盗む価値など無いのだ。大全に載る術を行おうなどとする輩はまずいない。代償の大きさを思えば、私などあの扉に触れる気にもならない。」

「代償?」


 すると神官長は右手を自分の顔の高さまで持ち上げ、軽く手の平を開いて言った。


「禁術はその術を実行次第、利き腕の指先から腐敗が始まり、瞬く間に全身にそれは伝播し、時を置かずに死が訪れると言われている。また、禁術の実行を強制した者にも同じ末路が待ち受けている。」


 そう聞くと薄暗いその一画が、さらに不気味に見えた。硝子扉が金持ちの豪邸の窓みたいにピカピカで手垢一つないのは、誰もが恐れて近づきもしないからなのかもしれない。

 ごくりと生唾を飲んで扉をみていると、神官長は手近にあった本棚から一冊の本を引き抜き、それを開いてその頁に印刷されたカラフルな絵を指でさしながら言った。


「ハイラスレシアの人間は子どもの頃からこの様な絵を見せられて育ち、禁術に対する恐怖心を叩き込まれているのだ。」


 そこに描かれているのは、恐ろしく顔を引きつらせたり、顔を背けたり、叫び声を上げている群衆。そしてその中心にいるのは、断末魔の表情で右手を天に掲げる一人の男性の姿だった。私はその右手を目にした瞬間、我知らず叫びそうになり、手渡された本を衝撃のあまり床に落としてしまった。

 描かれた男の手は肩近くまでどす黒い紫色をしていたのだ。


「すまない。それほどまでに驚かせてしまうとは。」


 やや困惑した様子で神官長が屈み、落ちた本を拾い上げてくれたが、おわびの言葉がどうしても出てこない。

 ーーー私はこの絵の右手と同じ物を、見たことがある。レイヤルクの手だ。

 彼は肘まで変色していたが、色は全く同じだ。でも私が知る限り、その先には広がっていなかったし、彼は持病の時以外はピンピンしていた。

 これは、どういう事なのだろう?レイヤルクの右手は………まさか禁術と何か関係があるんだろうか。禁術にはどんなものがあるんだろう。疑問で頭をいっぱいにしながら暫く硝子扉を凝視してしまった。ややあってから、こちらに向けられた鋭利な視線に気づいて目を離すと、神官長は物言いたげに私を見ていた。







 空はどこまでも高く青く澄み、照りつける太陽はますますその強さを増していく。街を、神殿庁を彩る木々は生命力に溢れた緑の色を日増しに濃くさせていく。

 自然だけでなく、一日一日と暖かくなるにつれ、往来を行く人々の表情も明るく開放的になっていく。

 季節は確実にうつろい、夏が再び訪れていた。

 私がこの世界に来てから、一年近くが過ぎようとしていた。

 その日、私とサイトウさんがハイラスレシア語の古語によるお祈りの練習をしていると、神官長が訪ねてきた。

 神官長の訪れを告げた護女官長の表情は引き締まって硬く、異様に緊張した雰囲気があった。入室した神官長はいつもの神官服ではなく、色とりどりの飾り帯がついた上掛けを纏い、髪は丁寧に後ろに括られ、主に儀式で使う、刺繍が施された高く白い帽子を頭にのせていた。輝く貴石が美しく飾られた錫杖を手にしていた神官長は、それを後ろに控える神官に手渡すと、代わりに書状を受けとった。彼は書状を広げて両手に掲げ、そのままの姿勢でサイトウさんの前まで歩いて来た。


「ハイラスレシア皇帝陛下、ジアーデル=ヨスフ=ハイラート様より太陽神の巫女姫、ヒナ=サイトウ様をお迎えする準備が万事完了したとの書簡を受領致しました。」


 サイトウさんは座っていた椅子から立ち上がり、暫し絶句していた。これはサイトウさんを後宮に寄越せ、との正式な要請だった。

 ついにこの時がきたのだ。

 恭しく書状を差し出す神官長は、その反応を探る様な目つきで彼女を見つめていた。

 驚きのあまり口を開けないでいるサイトウさんにかわり、私は尋ねた。


「いつですか?いつ行かなくてはならないのですか?」


 神官長はサイトウさんに視線を投げたまま、答えた。


「来月の初日、太陽祭の前日です。皇祖祭が終われば神殿庁にお帰り頂く予定です。」

「そうなの。………分かりました。未熟者だけれど、お役目をしっかりと果たします。」


 皇祖祭は五ヶ月後だ。だとすれば滞在は四ヶ月という事になる。少し震える声でサイトウさんはそう言い、ゆっくりと書状を受け取った。








「どうしよう!!私、本当に後宮に行かなくちゃならないよ!」


 神官長の一行が退出するなり、サイトウさんは狼狽した様子で書状を握り締め、右往左往しはじめた。私はとりあえず書状を彼女から取り上げて、机の上に置くと、口元を抑えながら微かに震えるサイトウさんを再び座らせた。


「ねえ、サヤも後宮についてきてくれるんだよね?」

「神官長には頼んであります。もう一度念の為、後で聞いてみます。」


 見渡すと部屋の中には私とサイトウさんしかいなかった。先ほどまでいた筈の護女官長は、私たちに気を使ってどこかへ行ったらしい。

 サイトウさんは神官長たちが消えた扉の方を見るとは無しに見ていた。多分、彼女は扉の横に控えている筈の聖騎士、クラウスの存在を気にしているのだろう。

 サイトウさんは自分をかき抱く様に両腕を胸に当て、乱れる心中を吐き出した。


「ハイラスレシア語も、大分不自由しなくなったし、巫女姫としての宗教儀式にも随分慣れて自信がついてきたの。でも………、このまま行くなんて。」


 出会った頃より格段に上達したハイラスレシア語を操り、彼女は言った。


「行ってしまう前に……クラウスに、私の気持ちを打ち明けたいの。」


 私は言葉に詰まった。

 思いを打ち明けるのは大事だと思う。打ち明けなかったことを、一生後悔する人だっているだろう。けれど………。


「クラウスはもうヒナ様のお気持ちに気づいていると思いますよ。別に打ち明けなくても…」

「何も確かめずにお別れするのは嫌!でないと、このまま消滅しちゃう気がするの。」


 サイトウさんの気持ちは痛いほど分かった。でも、どうやって?

 クラウスとサイトウさんが人目を気にせず二人きりになれる機会なんて、ほぼない。

 巫女姫への期待を一身に背負い、色んな不自由を甘んじて受け、自分を抑えて気丈に努力してきたサイトウさんの、唯一のわがままかもしれない。

 机に涙をハラハラと零しながら、私の前で不安に押しつぶされまい、と戦っているのは、まだ先日十七歳になったばかりの少女だ。

 私がここで一肌脱がずにどうする。

 私はその為に今、ここにいるのに。


「ヒナ様。クラウスを連れて来ます。私も一緒なら、変に思われないでしょうから。」


 扉を開けて廊下に顔を出すと、クラウスと二人の聖騎士が立っていた。私は適当な口実を作って彼だけを中に入れると、扉を閉めて外から誰も入ってこない様に、入口で見張る事にした。


「おい、一体なんのつもりだ?」


 扉にへばりつく私にクラウスが不可解気な眼差しを投げてくる。

 私は小さな声で、ヒナ様のご命令です、と口走った。


「クラウス。」


 澄んだ高い声でヒナ様がそう呼びかけると、クラウスは後ろを振り返った。その黒くつぶらな瞳は赤く充血している。


「ヒナ様!」

「私、貴方の事が好き。」


 それは物凄くストレートな告白だった。だがそれ故、言葉はもうそれ以上必要がなかった。

 クラウスは面食らった様にその場に硬直した。だがサイトウさんはお互いの距離を埋めん、と数歩クラウスに歩み寄ると、駆け出し、一気に抱きついた。

 見てはいけない、と慌てて顔を扉に向けて目を逸らす。ややあって、私もです、と抑えて少し震えるクラウスの声が耳に届く。

 サイトウさんが啜り泣きながら、クラウスの名を何度も呼ぶ。

 急に訪れた静寂にギクリと胸が鳴り、いけない、と自制しようと思いつつも、ゆっくり振り返って二人を視界にとらえた。

 サイトウさんが少し背伸びをして、クラウスは彼女の肩を抱き上げる様にして、二人はキスをしていた。

 軽く唇を触れ合うキスを繰り返し、やがてそれが濃厚なものに変わっていくと、もう見ていられなかった。今まで長く抑えていた感情が、一気に爆発して解き放たれたようだ。

 一生懸命空気になって、存在を消そうと扉に顔を押し付け、息を潜める。

 二人はもう私がここにいるのを忘れているのだろう。静まりかえる部屋の中、愛を打ち明け合った恋人たちの熱い抱擁と口づけの音が、いやでも耳に入ってくる。もういっそ、壁になってしまいたい。


「ヒナ様。太陽神の逆鱗に触れても構いません。貴方を、皇帝のもとになど、行かせたくありません。」

「私も、クラウスと離れたくないよぅ。」


 二人の会話を盗み聞くのは、とても辛かった。胸の奥を鷲掴みにされたみたいに痛く、申し訳なかった。

 だがもうすぐ護女官長たちも戻ってくるに違いない。あまり長くこうしてはいられない。こんな微妙な時期にクラウスが側にいてサイトウさんが泣いているところを見られてしまうと、弁明に困る。

 私は意を決して二人に声をかけた。


「そろそろ持ち場に戻って下さい!」


 それでも二人はなかなか離れようとはしない。


「ほら、クラウスさん!」


 何だか恋路の邪魔をしているみたいで気が引ける。でも、今これ以上先に進んで良い二人では無い。

 クラウスはサイトウさんをもう一度自分の広い胸の中に抱きしめると、熱くささやいた。


「後宮に行かれても私の気持ちは揺るぎません。お帰りをひたすらお待ち申し上げております。」


 サイトウさんは、クラウス、と感極まる声を上げた。

 二人は実に名残惜しそうに身体を離すと、まるで今生の別れの如く切なく見つめ合い、やがて吹っ切る様にクラウスが素早く身体を反転させた。大股で私がいる扉口まで歩いてくるので、私は慌てて扉を開けた。

 クラウスは私とすれ違う瞬間に、私に向けて呟いた。


「感謝する。」


 クラウスが出て行き、閉まった扉を私は暫し茫然と眺めた。ゆっくり振り返ると、サイトウさんは涙を必死に拭っていた。こらえようとしても、止まらないのだろう。


「………ヒナ様、良かったですね。」

「うん、うん。」


 これで後宮に行っても、やるべき事がはっきりした。兎に角、さっさと神殿庁に帰ってくることだ。


「後宮に長居は無用です!」


 私は再確認する様にそれを力強く言葉にした。

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