術屋の二階にて
私たちはその後で二階へと上って行った。
相変わらず中は無人とは思えないくらい、綺麗だった。それに驚きつつも、私は一目散にレイヤルクの部屋に向かった。
当たり前だが中には誰もおらず、誰かーーーレイヤルクがこの部屋に戻った、なんていう形跡もない。
暫し部屋の入口にたちつくしていると、遅れて歩いて来た神官長に声をかけられた。どうしたのか、と。
「いえ。中があまりに綺麗なので驚きました。」
「定期的に清掃をさせているからだろう。」
「はい?」
「放置すれば無人の家屋は直ぐに傷むのだ。」
「じゃあ、レイヤルクさんの為に、手入れを………!?」
感激して聞き返すと、神官長は整った眉をひそめ、それには答えなかった。
続けて私は自室に行った。長い間閉め切られていた空間特有の、こもった空気が部屋の中に充満していた。部屋についている三つの窓を早速全開にして換気を行う。ふと気がつくと、私が作業をしている間中、神官長がこちらを見ていた。ソファに座るなりして適当に時間を潰してくれれば良いのに、なぜ私ばかりそんなに見るのだろう。視線が気になってこちらも神官長を見ると、彼はその度に急に別の方へ視線を逸らし、手近にある置物を手に取ったり、はたまたテーブルクロスをいじった。なんの変哲もないテーブルクロスの手触りがそんなに気になるのか、と突っ込みたくなるくらい、熱心にテーブルクロスの布地を確かめている。少し時間が経つと、やはりまた私は彼の視線を感じた。やりづらい事この上ない。私がこの家で何かするのじゃないかと怪しんでいるのだろうか。それとも………?
前回の一時帰宅で持ち帰り損ねていたハンカチの束を引き出しから取り出すと、中から一緒に別の物が出て来て床に落ちた。
それは祝福日に私が手に入れた干し葡萄の包みだった。
「こんな所にしまったんだっけ。」
あの日、これを持ち帰ってからが大変だった。レイヤルクと三階で口論をした後、これをどうしたかを全く思い出せなかった。
緑色の包み紙を片手に、もの思いに耽っていると、アーシードが横から覗きこんできた。
「それは祝福の葡萄ですか?あの日、もしや神殿庁にいらしていたのですか?」
「はい。かなり遠くからですけど、………ヒナ様を一目見たくて。」
そのヒナ様と今は毎日一緒にいる。不思議なものだ。私は緑色の包みをふわりと宙に放って、またキャッチした。こんな風に、祝福を受け取ったのだ。ぼんやりと当時の事を思い出す。あの日は、あの後の事がなければ、とても楽しい日だった。
「追い風を受けてヒラヒラ空に散る干し葡萄は、凄く見応えありました。今でも脳裏によみがえります。」
すると私の左手におさめられていたハンカチの束が、突然まるで生き物みたいに勢い良く私の手中からとびだし、部屋の天井近くまで舞い上がった。花柄や縞模様、単色のハンカチたちは蝶のように羽ばたきながらヒラヒラと頭上を舞った。自然と笑みが零れる。
「凄い!!綺麗ですね!」
アーシードを見ると、彼も表情を崩し、頷きながら笑ってくれた。こんな風に神技を見せてくれるなんて、アーシードはなんてサービス精神が旺盛なんだろう。空想の生き物の様に愛らしく舞うハンカチが、あまりに不思議で、手を伸ばして触ろうとした。すると蝶たちはおどける様に身をかわし、逃げていく。だが直ぐに私の次の手を誘う様に再び距離を縮めてくる。自分のハンカチが飛んでいるという、目の前の光景があまりにファンタジー過ぎて、笑いが止まらない。
ふと横目で神官長を見ると、ギョッとするほど無表情で舞うハンカチを眺めていた。私がはしゃぎ過ぎて、気分でも害したんじゃないだろうか。そう思ってこちらまで固まると、目が合った。すると神官長は何故かバツが悪そうな面持ちで素早く目を逸らした。そのままくるりと背を向け、廊下に出て行ってしまった。
愛らしく舞っていたハンカチは羽ばたきをやめ、まるで巣に戻るみたいに私の手の上へバラバラと落ちて来た。
最早動かなくなったハンカチを一枚つまみ上げ、フワリと浮かせてみるも、もうそれは羽ばたかなかった。空気抵抗を受けて不規則に流れて床に落ちていくだけだ。
拾い上げながら、私は気を取り直して言った。
「アーシードさん、ありがとうございました。貴重なものが見られました!」
「……えっ?ーーーあ…いえ、今のは私がやったのではありませんよ。」
私のお礼に意表でも突かれた様な顔をして、アーシードは手を振った。今度はこちらが面食らう番だった。
「今のは神官長の神技です。」
「まさか……。神官長がこんなお茶目な…」
さっきの自分のはしゃぎっぷりを思い出すと、急に恥ずかしくなった。神官長にお礼を言わなければ。でも、どんな顔を合わせたら良いのやら。
居間に向かうと神官長が壁に掛けられている絵に視線を投げながら、後ろ手に手を組みぶらぶらと歩いていた。そこへそっと近づいた。
「あの、ありがとうございました。私の為に…」
神官長は礼を遮る様に後ろ手で手をヒラヒラと振った。こちらを振り返らずに、さっきまでは見向きもしなかった壁の絵を今度は一転して熱心に観察している。
「高位の神官さんたちは、何でも出来ちゃうんですね、本当に。純粋に、ーーーそうですねぇ、ええと、少し羨ましいというか、ズルいなあ、と感じちゃいます。」
「ズルい?」
神官長はやっと絵に興味を失ったのか、私を見てくれた。
「だって生まれた時から、力の有無は決まっているんですよね?もし私にも雨を降らせたり、綺麗な布に空を舞わせたりするのが出来たら、楽しそうだな、と。」
そんな力は地球には存在しなかった。少なくとも常識的には。
後ろからついて来ていたアーシードは、そうですねぇ、と単純に同調してくれたが、神官長は何か考え込んでいるような複雑そうな顔をしていた。彼は一呼吸置いてから聞いてきた。
「私を化け物じみていると思うか?」
「えっ?」
改めて神官長の顔を見る。
思い返せばそもそも最初は神官長はクラウスと共に私の前に現れたので、怖かった。それに人間離れして整った顔立ちをしている。加えて、術屋に現れた時はレイヤルクに対して、異常に攻撃的だった。
けれど、色々な一面もあるのは無視しがたかった。それはきつとクラウスも同じだ。サイトウさんは私とは全く違う彼を見ている。
「はじめは神官長がとても怖い方だとは思いました。でも化け物だなんて思いません。」
神官長は不思議そうに目を瞬いて私を見ていた。
「面白いものだ。サヤはありのままを私に言うのだな。ヒナ様ですら私を若干の恐怖や得体の知れなさを交えて見ている時がある気がするが、サヤからは全くそれを感じない。………巫女姫とは不思議なものだ。」
「私は巫女姫ではありません。」
しつこいかも知れないけど、一応訂正しておいた。神官長は又微かに笑った。
「そうだな。私だけが知っていれば良い事だ。」
あくまでも神官長は私が巫女姫ではない、とは言わなかった。やはり自分の神技の誤りを認めたくないのかも知れない。この国で一番神技に長けている筈の地位にいるのだから。
その後私が荷物の整理をしている間、神官長は部屋の窓辺にたち、往来をながめていた。
きっと外では、野次馬たちが騒然としているだろう。神殿庁にいて普段は滅多に見かける事などない、神官長が民家の窓から姿を覗かせているのだから。
あまりずっとそこに佇んでいるものだから、私は遂に声を掛けた。
「何か興味深いものが、見えますか?」
後ろから顔を出し、一緒になって窓の外を見てみると、自分のその行動を瞬時に後悔した。
二階から見下ろす表通りは、大変なギャラリーで溢れていた。私たちが乗ってきた黒塗りの馬車は興味しんしんの野次馬にたかられ、聖騎士たちが彼等を追い払うのに苦心していた。
「たいしたものだ。」
「はい?」
「良くもあれほど人が集まるものだ。増える一方で減る気配も無い。」
「こ、こんな一般エリアに神官長が忽然と出没したら、みんな仰天するに決まってます。」
…それに貴方はそんな目立つ顔をしているんだからーーーと言い掛けてハッと言葉を切った。
しまった。
顔はタブーネタだったんだ。地雷に両足で踏み込むところだった。
不自然に口を結んだ私に、窓の外に向けられていた神官長の視線がゆっくりと移された。
訝る様なその薄い青色は、いつかテレビで見た、クリオネが漂う北の海の澄んで冷たそうな色にそっくりだった。ーーーー北の?
そこまで連想して漸く私は気がついた。
さっき、神官長はレイヤルクが転移したのは、北の方角だと言っていた。
「神官長………。レイヤルクさんが隠し持っていたもう一枚の神殿登録証も、確か帝国最北にある神殿ではありませんでした?」
「そう。ドーレイン神殿だ。」
神官長は再び目線を往来に戻した。
「考えていた。あの男、レイヤルクの目的は何だったのかと。召喚神技を妨害したいだけならば、サヤを何故……転売せず手元に置いておいたのだろう?」
後半は遠慮気味に発言されてはいたが、ガン、と衝撃を受けた。確かに、私などさっさと追い払ってしまう方が、レイヤルクにとってリスクが少なかったはずだろうに。
レイヤルクが情に厚い人だったから、とか?
ーーーいや、彼は多分そんな人間ではない。
レイヤルクに恩を感じてはいるが、彼は私が見て来た限り、そもそも他人と深く関わるタイプではなかった。
「巫女姫召喚を妨害したかった割には、ヒナ様にはまるで執着がなかったようだ。それこそ現在に至るまで。」
「私にも執着は無さそうですよ。だって別れて以来音沙汰なしですから。」
「そんな事はない。あの日、サヤが神殿庁にいるヒナ様に会いたがっていると分かるまでは、サヤ様を渡すまいとしていた。………まるで自分の所有物の様に。」
前触れなく神官長が私を見た。その距離の近さに改めて気づき、思わず自分の顔が紅潮するのを感じた。誤魔化してまた往来を眺めようかと思ったが、見つめてくる神官長の整った青い瞳に意識が吸い込まれてしまい、目が離せない。すると今度は神官長まで少し紅くなった様に見えた。目の錯覚かと思った次の瞬間、神官長は窓から離れると、パチンと右手の指を鳴らした。直後、全開になっていた窓が次々に閉まっていった。
「そろそろ戻るとしよう。聖騎士たちが発狂する前に。」




