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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第二章 神殿庁
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皇帝の要請

「ええと、今、ですか?」


 私は念の為もう一度確認した。

 私の部屋の入口に立つエバレッタは、言いにくそうに言った。


「そうです。今すぐに来る様にとの仰せです。」


 何を隠そう、やっと勤務が終わり、ようやく落ち着いていたところだ。いましも就寝前のストレッチという、申し訳程度のダイエットを始めようと思っていたのに。

 なのに。

 神官長からの突然の呼び出しである。

 先日術屋と市場にクラウスたちと出掛けた帰りの、神官長との一悶着を思い出し、余計に行きづらい。

 勿論、私はサイトウさんの力になるためにここに来たのだし、それには護女官としての立場が不可欠だ。行かない訳にはいかない。行ってやろうじゃないの。

 神官長からの挑発に乗り、私は大急ぎで髪型と服装を整え、エバレッタについていった。


「神官長は今日は随分遅い時間まで仕事をされているんですね。」


 歩きながらそう尋ねると、エバレッタは小首を傾げた。


「いつもこの時間までいらっしゃいますよ。お忙しい方ですから。」


 それはおかしいではないか。だって、私は市場の買い物に付き合って貰った経験がある。あの日は夕方で仕事が終わった、と本人が言っていた。


「たまには、夕方頃に終わる事もあるんですよね?」

「夕方?いいえ。そんな日は私が特席になってからは一度もありませんでしたよ。」


 夕方に終わった日が無かった?

 という事はつまり、神官長は私の外出に付き合う為に、わざわざ仕事を中座してくれたのだろうか。

 そう考えると、胸がざわついた。だって、なぜ?

 それはやっぱり私が外出すればレイヤルクが現れるかもしれないから?でもそれならアーシードを使えば良かっただけの話だ。それとも………?

 神官長は本気で私が巫女姫だと思っているのだろうか。神官長に巫女姫として陰で扱われるのは不快だったのに、何故か彼が私を本当に巫女姫だと信じていて、レイヤルクから守ろうとしている、と考えるのは心地良かった。これは矛盾だ。それは分かっている。

 でも、やはり本当は、守ってくれようとしたのかもしれない。都合良い解釈だけれど、そんな風に思うと、凄く恥ずかしくて嬉しくなった。ーーー我に返ると私は自分が神官長にどう思われているのか、そればかりを気にしている。そんな自分が、最近は苦しい。






 神官長室に入ると、中には既に護女官長がいた。彼女も呼ばれていたらしい。

 更にその奥には、アーシードが立っていた。彼は私と目が合うと、優しく微笑み、会釈をしてくれた。


「休んでいるところをすまない。アーシードがついさっき国境への出張から帰ったのだ。」


 濃い色の木のデスクから身を引き、椅子から立ち上がりながら神官長が切り出した。彼は腕を組んでデスクの横をゆっくりと歩き始めた。


「皇帝陛下がアーシードに、巫女姫はいつ後宮にお越しになるのか、と尋ねられたそうだ。」


 私と護女官長はほぼ同時にはっと息を飲み、顔を合わせた。皇帝の動向が私たちに伝わる事は今までなかった。こうして神官長からの話にでて来ると、巫女姫が後宮に行く事が俄かに現実味を帯びて感じられる。

 アーシードがそれを受けて言った。


「まだまだヒナ様はハイラスレシア語が堪能ではない、と時期については明示はいたしませんでした。」


 私は神官長たちに気づかれない様に、そっと安堵の息をはいた。


「そこで二人に尋ねたい。ヒナ様のハイラスレシア語は、あとどのくらいで日常生活に困らない程度になるか、見解を教えてくれ。」


 それに答えるのは容易ではなかった。

 そもそもサイトウさんの語学力の伸びに見当をつけるのが難しい。そしてもっと重要なのは、時期に目処をつけてしまえば、その頃になったらサイトウさんが後宮に行かなくてはならなくなる、という事だ。

 上司である護女官長より先に意見する訳にもいかず、私が考えこんでいると、護女官長が意を決して答えた。


「恐れながらまだまだ時期をお答えするのはた易くはありません。」

「それを承知で聞いている。」

「はい。それではお答えします。短くともあと半年は必要かと存じます。」


 全員の眼差しが私に向けられた。

 半年、というのは最短ならば妥当な気がした。けれど私はなけなしでも、サイトウさんにもう少し猶予をあげたかった。


「ハイラスレシアの言葉は、私たちがいた国のそれとは色んな点で異なります。あと七、八ヶ月は頂きたいと考えます。」


 神官長は顎に手を当て、少し思慮に耽った後、一度頷いた。


「では皇帝陛下には七ヶ月後を目安に、後宮の準備を整えて頂こう。」


 護女官長は満足そうに同意した。神官長の立つ後ろにある大きな窓には、冴えない顔をした自分の姿が映っていた。

 ーーーあと七ヶ月。

 きっとそんなのは、あっと言う間だ。

 七ヶ月後をサイトウさんはどんな思いで迎えるのだろう。

 微かに風を感じ、甘い香りが鼻腔を掠めたのと同時に、私の真正面には神官長が立っていた。


「随分と浮かない様子ではないか。どうした?」


 意外にもその声は柔らかで、とても優しく聞こえた。冷たい海の色の瞳は、心配そうに私に向けられている様に見えた。


「ヒナ様はお一人で後宮に行く決まりなのですか?」

「数名の侍女の同行が慣例だ。」

「あの、では私も行かせて下さいませんか?」


 サイトウさんの心細さを少しでも和らげてあげられるなら、との思いで聞いてみたが、神官長は眉をひそめた。

 対象的に護女官長は大きく頷きながら言った。


「サヤが同行すれば、ヒナ様も喜ばれるに違いありません。ヒナ様の一の護女官ですから。ヒナ様もきっとそれを望まれるでしょう。」


 神官長は腕を組みながら、窓の方へ向かった。こちらから表情は見えなかったが、あまり芳しくない様子なのはなんとなく雰囲気から読み取れた。

 私が同行しても、足手まといになると思われているのかもしれない。


「人選は粗方済んでいる。」


 護女官長は上司の意向をうかがう様に、神官長、と呼び掛けて彼の反応を待った。神官長は腕組みをしたまま、私たちの方へ体勢を戻した。その顔は眉間に皺が寄せられ、随分渋いものだった。


「同行の侍女は既婚者に限定するつもりでいる。皇帝陛下が、侍女として後宮に入った若い女性に稀にお手を出される事もあると聞く。」


 咄嗟に笑いがこみ上げてしまった。そんなものは、杞憂というものだ。後宮にはそれ相応の美人が揃っているのだろうし、皇帝も選り好みくらいするはずだ。


「余程見境ないお人でない限り、心配する必要はないと思います。」


 ちょっと笑ってみせながら自虐的に言い切ったところで、場が妙な空気になったと気づいた。

 ーーーまさか。

 その、まさかなのか!?

 当代のこちらの皇帝は、選り好みなんかせず、女ならば誰でもホイホイ手を出す、好色男なのか?例えるならば、光源氏みたいな。

 はっとして問う様にアーシードを見ると、彼は困惑したのか頭を掻いた。


「し、神官長!前は大丈夫だと仰ったじゃありませんか。それじゃやっぱりヒナ様がーーー皇帝に襲われちゃうかもしれないじゃないですか!」


 隣にいた護女官長が、なんて事を言うの、と目を丸くして呆れ顔になった。


「巫女姫様の後宮入りは形式的なものですよ。太陽神のお力と、地の権力の結び付きを象徴する為の。」


 護女官長に引き続き、補強する様に神官長が言った。


「神殿の宝である巫女姫様の御意志に反する事をしようとするなら、神殿庁が帝国の為に施す国境の結界は消滅するだろう。」


 なるほど。

 その脅しは最強にも思える。

 護女官長は確認するように言った。


「我々が口を出す事ではありませんが、………ただ、神殿としてはあまり巫女姫様の後宮ご滞在が長引くのはよろこばしくありません。私たちの願いは、巫女姫様のお心が常に安寧で、いつでもお祈りが出来る状況にいて頂く事です。」


 神官長が護女官長に付け加えた。


「侍女たちだけで解決が出来ない事が起きたなら、遠慮なく私の名を使うが良い。神官長の地位はその為にあるのだ。例え皇帝といえど、臆する必要はない。」


 強い風の音が外で響き、僅かに遅れて窓がガタガタと揺れた。神官長は腕を組み直し、意思の強そうな眼差しを窓に向けた。窓の外の暗闇は見ているだけで寒々しく、暖炉から遠くにいる私は少し二の腕を摩り、体温を上げようとした。

 神官長の視線が一瞬私に向くと、彼の右手がパチン、と鳴った。すると暖炉の横に並べられていた薪が、カラカラと宙を舞い、赤々と燃える暖炉の中に飛び込んで行った。


「もっと中へ。」


 同時に神官長は顎を軽く動かし、私と護女官長に部屋の奥まで入るよう指示をした。暖炉の側にいくよう、配慮してくれたのだろう。

 気遣いに感激していると、彼は少し硬い声で言った。


「ヒナ様だけではない。サヤも研鑽を積み、七カ月後に備えなければ。今はサヤを同行させられるか、と尋ねられれば私の答えは否、だ。」


 





 


 

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