巫女姫の告白
夜から降りだした雪は昼過ぎには止み、外にはぼんやりと光を放って見える白い世界が広がった。
サイトウさんがいつもいる広間から庭に張り出しているバルコニーにも、雪が積もった。巫女姫がバルコニーに出た時に足を滑らせては一大事なので、私たち護女官はサイトウさんが神学についての講義を別の所で受けている間に、バルコニーの雪かきををする事にした。とにかく、巫女姫をお守りするのが私たちの第一の使命なのだ。
革のブーツを履いてバルコニーに出て積雪を踏むと、キュッキュッと心地良い音がして面白い。
スコップで雪を庭に向けて払いながら、同僚の護女官たちは子ども時代に雪で遊んだ思い出を楽しそうに話してくれた。
雪の上に果物の果汁を垂らして食べた事や、横になって自分の形に雪を凹ませた事。雪人形を作った事。どこの世界でも、子どもたちの考える遊びというものは共通らしい。
そう思うと寒い中、なんだか心がほっこりと暖かくなった。
ただし、日本の雪だるまといえば二段重ねが定番だが、ハイラスレシアでは三段らしい。こちらの人は日本人よりも背が高いから、二段では満足できないのだろう。
スレンダーな雪だるまより、日本のずんぐりとした雪だるまの方が、愛らしいと思うのだが。
気がつくとバルコニーの窓際にはサイトウさんが立っていて、雪かきをする私たちを興味深そうに見ていた。神学の講義はもう終わっていたらしい。
目が合うとサイトウさんは誘われる様にバルコニーに通じる扉を開けた。
「何してるの。楽しそう。」
広間の中から護女官長がサイトウさんに向かって、寒いから出ない様に声をかけたが、サイトウさんはそれを振り切り、バルコニーに出た。その彼女の後を、付かず離れずクラウスと二人の聖騎士がついてくる。
クラウスはサイトウさんがバルコニーから庭に出る階段を下ろうとすると、さっと手を貸した。
「ヒナ様のお国も、良く雪が降るのですか?」
「ううん。私がいた所は、殆どないよ。だから、これ、今楽しい!」
たどたどしいハイラスレシア語を一生懸命に操り、零れる様な愛らしい笑みを見せ、サイトウさんはクラウスに答える。透明感溢れる黒い瞳がキラキラと輝き、本当に嬉しくて堪らなそうに見える。
サイトウさんは積もった雪を両手で掬い上げ、顔に寄せるとふうっ、と勢い良く息を吹いた。吹かれた雪は粉の様にフワリと舞い、陽光をチラチラと細かく反射しながらゆっくり地面に落ちた。まるでCMのワンシーンみたいだ。可愛い子は何をやってもサマになる。
意味もなく、もう一度雪を吹くよう、強請りたくなるから不思議だ。
クラウスの反応を確認すると、案の定魂を抜かれたみたいに恍惚とした表情でサイトウさんを見ている。
私たち護女官は庭の通り道に積もった雪を、左右に払って道を切り開いた。寒空の下での肉体労働に満足し、開拓した道を眺めながらふとバルコニーの方を見やると、窓辺には護女官長がいた。彼女の視線の先には、雪ウサギを作るサイトウさんと、彼女に葉を手渡すクラウスがいた。
一見クラウスは聖騎士として巫女姫であるサイトウさんの側近くに控え、警護をしているだけだ。他の聖騎士も彼等のそばにいる。だが、サイトウさんとクラウスの二人の目にはお互いの存在しか映っていない様に見えた。
クラウス、と彼を呼ぶサイトウさんのその澄んだ声の、なんて甘く可愛らしい事だろう。クラウスに向ける笑顔は、輝きに溢れ心から嬉しそうだ。惹かれ合う男女の交わす視線には、言葉以上に雄弁な意味と感情がこめられている。
再び視線を護女官長に戻すと、彼女と目が合った。すると護女官長はおもむろに私に対して手招きをした。
広間に戻ると護女官長は二人に目を向けたまま、溜め息をついた。
「サヤ、口外はなりませんよ。もっとも巫女姫が恋をしてはいけない法はありません。」
クラウスは巫女姫のヒナ様に惹かれている。そんな男はこの国に五万といるだろう。だが肝心のヒナ様も、聖騎士のクラウスに惹かれている。
護女官長は外気との温度差に曇り始めた窓ガラスを、手で擦って視界の確保をした。雪を両手に抱えるほどに取ってから、悪戯っ子の様にクラウスにそれを投げるサイトウさんが見えた。私なら大きな雪玉を作ってクラウスの顔面に投げてみたい。色々積もった物がスッキリしそうだ。
私はクラウスがちっとも好きではないが、彼がサイトウさんに向ける一途な気持ちと行動は、素直に羨ましいものだーーー。
「サヤ、貴方になら巫女姫様は胸の内を明らかにしてらっしゃるのではないかしら。若い恋心は時として抑え難いものです。」
「護女官長…」
「人を愛するというのは、神の御心に近づく事でもあります。真面目なクラウスとヒナ様が道を誤る事がないよう、しっかりと私たちがお支えしましょう。」
その発言はまるで護女官長が自分に言い聞かせている様に聞こえた。
その日の夜、寝間着に着替えたサイトウさんを寝室まで送ると、彼女は私を日本語で呼び止めた。
どこか思いつめたその表情に、私まで身構えてしまう。彼女は指を胸の前で組ませて、絞り出す様に言った。
『サヤは気づいているかもしれないけど……。ねえ、どうしよう?私、クラウスが好きなの。』
『ヒナ様……。』
『私、ゆくゆくは後宮に行って彼と離れないといけないんだよ。それを想像すると、胸が潰れそう………!』
私はとりあえずサイトウさんを彼女の部屋に入れ、入口近くにあるソファに座らせた。
私が背中を摩ってあげると、彼女は切り出した。
『私が後宮に行っている間に、クラウスが他の人を好きになっちゃったら、どうしよう?彼はあんなに素敵な人だから、モテるし。』
クラウスが素敵に見えた事は一度たりともないけれど、サイトウさんの気持ちは理解出来た。少なくとも数ヶ月は後宮に行き、クラウスと会えないのだ。今は毎日側にいるから、不安は尚更だろう。
『私、ダメだよね。巫女姫失格だよね。恋に不安で、役割を果たすのが怖いなんて。』
『ヒナ様。サイトウさん。貴方は間違いなく太陽神の巫女姫様だよ。それに、クラウスは馬鹿みたいに真っ直ぐそうだから、少し会えないくらいでサイトウさんへの気持ちが揺らいだりしないよ。』
サイトウさんは涙をためた黒い瞳を上げ、問う様に私を見た。ああ、こんなに可愛らしい少女が恋に悩んで落とす涙は、きっと世界一澄んでいるに違いない。
縋る様な濡れた眼差しを向けられると、全力で彼女を涙から守ってあげたい気持ちになる。ーーー本当に、召喚した巫女姫が可憐で美しいというのは、大事だ。
『クラウスも、どう見てもサイトウさんが好きだよ。断言できるよ。』
サイトウさんは、私がそう慰めるといくらか安心した様だった。私は膝の上に落とされていた彼女の手を取った。サイトウさんの柔らかな白い手に触れると、暖かな充足感で胸が満たされた。ーーーこれは巫女姫が持つ能力なのだろうか?若しくは、同じ世界の人間だと本能が察知している反応なのかもしれない。
一緒にいると安心し、離れると寂しいと感じるのだ。
どれほど担ぎ上げられようと、私たちは常に究極の孤独を抱えている。
ジワジワと沸き起こる強い気持ちに突き動かされ、私は決意に似たものを表明した。
『ねえ、サイトウさん。私たちこの国で絶対に負けずに生きていこう。』
『負けずに……?』
召喚された先で不幸になり、涙にくれる毎日を過ごすのは嫌だ。せめて立派に生き抜きたい。
『サイトウさん、私たちちゃんと幸せになろうね。』
すると彼女は笑った。そんな事、親にも面と向かって言われた事が無いかも、と。そしてその後で少し考える素振りを見せてから、彼女は私にきいてきた。サヤは今、幸せだと感じる事があるのか、と。
これには素直に首を横に振った。
『まだです。これから探していきます。』
サイトウさんはクラウスとの別離に不安を覚えている様だったが、私はそれより後宮自体が不安だった。
レイヤルクから聞いていた話から私が想像する後宮は、神殿庁の人々が言う後宮とは大きな隔たりがあった。神官長が安全だと言い切ってもなお、レイヤルクの話は私をジワジワと不安にさせた。何より、後宮という物自体が何かしら私の頭の中で、信用できない、こびり付いて拭い去られる事が無い恐怖心の様な物を持っていた。
勿論、私が抱く後宮への先入観とレイヤルクの言った話をサイトウさんにする事はなかった。




