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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第一章 術屋
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 私。

 私は誰か。

 私の名前は宮澤沙耶である。

 生まれも育ちも東京で、こんな所には縁もゆかりも無い。けれどそんな事を説明して一体何になるのだろう。

 さっきまで東京のアパートにいました、ここはどこでしょうか、もしや異世界でしょうかとバカ真面目に事実を述べるべきだろうか。

 あまりに寒いセリフだ。

 日本でこんな事をいう奴がいたら、間違い無く受診を勧められるに違いない。

 あまりの事態に、どう答えるべきか考えあぐね、やっとたどたどしく口を開く。


「私、どうやって帰れますか?」

「帰った異界人の話は聞いた事がないなあ。残念だけど。」


 急速にあらゆる望みを絶たれた私は、蚊の鳴くような声でもう一度聞くのが精一杯だった。ここがどこなのか詳しく教えて下さい、と。

 レイヤルクはヨッとジジくさい掛け声を上げながら、居間にある本棚から一冊の薄い本を取った。

 テーブルの上のグラスを退けて本を開くと、そこには地図が描かれていた。それは私が今まで見た事があるどんな地図とも異なっていた。

 覚悟はしていたが、見知らぬ地図を眼前に置かれた衝撃はかなりのものだった。海の真ん中に大きな大陸があり、大きな大陸の北側は白く塗り潰され、「凍土地帯」と書かれている。ーーー先ほどこの建物の入口で見た三角形の連続は、今や文字として認識が出来た。

 レイヤルクは肘まである白い手袋をはめた手を、地図の下の方へ滑らせ、大陸の中ほどで止めた。指の下には単純化した小さな城の絵が描かれていた。


「ここが今私たちがいるハイラスレシア帝国の帝都だよ。」


 ハイラスレシア……。

 地図に身を乗り出し、じっくりと見てみる。大陸の南や東の方は小さな国々がひしめき、それを飲み込む様な勢いで大きな版図を広げているのが、ハイラスレシア帝国であった。どうやらとんでもなく大きな国らしい。


「君は驚いているのかも知れないけれど、この国では別の世界から人が転がり込んでくるのは昔からよくあることでね。元来世界は干渉し合わず平行に無数に存在しているけれど、なんかこう、君たちの世界とこの世界の間の膜には裂け目があるらしいよ。そういう人はこの帝都では隷民扱いだからねぇ。君は、危ないところだったんだよ。その自覚はあまり無いようだけど。私に買われて幸運だったよ。君を買おうとしていた男は、鉱山で働く労働者を集めていたんだよ。狭い坑道を通る細い女性や子どもの隷民をいつも探しているらしいよ。」


 つまり、この世界では異世界から来た人を、都合よくこき使っているという事だろうか。脳裏に浮かんだのは、市場で一緒に売られていた他の人たちだった。彼らも私みたいに、異世界から来てしまって、売られていたのだろうか?

 だがそう尋ねるとレイヤルクは肩を竦めた。

 そもそも異世界からの迷いこみ現象には、波があり一度にたくさんの人々が来る時もあれば、何年も一人も来ない時もある。しかも迷い込んで来る人々も皆、人種から年齢、性別に至るまで様々なのだという。

 彼の説明によれば、隷民とやらには色んな事情があるらしかった。

 ハイラスレシア帝国に出稼ぎ目的で不法入国してる周辺諸国からの外国人も見つかれば隷民となるし、正民であっても重罪を犯せば隷民になることがあるらしい。その所属は代々受け継がれ、隷民と隷民の子は隷民だった。

 だからこそハイラスレシア帝国では、正民は出生時に地区の神殿に真っ先に出生を届け出て、その際に神殿が発行してくれる登録証の写しを肌身離さず持ち歩くのだという。ちなみに私は今、運転免許証すら持ち合わせていない。

 私だって日本の正民なんだけど。


「まあ、本来は隷民にも一定の権利と保証が認められているから、本当は鉱山労働は違法スレスレみたいなものなんだけどね。」


 彼はどこか他人事の様に言った。


「あの、レイヤルクさんはどういった目的で私を…?」

「私はね、この建物の一階で術屋をやっているんだよ。お陰様ですこぶる繁盛していてね。君にはそこで働いて貰いたいんだ。」


 術屋って、さっきみた雑貨屋の事だろうか。鉱山で働くのに比べたらパラダイスじゃないか。


「家事もやってくれれば衣食住付きだよ。どうだい?」


 とりあえず身分証なしで道端をうろついて、また売り飛ばされるよりは遥かに快適そうだ。差し当たって餓死する危険もなさそうだ。

 僅かな逡巡の後、私は答えていた。


「お世話になります。」


 私は名前をもう一度尋ねられたので、サヤだと教えると、レイヤルクはどこか感慨深気に私の名を何度か口の中で呟いていた。


「ところで君はいくつなんだい?」

「二十四です。」


 レイヤルクは朗らかにハハハハ、と笑った。

 笑うところだろうか。


「そんな馬鹿な。で、本当はいくつなんだい?」

「え……。ですから、二十四歳なんですけど………。」


 レイヤルクは胡散臭い笑みをおさめ、灰色の目を剥いた。


「本当かい?それにしちゃ頼りない顔をしているね。馬を牛だと言われても、訂正できなそうな顔をしているじゃないか。」


 ムッとした。






 この建物は一階部分が店舗になっていて、二、三階部分はレイヤルクの自宅になっていた。

 二階が居住スペースで、居間の脇にある台所に行くと、換気の為か大きな窓がついていて大層明るかった。だが設備は残念ながら予想を下回っていた。

 調理台の横に煮炊きスペースがあり、かまどみたいな所に火をくべ、下から火が当たる位置に鍋やらを置く仕組みになっていた。

 察するに、ここにはガスが無いのだろう。

 居間の横にある部屋が一番大きく、広さにして十六畳くらいはあった。当然そこがレイヤルクの部屋であり、私は玄関に近い一室を賜った。

 私の部屋にはやたらに高い位置に寝台があり、寝台までは六段ほどの階段がついていた。

 なんだかお姫様のベッドみたいで、おかしい。

 電気という物はなく、丸い乳白色の石が全ての部屋の天井から吊られていて、それらはレイヤルクが手をかざすと煌々と輝く仕組みになっていた。つまり彼は私には理解出来ない、奇妙な力を持っていた。

 他にも彼は直接手を触れずにものを動かせたりもした。同じ人間とは思えず、率直なところ不気味だと感じたが、これがこの世界の常識ならば慣れるしかない。彼を便利な歩くスイッチだと思う事にしよう。

 三階は本棚や埃を被ったまま使われていない家具が、ただ雑然と置かれていた。まるで倉庫だ。

 窓の外の表通りを見ると、日が暮れて暗くなっている。にもかかわらず外では人々が賑やかにしていて、寝静まる気配が無かった。

 手にカップを持ち、何やら長いパンの様な物をかじっている人が多い。飲み食いしながらどんちゃん騒ぎを通りでしているのだ。窓辺に立つと彼らの笑い声が聞こえた。

 いつもこんな感じなのだろうか?随分明るくて賑やかな街だ。

 訝しく思いながら外を覗き見ていると、レイヤルクに話し掛けられた。


「今日は太陽祭の二日目だからね。お陰で朝から街中が浮かれているよ。」


 どうやらお祭りが開かれているらしい。







 最初の数日間は、彼は私に付き添い、家の中のあれこれを指導したり、外に連れ出して色々な物ーーー買い物に使う市場や図書館、目抜き通りやらを案内してくれた。

 そんな中、私はただただ混乱の余り現実を到底認識出来ず、身体は動いているのに意識はふわふわと頼りなく漂い、全てをフィルター越しに見ている様な気分の中にいた。

 だがここまで来ると、もうこれはイタズラとか夢だという、楽観的な認識は通用しなくなっていった。確かなのは、私はここでどうにか生きるしかないという現実だった。

 自分ではどうする事も出来ない、大きな力に飲み込まれ、抵抗も叶わず、ただどうにか適応していくしか私には術がなかった。

 勿論どうしたら日本に帰れるのか、という焦りは始終私に付きまとった。

 ――家族はどれほど心配しているだろう。

 仕事の悩みを相談していた友人たちは、私が家出でもしたと思っているかもしれない。

 けれど一方で、あの仕事から逃げられたとほっとする気持ちも密かにあった。






 レイヤルクの店を手伝う初めての日、彼はご自慢の品揃えを細かく説明してくれた。

 お店には雑貨ばかりが並んでいたが、どれも単なる普通の雑貨ではなかった。

 例えばハンカチは何度拭いても濡れないハンカチ。

 何時迄も冷めない水筒。

 重さの無いカバン。

 どれも摩訶不思議な機能が一つ付加されていたのだ。


「これ、誰が作っていてどんな人が買うんですか?」

「随分な質問だねぇ。全部私が作っているんだよ。」


 店の奥の倉庫スペースには、乳白色の石がたくさん積んであった。


「この石は何ですか?」

「それは術光石だよ。うちにも天井からぶら下がっているだろう?帝都じゃ一般家庭にも普及しているんだよ。」


 ああ、例の電気みたいな石である。


「うちじゃ私が点けたり消したりしているけどね、普通はつきっぱなしなんだよ。他の家では黒い箱とセットになっていて、明かりがいらない時は箱で覆うんだ。」

「そっちの方が便利じゃないですか。」

「なんて心無い子だろうね、君は。明かりが持つのは一ヶ月くらいだから、つけっ放しにしない方が寿命が長くなるんだよ。私みたいな術者がいる家庭は少ないからね。明かりがきれた術光石にもう一度明かりを入れるのは術屋の一番の収入源なんだ。」


 つまりこの世界にはエジソンはいなかったらしいが、レイヤルクの様な珍妙な力を持つ人も少数派らしい。

 魔法使いみたいな人しかいない世界だったらどうしよう、と思っていたので私はこれを聞いて心底ホッとした。

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