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黄金の中庭  作者: 岡達 英茉
第二章 神殿庁
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歓喜の後の嵐

 ハイラスレシア帝国中から名門子息や子女たちが通う、王立学院は歴史を感じさせる灰色の優美な石造りの建物だった。建物の正面上部には、書物を持って立つ女性が前方を指差す像が彫られており、校舎の前には揃いの紺色の制服を着た子供たちが、所狭しと整列して私たちを出迎えてくれた。

 巫女姫を馬車に残し、まず私たち護女官が聖騎士たちに見守られて立派な馬車からその場に降り立った。それを寒空の中、直立不動で勢ぞろいして並び立つ生徒や教師たちに迎えられると、自分が物凄く大物にでもなった錯覚を抱いてしまいそうで、私は畏まった。

 巫女姫のサイトウさんが馬車を軽やかに降りると、歓喜の声が上がった。子供たちは興奮し、中には感激のあまり泣き出す子たちもいた。

 生徒たちが開けた道を私たちが進むと、彼等は胸に小さな手を当て、片足を下げてひざを折った。巫女姫が通り過ぎる度、生徒たちが波の様にお辞儀をしていく。

 私たちはまず、校内にある小さな神殿を訪れてお祈りをしたあと、講堂に向かった。講堂には生徒たちが集められ、そこで私たちは神殿庁から持参した、太陽神と世界の始まりについて分かりやすく書かれた子供向けの本をプレゼントした。こういう場面に立ち合うと、自分が今宗教の人たちの中にいるのだなと実感させられる。そして子供たちの興奮と期待が高まる中、巫女姫のサイトウさんと聖騎士のクラウスが、二重唱を披露した。







「まさに、太陽神のお恵みの様な素晴らしい歌声でした。講堂内が別次元に昇華した様な。」


 神殿庁に戻ると、護女官長と私は神官長に呼ばれて、王立学院での出来事をつぶさに報告した。

 私たちは椅子に深く腰掛けた神官長の前で、身振り手振りを交えていまだ興奮覚めやらぬ様子で報告をした。

 神官長は満足そうに頷き、横に控えて何やらメモを取るエバレッタも、とても興味深そうに私たちの話を聞いていた。

 ーーーそれにしても、またエバレッタなのか。特席の中でも、いつもエバレッタが神官長の一番近くにいるんじゃないだろうか。よっぽどお気に入りなんだろうな。

 もしかしたら、神官長は彼女にも陰で「私の心の巫女姫」とか言っているのかもしれない。

 単なる妄想なのに、想像してみたら物凄く不愉快だった。


 報告が終わり、私と護女官長が退出しようとすると、その場にアーシードが現れた。軽く会釈をして入れ替わりに出て行こうとすると、後ろから声が飛んで来た。


「サヤ。残りなさい。話があります。」


 振り返ると神官長が私を見ている。アーシードも神官長に同意する様に、続けて頷いた。

 少し戸惑いながらも護女官長は私を置いて先に出て行った。

 神官長とアーシードを交互に見ると、王立学院での報告を聞いていた先ほどまでの和やかな雰囲気は削ぎ落とされ、至極真剣な面持ちをしていた。

 ーーーまさか、レイヤルクが見つかったのだろうか?急に私の胸がばくばくと鳴り出した。

 護女官長がいなくなった扉が閉まっても神官長は口を開かなかった。代わりにエバレッタを見た。


「エバ。少し外してくれ。」

「私もでございますか?」


 エバレッタは予想外の命を受けた、とでも言いたげに目を瞬かせた。その様子に私はなんとなく微かな優越感を感じた。ーーーバカバカしい感情なので、直ぐに蓋をしたが。


「後で呼ぶ。外で待っていてくれ。」


 それは存外柔らかな口調だった。又しても私はその優しい言い方にムッとした。なんだか神官長がエバレッタと早く二人きりになりたくて仕方がないけど、私と話すという雑用があるから暫し我慢してくれ、と言っているみたいだ、と捻くれた捉え方をしてしまう。

 そもそも私たち護女官にはそんな、機嫌を取る様な台詞や表情を見せた事なんてない。なのに、特席にはするんだ………。それともエバレッタだから?

 まあ、いつも近くにいるんだから、気心は知れるのだろう。

 ーーーこんな風に私が無意味にムシャクシャしてしまうのは、神官長が私の前で二重に振る舞うせいだ。

 エバレッタは直ぐに表情を切り換えると、丁寧にお辞儀をした。


「では失礼致します。」


 エバレッタが出て行くその姿勢の良い背中をモヤモヤと眺めていると、神官長が上座に当たる椅子から降りて私の方へやって来た。


「サヤ様。レイヤルクという術者と暮らした家の三階の本棚の裏に、隠し部屋があったのはご存知でしたか?」

「隠し部屋、ですか?!」


 急に低姿勢になる神官長に、一瞬ムッとした。だが、それ以上に聞かれた内容に気を取られた。ーーー三階は倉庫として使った一部屋があるだけの筈だった。本棚の後ろなんて確認した事もない。

 私が首を左右に振ると、神官長は続けた。


「捜索の結果、その隠し部屋から新たに別名の神殿登録証が出て来たのです。」


 神殿登録証ーーーつまりこの世界で言う身分証だ。正民が一人一枚しか持たない筈の物だがレイヤルクは、レイヤルク=シャジャーンという名の登録証以外にももう一枚持っていた、という事だろうか。


「登録証の名義は、ジェラルド=シーバスでした。」

「………では、レイヤルクさんの本名は、ジェラルドというのですか?」

「分かりかねます。何しろこの登録証はレイヤルク=シャジャーンの登録証に輪をかけて怪しい代物なのですから。」


 それはどういう意味なのだろう。確かにシーバスはハイラスレシア帝国ではありふれた名字だ。逆にありふれ過ぎていて嘘くさい、という事だろうか?

 首を傾げていると、アーシードが口を開いた。


「ジェラルド=シーバスの登録証を発行した神殿は、帝都の端にある少し寂れた神殿でした。この神殿にある登録証発行記録簿によれば、ジェラルドは別の神殿からその神殿に転入してきた者だった様です。」


 通常、所属の神殿は引っ越しても変える事はない。余程の事情がない限り、出生時に登録証を発行して貰った神殿に生涯世話になるのだ。


「転入前にいた神殿にまで足を伸ばして調査しましたところ、ジェラルドはそれ以前に更に別の神殿から転入してきたのだとわかりました。これはかなり珍しい事です。」

「アーシードにジェラルドの登録証を辿らせ、各地の神殿を転々とさせた結果、ジェラルドの登録証は何と実に八回も転出と転入を繰り返していたのです。」

「それは………妙なお話ですね。」


 私が同調すると二人は無言になった。

 二人の表情は大層固く、重苦しい空気が辺りを漂っている。それはこちらの世界の登録証の事情に詳しくない私にも、何か私が思っている以上に厄介な事がおきているのだろう、と想像させた。

 ややあって、その沈黙を破る形で語り始めたのは神官長だった。


「調査によってジェラルドの登録証を最後に確認できたのは、ハイラスレシア最北の地にある、ドーレイン神殿でした。ドーレイン神殿以前についてはもう、分かりませんでした。ドーレイン神殿は一度火事で登録証発行記録簿を焼失していたのです。」

「そうなんですか。出来過ぎた話で、奇妙ですね。」

「ええ。奇妙過ぎます。何故ならジェラルド=シーバスの登録証がドーレイン神殿を転出したのは、今から百九十年前だったのですから。」


 えっ、と聞き返さずにはいられなかった。つまり、レイヤルクは理論上百九十歳を超えている事になる。

 ーーーぞわぞわと全身の鳥肌が立っていく。


「不正に売買される登録証には良くある事ですが、ここまで古い登録証は初めて見ました。あの男は身元を明かせない事情があるか、又はそもそも自分の登録証を持っていなかったに違いありません。サヤ様。あの男は一体何者なのでしょう?」


 何者?それこそ私に教えて欲しい。

 神官長は私の真正面に立ち、私に尋ねてきた。


「あの男はサヤ様に何か己の身上を語りませんでしたか?」


 目を合わせたまま隠し事を貫くのはなかなか重労働だった。だが、私はレイヤルクに捕まって欲しくはない。彼に何か不利になるのなら、彼が言うなと命じた事は言うつもりはない。


「彼はあまり彼自身については話さなかったんです。分かる事といえば、レイヤルクさんは、極度の神殿嫌いでした。」


 今度はアーシードが口を開いた。


「では、ハイラスレシア語が下手な人間や、外国風の客を見た事は?」


 私の知る限りでは、と前置きをしてから私は首を左右に振った。

 サヤ様、と呟くと神官長は少し屈んで私の目を覗き込んできた。


「サヤ様にとっては今も我々よりレイヤルクの方が信頼に足る存在なのですか?」


 一瞬私は答えに窮し、そして窮した事実を申し訳ないと引け目に感じた。今は神殿庁の人々のお世話になっているのにーーー。

 だが、そうだろうか?


「レイヤルクさんはこの世界に落ちた私を、一生懸命探してくれたんです。」


 私は勇気を持って、モヤモヤした感情と一緒に、言葉という槍を神官長に突き刺した。


「その間貴方は何をしていたんですか?」


 レイヤルクが召喚を邪魔したから、私とサイトウさんの二人がこちらに来てしまった事は分かっている。彼の妨害が無ければ、私は隷民として蔑まれる事もなく、例え神官長の思い込みであっても、巫女姫として神殿庁に迎えられていたかもしれない。だけど、満足いく巫女姫ーーーサイトウさんを手にいれたなら、落とした方は秘密裏に探せば良いのか。私は後回しで構わなかったの?もしレイヤルクみたいな良い人に保護されていなければ、今頃どうなっていたかは分からないのに。例えばあの時、レイヤルクがほんの少し間に合わず、鉱山で働く隷民を集めるハゲたおじさんに私が買われていたとしたら?そう考えると身震いがする。


「私がもし一歩間違えて炭鉱で生き埋めになっていたら、神官長はとっとと諦めてお忘れになっていたのではありませんか?」


 サヤ様、とアーシードが言い過ぎた私を諌める様に私を遮った。一方で私に責められても神官長は顔色一つ変えず、一見すると相変わらず涼やかな眼差しを私に向けているだけだった。

 私はそこに一層傷ついた。この人は本当に、私をもし探せなかったとしてもこうして落ち着き払い、たいして気にも止めなかったのではないだろうか?普段二人きりの時に私を巫女姫、と呼び丁寧に扱ってくれるのも、単なるパフォーマンスにすぎ無いのではないだろうか?私の存在など、彼にとって本心では面倒臭い厄介者なのでは?この神官長にとって、私は一体何なのか。それが今や気になって仕方がないのだ………。

 いっそ憎めれば楽なのに。

 私に対する気持ちが上辺だけではないかと想像すると無性に腹が立ち、悲しい。この人の見せかけの敬意に私はバカみたいに踊らされているんだ。実際は私をサイトウさんにくっ付いて来てしまった面倒な付録、とでも考えているのかもしれない。私はサイトウさんの郷愁を慰めるのに有用なだけの、厄介者にしかなれていないーーー互いに言葉無く見つめあっているうちに、頭の中はぐるぐると目まぐるしく動いた。

 神官長から目を離さず、私は彼をただ見つめていた。整い過ぎた容貌のせいかもしれないが、感情が読み取れないのだ。

 真っ直ぐに向けられていた視線は、微かに揺れた後私から宙へ逸らされた。神官長の眉間には僅かに皺が寄せられていた。ーーー神官長が私を巫女姫だと断じるのは、己のプライドからだろう。否定すると自分の神技をも否定した事になる。だが一方で、私を巫女姫だと認めるわけにもいかないのだ。一度隷民になっていた、たいして見栄えもしない女が、後から巫女姫でしたと祭り上げられても、民は崇拝しないだろう。慕われてこその巫女姫だ。そんな事態はこちらが一番お断りだ。巫女姫はこの世界に来た瞬間を、神官たちに見守られ、その瞬間から巫女姫でなければならない。そう考えながら神官長を見ていて、ふと気付いた。

 ああそうだ、この人は単に困惑しているのだ、と。

 神官長は私を完全に扱いあぐねていた。

 私を厚遇しながら守るには、護女官が一番なのだろう。だが表だって態度には出せないし、私の複雑な気持ちも分かっているのだろう。それは私も同じで、サイトウさんには絶対に私が彼女の召喚に巻き込まれた事を知られたくない。だけど、同じ日本人同士、今は側にいたいのだ。彼女も私をとても必要としてくれている。サイトウさんの側にいる時、私は心底誰かの役に立てている、と実感できるのだ。でもこれは私の矛盾だ。

 もう、置かれている状況が複雑過ぎて、自分でもどうしたら良いのか、分からない。私は震える手を神官長の官位を表す真紅のショールに伸ばし、それを掴んだ。訴える様に強く握り締めたので、手の中で赤い布が皺になるのを感じる。神官長はされるがままになっていた。

 

「もう……っ、そもそもなんで神官長のくせにレイヤルクさんより弱いんですか!元はと言えばそのせいじゃないですか!一人でご飯も作れない、その辺の道端歩いてる術者に勝てないなんて、おかしいでしょう!?」

「如何に糾弾されようと反論の余地もございません。」

「どうせ私は巫女姫サイトウ=ヒナ様の召喚に巻き込まれただけの女ですから。誠意があれば敬意はいりません。だけどレイヤルクさんを悪者に仕立てようとするのは、賛同できません。」

「サヤ様が巫女姫様であることは私が一番良く存じ上げております。また、サヤ様のお怒りは至極当然の物と………ですが、莫大な力と危険な思想を抱いた怪しい男を野放しにする訳にはいきません。サヤ様に何をするかも分かりません。拘束が不可能ならば私が選ぶ手段は限られております。」

「お願いですから、レイヤルクさんを……殺したりしないで下さい………!」


 神官長は私をひたと見つめたまま、数回瞬きをした。やがて静かに溜息をつきながら視線を下に流した。再びその目を上げて私に合わせると、あろう事か神官長はここで投げやりな微笑を見せた。そうして、詠唱するかの様に柔らかく滑らかに囁いた。


「………お約束できかねます。」


 悶々としながらその場を退出すると、アーシードが私を追いかけて来た。

 神官長と違って彼はかなりの狼狽ぶりを見せていた。そんな彼を私は三白眼で睨んだ。けれどアーシードは怯まずに話しかけてきた。


「お見せしたい物があります。少しお付き合い下さい。」

「え、なんですか?聖木とやらならもう見ましたよ。一度で結構です。興味ありません。」

「聖木?せ、聖木ではありません。神殿庁の秘宝をお見せしたいのです。限られた神官のみが見る事を許される秘宝ですが、貴方にはその資格がありますから。」

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